学位論文要旨



No 120994
著者(漢字) 丸田,朋史
著者(英字)
著者(カナ) マルタ,トモフミ
標題(和) 軽いラムダハイパー核の非中間子弱崩壊における非対称度の研究
標題(洋) Decay Asymmetry in Non-mesonic Weak Decay of Light Λ Hypernuclei
報告番号 120994
報告番号 甲20994
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4794号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 酒井,英行
 東京大学 助教授 徳宿,克夫
 東京大学 教授 駒宮,幸男
 東京大学 助教授 森松,治
 東京大学 助教授 浜垣,秀樹
内容要旨 要旨を表示する

本研究では、Λハイパー核における非中間子弱崩壊(NMWD)の反応機構の解明を目的として、スピン偏極したAハイパー核の崩壊モードにおける陽子の非対称度パラメータを測定した。A粒子を含む原子核であるAハイパー核の基底状態は弱い相互作用により崩壊する。このA粒子は、真空中では中間子崩壊モード(Λ→πN)により崩壊する。この崩壊ではいわゆるΔI=1/2則が現象論的に成り立っていることが知られている。これは崩壊においてΔI=1/2の振幅がΔI=3/2の振幅に比べて20倍程度大きいと言う経験則である。このためAハイペロンの崩壊において、A→pπ-とΛ→nπ0の分岐比は2:1となる(実験的には63.9%:35.8%)。しかしこの崩壊モードでは運動量移行が少ないため(Δq〜100MeV/c)、原子核中ではパウリの排他律によりこの崩壊モードは強く抑制され、代わりに運動量移行の大きいNMWDモード(Δq〜400MeV/c)が主となる。この崩壊モードではΔI=1/2則が成り立っているかどうかも含め、反応機構がまだ良く理解されていない。この研究では、s-殻Λハイパー核である〓についてこれまでに無い高統計で精度良く非対称度パラメータを測定し、初めて陽子と中性子の同時計測条件下でこれを決定することに成功した。またs-殻の〓とp-殻(〓)の測定結果について比較を行い、反応機構に差があるかどうかを調べた。

Λハイパー核の非中間子弱崩壊の前後でストレンジネス量子数が変化するため、強い相互作用の影響を受けずに、バリオンーバリオン間の弱い相互作用における、パリティ保存項と非保存項を同時に測定することが可能である。これは、核子・核子間では強い相互作用のために、弱い相互作用におけるパリティ保存項の研究が困難である事情と大きく異なる点である。

本実験(E462、 E508)は、高エネルギー加速器研究機構にある12-GeV陽子シンクロトロンのK6ビームラインで行った。これらの実験では〓(E462)及び〓を(π+,K+)反応により生成し、過去の実験に比べて1()倍近いデータを収集することに成功した。また高い精度で基底状態のハイパー核を同定するために、(π+,K+)反応により放出されたK+中間子の運動量を、100 msrの大立体角、2 MeV(FWHM)の高分解能を誇るSKSスペクトロメータにより測定した。(π+,K+)反応で生成されたハイパー核は大きく偏極することが知られており、これにより崩壊幅のみならず、非対称度の測定を同時に行うことが可能である。本実験ではAハイパー核の偏極軸となる実験標的の上下方向と、これから外れた9()。方向(右側)に、崩壊粒子検出器群を配置し、中性粒子と荷電粒子の同時測定を行った。この検出器群は全立体角の約30%を覆っている。

実験で得られた〓と〓の励起エネルギースペクトルを図1に示す。どちらの場合にも基底状態がピークとなって観測され、容易に同定することが出来る。また、〓のスペクトルにある励起エネルギー10 MeVのあたりのピークはΛがp-軌道にいる状態で、強い相互作用で陽子を放出し、〓に崩壊することが知られている。したがって、このピークを選ぶことにより〓の測定も行った。図2及び図3に〓の基底状態から放出された、中性粒子と荷電粒子の粒子識別の様子を示す。非中間子崩壊からの陽子と中性子を小さい混入率で同定した。更にNMWDを測定する実験では初めて、重陽子を測定することに成功した。

