学位論文要旨



No 120996
著者(漢字) 八木,創
著者(英字)
著者(カナ) ヤギ,ハジメ
標題(和) 高温超伝導体YBa2Cu3Oyの光電子分光による研究
標題(洋) Photoemission study of the high-temperature superconductor YBa2Cu3Oy
報告番号 120996
報告番号 甲20996
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4796号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 廣田,和馬
 東京大学 教授 金道,浩一
 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 助教授 加藤,岳生
内容要旨 要旨を表示する

BednorzとMullerによる高温超伝導体の発見以来、高温超伝導発現機構の解明を目指し膨大な数の研究が行われてきた。銅酸化物高温超伝導体はCuO2面へのキャリアドープによって反強磁性絶縁体から超伝導体へと大きく物性を変える。その際に電子構造がどの様に変化していくのかを理解する事が高温超伝導のメカニズムを解明する上で極めて重要であると考えられる。光電子分光法は電子状態を直接観測する実験手法でこの目的に適している。とりわけ角度分解光電子分光法はバンド分散を直接観測できる強力な実験手法であり、近年の実験装置性能のめざましい向上も伴って超伝導ギャップのd波的異方性や擬ギャップの観測等この分野において著しい成功をおさめてきた。測定には清浄表面が必要とされるため、以前はへき開しやすく表面が劣化しにくいBi2Sr2CaCu2O8+y(Bi2212)系試料に研究が集中していたが、近年は試料の質の向上によりLa2-xSrxCuO4他の物質についても研究が進んでいる。しかしYBa2Cu3Oy(YBCO)においてはフェルミ準位近傍のスペクトルに表面状態からの寄与が極めて大きく、高温超伝導の舞台であるCuO2面内の電子状態を見ることが困難であった。近年、最適ドープのYBCOにおいてBi2212に見られるような超伝導ピーク構造を観測したとの報告があったが、そのバンド分散についてはいまだはっきりと分かっておらず、最適ドープ以外の試料の測定も行われていなかった。本研究では表面状態からの寄与が抑えられるような実験条件を見出して希薄ドープから低ドープのYBCOの角度分解光電子分光を行い、そのバンド分散を明らかにした。また、LSCOで見られていたような対角方向でフェルミ準位を横切る分散を見出し、この領域における異常な電気伝導度の振る舞いとの関連について議論した。

キャリアドープによる電子構造の変化を見る方法としては他に、内殻準位のX線光電子分光による化学ポテンシャルシフトの測定が有用であり、LSCOやBi2212等いくつかの物質において成果を上げてきた。本研究ではYBCOおよびCa2-xNaxCuO2Cl2(Na-CCOC)についてこの測定を行い、その振る舞いから物質ごとの電子構造変化の違いを議論した。

希薄ドープから低ドープのYBCOにおけるBilayer Splittingの観測

我々は、表面状態の強度が入射光のエネルギーに強く依存することを利用し、その強度を抑えるような入射光エネルギーを用いて希薄ドープから低ドープ域のYBCOの角度分解光電子分光を行った。フェルミ準位から±20meVの範囲でを積分したスペクトル強度を運動量空間にてマッピングしたものが図1(a)~(c)であり、近似的にフェルミ面の形状を現している。黒丸はフェルミ準位における運動量分布曲線momentum distribution curve(MDC)のピーク位置である。これをまとめてプロットしたものが図1(d)であり、LDA計算によるフェルミ面も共に示してある。測定結果はLDAのkz=0におけるフェルミ面に類似しており、バンド分散もLDA計算とよく一致した。これは今までBi2212においてのみ観測されていたbilayer splittingがYBCOにも存在し、多層系において普遍的なものである事を示唆している

希薄ドープ領域における金属的な振る舞い

YBCOはLSCOと同様に希薄ドープ領域においても高温では電気伝導が金属的(dρ/dT>0)な振る舞いを示す事が観測されている。希薄ドープLSCOのARPESでは、ブリルアン域の対角方向にフェルミ準位をよぎる準粒子の分散が観測されており、これが金属的な電気伝導を担っていると考えられている。一方(π,0)付近では擬ギャップが開いており、フェルミ面の形状は閉じていないアーク状となる。希薄ドープのYBCOにおいても、対角方向で同様の準粒子の分散を観測することができた。図2は対角方向の光電子スペクトルのエネルギー−運動量空間における強度プロットと、フェルミ準位におけるMDCである。y=6.30以上の組成で準粒子がフェルミ準位をよぎっているのがわかる。さらに、対角線方向のスペクトルから得られた平均自由行程の値などを用いて電気抵抗率を見積もり抵抗率の実験値と比較した。y=6.30ではキャリア濃度nをホール濃度δに等しいと仮定すると実験値とよく合うが、ホール濃度が増すとn=1-δを仮定した方が実験値とよく合うようになる。これはアーク状のフェルミ面から(π、π)中心の閉じたフェルミ面への移行を示唆している。

