学位論文要旨



No 121018
著者(漢字) ジェンキンズ,ロバート
著者(英字)
著者(カナ) ジェンキンズ,ロバート
標題(和) 古生物学・同位体地球化学・有機地球化学的手法に基づく北部北海道の後期白亜紀化学合成古生態系の復元
標題(洋) Late Cretaceous narine chemosynthetic paleoecosystem in northern Hokkaido, Japan, reconstructed from paleontological, stable isotopic and organic geochemical analysis
報告番号 121018
報告番号 甲21018
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4818号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,良
 東京大学 助教授 大路,樹生
 海洋研究開発機構 グループリーダー 大河内,直彦
 中川町自然誌博物館 主任研究員 疋田,吉識
 東京大学 教授 棚部,一成
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

化学合成群集はメタンや硫化水素からエネルギーを得る化学合成細菌を一次生産者とする生物群集であり,光合成生態系とは一線を画す化学合成生態系を構築している.それらはメタンや硫化水素を含む熱水や冷水が噴出する海嶺や海溝斜面域に多く見いだされている.また,確実な化石化学合成生物群集はシルル紀以降の海成層から数多く報告されている.しかしながら,これまでの化石化学合成群集の研究は,産出する化石の記載や化学合成群集の認定に主眼が置かれており,化石化学合成群集を支える化学的環境や一次生産者である微生物を含めた生態系全体の復元には至っていなかった.

目的

そこで,申請者は,北海道北部中川町の上部白亜系中に確認された化学合成群集を伴う炭酸塩岩体を素材に,地質学,古生物学,地球化学を統合した多面的なアプローチにより,湧水や微生物活動の広がりを明らかにし,大型生物と湧水の性質や強度,微生物相との関連性など,化石化学合成生態系の全体像を復元することを目的として研究を行った.

手法

本研究では,北海道中川町安部志内川沿いの長径50cmを超える炭酸塩岩体が確認される2カ所の露頭(安川(やすかわ)サイトと大曲(おおまがり)サイト:大曲サイトはHikida et al.,2003によって報告されている)を精査し,炭酸塩岩と周囲の砕屑岩相との関係や炭酸塩岩の岩相・生物相を明らかにした.また,室内では採集した岩石試料の薄片観察,X線粉末回折法(XRD),X線マイクロアナライザー分析(EPMA),炭酸塩岩の炭素・酸素同位体比分析,炭酸塩岩中の有機物の炭素同位体比分析,炭酸塩岩中の有機物のバイオマーカー分析などを行った.

結果

【周辺の地質】

北海道中川町安部志内川下流域には,海成上部白亜系の中・上部蝦夷層群が露出する.調査対象とした露頭のうち,安川サイトは上部蝦夷層群大曲層最上部に位置し,大曲サイトは大曲層中に位置しているが,その詳細な層位は不明である.大曲層は,タービダイトや土石流堆積物からなる砂岩・礫岩と,泥岩との互層によって構成されており,岩相や含有化石などから陸棚縁辺から大陸斜面上部にかけての堆積物であると考えられる.

【炭酸塩岩と産出化石】

安川サイトには長径50cm以上の4つの炭酸塩岩体(炭酸塩岩A〜D)が露出している.このうちの3つについては層位が確認できた.このうちの一つ(炭酸塩岩A)では側方数mに渡り豆粒〜こぶしサイズの小さな炭酸塩コンクリーションが多数観察された.また、メタン湧水の経路であったと考えられる長さ40 cmに達する層理面に垂直なパイプ状構造も観察された.安川サイトの炭酸塩岩中および直上の泥岩からは,provannid科巻貝と殻長5cm以下のMiltha sp.(ツキガイ科二枚貝)の化石が産出した.また,炭酸塩岩側方5mの直上泥岩からは殻長10cm以下のAcharax yessoensis (キヌタレガイ科二枚貝)が散在的に産出した.各岩体のスラブ・薄片を観察した結果,灰黒色ミクライト部とより明色のミクライト・スパライト部が角レキ化していることが明らかになった.3つの炭酸塩岩体のミクライト質部分の炭酸塩含有量はいずれも80%を超える.

大曲サイトには,幅10m,高さ5 mの炭酸塩岩体が孤立して露出している.この炭酸塩岩体からは,チューブワームやツキガイ科二枚貝,neomphalid科巻貝,Serradonta属笠型巻貝の化石を豊富に産出した.この炭酸塩岩は,スラブおよび薄片組織によって2つ(framestone faciesとbrecciated facies)の岩相に,含有化石によって3つ(tube worm faciesとlucinids facies,gastropods facies)の生物相に区分される.各faciesの炭酸塩含有量は,いずれも80%を超え,特に大曲サイトのtube worm faciesでは98%に達する.光学顕微鏡による薄片観察の結果,tube worm faciesではチューブワーム化石を中心に放射状に炭酸塩が晶出し,空隙をシリカやSparry calciteが充填していることが確認された.それ以外のfaciesでは,ミクライト質炭酸塩が認められ,またペロイド状粒子も観察された.

