学位論文要旨



No 120986
著者(漢字) 竹井,洋
著者(英字)
著者(カナ) タケイ,ヨウ
標題(和) 銀河団周辺部のX線観測による中高温銀河間物質の研究
標題(洋) An X-ray study of cluster vicinities and observational constraints on the warm-hot intergalactic medium
報告番号 120986
報告番号 甲20986
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4786号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,智
 東京大学 教授 中川,貴雄
 東京大学 教授 川,雅裕
 東京大学 教授 森,正樹
 東京大学 助教授 大橋,正健
内容要旨 要旨を表示する

近傍宇宙のバリオンの大半を占める中高温銀河間物質

WMAP衛星をはじめとする近年の遠方宇宙の観測から、宇宙の描像が次々と明らかにされてきた。宇宙のエネルギー密度の〜70%は真空のエネルギーが占め、残る30%のうち8割以上を非バリオンのダークマターが占める。"普通の物質"であるバリオン(陽子、中性子など)は宇宙の4%にすぎないという描像、いわゆるACDMモデルが宇宙を記述する標準モデルとして定着しつつある。すなわち、宇宙の96%は直接観測にかかっていない"ダーク"なものなのである。それらに加え、残る4%を占めるバリオンですら、約半分は未だ現在の宇宙で観測されていない。いわばダーク(ミッシング)バリオンなのである。

この「ミッシングバリオン問題」の解は、未だ観測されていない中高温銀河間物質(Warm-hot intergalactic medium;以降WHIMと呼ぶ)だと言われている。ACDMモデルは、宇宙の構造が階層的に―星など密度の高く小さいものから先に、銀河団など密度が薄い大きなものは後に―形成されると予想する。このモデルによると、近傍宇宙では銀河団よりも密度の薄いガスが重力収縮しながら徐々に加熱され、温度106-7 Kのフィラメントとして大規模構造を作っているという。そしてその質量は全バリオンの30-40%を占める。密度が10-4-10-6 cm-3と小さく、現存する検出器の感度では検出が難しいため、未だ観測されていないと考えられている。

大部分の質量を占めるとされる106-7 KのWHIMの観測に有効な、WHIM中の重元素による輝線、吸収線のX線分光観測によってWHIMの検出が試みられてきた。しかし、吸収線の観測には非常に明るい背景天体が必要であるため、有意な観測はNicastroらによる二例しかない。彼らはブレイザーが増光し全天で最も明るい天体の一つとなるのを狙って観測したが、それは非常に稀な例である。一方、輝線の観測報告は多数あるものの、銀河系内のガスの放射との区別ができないためWHIMのものだと断定するのが難しい。これらの難点に加えて、吸収線、輝線の両者を共に観測しない限り個々のフィラメントの密度、奥行きを決定することはできない。

本研究の戦略-銀河団周辺のWHIMの観測

これらの研究に対し、本博士論文では、銀河団近傍のWHIMに注目するという新しい視点にたって研究を行った。この戦略の利点は、銀河団周辺はWHIMの密度が平均より高く、現存する検出器でも輝線、吸収線の両者の観測が期待されること、他の観測より温度の高いT>106 KのWHIMを観測できること、検出したWHIMと大規模構造との関連が明確であることである。柱密度が高いため、特別に明るい背景天体は必要ない。輝線、吸収線が共に観測されれば、WHIMの密度、奥行き、重元素組成比といった物理量に制限をつけられる。我々は、最もWHIMの検出可能性が高いと考えられる視線方向に伸びている銀河団3つを観測天体に選択した。かみのけ座銀河団、おとめ座銀河団、A2218の三天体である。

かみのけ座銀河団、おとめ座銀河団の背後には、それぞれX Comae、LBQS 1228+1116という背景天体が存在し、輝線、吸収線の両者の観測が期待される。一方、A2218は遠方(z=0.1756)に存在し銀河系内の物質との区別が容易であることが期待される。前者二天体の観測は回折格子による点源の精密分光とCCDによる広がった天体の撮像分光が同時に行えるXMM-Newton衛星で行い、A2218の観測は、広がった天体のE<1 keVのエネルギー帯で過去最高の分光性能を持つすざく衛星で行った。

観測結果-銀河団周辺のWHIM

かみのけ座銀河団周辺

我々は、X Comaeのスペクトル中に、赤方偏移したNelXの吸収線を2.6σの有意性で検出した(図1左)。その赤方偏移はX Comaeから15分角以内の銀河の赤方偏移の平均値と一致していた。同じ赤方偏移にNe X、O VII、O VIIIの吸収線の兆候もあり、これらをNelXに足し合わせると統計的な有意性は3.3σに達した。一方、X Comae周辺の広がった放射のスペクトルに〜9σの有意性でNe IX輝線が検出された(図1右)。その強度がかみのけ座銀河団の中心に向かって大きくなることから、その大部分は我々の銀河系内ではなく、かみのけ座銀河団周辺に存在すると考えられる。これらの観測結果からかみのけ座銀河団周辺にNe IXを含む中高温物質が存在すると結論づけた。

吸収線の柱密度はNNeIX=4.4×1016 cm-2と、銀河系周辺に比べて一桁程度大きい。このことは銀河団近傍、すなわち大規模構造に沿った大量のWHIMの存在を示唆している。水素数密度nH、奥行きL、Ne組成比をZとおくと、一様分布を仮定して、吸収線の柱密度はMion∝nHZL、と書け、放射強度からは、ZnH2が決定できる。これらを連立することでnHとZLをnH=2.5×10-5cm-3、ZL=4.1 MpcZISMと決定した。ただしZISMは星間物質の重元素組成比である。奥行きと重元素組成比に相関はあるもののnHを他の物理量に依存することなく決定した。

おとめ座銀河団周辺

LBQS 1228+1116のスペクトル中には銀河団の赤方偏移(z=0.004)にO VIII吸収線が存在し(図2左;統計的有意性96.4%)、その周辺のスペクトルからは、銀河団からの放射と平均的なバックグラウンドでは説明できない中高温成分(0.2 keV)の放射を検出した(図2右)。ここで検出されたO VIII吸収線の柱密度NOVIII=6.2×1016 cm-2も銀河系周辺より一桁大きく、かみのけ座銀河団と同様の視線方向に延びたWHIMのフィラメントの存在を示した。放射成分については銀河系内起源であることを完全には棄却できず、この放射強度は上限値だと考えられる。それでも、nH<3.6×10-5 cm-3、ZL>31 MpcZISMと制限をつけた。

A2218周辺

すざく衛星でA2218周辺の広がった放射を観測したところ、〜0.3 keVの中高温ガスの兆候が得られた。WHIMからの放射と銀河系内の放射のスペクトルは似ているため、我々は、系内放射が極大に近い1°、2°離れた領域もあわせて観測し、系内ガスの放射強度を制限した。そして、系内放射と銀河団周辺のスペクトルを同時フィットしたところ系外中高温ガスの統計的有意性は99.98%に及んだ。観測された放射強度はおとめ座、かみのけ座の両銀河団の観測から予想される放射強度と誤差の範囲で一致していた。しかし、この有意性や放射強度は検出器の較正に強く依存する。すざく衛星は打ち上げからの日が浅く、検出器の応答の不定性を考慮するとWHIMからの放射を検出したと結論づけることはできないだろう。

総合的考察

我々は3つの銀河団周辺を観測し、その全てにおいて付随するWHIMを検出した。このことは、銀河団の周辺には普遍的にWHIMが存在することを示唆している。観測されたWHIMの温度は他の観測より高く、この温度のWHIMの観測は我々が初めて行ったと言える。我々は、「全ての銀河団に同程度の密度、サイズ、重元素組成比のWHIMが付随し、我々の観測したWHIMは(偶然)視線方向に沿って存在しているものだ」という仮定のもと、個々の銀河団の観測を超えてWHIMの物理量を制限することを試みた。奥行き、そして質量MWHIMを決めるには、個々の銀河団の観測では決まらない二つのfree parameetr Z(もしくはL)とRWHIMを決める必要がある。ただし、WHIMを半径RWHIM、奥行きLの円柱だと仮定している。ここで、 MWHIMは

という依存性をもつ。我々は物理量に以下のように物理量に制限をつけた。

L/RWHIM<10

おとめ座、かみのけ座のような近傍銀河団は18個発見されている(z<0.03;kT>2keVのもの)。これら18銀河団のうち少なくとも2つ(おとめ座、かみのけ座)は、銀河の分布や我々のWHIMの観測から視線方向に延びたフィラメントの存在を示している。もしL/RwHIM>10ならば、2つ以上のフィラメントが視線方向を向く可能性が5%を切る。そこで我々はL/RWHIM<10を制限とした。このことはおとめ座、かみのけ座の銀河の視線方向の広がりがその垂直方向の広がりの5倍程度であることとも矛盾しない。

L〓6Mpc;RWHIM〓0.6Mpc;MWHIM〓9.3×10M〓;ΩWHIM〓0.02%

WHIMの重元素組成比は銀河団の重元素組成比Z〜0.5 ZISMを超えないだろうと予想される。この制限を使うとZLが観測で求まっていることからLの最小値が推定できる。さらに1.の関係を使うことでRWHIM、MWHIM、バリオン密度ΩWHIMの最小値が求まる。

Z〓0.1ZISM

ZLが観測で求まっていること、L/RWHIMの最小値が求まっていることから、Zを固定した場合のΩWHIMの最小値が計算できる。この最小値は総バリオン量nbより小さい必要がある。このことからZ〓0.1ZISMという制限がつく。これはWHIMの重元素組成比に対する世界で初めての観測からの制限である。

我々が求めた物理量は数値シミュレーションの予想と矛盾するものではない。観測からシミュレーションに強い制限を加えるには、より高い統計のデータ得ること、銀河団周辺の観測数を増やすこと、が必要である。将来の衛星計画によってそれは可能になるだろう。私の研究は銀河団周辺のWHIMを探査すること、輝線と吸収線を共に観測することの有効性と重要性を実証した先駆的な計画であり、その方法を確立したという意味でも有意義なものである。

まとめ

我々は視線方向に延びたフィラメントが期待されていた3つの銀河団、かみのけ座銀河団、おとめ座銀河団、A2218の周辺部からWHIMを探査し、前者2つからWHIMを検出し、A2218からもWHIMの兆候を得た。このことは、銀河団の周辺には普遍的にWHIMが存在することを示唆している。我々はさらに、かみのけ座銀河団、おとめ座銀河団で観測されたWHIMと同様のWHIMが全ての銀河団に付随していると仮定し、WHIMの物理量を考察した。その結果、L/RWHIM<10、L〓6 Mpc、RWHIM〓0.6 Mpc、MWHIM〓9.3×1012M〓、ΩWHIM〓0.02%、Z〓0.1ZISMという制限を得た。本研究はT>2×106 KのWHIMに対する初の観測的研究であり、WHIMのnH、L、Zへの制限をつけた世界初の研究でもある。

Figure 1:左: X Comaeのスペクトル。NelX吸収線を仮定して波長を赤方偏移に変換。黒、赤の十字(+)は2つのRGS検出器に対応。三角(△)はバックグラウンド。緑の線はXComae周辺の銀河の速度分布を逆向きに示したもの。銀河の分布に対応した波長に吸収線を発見。右:かみのけ座銀河団周辺の放射のNelX強度(黒丸○)、OVII強度(赤十字+)とかみのけ座銀河団からの距離との相関。O VII輝線の強度は銀河団からの距離によらずほとんど変わらないが、NelX輝線の強度は銀河団に近づくほど増えている。吸収、放射の両者とも3-4×106KのWHIMの存在を示唆している。

Figure 2:左:LBQS 1228+1116のスペクトル。銀河団近傍のOVIII吸収線を発見。右:おとめ座銀河団周辺の広がった放射のスペクトル。モデルフィットに加えた各要素も表示している。銀河団の高温ガス(Virgo ICM)や平均的なバックグラウンド(CXB,MWH,LHB)に加えてもう一つ中高温(0.2keV)の熱的放射を加えなければスペクトルを再現しない。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は近傍宇宙のバリオンの大半を占めていると考えられている中高温銀河間物質(WHIM)に関する観測的研究である。WHIMは宇宙における構造形成を考える上で、非常に重要であるにもかかわらず、観測的な困難のためにその実態は謎に包まれている。本論文では銀河団近傍ではWHIMの密度が高まっているであろうと予想し、その方向でWHIMを特徴付けるX線領域の吸収、発光スペクトルの検出を行ったものである。

本論文は全体で9章よりなる。第1章の導入に引き続いて、第2章では宇宙における構造形成とWHIMの位置付けについて広範な視点からレビューしている。第3章では本研究でとりあげる銀河団の選択と、個々の銀河団の性質に関するこれまでの研究のまとめを行っている。第4章では、観測に用いたXMM-Newton衛星、Suzaku衛星について、望遠鏡から検出器にいたるまで詳しく解説されている。ここでまとめられた装置に関する深い理解が、後の章における微弱な信号の有意度の検定における系統誤差の見積もりに大きく寄与しているのは注目に値する。

第5章が本論文の主要なパートである。かみのけ座銀河団周辺において、XMM-Newton衛星による観測を行った。この銀河団の背景にたまたま存在するXComaeと呼ばれるX線源を背景として、銀河団周辺のWHIMによるNe IXの吸収線を2.6σの有意度で検出することに成功した。また、NeX,O VII,O VIIIの吸収線の兆候も見られ、これらを総合した吸収線検出の有意度は3.3σであった。一方、銀河団周辺の広がった放射の中に、Ne IXのスペクトル輝線が検出された。このように吸収線と輝線がともに検出されたことは初めてで、両者を相補的に用いることにより、WHIMの密度、および重元素存在比に関する重要な知見を得た。

第6章はおとめ座銀河団についてのXMM-Newton衛星による結果である。銀河団の背景にあるLBQS1228+1116を光源とした吸収スペクトルの測定により、WHIMを特徴付けるスペクトル線の一つであるO VIIIの吸収線を検出した。放射成分の観測は銀河系内成分の寄与の除去が難しかったため、WHIMの密度、および重元素存在比に制限をつけるにとどまった。第7章ではA2218周辺に関するSuzaku衛星による観測結果を述べている。0.3keV程度の中高温ガスの兆候が放射スペクトルに見られるが、検出器のキャリブレーションがまだ不完全であるため、確実なWHIMの検出までには至っていない。

第8章では以上の結果をまとめ、議論をしている。その結果、WHIMの奥行きと半径の比は10よりは小さいこと、WHIMの質量が9.3×10(12)太陽質量以上であること、バリオン密度(WHIM)が0.02%以上であること、WHIMにおける重元素存在比が銀河系内星間空間の0.1倍以上であることなど、非常に重要な知見を得た。これらは宇宙における構造形成に関する数値シミュレーション結果と矛盾しない。

このように、論文提出者はWHIMのX線観測を通して、これまで謎につつまれていたWHIMの物理的性質の一端を明らかにするとともに、この問題に対する観測的アプローチの方法論を実証した。この研究は指導教員の満田教授をはじめとする国際チームにおける共同研究であるが、本論文で示された観測、解析、議論はすべて論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与は十分であると判断される。よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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