学位論文要旨



No 121011
著者(漢字) 陳,毅風
著者(英字) Chen,Yifeng
著者(カナ) チン,イーフェン
標題(和) メキシコ湾と南海トラフにおけるメタン由来の炭酸塩 : ガスハイドレート分解と関係するか?
標題(洋) Methane-derived carbonates from the Gulf of Mexico and the Nankai Trough : Are they related to gas hydrate dissociation?
報告番号 121011
報告番号 甲21011
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4811号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 棚部,一成
 東京大学 助教授 小暮,敏博
 東京大学 教授 徳山,英一
 東京大学 教授 松本,良
 東京大学 教授 浦辺,徹郎
内容要旨 要旨を表示する

目 的

ブレークリッジ、カスカディアマージン、南海トラフなどガスハイドレートが分布する海域でメタン由来の炭酸塩とガス噴出が共存する例が多数報告されている。この事からメタン由来炭酸塩の生成にはガスハイドレートの分解が関係しているのではないかと考えられている。しかし二つの現象の直接的関係を示す証拠は明らかにされていない。さらにメタンのデッドカーボン効果によりメタン由来炭酸塩の生成年代を決める事は難しい。多くの研究者は最終氷期におけるガスハイドレートの分解によってメタン由来炭酸塩が生成したと考えている。しかしこの説明は鮮新世の海水準の低下と、それにともなう水圧の減少がガスハイドレートの分解を引き起こしたとする仮説に依存している。以上の考察からガスハイドレートの挙動に関して以下の問題が提起される(1)メタン由来炭酸塩はいつもガスハイドレートの分解と関係するのか?(2)ガスハイドレートの分解と炭酸塩の生成はいつも海水準の低下と関係するのか?(3)どのような地質的条件が海洋のガスハイドレートの安定/不安定を支配するのか?

研究海域とサンプル

本研究では非活動的縁辺であるメキシコ湾および活動的縁辺である南海トラフから多数の炭酸塩サンプルを回収した。メキシコ湾では2002年7月のMarion Dufresne航海で、水深579 m to 595 m のTunica Mound および水深628 m and 1027 mのMississippi Canyonで、海底から0-27mbsf の堆積物中から多数の炭酸塩を採取した。これら炭酸塩はhard-grounds, porous crusts, nodules, および炭酸塩鉱物で固結された化学合成生物Lucinidae/Calyptogena として産する. Mississippi Canyon では海底から数mの場所でガスハイドレートも同時に回収された。南海トラフの自生炭酸塩は2002年12月-2003年1月のテレビモニター付きのパワーグラブ装置で水深1065m の第2渥美海丘より採取された。南海トラフの炭酸塩はチムニーやシロウリガイを伴う巨大な炭酸塩クラストとして産する。

メタン由来炭酸塩

薄片観察をエックス線分析により、以下のことが分かった。(1)メキシコ湾の炭酸塩は主としてミクライト質のカルサイトとシルト質の石英粒子からなり、少量のドロマイト、有孔虫、パイライトを含む。このことから、これら炭酸塩は半遠洋性の泥のなかで生成したと考えられる。(2)南海トラフの炭酸塩は粗粒の石英や長石に卓越し有孔虫やパイライトを含む砂の中に発達する。これら炭酸塩はタービダイト砂岩中に形成されたと考えられる。(3)貝の破片は全てアラゴナイトからなっていた。エックス線やマイクロプローブ分析の結果、ミクライトはいずれも高マグネシウムであることが分かった(メキシコ湾: 6 - 19 mol% Mg2+; 南海トラフ: 5 - 12 mol% Mg2+).

炭素の安定同位体組成 d13Cc が小さい事(メキシコ湾: -61.9 to -35.8 ‰; 南海トラフ: -37.3 to -30.1‰)は、炭素13に欠乏した無機炭素プールから沈殿したものであることを示す。この特殊なプールは堆積物中のSMI付近で硫酸によって引き起こされる嫌気的メタン酸化で生成した炭酸に由来する。一方、貝の破片のd13Cc は -3.1 to +0.3 ‰である。この事は、貝を作った炭素は海水の溶存炭酸に由来することを物語る。

炭酸の炭素の起源

自生炭酸塩は炭素同位体比に基づき、Group I (d13Cc =-49.7 to -30.1 ‰) とGroup II (d13Cc = -61.9 to -57.0 ‰)の2つのグループに分類される。Group II 炭酸塩はメキシコ湾の Tunica Mound とMississippi Canyonだけで見られた。極端に炭素13に欠乏しており、微生物分解起源のメタンがDICの発達に関係していたことを示唆する。

Group I の炭酸塩はTunica Mound 上のMD02-2543G, 44Gおよび Mississippi Canyonにあるガスハイドレートマウンドの上に位置するMD02-2569 and 73GHFなどである。南海トラフの自生炭酸塩はすべてGroup I であった。これらGroup I 炭酸塩は熱分解起源+DIC、あるいは熱分解起源+微生物起源+海水DICの様々な割合の混合溶液から沈殿したと説明される。

Mississippi Canyon のガスハイドレートマウンドから回収されたGroup Iの炭酸塩およびメキシコ湾の全てのGroup II炭酸塩のストロンチウム同位体比は0.709081 から 0.709120であり、現在の海水の値と近い。一方南海トラフのGroup I 炭酸塩 (87Sr/86Sr = 0.709083 to 0.709168) も現在の海水の値に近い。これらの事実は、これら炭酸塩の生成には浅いところからの流体の寄与があった事を示す。これに対し、Tunica Mound からの Group I 炭酸塩(MD02-2543G, 44G and 45G) は放射性ストロンチウムに乏しく87Sr/86Sr 比は 0.708506 から 0.708715で、これは第三紀の海水の値に近い。このことはこれら炭酸塩の生成には深部からの流体の寄与があったことを示唆する。Tunica Moundからの貝の破片の 87Sr/86Sr 比は0.708868 から 0.708943で、海水と深部流体の混合を示す。 このことは深部の流体が表層にもたらされていることを示唆する。

以上まとめると、Group I 炭酸塩のd13CC と 87Sr/86Sr比, 堆積物中のガスのC1/C2+C3 比 およびメタンのd13CCH4 から、 (1) メキシコ湾のMD02-2543G, 44G および 73GHF の炭酸塩は熱分解起源, MD02-2545G と69は、微生物分解+熱分解+海水の混合炭酸起源である。 (2)南海トラフの炭酸塩は海DICの強い影響を受けた微生物分解起源ガスに由来する。

炭酸塩の生成のタイミング

炭酸塩の14C の測定値につき、貝の破片 (d13Cc = -3.1 to +0.3 ‰PDB; D14C = -995.7 to -228.3‰) では14C は放射壊変による減衰が主要な要件であり、測定値から年代を求める事が可能である。しかし自生炭酸塩(d13Cc = -61.9 to -‰PDB; D14C = -995.0 to -862.3‰)では放射壊変とデッドカーボン効果の両方が効いてくる。 炭酸塩の真の年代値を求めるには放射壊変とデッドカーボン効果のそれぞれの寄与率を知らなければならない。寄与率計算にはメタン、海水DIC, 炭酸塩それぞれの炭素同位体比 d13CCH4, d13CSW-DIC, d13Cc.を知らなければならない。補正計算によると、南海トラフでの海水DICの寄与は48 to 55%、メキシコ湾では 13 to 31% であることが分かる。海水からの寄与がわかれば年代も求めることができる。それによると、南海トラフの炭酸塩は 30.6 から 35.0 ka、メキシコ湾のMD02-2545G 炭酸塩は14.4 ka BPとなった。この年代はBolling/Allerod interstadialに対応するものである。さらにMD02-2546は 25.4 ka BPとなった. メキシコ湾の他の全ての炭酸塩は2.9 から 8.9 ka BPに生成した。