【炭酸塩岩と有機物の炭素・酸素同位体比およびバイオマーカー分析】

両サイトの炭酸塩岩の炭素・酸素同位体比(vs PDB)を図1に示す.安川サイト炭酸塩岩の灰黒色ミクライト質部はδ13C=-44.0〜-31.1‰,δ18O=-1.6〜-0.9‰の値を示した.大曲サイトの炭酸塩岩は,δ13C=-47.1〜-41.8‰,δ18O=-11.0〜-8.5‰の値を示した.

また,炭酸塩岩中の全有機炭素同位体比(∂i3CvsPDB)は,大曲サイトのtube wormfaciesにおいて-76.3‰と最も低く,lucinids facies,gastorpods facies,そして安川サイトの炭酸塩岩A,炭酸塩岩Aの5m側方上位1 mまでの泥岩の順で,化学合成化石群集を伴わない周辺堆積物中の有機炭素同位体比の値(-22‰)に近づいていくことが明らかになった(図2).両サイトの炭酸塩岩中から脂質を抽出し,GC/MSなどで分析したところ,PMIおよびCrocetaneが高濃度で検出された.これら2つの有機物の炭素同位体比は-110‰を下回る軽い値を示すことがわかった.

考察

大曲層中の炭酸塩岩の著しく低い炭素同位体比は,メタン起源の炭素が炭酸塩岩形成に寄与したことを示している.CrocetaneやPMIなどは古細菌のバイオマーカーであり,低い炭素同位体比からそれらは嫌気性メタン酸化古細菌に由来すると推定される.嫌気性メタン酸化古細菌は嫌気的にメタンを酸化し,炭酸イオンと硫化水素を生成していたと考えられる.

有機物の炭素同位体比は,陸源植物と光合成プランクトンなどの表層からの有機物とメタン湧水周辺において生息していた生物起源の有機物の寄与率によって決定される.すなわち,本研究で示された著しく低い炭酸塩岩中有機物の炭素同位体比は,メタン起源の炭素を利用していた生物が炭酸塩岩の周囲に比較して相対的に多かったことを示している.また,その同位体比分布からtube worm faciesにおいて,最もメタン起源の炭素を利用する生物が多かったことが強く示唆される.

まとめ

以上の観察・分析結果および考察から,後期白亜紀における北太平洋の陸棚縁辺〜大陸斜面において,メタンを含む水が湧出し,このメタンを利用して嫌気性メタン酸化古細菌が繁茂していたことが明らかになった.この古細菌は嫌気的にメタンを酸化し,炭酸イオンと硫化水素を生成していたであろう.炭酸イオンは炭酸塩岩の形成に利用され,硫化水素はチューブワームなどの共生細菌に利用され,彼らのエネルギー源になっていたことが推定される.さらに,湧水中心部からの距離に応じて,大曲サイトでは,チューブワーム,ツキガイ科大型二枚貝,neomphalid科とSerradonta属巻貝が分布し,安川サイトではprovannid科巻貝と小型ツキガイ科二枚貝,キヌタレガイ科二枚貝が分布していた.これらの分布要因は嫌気性メタン酸化古細菌濃度や岩相変化によって推定されたメタンと硫化水素濃度に起因していたことが考えられる(図3).すなわち,本研究によって,後期白亜系の北西太平洋前弧海盆において化学合成生態系の復元がはじめて試みられるとともに,大型化石群集の群集構造の空間的変化が硫化水素濃度によって規制されていた可能性が示唆された.

図1.安川(a)大曲(b)サイトにおける炭酸塩岩と貝殻の炭素・酸素同位体比

図2.炭酸塩岩と泥岩中の全有機物の炭素同位体比

図3.安川・大曲サイトにおける大型化石と嫌気性メタン酸化古細菌の分布と推定されたメタン・硫化水素濃度との関係

審査要旨 要旨を表示する

本論文で扱われている化学合成群集はメタンや硫化水素などを利用する化学合成細菌を共生や摂食などにより主たる栄養源としている生物群集を指す。化学合成群集はメタンや硫化水素を含む熱水や冷水が噴出する海嶺や海溝斜面域において化学合成生態系を構築している.確実な化学合成化石群集はシルル紀以降の海成層から多く報告されているが、従来の研究では群集を支える化学的環境や一次生産者である微生物を含めた古生態系全体の復元には至らなかった.