YBCOおよびNa-CCOCにおける化学ポテンシャルシフト

キャリアドープによる化学ポテンシャルのシフトは、フェルミ準位状態の電子状態の変化を反映して有益な情報を与える。我々はYBCOおよびNa-CCOCにおいてX線光電子分光による内殻準位の測定からこれを見積もった。LSCOでは低ドープ域で化学ポテンシャルのピン止めがおこることが報告されており、一方Bi2212ではLSCOほど強いピン止めが見られずLSCOより大きなシフトが観測されている。t-t'-t''-Jモデルによると、Bi2212の大きなシフトは第2隣接ホッピング|t'|が大きいこととして説明される。LSCOの強いピン止めについては|t'|が小さいことの他に、周期の変化するストライプ型の電荷秩序があるためとされている。本研究で見積もったYBCOとNa-CCOCの化学ポテンシャルシフトを他の物質の結果と合わせて図3に示す。YBCOとNa-CCOCの大きなシフトは、これらが大きな|t'|を持つとして説明できるが、他にも、YBCOは本研究で観測されたフェルミ面の形状から、Na-CCOCはフェルミ面にそったバンドの分散幅から、それぞれ|t'|が大きいことが示唆される。STMによるとNa-CCOCには4a0×4a0のチェッカーボード型の電荷秩序があり、これはドーピングによって周期を変えない。このような電荷秩序があると化学ポテンシャルはピン止めされず単調にシフトする事が予想され、測定結果とよく合っている。一方YBCOでは磁気抵抗や電気抵抗率からストライプ型の電荷秩序の存在が示唆されているが、化学ポテンシャルがピン止めされず大きくシフトすることからこれはLSCOの場合と異なり、ドーピングにより周期を変えないと推測される。

まとめ

希薄ドープから低ドープ域のYBCOの角度分解光電子分光を行い、そのバンド構造を明らかにした。これまでBi2212でしか見られなかったbilayer splittingが観測されたが、これは多層系の高温等伝導体で広いドーピング域で普遍的な振る舞いであると考えられる。またLSCOに見られるようにYBCOでもキャリアドープにより最初に対角方向に準粒子の分散が観測され、それがドーピングにより(π、0)まで繋がった大きなフェルミ面となっていくことが示唆された。これらは高温超伝導体に共通の振る舞いであると考えられる。一方、内殻のX線光電子分光からはYBCOおよびNa-CCOCの化学ポテンシャルシフトを見積もった。既存のLSCOやBi2212の結果と比較し、化学ポテンシャルシフトの物質間の違いは|t'|の違い及び電荷秩序のタイプの違いから説明できることを示した。

図1:(a)~(c)フェルミ準位近傍のスペクトル強度マップ、およびMDCから決められたフェルミ運動量。(d)観測されたフェルミ面とLDAによる計算との比較

図2 対角方向のスペクトル強度プロットとフェルミ準位におけるMDC

図3 YBCOとNa-CCOC、およびLSCO、Bi2212の化学ポテンシャルシフト

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなる。第1章はイントロダクションであり、高温超伝導体とくにYBa2Cu3Oy(YBCO)に関する説明がなされた後、本論文の主たる研究手段である角度分解光電子分光(ARPES)による高温超伝導体の電子状態の研究について解説されている。Bi2Sr2CaCu2O8+y(Bi2212)などと比較するとYBCOはフェルミ準位近傍スペクトルに対する表面状態の寄与が大きいために、研究はごく限られていた。本論文では、表面状態の寄与を抑制する実験条件を探索し、希薄ドープから低ドープ領域のYBCOに関してARPESにより電子状態のバンド分散を測定した。また、キャリアドープによる電子構造の変化を探るために、YBCOとCa2-xNaxCuO2Cl2(Na-CCOC)について、内殻準位のX線光電子分光(XPS)を用いた化学ポテンシャルシフトの測定を行った。