重い酸素同位体の起源

炭酸塩の酸素同位体組成はメキシコ湾で+3.4‰ から +5.9‰ 南海トラフでは+5.9 ‰ である。マグネシウム含有量、炭素同位体組成、そして当時の海底の水温から、Tunica Moundの全てのGroup I 炭酸塩、とくにMD02-2569 の炭酸塩は当時の海水と平衡にあることが分かる。MD02-2569の炭酸塩は塊状のガスハイドレートのごく近傍に出るが酸素同位体組成の異常のようなガスハイドレートの影響は見られない。これに対し、メキシコ湾のGroup II 炭酸塩 (MD02-2546, 70 と 71C2), ガスハイドレートに周囲を取り囲まれた Group I 炭酸塩 (MD02-2573GHF) は酸素18に富んだ溶液から沈殿したと言えるMD02-2573GHF は酸素同位体で異常を示MD02-2569から僅かの距離しか離れていない。南海トラフのGroup I 炭酸塩も重い酸素に特徴づけられる。酸素同位体的に重い溶液の形成は、ガスハイドレートの分解に由来する水の寄与と説明される。

ガスハイドレートの安定性に関する地質条件

MD02-2573GHF, 70 と 71C2 の自生炭酸塩はガスハイドレートの分解に由来する同位体的に重い溶液から完新世の4.2 から 8.9 ka に生成した。従って、ガスハイドレートの分解が海水準の低下によるとする仮説は排除される。メキシコ湾では新生代以降現在も進行中の岩塩ドームの形成が続いている。ダイアピールにより、断層が形成され、深部の溶液が浅所へ移動する通路が準備される。岩塩ダイアピールは周辺の塩分を極端に上昇させ、同時に隆起により圧力を現象させ、ついには、ガスハイドレートの分解と炭酸塩の形成を促す。浅い岩塩ダイアピールの側面に位置するMD02-2546 では、25.4 ka BPに炭酸塩が形成されている。この時期は氷期で、海水準が低下し冷たい海洋であった。したがって、 ダイアピールと海水準低下がガスハイドレートの分解と炭酸塩の生成を促したと説明できる。南海トラフでは、 〜35.0 ka BPころに、サブダクションに伴う外縁隆起帯の隆起と海水面の低下によりガスハイドレートの分解と炭酸塩の沈殿が起きた、と考えられる。

結論として、(1)ガスハイドレートを含む海域におけるメタン由来炭酸塩の生成は、必ずしもメタハイドレートの分解とリンクしていない。それらは、ガスハイドレートの分解が引き金になる場合もあるし、単に、深部からのメタン湧水の酸化に依る場合もある。(2)調査した範囲では、微生物起源メタンに由来する炭酸塩はガスハイドレートの分解と関連するが、熱分解起源のメタンに由来する炭酸塩では、単に、メタン湧水に依るものもあった。(3)ガスハイドレートの分解は必ずしも海水準の低下によるのではない。完新世の分解のように、高海水準期にガスハイドレート分解に由来する炭酸塩が出来ている例もある。(4) ガスハイドレートの分解は、海水準の低下によるだけではなく、海底隆起や間隙水の塩分の上昇などの地質的、地球化学的要因による場合もある 。(5)メキシコ湾と南海トラフの自生炭酸塩は、メタン湧出やガスハイドレートの分解挙動を記録している。他の地質環境でのガスハイドレート研究においても自生炭酸塩の研究は十分に信頼出来る情報をもたらすと結論出来る。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる。第1章イントロダクションでは、ガスハイドレートの物性や安定条件など基本的な事柄について紹介されたあと、メタンに由来する炭酸塩岩とガスハイドレートの関係について、従来の研究を紹介し問題点を指摘する。とくに問題となるのは、(1)ガスハイドレートの分解が炭酸塩の生成の原因となった、とする従来の説明に、説得的な証拠が示されていないこと、(2)ガスハイドレートの分解の要因として氷期の海面低下が挙げられるが、ガスハイドレートの分解時期は特定されていない、と言う2点である。そこで本論文の目的は、第一にメタン由来とされる炭酸塩の生成とガスハイドレートの間に関係があるのか、あるとすればどのように関係したのか、を明らかにすること、第二にガスハイドレートの分解を引き起こす地質現象を特定することである。