崩壊粒子の解析では、まず初めにハイパー核の崩壊により放出された、陽子とπ中間子の非対称度を求めた。この量は粒子がAの偏極方向に対してどの程度偏って放出されたか示す量であり、上下それぞれの崩壊粒子検出器群で測定された崩壊粒子数と、(π+,K+)反応により散乱されたK+中間子が左右に散乱された数から、四重積により求められる。この方法では、粒子の放出方向による検出効率やアクセプタンスの違いが相殺される。確認のため(π+,p)反応により放出された、陽子と中間子の非対称度を求めた。この反応は強い相互作用による反応なので、非対称度はゼロになることが期待される。陽子及び中間子どちらの場合においても、偏りは0.3%以下と非常に低いことが確認できた。

非対称度(A)と非対称度パラメータ(α)、Λの偏極(PΛ)の間にはA=αPΛという関係がある。〓はΛがJP=0+の4Heに束縛された系であるため、中間子弱崩壊における中間子の非対称度パラメータ(〓)は、自由空間におけるそれと、ほぼ同じであると考えることが出来る。自由空間での中間子の非対称度パラメータは良く知られているので(〓=-0.642±0.013)、この値を用いて偏極の大きさを中間子弱崩壊から求めた。一方、 〓に関しては励起状態からγ線を放出して、基底状態に遷移する場合に減偏極が起こるので、糸永氏らによる理論計算の値を用いた。図4に〓の測定で得られた3つの散乱角における陽子の非対称度を縦軸、偏極の大きさを横軸に示す。散乱角が小さいデータはAの偏極方向の分解能が悪いと考えられるので、6°〜15°の結果をフィットして非対称度パラメータを求めた。実線はフィットの結果、黄色の領域は誤差の範囲であり、それぞれ〓となった。また、NMWDは二体崩壊であるので、陽子と中性子は反対方向に放出されると考えられる。従って中性子と陽子が反対方向に放出された事象のみを選んだ場合、〓は0.30±0.26となり、いずれの場合においてもゼロに近い値を示唆している。一方、図5に〓測定結果を示す。青いデータは〓の結果、赤いデータは〓の結果である。二つのハイパー核において、反応機構が大きく異なるとは考えにくいので、平均をとり、〓を得た。この値は〓と近い値を示しており、殻、 s-殻核における反応機構に差は無いと考えられる。

もう一つの重要な測定量にΓn/Γp比がある。これはNMWDの二つの崩壊モード(An→nn/Λp→np)の崩壊幅の比を取った値である。本実験では〓及び〓において、それぞれ0.45±0.11±0.03、0.51±0.13±0.04を得た。 zこの結果はバリオン間の相互作用をπ,K,ρ,ω等の中間子が担っているという中間子交換模型や、短距離においてクォーク間で直接相互作用するダイレクトクォーク模型で良く再現できる。しかしながら、これらの模型では〓は大きなマイナスの値を示しており(0.6〜0.7)、我々の結果を再現することが困難である。最近では、Γn/Γp比と〓の実験値を同時に再現するπ,K中間子交換模型+DQ模型にρ中間子を取り入れた模型等が提唱されている。

図1:〓(左)と〓(右)の励起エネルギースペクトル。それぞれ基底状態のピークが良く識別されている。〓のスペクトルで励起エネルギー10 MeVの辺りにあるピークはΛがp-軌道にいる状態で、陽子を放出して〓に崩壊する。

図2:中性粒子の粒子識別:中性子とγ線が良く分離できている。中性子のエネルギーは5〜150 MeVに相当する範囲を選択した。

図3:荷電粒子の粒子識別:陽子とπ中間子、重陽子がよく分離できている。

図4:〓に対する陽子の非対称度の測定結果。実線はフィットの結果、黄色の領域は誤差の範囲を示す。

図5:p-殻核に対する陽子の非対称度の測定結果。青いデータは〓、赤いデータは〓の結果を示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、Λハイパー核の非中間子弱崩壊(NMWD: AN→nN)における非対称度の実験的研究に関するものであり、5章から成る。第1章は「導入」であり、従来の実験における問題点と本実験の特徴が記述されている。第2章「実験装置」は実験に用いた施設と、設置した測定装置の特徴が述べられている。第3章「解析」では、データ解析に用いる事象の選別のための粒子の識別や、運動量の解析方法が説明されている。第4章の「結果」では、前章で得られた粒子の情報からΛハイパー核の非中間子弱崩壊事象を選別し、非対称度を導出している。第5章は結論である。

本研究の目的は高精度でNMWDの陽子非対称パラメータ(〓)を測定することにより、その反応機構を解明することにある。Λハイペロンが原子核に束縛された状態をΛハイパー核とよんでいる。そのΛハイパー核に特有な崩壊事象としてNMWDがあり、バリオンーバリオン間の弱い相互作用の研究において、非常に重要な情報を与える.その崩壊過程を特徴づける物理量が非対称パラメータ(α)であるが、これはスピン偏極したハイパー核の崩壊により生成される粒子が、偏極軸に対してどの程度偏って放出されるかを表す量である。

現在までに〓の測定は2つ行われており、0.24±0.22(〓)、-0.9±0.3(p-殻Λハイパー核)と中心値が大きく異なる結果が報告されている。しかしながらこれらの実験では、1)統計精度が充分でない。また陽子と汀中間子の粒子識別の精度が悪い、2)二つの測定は異なる実験装置で行われたので、直接的な比較が困難である、3)陽子のみの測定であるために、終状態相互作用(FSI)等の影響を無視できない、4)理論で計算されている一核子崩壊モードを直接識別する測定になっていない、等の問題点があり、精度良く〓を決定したとは言い難い状況であった。

そこで本実験では、1)高統計のデータを収集し、かつ高い精度で粒子識別を行い、2)同じ測定装置でs殻ハイパー核(〓)と/p殻ハイパー核(〓)を測定することにより、系統誤差を少ない条件での比較を可能にし、3)高統計のデータを用いてFSIの影響を調べ、4)核子対(陽子(p)-中性子(n))を同時に測定することにより、〓を直接的に測定することを目的とした。

実験は高エネルギー加速器研究機構(KEK)にある12-GeV陽子シンクロトロンのK6ビームラインで行われた。(π+,K+)反応により、大きく偏極したAハイパー核が生成された。崩壊粒子は実験標的の周囲に配置した崩壊粒子検出器群により測定された。この検出器群は、偏極軸方向に加えて、偏極軸と90°方向にも配置し、全立体角の27%を覆うものである。

〓ハイパー核の偏極度は、まずそのπ中間子崩壊モードにおける非対称度の測定から実験的に導出された。この際に同時に測定される非中間子崩壊モードからの陽子の非対称度を測定することに成功した。その非対称パラメータ〓の値として〓が得られた。これは従来の統計誤差を半分以下に改善した高精度な結果である。陽子の測定エネルギー闘値依存性が無いことも同時に確認した。Λp→np過程からのp-n核子対同時測定から、〓=0.30±0.26を得たが、これにより〓の〓がゼロに近い値であることが実験的に確定された。

一方、p-殻核(〓)の非対称パラメータ〓として〓を得た.この値は〓の値に近く、s-殻核とp-殻核で反応機構に差が無いことも初めて明らかにした。

従来考えられて来た中間子交換模型や、またそれに短距離での補正として直接クォーク交換過程を取り入れた模型などによる非対称パラメータ〓の予言値は、マイナスの大きな負の値(-0.6〜-0.7)であることからを、ほとんどゼロに近いという本実験結果を説明することは困難である。

この様に論文申請者は核子対(p-n)の同時測定に初めて成功し、高統計で系統的な測定により、高精度で〓の値を決定した。そして従来考えられて来た理論模型では本実験結果を再現できないことを明らかにした。本研究は、非中間子弱崩壊に関して新しい知見を与えるものであり、その反応機構の解明に重要な寄与をした。

なお、本研究は実験課題番号E462及びE508による共同実験に基づくものであるが、論文提出者はこの実験の準備および遂行に於いて、中心的な役割を担った。特にビームライン検出器系の運転と、データ解析を行い、ハイパー核を高い分解能(4 MeV FEHM)とS/N比(〜10)で観測することに成功し、非対称パラメータを求める解析をほぼ一人でやり遂げた。

以上のことから、審査委員全員が、博士(理学)の学位を授与できると認めた。

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