そこで、論文提出者は現代型化学合成群集が出現した白亜紀という時代に着目し、先行研究により化学合成化石群集が報告されている北海道北部中川町の上部白亜系カンパニアン階(大曲層)中の炭酸塩岩を対象として、地質学.古生物学,地球化学を統合した多面的な手法により化学合成古生態系の復元を試みた。研究対象とした炭酸塩岩は、中川町南部アベシナイ川沿いの2地点(安川(やすかわ)サイトと大曲(おおまがり)サイト)に露出する。

論文の前半では、炭酸塩岩と周囲の砕屑岩との関係、炭酸塩岩の岩相、鉱物組成、生物相、安定同位体比の分析結果が詳細に記載され、それに基づき炭酸塩岩の起源と化学合成化石群集の特徴が議論されている。安川サイトでは小規模な炭酸塩岩が複数確認されるとともに、それらの周囲の砕屑岩中に多数の炭酸塩小団塊や湧水の経路と思われるパイプ状構造が観察された。また、各炭酸塩岩は明色のミクライト・スパライト部が角礫化していることや、ミクライト質部分の炭酸塩含有量が80%以上と高いことなどから、炭酸塩鉱物の沈殿=炭酸塩岩の形成が海底面付近であったことが示された。一方、大曲サイトの炭酸塩岩体は幅10m,高さ5mに達し、露頭観察から現地性岩体であることが判明した。この岩体は,2つの岩相(フレイムストーン相と角礫岩相),3つの生物相(チューブワーム相、ツキガイ超科二枚貝卓越相、小型巻貝卓越相)に区分され、それらは水平方向に漸移する。炭酸塩岩の炭素同位体比は安川岩体の灰黒色ミクライト質部で-44.0〜-31.1‰,大曲岩体で-47.1〜-41.8%oと軽く、メタン起源の炭素がこれらの形成に寄与したことが判明した。一方、酸素同位体比は、大曲岩体では、チューブワーム相では-11.0〜-8.5‰と非常に軽く、二枚貝、巻貝相では-6.0〜-2.5‰とやや重いことから、チューブワーム相が比較的高温(40-60℃)でメタン湧水の中心に位置し、周辺に向かって低温となったことが判明した。本研究により、大曲・安川サイトの炭酸塩岩および周囲の泥岩から,現生化学合成群集に比較できるチューブワーム、小型のネオンファルス科・ハイカブリニナ科・笠型巻貝類、ツキガイ超科・キネタレガイ科二枚貝からなる化石群集が初めて確認され、それらがメタン湧水域付近に生息していた化学合成化石群集であることが明確になった。

論文の後半部では、炭酸塩岩および周囲の砕屑岩の有機物とその炭素同位体比分析結果とその解釈が述べられている。炭酸塩岩中の全有機炭素同位体比は、大曲岩体のチューブワーム相で-76.3%oと最も低く,ツキガイ超科二枚貝卓越相、小型巻貝卓越相,そして安川サイトの炭酸塩岩,泥岩の順で,化学合成化石群集を伴わない周辺堆積物中の有機炭素同位体比の値(-22‰)に近づく。両サイトの炭酸塩岩からは古細菌を特徴づけるバイオマーカーのPMIおよびCrocetaneが高濃度で検出され、それらの炭素同位体比は-110‰以下の著しく軽い値を示すことがわかった。炭酸塩岩中の有機物の著しく低い炭素同位体比は,メタン起源の炭素を利用していた生物が炭酸塩岩の周囲に比較して相対的に多く、とくに大曲岩体のチューブワーム相でそれが顕著であったことを示している。

本研究により,後期白亜紀における北西太平洋の陸棚縁辺〜大陸斜面付近で、メタンを含む熱水が湧出し,このメタンを利用して嫌気性メタン酸化古細菌が繁茂していたことが明らかになった。この古細菌は嫌気的にメタンを酸化し,炭酸イオンと硫化水素を生成、炭酸イオンは炭酸塩岩の形成に,硫化水素はチューブワームなどの共生細菌に利用され,彼らのエネルギー源になっていたことが推定される。湧水中心部からの距離に応じて,化学合成群集の種構成が変化することから、それらの分布は嫌気性メタン酸化古細菌濃度やメタンと硫化水素濃度に支配されていたことが示唆された。

本論文は指導教員の棚部一成を含む7名の研究者との共同研究であるが、論文提出者が主体となって野外調査、室内分析、および考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。この点を鑑み、審査委員全員は本論文が地球惑星科学、とくに地球生命圏科学の新しい発展に寄与したと判断し、論文提出者が博士(理学)の学位を授与できると認める。

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