第2章では調査フィールドの地質について紹介され、第3章では、調査の進め方、サンプルの回収と分析のための準備、分析方法について述べられている。調査されたのは南海トラフとメキシコ湾である。南海トラフは地質学的に分類すると、フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界に発達する活動的縁辺域であり、付加体内には逆断層が発達する。逆断層の動きにより外縁隆起帯が隆起を繰り返す。ここで研究用の炭酸塩や堆積物、間隙水、ガスなどの試料は申請者も研究員として乗船した調査中に、隆起帯の頂部付近から採取された。メキシコ湾は非活動的な海盆である、岩塩ドームの活動により、海底付近にまで深部流体の影響が認められる。申請者は3年前に行われた調査航海に参加し、超長尺のピストンコアラにより海底から50mまでの堆積物を回収し、コア試料中からガスハイドレートと炭酸塩も回収できた。このように異なる地質条件でケーススタディーを行う事により、ガスハイドレートの分解条件を多面的に検討する事が可能となる。

第4章で試料の観察結果と分析結果が詳細に述べられる。XRD分析により対象となった炭酸塩試料はカルサイトとアラゴナイトから成る事、カルサイトは全てマグネシウムに富むタイプであることが明らかにされる。顕微鏡観察により、メキシコ湾のも炭酸塩は泥質堆積物中に成長したもの、南海トラフのものは粗い砂質堆積物中に生成したものである事が示される。南海トラフの炭酸塩岩には有孔虫が多数混在していることも明らかとされる。炭素の安定同位体組成が相対的に重い炭酸塩:グループ1(-30〜-50パーミル)と軽い炭酸塩:グループ2(-57〜-62パーミル)に分けられる。さらに、ストロンチウムの安定同位体比と炭素14が定量される。一方、炭酸塩生成の条件を知るため、現在の間隙水の塩素濃度、硫酸濃度、酸素同位体組成、溶存メタン濃度が定量される。

第5章で、炭酸塩とガスハイドレートの関係について議論される。炭酸塩を作る炭素の起源として、海水に溶存するもの、有機物や石油などの酸化分解、熱分解起源メタンの酸化分解、微生物起源メタンの酸化分解が挙げられる。炭素同位体組成の範囲から、グループ2炭酸塩は微生物起源メタンに由来することがユミークに特定される。グループ1炭酸塩の同位体範囲は、単純に熱分解起源メタンだけでなく、微生物起源メタンに他の起源の炭素が混在しても可能であり、ユニークに決まらない。そこで深部流体の影響をストロンチウム同位体組成から判定すると、メキシコ湾の一部炭酸塩には熱分解起源メタンに由来するものがある事、南海トラフのものは全て微生物起源メタンと海洋の溶存する炭酸の混合であることが示される。従来、炭素同位体だけから熱分解起源と誤って結論されていた南海トラフ炭酸塩を全て微生物起源と決めた事の意義は大木。次に、デッドカーボン補正をした炭素14年代値と、炭酸塩の酸素同位体に基づいて、炭酸塩の生成時の海洋環境が復元される。炭酸塩およびそれ共存する貝の破片の炭素14年代比較する事で、数値年代を決めたことの意義は注目される。グループ2炭酸塩はガスハイドレートの分解による重い酸素の影響を受けている事、グループ1炭酸塩では、ガスハイドレートの影響を受けているものと受けていないものがあることが識別出来た。最後にガスハイドレート分解の地質要因として、メキシコ湾では岩塩ドームと基盤の上昇、塩分の上昇、海面の低下、南海トラフでは海面低下と基盤の上昇の複合効果がハイドレートを不安定にしていることが示される。第6章は結論で、上記議論が整理されて示される。

以上のように、陳 毅風 氏はこれまで解明されていなかったメタン由来炭酸塩とガスハイドレートの関係について豊富なデータに基づき説得的なモデルを提唱することに成功した。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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