学位論文要旨



No 120983
著者(漢字) 近藤,力
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,チカラ
標題(和) 非チャネリング条件下における高速多価イオンのコヒーレント共鳴励起
標題(洋) Resonant coherent excitation of fast highly charged ions under non-channeling conditions
報告番号 120983
報告番号 甲20983
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4783号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 助教授 鄭,淳讃
 東京学芸大学 助教授 新田,英雄
 東京大学 助教授 常行,真司
 筑波大学 教授 工藤,博
内容要旨 要旨を表示する

イオンが結晶の軸もしくは面にほぼ平行に入射したとき,粒子は結晶原子と小角散乱を繰り返しながら結晶軸や面に沿った隙間(チャンネル)を進行することがある.この現象をチャネリングとよぶ.このとき,粒子は結晶原子とほとんど衝突することなく進行できるため,イオンは衝突による励起や電離といった電子状態の変化を抑えられる.またイオンの軌道はチャンネル内を蛇行しながら進む.

また,結晶内を進行するイオンは,結晶原子の周期配列を横切るため,それらが作る周期電場を振動電場として感じる.この電場の振動数がイオンの励起をおこす振動数に一致するとき,イオンの励起がおこる.このような,周期的な結晶場による励起現象をコヒーレント共鳴励起(Resonant Coherent Excitation:RCE)とよぶ

RCEは,1966年に提唱されて以来,実験・理論の両側面から研究がなされおり,最近では高エネルギーの多価イオンを用いて,結晶の電場による電子準位のStarkシフトの観測や,多価イオンの精密分光の手法として応用されるなど,様々な発展を見せている.

ところで,これらの研究は,実験・理論を問わず,チャネリング条件下のイオンのみを対象として行われてきた.これは,非チャネリング条件下では,イオンは結晶原子との衝突によって,電子状態のコヒーレンスの位相緩和が強くなり,RCEが起こらないと考えられていたためである.しかし,敢えて強調するならば,イオンは非チャネリング条件下においても振動電場を感じており,コヒーレンスの位相緩和を抑えられれば,原理的にはRCEが起こせるはずである.この位相緩和の抑制には,高いエネルギーをもつ原子番号Zの大きい多価の重イオンを用いることで実現され,それには多価イオンの生成と,相対論的なエネノルギーまでの加速できる加速器が必要とされた.

そこで本研究では,放射線医学総合研究所の重イオン加速器HIMACにおいて,入射粒子に391MeV/u H-like Ar17+イオンおよび416MeV/u He-like Ar16+イオンという高エネルギーの多価イオンを,また標的結晶に1μmのSi結晶を用い,透過イオン荷電分布を測定することで,非チャネリング条件下におけるコヒーレント共鳴励起の観測を行い,これに初めて成功した.

ここで,非チャネリング条件下におけるRCEは,図1に示すように結晶の原子面の立体的な周期配列を横切ることで,振動電場を感じる.そこで,これを三次元コヒーレント共鳴励起(3-DRCE)と呼ぶことにする.そして共鳴条件は,

で表される.ここで,ΔEは準位間のエネルギー差,hはプランク定数,γはローレンツ因子,ν面内における<110>軸方向からの角度,φは(220)面に対する入射角に対応する.391MeV/u H-like Ar17+イオンの1s-2p3/2の共鳴条件を(φ,φ)に描くと図2のように(k,l,m)毎の曲線の集合となる.

図3に,φ=0°(面チャネリング条件)と0.1°(非チャネドルグ条件)に固定し,それぞれθを回転させたときの,Ar17+イオンの荷電分布の変化と式(1)から求まる共鳴条件の図を示す.このときφ=0°のチャネリング条件下では共鳴条件付近において幅広なディップが観測され,また、φ=0°の非チャネリング条件下においても,予想される共鳴条件において鋭いディップが確認された.この非チャネリング条件下におけるRCEによるディップは,3-D RCEが起きていることを示している.

φ=0°の(200)面チャネリング条件下では,幅が15eV程度の共鳴ディップが観測された.この幅広な構造は,(220)原子面の作る電場によるStarkシフトによってできる.今,イオンは(220)原子面にほぼ平行に進行しているため,この原子面の作る電場を静的な電場として感じる.このとき,イオンの準位がDC Starkシフトで広がり,それに合わせて共鳴プロファイルも幅広になっているためである.

一方,φ=0.1°の非チャネリング条件下では,1s-2p1/2と1s-2p3/2への共鳴励起によるディップは,その幅が狭く,また予想される位置にほぼ一致している.これは,3-D RCEではStarkシフトが消失していること示している.このStarkシフトの消失はイオンが原子面の作る電場を動的な電場として感じるためにおこる.イオンは,φ=0.1°で結晶に入射したとき,(220)原子面を次々と横切るため,その原子面の作る電場は.面を横切る周波数(1.6×10 16 s-1)の整数倍の周波数をもつ様々な周波数の振動電場として感じる.このように,イオンがAC的な電場を感じるとき.準位のシフトはAC Starkシフトとして取り扱われる.このStarkシフトは,

で表される.ここで,Δijは準位間のエネルギー差,Fは振動電場の振幅ベクトル,ωは電場の振動数である.いま,各電場の振動数は,イオンのエネルギー差に対応する振動数(2s-2p 1/2;2.4×10 14s-1,2s-2p3/2;7.0×10 15s-1.)よりも大きいため,それぞれの電場によるシフトは無視できるほど小さくなる.このように,3-D RCEでは結晶電場の全ての成分を振動電場として感じ,それぞれの振動数がイオンの準位間のエネルギー差に対応する振動数から十分に離れていると,Starkシフトは無視できるほど小さくなる.

また,この共鳴幅から電子状態のコヒーレンスの位相緩和確率を求める.ビームの速度広がりなど実験的な広がりが約1eV程度と見積もられ,この幅を観測した幅から差し引いた値が位相緩和による幅とすると,位相緩和確率は約8×1014 s-1となる.これは,位相緩和が起こるまでにイオンが結晶内を0.3μm以上進むことを示しており,(220)原子面を3つ以上乗り越えることになる.すなわち,電子数密度や核数密度の高い(220)原子面を通過しても.イオンのコヒーレンスは保たれていることがわかる.

今回,3-D RCEを観測できた理由として,高エネルギーの多価イオンを用いたことだけでなく,標的結晶に厚さ1μmの薄膜結晶を用いたことも大きな要因である.荷電分布測定によるRCEの観測は,透過イオンの生き残り確率の減少の観測であり,そのためには非共鳴条件下においても生き残り確率が大きい必要がある.これには,イオンが非チャネリング条件下においても,結晶原子との衝突によってイオン化する前に出射する必要がある.今回,非チャネリング条件下におけるAr17+イオンの生き残り確率はおよそ74%程度あり,共鳴条件下における生き残り確率の減少を観測するのに十分大きかった.

図1:三次元のコヒーレント共鳴励起(3-D RCE)のイメージ図.イオンは,(k,l,m)で指定される原子面の周期配列を乗り越えることで,振動電場を感じる.

図2:式(1)から求まる,391/u H-like Ar17+イオンの1s-2p 3/2の共鳴条件をθ,φ面上に書き出した図,色の違いは(k,l,m)の違いに対応する.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、放射線医学総合研究所の重イオン加速器を用いて、核子あたり約400MeVの高エネルギーのアルゴンイオンを厚さ1μmのシリコン単結晶に打ち込むことにより、世界で初めて非チャンネリング条件におけるコヒーレント共鳴励起の観測に成功した成果をまとめたもので、6章からなる。

第1章では、これまでの研究の背景と本研究の目的・意義が述べられている。結晶中をイオンが通過すると、イオンは結晶原子の電場を周期的な振動電場として感じる。その振動数が、イオンの励起振動数に一致すると、イオンが励起する。この現象をコヒーレント共鳴励起(Resonant Coherent Excitation:RCE)と呼ぶ。一般的には、イオンは結晶原子との衝突による励起や電離も起こすため、RCEが観測できるためには、チャンネリング条件を満たすことが必要と考えられてきた。ここでチャンネリングとは、イオンが結晶軸や結晶面に沿った隙間(チャンネル)に沿って、結晶原子とほとんど衝突することなく進行する現象である。しかし、高エネルギー重イオンを薄い結晶に打ち込めば、衝突に伴う電離等が抑えられるため、非チャンネリング条件であってもRCEは観測できるであろうという、本研究の着想が示されている。

第2章はチャンネリング及びコヒーレント励起共鳴の理論的基礎のレビューである。特に結晶面の隙間をチャンネリングしつつRCEを起こす場合について詳しく述べた後、イオンの進行方向を結晶面に対して傾けてチャンネリング条件からずらしていった場合の共鳴条件について述べている。

第3章は実験の詳細に関する記述である。核子あたり391MeVに加速したAr17+イオンを、縦横幅を絞った細い平行ビームとして、厚さ1μmのシリコン単結晶に打ち込む。結晶はx、y、zの3軸を精密な角度で設定できるゴニオメーターに取り付けておく。RCEが起きてイオンが励起されるとイオン半径が増加するため、別の原子に衝突した際にイオン化されてAr18+になる確率が増える。そこで結晶の下流に磁石を、更に下流に位置測定可能なイオン検出器を置いてAT17+・Ar18+を同定し、結晶を回転しながら(すなわちイオンが感じる振動電場の周期を変化させながら)Ar17+とAr18+の収率を比較すると、RCEの共鳴条件を満たしたところでAr17+の生き残り率が減少する。これがRCE検出の原理である。

第4章では、面チャンネリング条件を満たす場合(ビームを結晶面(220)に平行に入射)の測定結果が示されている。結晶面に垂直な軸のまわりに結晶を回転させると、Ar17+が基底状態(1s)から2p3/2と2p1/2の二つの励起状態へのRCEに対応する回転角のところに、幅の広いディップ(Ar17+の生き残り率の減少)が見られた。これは、従来から知られているように、イオンの電子状態が結晶電場によって、DCシュタルクシフトを起こしているためである。すなわち、面チャンネリング条件下では、イオンは結晶の作る振動電場に加え、結晶面に垂直な電場をDC的に受け続ける。イオンが面間の中心を走れば上下の面からの電場成分は打ち消すが、イオンの軌道がどちらかの面に近ければ打ち消しは起こらず、DCシュタルク効果によってイオンのエネルギー準位が分裂・シフトする。この準位を反映し、ディップは幅広になるのである。

第5章では、結晶面のビームに対する傾き角を増加させつつ(すなわちビームが(220)結晶面を横切るようにして)非チャンネリング条件下でのRCE探索を行った結果が示されている。第2章にて理論的に予想された回転角のところにディップが見られ、非チャンネリング条件であってもRCEが観測できるであろうという予想を裏付ける結果となっている。しかも、観測されたディップは、第4章で示されたチャンネリング条件を満たす場合のディップよりも鋭かった。その理由について、本論文では次のように論じている。

非チャンネリング条件の場合、イオンは結晶面を次々と乗り越え、乗り越えの前後で電場の方向が逆転するため、結晶面からの電場を振動電場として感じるようになる。これがRCEのシフトや幅に与える影響(ACシュタルク効果)を定量的に見積もると十分に小さいことが示され、非チャンネリング条件下でのディップが細い理由が理解された。

第6章では、非チャンネリング条件でも、高エネルギー重イオンと薄い結晶を用いればRCEが観測できることが実証できたという結論が述べられている。

この研究は、従来チャンネリング条件が観測の必要条件と考えられていたRCEを非チャンネリング条件に一般化したもので、高く評価できる。研究は東俊行、畠山温、真杉三郎、中野祐司、小牧研一郎、山崎泰規、高田栄一、村上健の各氏との共同研究であるが、データ収集、データ解析及び解釈に関して、論文申請者本人の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク