学位論文要旨



No 120985
著者(漢字) 鈴木,隆行
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,タカユキ
標題(和) イオン画像のフィードバックを用いた分子の回転状態の最適化
標題(洋) Optimization of Rotational States of Molecules with the Feedback of Ion Images
報告番号 120985
報告番号 甲20985
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4785号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 島野,亮
 東京大学 助教授 鳥井,寿夫
 東京大学 教授 山,泰規
 東京大学 助教授 秋山,英文
 東京大学 助教授 松尾,美緒
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

フェムト秒パルスの波形整形技術の発展により、パルスの波形を最適化することにより、対象とする原子分子系を自由に制御できるようになってきた。最適化の結果得られた分子集団を応用実験の初期試料に利用するなど従来では考えられなかった高度な実験ができる可能性がある。また、最適化の過程で、光と物質の相互作用ハミルトニアンが未知の場合にも、得られたパルス波形を解析することにより、相互作用の特性を調べることも可能となる。

本研究では、気相分子の最適化制御に応用できるように、フィードバック型パルス整形システムにイオンイメージ法を融合するための技術開発を行った。さらに、開発したシステムを用い、窒素分子の非断熱的な配列過程について、分子の配列度を高くするように、フェムト秒パルスの時間波形をフィードバック制御した。

パルス整形技術の高度化

光の時間波形を電気的に変調するとき、その分解能はおおよそナノ秒程度である。そのため、フェムト秒領域の光パルスはフーリエ変換の関係を用いて周波数領域で変調することにより、任意の振幅や位相に整形される。本研究では、光学的フーリエ変換と液晶空間光変調器を用いた4f型のパルス整形器を開発した。さらに開発したパルス整形器の適用範囲、特に液晶空間光変調器に特有の制限要因について考察した。すなわり、液晶が有限個のピクセルからなることによるサンプリング限界、ピクセル間のギャップによる波形の歪みについて検討した。波形の歪みは実際にパルスを整形し、理想値からのずれを調べることにより、実験的に検証した。サンプリング限界から見積もられる時間領域の有効範囲はおよそ1.6 psであるが、波形の歪みも考慮した場合、400 fs程度が有効範囲であった。

次のステップとして、パルス整形器にフィードバックシステムを組み合わせ、目的のパルス波形が実際に得られることを確認した。最適化のターゲットには以下の2つを選んだ。まず、フェムト秒パルスの時間波形に着目し、2つの等しい強度のピークを持つ「ダブルパルス」をターゲットに選んだ。ダブルパルスを得るための変調量は、フーリエ変換に基づく考察によってあらかじめ求めることができるが、ここでは、TADPOLE法によるパルスの特性評価の結果だけを用い、ターゲットとの誤差を小さくするようにフィードバックをかけた。最適化のアルゴリズムには遺伝的アルゴリズムを用いた。ランダムな位相変調パルスからスタートして、遺伝的アルゴリズムの50世代に渡る進化の結果、ほぼ目的のダブルパルスを達成できた。さらに、偏光状態が時間と共に変化するパルスの整形も試みた。この場合には、変調量をあらかじめ予測することは困難であるが、最適化によるパルスの整形が有効に機能することを確認できた。実際、単一パルス内で楕円偏光の楕円率が時間とともに一定の割合で増加するパルスをターゲットに選んで最適化した場合にも、ターゲットとして指定したとおりに偏光状態が変化するパルスが得られた。このように変調量が予測できないようなターゲットの場合にも、図1に示すように、フィードバック制御によるパルス整形は特に有効な技術であるといえる。

イオンイメージングのフィードバック制御への適用

高強度レーザー光を分子に照射すると多光子イオン化によって、多価の分子イオンが生成される。多価の分子イオンは構成原子間のクーロン反発力によって、大きな運動エネルギー持って爆発的に解離する。このクーロン爆裂によって生成されるフラグメントイオンは、イオン化直前の分子の構造や向きを反映した方向に飛散するため、フラグメントイオンの運動量を解析することで分子の構造や向きを知ることができる。velocity map法と呼ばれるイオン分析法を用いれば、フラグメントイオンの運動量分布の2次元投影像(イオンイメージ)を観測できる。この運動量分布を反映したイオンイメージからフラグメントイオンの運動エネルギーを計算することによって、クーロン爆裂の瞬間の核間距離を解析することもできる。このため、イオンイメージ法は分子の構造や向き、さらにはイオン化ダイナミクスを研究するための有効な観測手法として広く応用されている。

本研究では、イオンイメージを最適制御実験のフィードバック信号として応用するための技術開発を行った。フィードバック実験では、測定を繰り返し行うため、データの取得や解析に高速性が要求される。そこでまず、データ転送と解析の高速化を図るため、Blobと呼ばれる輝点の塊を抜き出すことにより、大幅にデータを圧縮した。Blobの中心座標は、生データを明暗の2階調化(2値化)することにより、輝点が隣接する1つの塊の重心として求めた。この結果、イオンイメージの取得速度>10 Hzを達成した。また、Blobが2つ隣接した場合でも正しく座標を取得できるように、個々のBlobを慣性モーメントを利用して評価した。この処理によって、1枚のイオンイメージで最大50個程度のBlobを観測できるようになり、データの取得効率を大幅に改善できた。

