学位論文要旨



No 120995
著者(漢字) 三谷,烈史
著者(英字)
著者(カナ) ミタニ,タケフミ
標題(和) 質量降着を伴う中性子星連星系からの硬X線放射の研究
標題(洋) Study of Hard X-ray Emission from Accreting Neutron Star Binaries
報告番号 120995
報告番号 甲20995
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4795号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梶田,隆章
 東京大学 教授 山本,智
 東京大学 助教授 柴田,大
 東京大学 教授 山本,明
 東京大学 助教授 中村,典雅
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

低質量X線連星(LMXB)は、全天でもっとも明るいX線源として知られる。LMXBは中性子星やブラックホールと言ったコンパクト星と、太陽と同程度の質量をもつ恒星の近接連星系であり、重力の強いコンパクト星に、伴星からの質量が降着することで、1037 erg/sから1038 erg/sという極めて強いX線を放射する。質量降着によるX線放射については特に20 keV以下の帯域ではこれまでも多くの研究がなされており、伴星から降着する物質の重力エネルギーが降着円盤からの多温度黒体放射と中性子星表面からの2.5keV程度の黒体放射として放射されると考えられている。しかし、時に観測が報告されている〜100 keVまで延びるような放射はこの黒体放射では説明できず、他の物理過程が働いているはずである。これを解明するためには継続的に硬X線スペクトルの形を捉えることが必要不可欠である。しかし、これまでそのような観測は圧倒的に不足していた。

2004年11月に軌道に投入されたSwift衛星BAT検出器は、一度に全天の1/6という非常に広い範囲を観測し、15-150keVの硬X線領域でこれまでにない感度でスペクトルを取得することができる。我々はBATを用いて、中性子星を含むLMXBのうち、放射圧と重力が釣り合うエディントン限界光度LEdd(1.4M〓の中性子星の場合、2.1×1038ergs-1)付近で輝く『Z天体』と、それより暗く0.01〜0.1LEddで輝く『Atoll天体』について、1年に及ぶ硬X線スペクトルを初めて系統的に解析した。これまでの研究から前者は6天体、後者は17天体がそれぞれ分類されており、本論文ではその全てについての結果をまとめた。

swift衛星BAT検出器の軌道上キャリブレーション

BATを用いて、天体の放射スペクトルを正しく取得するためには、検出器で観測されたスペクトルから、有効面積などの特性を考慮して天体からの光子スペクトルを再構築する応答関数の検証が必須である。Swift衛星BAT検出器は、3万個ものテルル化亜鉛カドミウム(CZT)半導体検出器を用いることにより広い視野を実現した。我々はその検出器応答の構築と評価を担当し、Swiftの軌道投入後、約半年をかけて軌道上キャリブレーションを行った。

我々は、硬X線の標準天体であるカニ星雲の観測を行い、その結果を系統的に解析した。BATで観測されたカニ星雲のスペクトルと、検出器の応答を用いた予想スペクトルを比較したところ、20keV以下と80 keV以上の一部を除いて数%の精度で一致することを示した。この過程でADCチャンネルとエネルギーの変換の見直しや、吸収体の見直しを行っている。これらに基づく改善では完全にカバーできない帯域は、補正項とシステマティックエラーを導入した。図1に現在用いられている検出器応答を用いて、BATの広い視野内の多数の点で取得したカニ星雲のスペクトルを評価した結果を示す。カニ星雲の放射モデル関数としてベキ関数F(E)=K・E-Γを用い、ノーマリゼーションKと光子指数Γをフリーパラメータとして、検出されたスペクトルを検出器の応答関数を畳み込んだスペクトルで評価した。

BATの主軸から40度以内であれば、光子指数は典型的に知られている2.15によく一致し、40度を超えるとずれていく傾向は見られるものの、10%以内に留まっている。また、フラックスはBATの視野全体で±8%(peak-peak)の範囲で決めることが可能であることを示した。本論文の解析ではスペクトルの評価が重要であるため、現時点での応答関数で十分にスペクトル精度が得られる30度までの観測データのみを用いる。

BATによる中性子星LMXBの継続的な硬X線観測

Z天体において、近年に報告されるようになった100keVまで延びるような硬X線放射について、その有無を確認し、かつ変動を捉えるために、現在知られている6つ全てのZ天体を解析した。その中で、地球までの距離が2.8kpcと近く、抜きん出て明るい「さそり座X-1」(ScoX-1)の解析を詳細に行った。広い視野を持つBAT検出器を用いることにより、初めてLMXBの硬X線スペクトルを約一年間にわたってモニターすることが可能になった。ScoX-1について、計614ksec、677観測を解析し全て足し合わせることにより、硬X線放射が約100keVまで折れ曲がらずベキ関数的に延びるスペクトルであることを初めて明確に検出した。ざらに、この変動を追うために、2つのエネルギーバンド(16-20keVと20-60 keV)のカウントレートを各観測で求め、両者の相関図(Intensity-Intensity diagram;IID)を作った(図2)。

BATがその優れた感度でほぼ定常的にモニタした結果、Sco X-1の硬X線の状態はきれいに2分岐を示しており、しかも、時間発展を追うと、変化はこのブランチに沿ってしか起こらないことを初めて観測的に示した。IID上で9つの領域に分け、それぞれで平均したスペクトルを作ると、図の領域1-4ではベキ関数的な放射が存在するが、領域5-9では、存在しない。さらに領域4から1にかけて黒体放射の大きさはほとんど変わらないにも関わらず、ベキ関数の強度が増加することを示した(図3)。領域4から5にうつると急激にベキ関数的な放射はなくなり、領域5から9のスペクトルはほぼ黒体放射で記述できる事が明らかになった。このように100 keVまで伸びるベキ関数的放射の変動を明確に捉えたのは初めてである。

