学位論文要旨



No 121033
著者(漢字) 武内,里香
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,リカ
標題(和) 東部南海トラフにおけるガスハイドレートの地質学的生成過程
標題(洋) Geological process of gas hydrate formation in the eastern Nankai Trough, off central Japan
報告番号 121033
報告番号 甲21033
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4833号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浦辺,徹郎
 東京大学 教授 川幡,穂高
 東京大学 教授 松本,良
 学習院大学 教授 村松,康行
 東京大学 助教授 増田,昌敬
内容要旨 要旨を表示する

Introduction

ガスハイドレートは低温高圧の安定条件をみたす深海底や湖沼,永久凍土地域の堆積物中に広く分布する.潜水調査艇やピストンコアを用いた海底表層の調査,反射法地震探査などの物理探査,掘削による物理検層などが健界各地の海洋で行われ,海洋のガスハイドレートの水平分布が明らかになってきた.しかし実際に堆積物やガスハイドレートを回収するコアリング調査は非常に例が少なく,海洋ではハイドレートリッジ,カスカディアリッジ,南海トラフのわずか3地域でしか行われていない.またその調査地域においても,安定領域全体をカバーする地層温度の情報が欠けているために,ガスハイドレートの挙動に関する具体的な議論を進めることが難しかった.天然ガスハイドレートの挙動を規制する地質学的な要因は,海水準変動や海水温変動,隆起速度,地温勾配など多岐にわたって考えられるが,これらの要因でおこるガスハイドレートの変動を議論する以前に,現在の安定領域すら確実に知ることができなかった.南海トラフでは,精密な地震波断面調査,海底地形調査,ピストンコアによる調査など多岐にわたる研究が進められており,ガスハイドレートの存在を示唆するBSR(海底擬似反射面)が広範囲に分布することが明らかにされている.さらに南海トラフでは一部にBSRが二枚存在する場所が発見されているが,その成因と意義については未解釈のままである.この二枚のBSRが存在する地域にて,2004年には初めての試みである高分解能長期地層温度測定が実施された.本研究は他では得ることのできない詳細かつ広範囲のデータに基づき,変動する付加体南海トラフにおいて,堆積物間隙水の地化学分析をもとに, 1)現在のハイドレート安定領域と実際の分布,飽和率などの関係を明確にする, 2)間隙水に地化学的に記録されている過去のメタンハイドレートの変動を吟味する, 3)南海トラフにおけるハイドレートの挙動を規制している地質学的な要因を解明する,ことを目的としている.

Methods

2004年に行われた基礎試錐-熊野灘〜東海沖-のうち,東海沖・第二渥美海丘の2地点においては,海底面下からハイドレート安定領域下限までの堆積物をすべて回収するフルコアリングが実施された.船上では,簡単にコアの観察を行った上でサンプリング深度を決定し,その場で間隙水の搾取を行った.間隙水のサンプリング位置決定にあたっては,岩相やMH含有層/非含有層いずれにも偏らないようにした.間隙水にたいしては,主要イオン分析,微量元素分析,酸素同位体分析を行った.また,堆積物,炭酸塩ノジュールに関しては,鉱物組成,総炭素・総硫黄量分析,同位体分析を行なった.

Results & Discussion

メタンフラックス

東海沖では硫酸イオン濃度が0になる深度が海底面下23mであるが,第二渥美海丘は海底面下7m付近である.硫酸イオンは大部分がメタンによって消費されていると考えられ,第二渥美梅丘は東海沖と比較すると更にメタンフラックスが高い.フラックスが拡散だけではなく流体移動に寄与している可能性も高い.上部80mにおいて自生炭酸塩含有率が全般的に高いことから, 0.8-0.9Ma以降高いメタンフラックスが継続していると考えられる。

ハイドレートの分布深度と飽和率

東海沖・第二渥美梅丘両サイトにおいて,間隙充填型の微細なガスハイドレートが砂層に選択的に発達していることが明らかになった.その低塩分異常から飽和率は東海沖が60-80%,第二渥美梅丘が40-80%程度であると計算された.分布深度は比抵抗検層の結果が示す高比抵抗区間とほぼ重なる.第二渥美梅丘においては,BSR深度と高比抵抗区間の基底深度,塩素濃度異常区間の基底深度はほぼ一致し, 335mbsf近辺である(図2)。一方東海沖ではupper BSR深度と高比抵抗区間の基底深度,塩素濃度異常区間の基底深度が200mbsf付近ではぼ一致し, lower BSRとupper BSRの間には塩素濃度異常も高比抵抗も存在しない(図1).このダブルBSRはリッジ近辺で特有にみられる現象で,その成因は現在の隆起によるBGHSの上昇であり, lower BSRは過去のBSRであり現在は消えつつある不安定なものという解釈が多勢であった.しかし同地域で行われた高分解能長期地層温度測定の結果から, lower BSRまでがハイドレート安定領域であるということが明確になり,その成因について新たな解釈が要求されることとなった。

ハイドレート安定領域の変動

東海沖と第二渥美梅丘では,塩素濃度ベースライン(地層中での真の間隙水塩素濃度)の形状がまったく異なっている(図1,2).東海沖のZoneT2では, 800mmo1/1をはるかに超える非常に高い濃度を示しており,これはハイドレート生成によりH2Oが奪われ,排出された塩分により周囲の間隙水の塩分濃度が高くなったと考えられる.第二渥美海丘においては, ZoneA3aとbの境でベースラインは鋭く折れ曲がっており,その上下は高いガスハイドレート飽和率で特徴づけられている.

BGHSの変動

第二渥美梅丘でみられたような複雑な塩素漉度ベースラインは,以下のようなハイドレート安定領域下限(BGHS)の上昇と下降を考えることで非常にうまく説明することができる(図3). 1)深部にあったBGHSがZoneA3aとbの間まで上昇する. 2)新しいBGHSの下位では安定領域を外れたためにメタンハイドレートは分解しメタンと水が開放され,上昇する.上部では上昇してきたメタンがハイドレート安定領域に入り,再びハイドレートとして固定される. 3) ZoneA3bとZoneA4の境までBGHSが下降し, ZoneA3bにハイドレートが形成される.このように, BGHSを境として,上位では塩素濃度が濃くなる働き,下位では薄める働きが同時におこることにより鋭い折れ曲がりを持つ塩素濃度ベースラインが形成されたと考えられる.同時に東海沖においてもBGHSの上下変動が起こっており,それがダブルBSRの成因であると解釈できる.つまり,東海沖では約45m(ダブルBSRの間隔),第二渥美梅丘での変動は約35m(ZoneA3bの厚さ)のBGHSの下降が起きたと考える. BGHSは温度・圧力に依存して変動するため,地質学的な要因として海水準変動・隆起運動・堆積速度・海水温を考慮し,各々のサイトにおいてBGHS深度の計算を行った.その結果,東海沖は6mm/yr程度,第二渥美梅丘は1mm/yrの隆起速度であった場合,上記のようなBGHSの変動が生じることがわかった.

ダブルBSRの成因

東海沖と第二渥美梅丘は同様にBGHSの上昇と下降が起きていたのにも関わらず,東海沖では異常な折れ曲がりもなく,ダブルBSRの間に高濃度のハイドレートもみられない.その理由はメタンフラックスの違いであると考えられる.自生炭酸塩含有率の結果から,東海沖のメタンフラックスが高くなってきたは近年であり,現在も第二渥美梅丘と比較すると明らかに低い. Stage3のBGHS下降時にはメタンの供給が少なかったために二枚のBSRの間にはほとんどハイドレートが形成されなかった.しかし広範囲にデータを取り3次元的に解釈するサイスミックデータでは, BGHS下位に存在するフリーガスとわずかなガスハイドレート物性が捕らえられ, LowerBSRとして認知されていると思われる.一方第二渥美梅丘では強いメタンフラックスが0.8-0.9Maより継続しているため, BGHSの下降とともに高飽和率のハイドレートの形成が進行し,東海沖のupperBSRに相当する異常は消えてしまったといえる.

Conclusion

東部南海トラフにおいて,特異な塩素濃度プロファイルを発見し,地化学データにハイドレートの挙動や付加体のテクトニクスを解明する情報が記録されていることを明らかにした.その結果,海水準変動と隆起運動に付随してハイドレートが分解して大量のメタンが上昇し,上部砂層中に濃集してメタンハイドレート交渉が形成されたことを具体的に明らかにした.またこれまでの研究で成因が不明であったダブルBSRに関しては, BGHSの上下変動に付随して特殊な条件下で作られるということが解明した.

図1 東海沖(T6-FC)における塩素濃度・ハイドレート飽和率

図2 第二渥美梅丘(Al-FC)における塩素濃度・ハイドレート飽和率

図3 南海トラフにおけるメタンハイドレートの挙動

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる。第1章はイントロダクションであり、ガスハイドレート(メタンハイドレート)の物理的性質、地球化学的に見た生成メカニズムと生成量の推定法、および地層中にガスハイドレートが存在することを示唆する反射地震探査法上の特徴であるBSR (海底面擬似反射面)について説明がされている。

第2章では、研究に用いられた2本の掘削コア採取地点である東部南海トラフの第一天竜海丘(T6)・第二渥美海丘(A1)の地質について説明されている。試料採取上の困難さから、海洋においてBSRのある堆積物やガスハイドレートを回収したコアリング調査は、これまでハイドレートリッジ、カスカディアマージン、および南海トラフのわずか3地域でしか行われていない。BSRはガスハイドレート層の基底部における物性の差に起因すると考えられており、本来1枚しか無いはずであるが、ここには部分的に2枚あることが知られている。A1のコアはシングルBSRを、T6のコアはダブルBSRを貫いている第1級の研究対象である。

第3章では本論文で用いられた堆積物の処理法および、間隙水や自生鉱物の化学的、同位体的分析法について説明されている。本論文の優れた結果は、高密度サンプリングと、適切に選ばれた分析法によってもたらされたものが多く、数多くの分析データが取られていることが評価された。

第4章にそれらの分析結果が示され、第5章にそれに基づく議論がなされている。特に多くのページを割いているのが塩素イオン濃度ベースライン(地層中での真の間隙水塩素濃度)の形状についての議論である。ガスハイドレートはコア回収時に分解してしまうので、その存在量を正確に把握するのは困難である。しかしガスハイドレートは分解時に塩素イオンを含まない結晶水を放出するので、それによって薄まった間隙水中の塩素濃度分を推定する事によって、堆積物粒子間隙中のガスハイドレート量が推定できる。また、間隙水に地化学的に記録されている過去のガスハイドレートの変動を推定する事が可能となる。

T6サイトとA1サイトでは、塩素イオン濃度ベースラインの形状が大きく異なっていることが示された。T6サイトの上部BSRより上部のガスハイドレート胚胎層は、海水の1.4倍を超える非常に高い塩素濃度を示すが、これはガスハイドレートの生成によりH2Oが奪われ、押し出された塩分により周囲の間隙水中の塩分濃度が高くなったと解釈される。一方、A1サイトにおいては、BSR直上のガスハイドレート胚胎層の中でベースラインが鋭く折れ曲がっており、その上下は高いガスハイドレート飽和率で特徴づけられる。申請者はこの折れ曲がりをガスハイドレート安定領域下限BGHSの上昇と下降で巧みに説明した。またこれまでの研究で成因が不明であったダブルBSRを持つT6においても同様に海水準変動に伴うBGHSの上下変動が起きたと考えられるが、両者の差は後者で隆起運動が起こったこと、メタンフラックスの差があったことにより説明できる。

これらの解釈はやや定量性に欠けている面があるが、得られた結論はこれまで南海トラフでのみ行われている孔内温度計測などの結果と整合的であり、また申請者が行っている酸素同位体による議論とも矛盾しない。つまり、南海トラフにおけるガスハイドレートの挙動を規制している地質学的な要因を、地球物理学的および地球化学的なデータを用いて明らかにした点は新規性の高い結果である。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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