学位論文要旨



No 121031
著者(漢字) 田上,浩孝
著者(英字)
著者(カナ) タガミ,ヒロタカ
標題(和) 梅雨前線上のメソαスケール低気圧の構造と力学
標題(洋) Structure and Dynamics of the Meso-α-scale Low on the Baiu Front
報告番号 121031
報告番号 甲21031
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4831号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中村,尚
 東京大学 教授 新野,宏
 東京大学 教授 安田,一郎
 東京大学 助教授 伊賀,啓太
 東京大学 助教授 高薮,縁
内容要旨 要旨を表示する

梅雨期には水平スケール1000km程度のメソα低気圧(以後MAL)が梅雨前線上でしばしば発現し,日本付近に集中豪雨をもたらす.MALの詳細な3次元構造やその発達過程の理解は科学的観点や防災上の観点からも求められていたが,その水平スケールの小ささと短命さのために.従来の観測的・理論的・数値的研究ではその理解は十分ではなかった.本研究では,近年の計算機性能や客観解析データの時空間分解能の向上を最大限に活用し,データ解析や線形安定理論,及び積雲群を解像する数値シミュレーションを行うことでMALの詳細な立体構造とその発達力学を解明した.

第1章の導入部で従来研究を包括的に概観した後、第2章では2001年に梅雨前線上に発現した複数のMALについて,気象庁領域客観解析データ(水平解像度20 km)を用いた解析を行なった.その結果,観測されたMALには,(1)西傾する鉛直トラフを持ち,その発達に上層擾乱の果たす重要な役割を示唆するタイプと、(2)背の低い東傾する鉛直トラフを持ち,明瞭な上層擾乱を伴わないタイプとに大別されることが明確となった.特に,通常の傾圧不安定波とは本質的に異なる構造を持つタイプ(2)は下層ジェット北縁で発達し,東傾する鉛直トラフ東側の低温偏差と南西〜北東走向の水平トラフ軸とで特徴付けられる.2001年に観測されたタイプ(2)のMALの予報再現実験を.積雲群の解像が可能な気象研究所/数値予報課統一非静力学モデルを用いて実施した.その出力を解析した結果,トラフ東側の低温偏差の維持には,降水に伴う中・上層での潜熱解放により駆動された強い上昇流による断熱冷却が主として寄与することが判明した.

第3章では,梅雨期の東シナ海上空で観測されるような南北にもジェット構造を持つ現実的で複雑な帯状流の線形安定性解析を,擾乱に伴う凝結熱の効果を考慮した非地衡流モデルにおいて初めて実施した,この際,東西波数と位相速度で張られる位相空間に固有モードの成長率をプロットする斬新な手法を考案することで,極めて多数の固有モードからタイプ(2)のMALに対応する成長モードを的確かつ効率的に特定することに成功した.観測されるMAL同様,この成長モードは擾乱振幅がジェットの下方に限定され,東側に低温偏差を伴い東傾するトラフにより特徴付けられる.但し,凝結加熱と暖気移流との相対的重要性がジェット軸の南北で異なることを反映し,擾乱中心の北側では逆に鉛直トラフが西傾するという複雑な構造を持つことが分かった.さらに,ジェット構造の複雑性の異なる複数の帯状流に線型安定性解析を施すことで,擾乱の鉛直構造とその南北依存性は帯状流の傾圧性や潜熱加熱の強さにはさほど依存しないものの,擾乱の発達過程がそれらに大きく依存する傾向を見出した.即ち. MAL的なモードの発達過程において,対流性加熱が相対的に小さい場合に傾圧エネルギー変換の寄与が増大するのに対し.逆に加熱が相対的に大きい場合には潜熱解放と順圧エネルギー変換からの寄与が増大する傾向が明らかになった.一方,擾乱の水平構造については,鉛直シアが強い場合は鉛直運動に伴う運動エネルギー変換に適した南東〜北西走向の水平トラフが実現するのに対し,水平シアが強い場合にはそれとは逆走向のトラフを持つ擾乱が順圧エネルギーを最も効率的に変換し発達する傾向が明確に示された.

更に第4章においては,積雲対流群を陽に表現可能な非静力学数値モデルにおいて,梅雨期の代表的な帯状流場に微小初期擾乱を与える理想化実験を通じ.MALの3次元構造と発達過程を精査した.与えた初期擾乱は円形の雲クラスターを伴うメソαスケールの地上小低気圧に発達し,衛星観測の捉えるMALの特徴が再現された他.東傾する鉛直トラフや擾乱構造の南北依存性など,客観データの解析で明らかになった多くの特徴が再現された.データ解析や線形理論と同様,鉛直トラフの東傾は,その東側での潜熱解放に伴う上昇流による下層の断熱冷却により維持されている.一方.線形安定性理論と整合的に,帯状流の南北シアが鉛直シアより相対的に強い下層ジェット北縁において,水平トラフは南西〜北東の傾きを持つ.一方.MALの発達過程は傾圧不安定で発達する温帯低気圧のものとは本質的に異なることが、エネルギー収支解析から明らかになった.MALの発達には潜熱加熱による有効位置エネルギー生成と運動エネルギーの順圧変換が主に寄与しており,帯状流の傾圧性や鉛直シアによるエネルギー変換の寄与を凌駕することが判明した.

以上のように,本論文においては,近年利用可能になった水平分解能の特に高い領域客観解析データや積雲対流群を解像可能な非静力学数値モデルを逸早く活用することで,今日まで不十分であった梅雨期特有のMALの詳細な立体構造の特定とその発達過程の解明とに初めて成功した.特に,梅雨期特有の現実的なジェット構造を有する帯状流とそれとやや異なる構造の帯状流との線型安定性解析,及びそれらを基本場として用いた理想化数値実験は、MALの立体構造やその主要な発達過程の帯状流の構造に対する依存性を初めて系統的に明示するもので、MALの構造と発達力学に関する一般的・客観的知見を与える画期的な成果である.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は全5章から成る。導入部である第1章においては、梅雨前線上でしばしば発生し局地的集中豪雨をもたらす水平規模1000km程のメソα低気圧(MAL)に関する従来研究の包括的概観を経て、本研究の目的が述べられている。第2章では、2001年梅雨期に現れた複数のMALに関する気象庁領域客観解析データ(水平解像度20km)を用いた解析から、梅雨前線付近で発生するMALの立体構造に2種の異なる型が存在することを明確にした。即ち、寒候期の温帯低気圧と同様、気圧の谷(トラフ)が高度と伴に西傾し、その発達に上層擾乱からの寄与が強く示唆される型、及び附随する上層擾乱が見られず、下層のみで顕著なトラフが高度と伴に東傾する型の2つである。下層の西風ジェット北縁で発達する後者のMALは梅雨期特有の擾乱構造を持ち、東傾する下層トラフの東に寒気を伴い、水平面ではトラフが南西から北東に傾くという特徴を有する。この型の典型的事例の予報再現実験を、積雲群を陽に表現可能な気象研究所/数値予報課統一非静力学モデルを用いて実施し、降水に伴い中・上層で解放される潜熱が上昇流を駆動し、それに伴う断熱冷却がトラフ東側の低温偏差の維持に不可欠なことを熱力学的診断から明らかにした。

続く第3章においては、梅雨期の東シナ海上空で観測されるような南北にもジェット構造を持つ現実的で複雑な帯状流の線形安定性の解析を、擾乱に伴う凝結熱の効果を考慮した非地衡流モデルを用いて初めて行なった。この際、東西波数と位相速度で張られる位相空間に固有モードの成長率をプロットするという斬新な手法を考案し、極めて多数の固有モードからMALに対応する成長モードを的確かつ効率的に特定することに成功した。このモードは、梅雨期に観測されるMAL同様、擾乱振幅がジェットの下方に限定され、東側に低温偏差を伴い東傾するトラフにより特徴付けられる。但し、凝結加熱と暖気移流との相対的重要性がジェット軸の南北で異なることを反映し、擾乱中心の北側では逆にトラフが西傾する複雑な構造を呈した。さらに、ジェット構造の複雑性の異なる複数の帯状流に線型安定性解析を施し、MAL的なモードの発達過程において、対流性加熱が相対的に小さい場合に傾圧エネルギー変換の寄与が増大するのに対し、逆に加熱が相対的に大きい場合には潜熱解放と順圧エネルギー変換からの寄与が増大する傾向を明らかにした。一方、擾乱の水平構造に関しては、鉛直シアが強い場合は鉛直運動に伴う運動エネルギー変換に適した南東〜北西走向の水平トラフが実現するのに対し、水平シアが強い場合にはそれとは逆走向のトラフを持つ擾乱が順圧エネルギーを最も効率的に変換して発達する傾向が明確に示された。

更に第4章では、積雲対流群を陽に表現可能な非静力学数値モデルにおいて、梅雨期の代表的な帯状流場に微小初期擾乱を与える理想化実験を通じ、MALの3次元構造と発達過程を精査した。初期擾乱は円形の雲クラスターを伴うメソα規模の地上小低気圧に発達し、衛星観測の捉えるMALの特徴が再現された。また、潜熱加熱域の下層での断熱冷却によって維持される低温偏差が東に傾くトラフの東側に存在する擾乱構造など、第2・3章の解析で判明したMALの特徴の再現に成功した。更に、第3章の線形理論と整合的に,南北シアの効果が鉛直シアの効果に優る下層ジェットの北側においては、擾乱トラフの南西〜北東走向も再現された。一方、擾乱の発達には潜熱加熱による有効位置エネルギー生成と運動エネルギーの順圧変換が主に寄与しており、それが基本場の傾圧性と鉛直シアに伴うエネルギー変換の寄与を凌駕することも判明した。これら重要な成果の意義は第5章にまとめられている。

以上のように、本論文においては、近年利用可能になった水平分解能の特に高い領域客観解析データや積雲対流群を解像可能な非静力学数値モデルを逸早く活用することで、その水平規模の小ささと短命さ故に今日まで不十分であった梅雨期特有のMALの詳細な立体構造の特定とその発達過程の解明とに初めて成功した。特に,梅雨期特有の現実的なジェット構造を有する帯状流とそれとやや異なる構造の帯状流との線型安定性解析、及びそれらを基本場として用いた理想化数値実験は、MALの立体構造やその主要な発達過程の帯状流構造への依存性を初めて系統的に明示するもので、MALの構造と発達力学に関する一般的・客観的知見を与える画期的な成果である。

なお、本論文の第2〜4章は、新野 宏(指導教員)・加藤輝之・柳瀬 亘各氏との共同研究に基づくが、何れも論文提出者が主体となってデータ解析・力学的診断・数値実験及びその結果のエネルギー収支解析等を行なったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断できる。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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