第2章ではYBCOの結晶構造、キャリアドープ量と温度に関する相図、電子構造、輸送特性などの基本的な物性について記述された後、低ドープ領域の高温超伝導体で観測される「擬ギャップ」の解説がなされている。NMRによって、低ドープのYBCOではTcよりも高い温度で「スピンギャップ」が出現することが指摘された。また、低ドープのBi2212ではTc以上でも(π,0)方向に超伝導ギャップが残存する「常伝導状態ギャップ」が発見された。

第3章では光電子分光法とくにARPESに関して、その測定原理とデータ解析の手法について記述されている。

第4章では希薄ドープから低ドープ領域(y = 6.28, 6.35, 6.45, 6.60)のYBCOのバンド分散とフェルミ面に関するARPESの測定結果が記述されている。双晶をもたない単結晶は電力中央研究所安藤グループにより育成された。またARPES実験はAdvanced Light SourceおよびPhoton Factoryで行われた。55〜65 eVの入射光エネルギーを用いることで表面状態の強度を抑制し、フェルミ準位近傍のスペクトル強度マップを完成させた。S点を中心としたホール的フェルミ面のほかにΓ点を中心とする電子的フェルミ面が観測され、2つのCuO2面間の飛び移りによるbilayer-splittingが存在することが明らかとなった。これはBi2212の観測結果と類似しており、bilayer-splittingが多層CuO2系高温超伝導体に普遍的であることを強く示唆している。

第5章では希薄ドープ領域におけるYBCOの高温での金属的振る舞いを、ARPESから明らかにしようとしている。希薄ドープLSCOでは、ブリルアン域の対角方向にフェルミ準位を横切る準粒子の分散が観測され、金属的電気伝導の起源と考えられている。一方、ノード方向の(π,0)では擬ギャップが開いているため、フェルミ面はアーク状となる。希薄ドープ領域のYBCOでも、y = 6.30, 6.35, 6.40において同様の準粒子分散が観測された。さらにARPESから見積もった電気抵抗率を実験値と比較したところ、y = 6.30ではキャリア濃度nがホール濃度δに等しくなったが、ホール濃度が増すとn = 1 - δとなることがわかった。これはフェルミ面がアーク状から(π,π)中心の閉じた状態に移行していることを示している。

第6章ではキャリアドープによるYBCOの化学ポテンシャルのシフトを、Mg Kα線(1253.6 eV)を用いたXPSによる内殻準位の測定から見積もった。内殻準位のシフトはΔE = -Δμ + KΔQ + ΔVM + ΔERと表せる。ここでΔμは化学ポテンシャルの変化、ΔQは価電子数の変化、ΔVMはMadelungポテンシャルの変化、ΔERは原子外緩和エネルギーの変化である。ホール濃度とともにO 1s、Y 3dの内殻準位とは逆方向にCu 2pの内殻準位がシフトしたが、これはCuの価数変化、すなわちKΔQの変化によるものである。ΔVMは陽イオンと陰イオンでは逆向きに寄与し、ΔERはO 1sとY 3dでは異なる値をもつはずであるが、O 1sとY 3dの内殻準位のシフトが同方向で同程度であることからΔVMとΔERも無視できるはずである。以上から、化学ポテンシャルシフトΔμはO 1sとY 3dの内殻準位のシフトから求められることが分かった。

第7章では第6章で用いた手法をNa-CCOCについて適用した。Na-CCOCにおいても同様にキャリアドープによる化学ポテンシャルシフトを見積もれることが分かった。本論文で得られたYBCOとNa-CCOCに関する結果を、これまでに分かっていたLSCOとBi2212の結果と比較したところ、YBCOのシフトが一番大きく、Na-CCOC、Bi2212の順でシフトが小さくなり、LSCOはそれらよりもはるかにシフトが小さいことが分かった。化学ポテンシャルシフトの物質間の違いは、t-t'-t'' -Jモデルにたつと第2隣接ホッピング項|t|'の差、およびストライプ型電荷秩序の種類の違いで理解できることが分かった。

本論文の研究は、高温超伝導体の代表物質であるYBa2Cu3Oyについて系統的なARPESを行い、希薄ドープから低ドープ領域のバンド分散を世界ではじめて確立するとともに、bilayer splittingやアーク状のフェルミ面の存在を明らかにし、高温超伝導体物性の普遍性に関して新しい知見を得た。また、XPSから積もった化学ポテンシャルシフトのキャリアドープ依存性の違いが、CuO2面の状態によって分類できることを提言した。本論文の第4章、第5章の一部、第6章、第7章は論文目録に示された多くの国内外の研究者との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を遂行したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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