学位論文要旨



No 121021
著者(漢字) 濱元,栄起
著者(英字)
著者(カナ) ハマモト,ヒデキ
標題(和) 長期温度計測による浅海域における地殻熱流量測定 : 南海トラフ沈み込み帯への適用
標題(洋) Heat flow measurement in shallow seas through long-term temperature monitoring : Application to the Nankai subduction zone
報告番号 121021
報告番号 甲21021
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4821号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 本多,了
 東京大学 教授 浜野,洋三
 東京大学 教授 歌田,久司
 東京大学 助教授 山野,誠
 東京大学 助教授 芦,寿一郎
内容要旨 要旨を表示する

地殻熱流量は,地下深部からの熱の流れを表し,これを測定することは,地下の温度構造を知る重要な手がかりとなる.これまで陸上や深海域で数多くの熱流量測定がおこなわれ,その分布があきらかにされてきた.いっぽう浅海域は,通常の熱流量の測定方法を用いることができず,信頼できる熱流量がほとんど得られていない.浅海域は,陸海の境界付近に位置しており,そこは,プレート境界に位置している場合が多い.そのためプレート間の活動に起因した興味深い地学現象が観察される.これらの諸現象の多くは,その場の温度にも大きく依存しており,地下の温度構造を推定することは,これらの諸現象を解明するうえで重要である.

海域における熱流量測定は,海底水温の安定している深海域において,海底堆積物の表層数mの温度計測をおこなうことで測定されてきた.しかし,浅海域では,海底水温の変動が激しく,図1のようにこの変動が堆積物中の温度分布を乱すために,この方法を適用することができない.これまでにも地表面温度の変動を考慮して熱流量を決定しようと試みた研究例はあるが,信頼できる熱流量を得るというには至っていない.そこで本研究では,長期温度計測を用い浅海域における熱流量測定の方法を確立することを研究の目的とした.

本研究では,浅海域における温度勾配,熱流量を測定するために次の2つの方法を考えた.ひとつは,海底堆積物の温度を数ヶ月から1年間計測して海底水温変動の影響を取り除いて温度勾配を決定する方法である.この測定のために海底堆積物の表層約2mの温度プロファイルを長期温度計測する「自己浮上式海底熱流量計」を製作した(図2).そしてもうひとつは,海底水温の長期温度計測をおこない,その測定終了時に温度プロファイルを測定して,これらのデータを組み合わせて解析を行う方法である.

第1の方法では,自己浮上式海底熱流量計を用いて南海トラフの陸側の四国沖の1地点と熊野沖の6地点で200日間を越える長期間のデータを測定した(図3,図4A).これらの測定データを用いて,各測定点において,海底水温変動が海底下へ熱拡散で伝播していることを確認した.さらに,もっとも浅いセンサーの温度変動が熱拡散で伝播したものとして,各センサーの深さにおける温度変動を計算する.そして実測値からこの計算値をひくことで,図4Bのように海底水温変動の影響を取り除くことができ,温度勾配と熱流量を求めることが可能となる.このような方法で,長期間のデータを測定できた7地点で温度勾配,熱流量を決定した.また,温度勾配を決定する際にインバージョンを用いた解析方法も考えて,この方法でも同一の結果を得ることができることを確認した.

さらにこの方法を用いるにあたって必要となる測定期間,およびプローブの長さを海底水温の長期データを用いて評価した.海底水温の長期計測は,海底水温変動の空間的なふるまいを調べるためにも重要であり,本研究では南海トラフ陸側の18地点でおこなった.このうち熊野沖の1地点では約3年の海底水温データを測定できた.そこでこの海底水温データを用いて,海底堆積物の仮想的な温度プロファイルを計算し,これを観測データと考えて評価をおこなった.その結果,長さ2mのプローブで300日間の温度計測をおこなえば,約20%程度,400日間の測定をおこなえば,約10%程度の誤差範囲内で温度勾配を決定できることが明らかになった.また長さ3mのプローブを用いれば,300日間の測定でも10%程度以内で温度勾配を決定することが可能である.

