学位論文要旨



No 121034
著者(漢字) 寺川,寿子
著者(英字)
著者(カナ) テラカワ,トシコ
標題(和) 応力蓄積シミュレーションとCMTデータインバージョンに基づくサン・アンドレアス断層の絶対強度の推定
標題(洋) Absolute Strength of the San Andreas Fault Inferred from Tectonic Loading Simulation and CMT Data Inversion
報告番号 121034
報告番号 甲21034
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4834号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平田,直
 東京大学 教授 岩,貴哉
 東京大学 講師 田中,秀実
 東京大学 教授 吉田,真吾
 東京大学 教授 松浦,充宏
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

地殻応力−熱流量パラドックスは,サン・アンドレアス断層(SAF)の絶対強度を巡る学際的な論争として広く知られている.断層の絶対強度を知ることは地震発生の物理を理解する上で重要であるが,一般に,絶対強度を直接測定することは難しい.また,地震観測からは地殻応力場の変化に関する情報が得られるが,その絶対レベルを推定することは困難である.これまでの研究では,様々な力学的モデルを仮定したSAF周辺応力場のパターンの解釈を通じてSAFの絶対強度の推定がなされてきた.しかし,これらのモデルでは,肝心な地殻応力の蓄積メカニズムが正しく表現されているとは言えない.本研究では,「応力蓄積の根本的な原因はプレート間の力学的相互作用にある」という考えに立って,南カリフォルニアのビックベンドセグメント(BBS)周辺域を対象に変位の食い違い理論に基づく絶対応力場の数値シミュレーションを行い,その結果と地震のCMTデータを用いた応力インバージョンの解析結果を比較することによりSAFの絶対強度の推定を試みた.

BBS周辺域の3次元応力蓄積シミュレーション

SAF周辺域の絶対応力場は,SAFでの力学的相互作用に起因するテクトニック応力場と,岩石の自重によるリソスタティック応力場から成る.地震サイクルを超えた長い時間スケールで見れば,SAFは一定の抵抗を受けながらプレート相対運動速度Vplで定常すべり運動を行っていると考えてよい.テクトニック応力場は,SAFの定常すべり運動に起因するテクトニック応力場と地震発生サイクルに伴う変動応力場から成る.定常的なテクトニック応力場にリソスタティック応力場を加えたものが,SAF周辺域の定常的な絶対応力場である.本研究では,BBS周辺域のテクトニック条件を考慮した3次元の応力蓄積モデルを構築し,変位の食い違い理論に基づく数値シミュレーションにより BBS周辺域の定常的な絶対応力場を計算した.

BBS周辺域のテクトニクスと構造モデル

BBSの走向はプレート相対運動方向に対して約20度斜行している.プレート間の力学的相互作用は,プレート境界面の幾何学形状に強く依存するため[Hashimoto&Matsu'ura, 2006],絶対応力場を正しく見積もるためには現実的なテクトニック環境を考慮した3次元の応力蓄積モデルを構築する必要がある.そこで,まず,地殻・マントルを重力場の下にある弾性的リソスフェアと粘弾性的アセノスフェアから成る2層構造媒質で表現し,SAFはリソスフェアを完全に切断する垂直プレート境界面であるとし,BBSをプレート相対運動方向と20度斜行した長さ200kmのセグメント,それ以外の部分をプレート相対運動に平行な走向を持つ境界面としてモデル化した(図1).

地殻応力の蓄積メカニズム

BBSでのプレート相対運動は,横ずれ成分Vplcos20°に加え,収束成分Vplsin20°を持つ.プレート収束運動はBBSのすべりでは解消できないため,BBSに働く法線応力は経年的に増大する.これはBBSの絶対強度を増加させ,さらには横ずれ運動に起因する応力場の増大を引き起こす.しかし,地殻の強度は有限であるため,プレート収束運動に起因する応力場を解消する何らかのメカニズムが働くはずである.ここでは,プレート収束運動に起因する応力が臨界値に達すると,BBS周辺域のSAFに平行な走向を持つ衝上断層群の運動により応力増分が解消され,ある定応力状態が実現されるとした.

絶対応力場の計算手

法プレート境界で満たすべき条件は,モデル領域であるBBSでは断層構成関係に従ってすべりが進行し,モデル領域外のSAFではVplで定常すべりが進行すると設定した.このような境界条件の下で,SAFとスラスト断層群の摩擦係数を与え,時間ステップ毎に平衡方程式を解く.計算には,変位の食い違い理論に基づいて導出された,弾性―粘弾性二層構造での応力のすべり応答関数を用いた[Hashimoto &Matsu'ura, 2000; Fukahata & Matsu'ura, 2005].仮定した断層構成関係は,剪断応力が絶対強度に達するまではすべりが0,強度に達した後は応力を強度レベルに保ったまますべりが進行するものとし,絶対強度はBBSに働く法線応力の増大を考慮して時間発展させる.時間ステップ毎にBBS周辺域の剪断応力場を調べながら,断層から100km以内で衝上断層運動が生じる応力状態(定応力状態)に達するまで計算を行った.

BBS周辺域の地震発生応力場の抽出

テクトニック応力場の有意な成分は,SAFの横ずれ運動に起因する剪断応力(σxy,σxz)と,収束運動に起因する直応力(σxx,σyy)である.剪断応力はSAF(BBS)の絶対強度に,収束運動に起因する直応力は周辺の衝上断層群の絶対強度に,それぞれ比例する.シミュレーション結果を地震データのインバージョン解析結果と比較するために,絶対応力場を応力の解放様式である3つの独立なモード(等方爆発,亀裂の開口,断層すべり)に分解して断層すべりに関する応力場(地震発生応力場)のみを取り出し,SAFの絶対強度との関係を分析した.BBSから50km以内の領域では,SAFの絶対強度によって地震発生応力場のパターンが顕著に変化する.SAFの絶対強度を見積もる上で有効な情報としては,地震発生応力場の空間パターン,プレート収束運動に伴う応力増分を解消する断層運動の形態,最大水平主圧縮軸の回転が起こる範囲などがあることがわかった.

CMTデータインバージョン手法の開発

地震は震源近傍の地震発生応力場を反映して起こるという考えに基づき,地震のCMTデータから地震発生応力場を推定するインバージョン解析手法を開発した.この手法では,震源位置にピークを持ち,地震モーメントに比例する広がりを持つ正規分布関数を真の地震発生応力場に掛けて体積積分したものがCMT解であるとして,CMT解と地震発生応力場を定量的に結びつける.応力場を3次のスプライン関数の重ね合わせで表現することにより,離散化された線形の観測方程式が得られる.これに「応力場は空間的に滑らかに変化する」という先験的拘束条件をベイズの規則で結合し,観測データからの情報と先験的な拘束条件の相対的な重みを超パラメータで調節するベイズ型モデルを構築する.最適解は,Yabuki&Matsu'ura(1992)のアルゴリズムに従い,ABIC最小の規準により求める.こうして,対象領域内の任意の点で空間的に平滑化された応力テンソルの6成分の値を推定誤差と共に求めることが可能となる.この解析手法を太平洋プレートが北米プレートの下に沈み込んでいる東北地方の地震データ(NIED, Seismic Moment Tensor Catalogue)に適用し,その有効性を検証した.

BBS周辺域の応力場の解析とSAFの絶対強度の推定

CMTデータインバージョン手法をBBS周辺域の地震データに適用し,地震発生応力場のパターンを推定した.ここでは十分なCMTデータが得られなかったため,地震メカニズム解(SCDEC,2000-Hauksson: 3-D Earthquake Focal Mechanisms)とマグニチュードから推定される地震モーメントを用いて,CMT解に相当するモーメントテンソルを計算し,これらをデータとした.以下に,インバージョン解析で得られたBBS周辺域の地震発生応力場の特徴をまとめる.(1)発生が期待される地震のタイプは,BBSの近傍ではこれと斜行する衝上断層型,BBSから50-100km以内ではBBSと平行な衝上断層型,100km以遠ではBBSと斜行する横ずれ断層型である.(2) BBSの南西約40kmにプレート収束運動に起因する応力増分を解消する帯状の領域が存在する.(3)最大水平主圧縮軸の回転はBBSから55km以内の領域で生じている.

結論

BBS周辺域の応力蓄積シミュレーションとCMTデータインバージョン解析の結果を比較して,SAF(BBS)の摩擦係数は約0.3,脆性破壊領域での平均的な絶対強度は約140MPaであるという結論を得た.推定されたSAFの摩擦係数は,岩石の摩擦実験から得られる標準的な値(0.6)に比べて有意に小さい.しかし,プレート収束運動が生み出す法線応力が高いため,BBSでの絶対強度そのものは,これまで多くの研究者が報告してきた値(10MPa程度)よりも1桁大きい.

図1.(a) BBS周辺域の構造モデルと座標系(Σsはモデル領域=BBS)(b) BBS中央部でのテクトニック応力場の成分(周辺域の衝上断層の摩擦係数は0.6に固定).