非断熱領域における分子配列の偏光による制御

気相分子の回転周期よりも十分短いパルスを照射すると、回転波束を励起できる。パルスの照射後に、この回転波束の時間発展により分子の過渡的な配列状態(非断熱的分子配列)が実現することが知られている。ここでは、イオンイメージ法を用いて、様々な偏光パルスを用いて非断熱的分子配列を制御した。

ポンプープローブ型の光学系を組み、ポンプ光を照射した後の任意の遅延時間にプローブ光を照射した。プローブ光により分子はクーロン爆裂を起こし、その結果生成したフラグメントイオンをイオンイメージ法により観測した。

まず、ポンプ光を直線偏光とした。配列の度合いをイオンイメージから計算されるcos2θの平均値、<cos2θ>で表す。図2 (上)に、結果を表す。ポンプ光の照射後に<cos2θ>が上昇していること、回転周期の半整数倍で過渡的な配列状態が実現している様子などがわかる。さらに、ポンプ光の偏光を楕円偏光や円偏光にして分子配列の時間発展を観測した。特に円偏光の場合には、直線偏光と同様の遷移の選択則による配列状態が期待できるが、配列する方向はポンプ光の波数ベクトル方向であり、ポンプ光により分子が受けるトルクも逆向きである。イメージングを用いることにより、波数ベクトル方向への配列の様子や、トルクが逆向きであることによる<cos2θ>の変調の反転も観測することができた(図2 (下))。

非断熱分子配列の最適制御

本研究で開発した、パルス整形技術、遺伝的アルゴリズムを用いたフィードバック技術、イオンイメージング法を総合し、窒素分子の非断熱的な配列状態を最適制御した。パルス整形器からの出力をポンプ光として試料分子に照射し、約4 psの遅延をおいてプローブ光を照射した。<cos2θ>を用いて適当な評価関数をフィードバックし、ランダムな位相変調パルスから最適化をはじめた。遺伝的アルゴリズムの50世代の最適化で<cos2θ>が0.58から0.73まで上昇した。FROG法によって解析すると、最適化の結果得られたパルスは強度のほぼ等しい2つのピークを持つことが分かった。

最適化で得られた2つのピークを持つパルスの配列度に対する有効性を考察するために、計算機シミュレーションにより、ダブルパルスが分子配列に与える効果を調べた。パルス幅50 fsの2つのガウシアンパルスを仮定し、パルス間の時間差を変化させたところ、最適化で用いたhalf revival(〜4 ps)では、単一のパルスのときに<<cos2θ>>を最も高くできることが分かった。ここで、<<cos2θ>>は3次元空間でのcos2θの平均値を表す。ただし、ダブルパルスのピーク間隔を広げてもしばらくは<<cos2θ>>の低下の仕方は緩やかであり、100 fsを越えるあたりから<<cos2θ>>の下がり方が急になる。しかし図3上に示すように、パルス照射直後の配列状態やfull revival(〜8 ps)のところでは、125 fs程度の間隔のダブルパルスのときに、最も高い<<cos2θ>>の実現が期待できることが分かった。

この結果を検証するためマイケルソン型の干渉計を構築し、強度の等しい2つのパルスをポンプ光として照射し、<cos2θ>の時間発展を測定した。パルス照射直後の配列状態に注目すると、パルスの間隔が100〜150 fsのときに<cos2θ>が最も高くなることが確認できた(図3下)。これは、シュレーションの結果とも一致している。

そこで、エネルギー一定の条件で、ポンプ光のパルス幅の配列度への効果をシミュレーションで調べた。ダブルパルスの時には、ピーク間隔125 fsが最適値であったが、このダブルパルスをその幅が50 fsの2つのピークを持つ1つのパルスとみなすと、そのパルス全体の幅は175 fsとなる。単一のパルスを仮定し、パルス幅を変化させたところ、およそ200 fs程度のところで<<cos2θ>>が最も高くなった。この結果はダブルパルスのときのパルス全体の幅とほぼ一致している。

シミュレーションの結果について、角運動量量子数Jの分布を調べた。ダブルパルスのピーク間隔、パルス幅を変えるとポンプ光照射後のJの分布がそれぞれで違うことが分かった。しかし、ダブルパルスの場合とシングルパルスでパルス幅が広い場合とで、最も高い<<cos2θ>>を与えるパルスについて、角運動量量子数Jの分布について比較したところ、どちらも良く似た分布を示した。また、ピーク間隔やパルス幅を変化させて照射時間を長くすると、各状態間の位相の関係を制御できることが確認できた。しかし、照射時間を長くし過ぎると高いJの状態がうまく励起できないことが分かった。これは、パルスの継続時間内での分子の回転が無視できないためと考えられる。

図1 最適化の結果得られた時間依存偏光パルス。灰色の線が強度を表し、パルスの主要部分で楕円率(黒丸)はターゲット(点線)と良く一致している。白四角は楕円偏光の偏角を表す。

図2 直線偏光(上)、円偏光(下)を用いた場合の非断熱分子配列の様子

図3 ダブルパルスからなるポンプ光のピーク間隔の関数としてみた分子の配列度。計算結果(上)と、マイケルソン型干渉計による実験結果(下)

審査要旨 要旨を表示する

近年、超短パルスレーザー技術の進歩とともに、高強度レーザー場により分子の回転状態を人為的に制御することが可能となってきた。目的とする量子状態を実現するためには、光と物質系との相互作用の機構に基づき光パルスの強度や波形を最適化することが重要な課題となるが、フェムト秒時間領域で対象に即して光パルス波形を自在に制御することは容易ではない。また、光と物質系との相互作用の機構が明かではない場合もある。

本研究は、この問題を解決する新しい試みとして、分子配列度を遺伝的アルゴリズムにより光パルス波形へとフィードバックし、分子配列を最適化する手法を提案し、その開発、実験的検証を行ったものである。

本論文は6章からなる。第1章は序論で研究の背景と目的が述べられている。第2章では、フェムト秒光パルス波形整形の手法、遺伝的アルゴリズムによるパルス波形及び偏光の制御について記述されている。第3章は、分子イオン画像計測装置の構成、イオン画像をフィードバック制御に用いるための画像処理技術について述べられている。第4章は、直線偏光励起、円偏光励起それぞれの場合について非共鳴双極子相互作用に基づく分子配列の理論が定式化されている。さらに、窒素分子を対象として非断熱分子配列実験を行い、理論予測との比較がなされている。第5章では、本研究により開発されたイオン画像フィードバックシステムによる分子配列の最適制御実験について記述されている。併せて、計算機シミュレーションによる実験結果との比較、考察が行われている。第6章では、総括と展望が簡潔に述べられている。以下、本研究の主要な結果とその意義について述べる。

光パルス波形整形技術の開発

フェムト秒領域の光パルスの波形制御には、光学的フーリエ変換を用いて周波数領域で光パルスを変調することにより、任意の振幅や位相に整形する技術が一般的に用いられている。学位申請者はまず、このパルス波形整形技術に遺伝的アルゴリズムを導入し、自己探索型の波形最適化技術を構築した。さらに、従来型の強度変調パルスに加えて、光の偏光に注目し単一パルス内で時間変化する楕円率を持つパルスを生成することに成功している。超高速時間領域での偏光状態の制御は、本研究で主題とする非断熱分子配列への応用に加えて、高次高調波発生やアト秒領域での原子、分子ダイナミクスの研究等への広い応用が期待される重要な技術である。

分子イオン画像をフィードバック制御に用いるための技術開発

本研究では、分子の配列度を反映する2次元イオン画像データから、分子配列度を示すパラメータを抽出し、最適制御実験のフィードバック信号として利用する。数多くの解候補の中から最適解を探索する遺伝的アルゴリズムを用いたフィードバックシステムにとって、画像処理速度の高速化は本質的に重要である。学位申請者は、得られたイオン画像からイオン由来の信号のみを抽出することでデータ容量を大幅に圧縮することに成功した。さらに、空間的に広がりを持つ輝点に対して慣性モーメントを定義することにより、隣接して飛来するイオンを分離して計数することを発案し、画像取得効率を向上した。この結果、画像取得、処理速度の高速化(>10Hz)を達成し、フィードバックシステムを実現した。

窒素分子の非断熱配列実験への応用

上記によって開発したイオン画像フィードバックシステムを用いて、窒素分子の非断熱配列実験を行い、分子配列の最適制御の実証を行った。さらに最適化の結果得られた光パルスが、ダブルパルスになっていることが示された。この結果を考察するために、計算機シミュレーションを行い、ダブルパルスが分子配列に与える効果を調べた。その結果、回転振動半周期後の非断熱配列では、単一パルスが最も高い分子配列を与えるものの、ダブルパルスの間隔が100fs以下の場合は単一パルスと比べても比較的高い分子配列度を与えることが示された。一方、励起直後あるいは回転周期1周期後の非断熱分子配列は、125fsの間隔を持つダブルパルス、あるいは200fsのパルス幅を持つ単一パルスが最大の分子配列度を与えることが示された。この結果から、1)最適化の結果得られたダブルパルスは局所解の一つである、2)有限の幅を持つ光パルスが最大の分子配列を与える、との解釈が示された。

以上のように、本研究は分子配列を最適化する新しい手法を提供するとともに、光との相互作用ハミルトニアンが未知の物質系に対して、最適化により得られた光パルス波形の解析から逆にハミルトニアンの特性を調べる手段を提供すると考えられ、高強度レーザー場の物理学、原子分子物理学、さらには分子化学の発展に寄与するものと認められる。

本論文の中核をなす研究内容は指導教員らとの共同研究として学術雑誌に公表ないし公表予定であるが、実験系の構築、制御アルゴリズムの開発、分子配列実験に至る一連の研究は学位申請者が自ら主体となって行ったものであり、学位申請者の寄与は十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位授与に値するものと認める。

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