次に他のZ天体についても同じIIDを作り分類を試みた。ScoX-1にくらべ暗いため、2分岐は明確でないものの、初めてIID上で観測データを分離することが可能となり、50keV以上の放射が強い時と弱い時に分類できることを示した。

Atoll天体はZ天体に比べ暗いが、ブラックホール連星で見られる状態変化に似たスペクトル変動を示す。これら16天体について、特に硬X線領域でのふるまいに焦点をしぼった系統的な解析を行い、スペクトルの変動を捉えた。図4に2天体のライトカーブといくつかの状態のスペクトルを示す。比較のためにRXTE衛星全天X線モニターASM検出器で得られている、1.5-12keVライトカーブも同時に示した。この解析の結果、多くの天体において硬X線のライトカーブはX線のそれと全く異なる挙動を示す時間帯があることがわかった。軟X線に大きな強度変動がなくても、硬X線の様子が大きく異なることがあり(図4右下)、このことは、BATを用いた硬X線サーベイによって、LMXBの降着状態の遷移を明確に検出できることを示している。BATを用いた硬X線観測は定常的にほぼ全天のデータが得られるため、LMXBの硬X線での変動に加え、そのスペクトルの詳細を系統的に評価できるのが特徴である。特に4U1608-522という天体において、RXTE衛星PCA検出器と同時期の観測をあわせて評価することにより、単純なパワーローではなく、2keVからべき1.8で続く放射が90keV程度でカットオフされていることが示唆された。これは、観測された硬X線が、温度20keVほどの高温の電子雲が何らかの軟X線をたたきあげることによる放射であると解釈される。

まとめ

本研究では、Swift衛星BAT検出器の広い視野をいかした広域観測データを活用して、低質量X線連星(LMXB)の解析を行った。「かに星雲」の観測データを用いた軌道上キャリブレーションによって検出器応答の精度を向上させた後、BAT検出器のこれまでにない感度と優れた分光能力を活かして、中性子星を主星とする明るい低質量X線連星(LMXB)について約20天体の硬X線スペクトルの変動を一年にわたって系統的に詳細にモニタした。これにより、100keVまでのびるベキ関数状の硬X線が普遍的に存在すること、それらがLMXBの降着状態によって遷移することを示した。これはブラックホール候補星と同様に、中性子星においても、数10 keV程度の高温電子あるいは加速された非熱的電子の存在によって説明される。

図1:BAT視野内の様々な位置で観測されたカニ星雲のスペクトルをベキ関数F(E)=K・E-Γでフィットした時の光子指数(Γ、左)とフラックス(右)。横軸はBATの主軸からの角度。

図2:BAT観測されたSco X-1のIntensity-Intensity diagram(左)とハードブランチ上先端でのスペクトル(右;赤)、ソフトブランチ上先端でのスペクトル(右;黒)

図3:各領域ごとのスペクトルをフィットした時の黒体放射の放射量の変化とベキ関数の大きさの変化。領域5-9では、ベキ関数を含まれない。

図4:4U1608-522、4U1636-536のライトカーブ(それぞれ左上、右上)と2つの状態のスペクトル(それぞれ左下、右下)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は9章からなる。第1章は序章、第2章は低質量X線連星からのX線観測のレビューである。第3章、4章、5章は本博士論文で用いたデータを取得したSwift衛星、X線測定器の較正及び性能評価とデータに関する記述である。第6章、7章は低質量X線連星の観測に関する詳しい記述、第8章は観測データに関する議論であり、第9章が結論である。

低質量X線連星は、中性子星やブラックホールと、恒星の近接連星系であり、伴星からの質量が降着することで1037-38 erg/secという強いX線を放射する。これまで20keV以下のX線について多くの研究がなされて来た。しかし、時に報告される100 keV程度までのびる放射について、これを解明するための観測が圧倒的に不足していた。

そこで、三谷氏は、2004年11月に軌道に投入されたSwift衛星BAT検出器を用いて、エディントン限界光度付近で輝く「Z天体」と、それより1,2桁暗い「Atoll天体」について約1年に及ぶ長期観測により、硬X線スペクトルを初めて系統的に研究した。

このうち、「Z天体」について、6天体の継続観測を行った。 特に明るいScoX-1については詳細な研究を行い、100 keVまでベキ関数的にのびるスペクトルがあることを初めてした。また、硬X線の時間変化を調べるため、16-20,20-60keVのエネルギーバンドでのカウントレートの相関図を作成した。その結果X線放射の状態は明確に2分岐し、ベキ関数的放射が増大するブランチと黒体放射の放射面積が増えるブランチがあることを示した。しかも時間発展は各ブランチに沿ってしか起こらないことを初めて示した。 また、同様解析をより暗い5天体についても行い、ScoX-1比べると暗いため精度は落ちるが、ScoX-1と同様の性質のX線放射を確認した。

また、「Atoll天体」については16天体の継続観測を行った。その結果、Swift衛星BAT検出器のデータとともに、RXTE衛星全天X線モニターASMのデータを解析し、硬X線と軟X線のライトカーブは違った振る舞いを示すことがあることを示した。特に、4U1608-522天体において、硬X線の放射スペクトルは単純なベキ関数ではなく、カットオフをもつことを示した。このことは約25 keVの高温電子の存在を示す重要な成果である。

以上のように、三谷氏による、中性子星低質量X線連星の硬X線による系統的な観測研究により、中性子星低質量X線連星の降着状態の遷移の様子に関する知見や、ブラックホールにおける同様な現象との対応づけの示唆という重要な成果が得られた。

なお、本論文で用いられたSwiftのデータはSwiftチームによって得られたものであり、Swiftチームとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析及び研究をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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