浅海域において熱流量を決定する第2の方法は,海底水温のみの長期温度計測をおこない,その測定終了時に堆積物中の温度プロファイルを測定し,これらのデータを組み合わせて解析を行う,というものである.海底水温の長期データがあれば,その影響を計算して測定されるべき温度プロファイルを求めることができる.この計算においては,温度勾配と温度プローブが貫入した深さが未知数となるので,実測した温度プロファイルをもっともよく説明するように未知数を決めることによって,温度勾配の値を得ることが可能である.この方法を用いて南海トラフ陸側の3地点で温度勾配,熱流量を決定することができた.さらに,上記の3年間の海底水温データを用いて,この方法を用いる際に必要な海底水温の測定期間の長さについても評価した.

一方,深海域については,四国東部沖(室戸沖)では,すでに詳細な熱流量分布が調べられているが,熊野沖ではほとんど調査がおこなわれていなかった.そこで本研究では,熊野沖の深海域でも熱流量測定を実施し,浅海域での測定結果,メタンハイドレートによるBSRの深度から推定した熱流量と合わせることで,熊野沖南海トラフ沈み込み帯の詳細な熱流量プロファイルをあきらかにすることができた.この結果,熊野沖,四国沖ともに海側から陸側にかけて熱流量が減少していく傾向であることがわかった.いっぽうトラフ底付近での熱流量に着目すると,室戸沖では,これまでの研究でプレートの年齢から推定されるよりもかなり高い熱流量であることが指摘されているが,熊野沖では,沈みこむプレートの年齢から推定される熱流量値と整合的である.

地下の温度構造モデルを考える場合,沈み込むプレートの年齢,沈み込みの速度,陸側プレート内の放射性発熱量,境界面における摩擦発熱がその温度分布を決める主な要素となる.とくに,放射性発熱量の分布と境界面における摩擦発熱については,他の観測によって知ることが難しく未知のパラメータとなる.これまで熊野沖や室戸沖で,温度構造モデルの推定をおこなった例としてWang et al[1995]やHyndman et al[1995]をあげることができる.これらの研究当時は,浅海域および変形フロントから陸側にかけてのデータがなかったため,放射性発熱と摩擦発熱の値をあらかじめ与えざるをえなかった.しかし本研究では,浅海域および深海域について熱流量を測定できたので,これを条件としてこれらのパラメータを制約することが可能となる.

そこで放射性発熱量とプレート境界面の摩擦発熱(有効摩擦係数)を未知のパラメータとして,二次元有限要素法を用いて定常状態を仮定し,計算をおこなった.この結果,放射性発熱量の分布と境界面での摩擦発熱(有効摩擦係数)のいくつかの組み合わせを考えると,表面の熱流量の実測値をよく説明できることを示した.一意的に値を決定するためには,さらにどちらかのパラメータを制約する必要がある.熊野沖については,陸側付加体で放射性発熱量を測定したという研究はないが,室戸沖では,深海掘削調査により陸側付加体の法性発熱量が測定されているので,ここでは,熊野沖における放射性発熱量は室戸沖と同じであると仮定する.そうすると有効摩擦係数は,0.05となり,他の沈み込み帯と同様に低い値である.このパラメータを用いた場合,モデルによる計算値は,トラフ側から陸側にかけて表面の熱流量の測定値を整合的に説明できる(図5).室戸沖では,変形フロントから20km離れたあたりから陸側にかけてモデルによる計算値と測定値は,整合的である.しかし変形フロントから約20kmまでは,測定値がモデル計算による値よりも最大で2倍以上も高いということが明らかになった.室戸沖の場合,有効摩擦係数は,0となり,プレート境界面における摩擦は熊野沖と同様に小さい.

このように本研究では,浅海域,深海域における熱流量を測定することができた.これらのデータと従来からあるBSRの深度から推定した熱流量データを合わせることで,地下の温度構造を推定するための制約条件としても適用できることを示した.

図1海底水温変動がある場合の温度プロファイル

図2自己浮上式海底熱流量計の模式図.

図3自己浮上式海底熱流量計の測定点.(水深:1040〜2164m)

図4A 熊野沖で計測した堆積物中の温度データ.

図4B 海底水温変動の影響を取り除いたもの

図5熊野沖の熱流量プロファイル.赤線は,沈み込み帯の温度構造モデルの計算値

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり、1章はイントロダクション、2章では測定原理が述べられ、3章で、観測機器の開発・測定方法・解析方法・結果の評価が述べられている。続く4章および5章では、測定によって得られたデータが議論され、それを拘束条件とした数値シミュレーションの結果が提示されている。6章は全体のまとめである。

地殻熱流量は、地下の温度構造を推定する際に境界条件となる重要な観測量である。熱流量は、温度勾配と熱伝導率の積として求められるが、海底水温の変動が大きい海域においては、表層堆積物中の温度分布が乱されるため、通常の方法では熱流量を測定することが困難である。この問題を解決するために、論文提出者は堆積物中の温度及び海底水温の長期計測によって熱流量を求めるという新しい方法を提案し、実際に観測を行って熱流量を求めるとともに、測定精度や長期計測を行うべき期間についての評価を行っている。

本論文で提案された、水温変動の影響が大きい海域で熱流量を測定する方法は、次の2通りである。(1) 海底堆積物中の複数の深さにおける温度を長期間計測し、各深さで得られた温度記録から海底水温変動に起因する変動成分を差し引くことにより、熱流量を求める。(2) 海底水温のみの長期計測を行った上で、測定終了時に通常の方法で堆積物中の温度分布を測定し、これらのデータを合わせて解析することにより、熱流量を求める。

第1の方法においては、海底面下2m程度までの温度分布を長期計測する装置が必要である。本論文では、温度センサーと記録装置の間の接続を非接触型の電磁カプラー、あるいはケーブルカッターによって切り離すという方式を導入することにより、自己浮上式の長期計測装置の実用化を果たしている。この装置の開発自体が、海底観測科学に対する大きな貢献であり、今後さまざまな目的に活用されることが期待される。

次に、この装置を用いることにより、南海トラフ陸側の7地点において200日以上の長期温度データを取得し、これを解析することによって実際に熱流量を求めることに成功している。得られた値は、ガスハイドレートによる音響反射面(BSR)の深度から推定した値と整合的であり、双方の結果の信頼性が検証されたと言える。さらに、3年間にわたる海底水温の実測データを用いて堆積物中の温度変動データを合成し、これを解析することにより、得られる熱流量値がどの程度の誤差を持つか、それが長期計測の期間や深度にどう依存するか、評価を行っている。

一方、第2の方法についても、海底水温を長期計測するシステムを製作し、実際に多数の点で水温の長期データを得ている。このうち3地点においては、通常の機器を用いて堆積物中の温度分布を測定し、海底水温データと合わせてインバージョン手法による解析を行った結果、熱流量の値が求められている。ここでも、得られた結果はBSR深度による値、あるいは第1の方法による値と整合的である。また、第1の方法の場合と同様に、海底水温の長期記録から合成した堆積物中の温度分布を用いて、測定誤差の評価を行っている。これらの2つの方法にはそれぞれ一長一短があるが、両者をうまく組み合わせることによって、効率よく熱流量データを得ることが可能になるものと考えられる。

次に、このようにして南海トラフ陸側で得られた熱流量データが、地下温度構造に対して、どのような制約を与えるかについて議論がなされている。本論文では、南海トラフ沈み込み帯を対象としてモデル計算を行い、実際に得られた熱流量データに基づいて、摩擦発熱と放射性発熱の値がどの程度制約されるかを調べ、プレート境界面での摩擦発熱の値を見積もっている。これは、本論文が提案する手法で得られる熱流量データが、沈み込みプレート境界の研究において重要であることを示すものである。

以上のように、本論文は、水温変動の影響が大きい海域における熱流量を測定する方法を提案し、新たに開発した装置で実際に複数の地点で観測を行い、得られたデータを解析して熱流量を求めることに成功したものである。これは、従来測定が困難であった地域において熱流量データを得ることを可能にしたという点で、大きな業績であり、今後、地球熱学のみならず、地球科学のさまざまな分野の研究の進展に貢献するものと期待される。

なお、本論文第3章の一部は、山野誠・後藤秀作との共同研究であるが、論文提出者が主体となって開発・測定・解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上の理由より、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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