図2. BBS中央部での地震発生応力場.(a)インバージョン解析結果.期待される地震のタイプを下半球投影の震源球で表現した.コンターは最大値で規格化した応力解放量.(b)数値シミュレーション結果.コンター値が大きいほど断層運動が起こりやすい応力状態にある.SAFの摩擦係数は,左から0.6,0.3,0.1とした.(c)最大水平主圧縮軸の回転.解析結果をエラーバー付きの水色の線で表示

図3. 応力蓄積シミュレーションとCMTデータインバージョン解析に基づいて推定したSAF(BBS)の絶対強度分布

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり、第1章はサン・アンドレアス断層の絶対強度の研究の背景、第2章は断層周辺の絶対応力場のシミュレーションに関する研究、第3章は新しく開発したCMTデータから地震発生応力場の推定手法、第4章はサン・アンドレアス断層ビッグベンドセグメント周辺の応力場の推定、第5章では絶対応力場の数値シミュレーション、推定された応力場の特徴から断層の強度に関する議論を行い、第6章で全体をまとめている。

サン・アンドレアス断層(SAF)の絶対強度を知ることは地震発生の物理を理解する上で重要であり、これまで多くの研究があるが、絶対強度に関する定説がない。絶対強度を直接測定することは難しく、地震観測からも応力の絶対値を推定することは困難である。そこで、様々な力学的モデルを仮定してSAF周辺応力場のパターンを解釈することによって、SAFの絶対強度の推定がなされてきた。しかし、これまでの研究では、地殻応力の蓄積メカニズムが正しく表現されていない。本論では、「応力蓄積の根本的な原因はプレート間の力学的相互作用にある」という考えに立って、南カリフォルニアのビックベンドセグメント(BBS)周辺域を対象に、変位の食い違い理論に基づく絶対応力場の数値モデルを新しく構築して数値シミュレーションを行い、その結果と地震のCMTデータから求めた応力場を比較することによりSAFの絶対強度を推定した。

(絶対応力場の数値シミュレーション)

本論文では、BBS周辺域のテクトニック条件を考慮して、弾性的リソスフェアーと粘弾性的アセノスフェアーの二層モデルに、BBS付近で屈曲するプレート境界を持つ構造モデルを構築し、変位の食い違い理論に基づいて導出された応力のすべり応答関数(Hashimoto & Matsu'ura, 2000; Fukahata & Matsu'ura, 2005)を用いてBBS周辺域の定常的な絶対応力場を計算した。BBS付近では、プレート境界に垂直なプレート運動成分によって増加する周辺域の応力が一定値に達すると衝上断層群での運動で解消されるとした。この応力場を、3つの独立なモードに分解して地震発生応力場を抽出し、BBS周辺のSAFの絶対強度との関係を分析した。この結果、地震発生応力場の空間パターン、プレート収束運動に伴う応力増分を解消する断層運動の形態、最大水平主圧縮軸の回転が起こる範囲が、絶対強度を推定する上で重要であることが分かった。

(CMTデータから地震発生応力場を推定する手法の開発)

本論文で、地震のCMTデータから空間的に連続な地震発生応力場を推定するインバージョン解析手法を新しく開発した。連続な応力場を3次のスプライン関数の重ね合わせで表現することにより離散化し、線形の観測方程式を得た。これに「応力場は空間的に滑らかに変化する」という先験的拘束条件をベイズの規則で結合し、観測データからの情報と先験的な拘束条件の相対的な重みを超パラメータで調節するベイズ型モデルを構築した。ABIC最小の規準により最適解を求め、対象領域内の任意の点で空間的に平滑化された応力テンソルの6成分の値とその推定誤差を求めた。

(サン・アンドレアス断層ビッグベンドセグメント周辺の応力場の推定)

CMTデータインバージョン手法をBBS周辺域の地震データに適用し、地震発生応力場のパターンを推定した。その結果、(1)発生が期待される地震のタイプは、BBSの近傍ではこれと斜向する衝上断層型、BBSから50-100km以内ではBBSと平行な衝上断層型、100km以遠ではBBSと斜向する横ずれ断層型である。(2)BBSの南西約40kmにプレート収束運動に起因する応力増分を解消する帯状の領域が存在する。(3)最大水平主圧縮軸の回転はBBSから55km以内の領域で生じている、ことが分かった。

(断層の強度)

BBS周辺域の応力蓄積シミュレーションとCMTデータインバージョン解析の結果を比較して、SAFの摩擦係数は約0.3、脆性破壊領域での平均的な絶対強度は約140MPaであると推定された。

以上の研究によって、SAFの摩擦係数は、岩石の摩擦実験から得られる標準的な値(0.6)に比べて有意に小さいことが分かった。しかし、プレート収束運動が生み出す法線応力が高いため、BBSでの絶対強度そのものは、これまで多くの研究者が報告してきた値(10MPa程度)よりも1桁大きいことが示された。この成果は、地球物理学特に地震発生の物理の研究に新たな知見を与えた。

なお、本論文の第2、3、4章は、松浦充宏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって数値のモデル定式化、データ解析および論証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク