No | 121041 | |
著者(漢字) | 加藤,景子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | カトウ,ケイコ | |
標題(和) | イオントラップ電子回折装置の開発と分子イオンの構造決定および反応追跡への応用 | |
標題(洋) | Development of ion-trap gas electron diffraction apparatus for determining geometrical structure of molecular ions and probing their reaction | |
報告番号 | 121041 | |
報告番号 | 甲21041 | |
学位授与日 | 2006.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4841号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 化学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 序 化学反応過程を理解するに当たり、分子構造を決定することは重要な課題である。20世紀半ばから回転スペクトルや電子回折法により数多くの中性分子の幾何学的構造が決定されてきた。 1960年に発明されたレーザーは、分光法のみならず、レーザー光によって誘起される単分子反応の研究、ならびに光イオン化によって生成されたイオン種の解離過程ダイナミクスの研究等に精力的に用いられるようになった。また、分子線技術の発展により、クラスターと呼ばれる数個〜数10個の原子・分子の集合体が生成できるようになり、クラスターの構造・物性、そしてそのサイズ依存性に関心が寄せられるようになった。これらイオンやクラスターの性質、ならびに動的過程を理解するにあたり、分子の構造に関する情報は重要な役割を担う。しかしながら、基本的なイオン分子種やクラスターの幾何学的構造については、中性分子から対象イオンのみを分離した実験や、クラスターのサイズを限定した実験が行われていないため、これら分子の幾何学的構造の関しては実験データが十分には無いのが現状である。 そこで、本研究ではPaul型イオントラップを用いて、分子イオンを、質量を選別した上で微小空間領域に単離し、一定時間保持した。そして、トラップされた分子イオンについて、レーザー分光法と電子回折法を組み合わせることによって、エネルギー構造とともに幾何学的構造の決定を目指した。研究成果は以下の2点にまとめられる。 芳香族分子のイオントラップ励起分光 芳香族分子に紫外領域のレーザーを照射すると、親イオン生成の後、さらに光子を吸収して解離生成物イオンが生成されることが知られている。アニリンでは、五員環構造を持つと考えられているシクロペンタジエニルカチオン(C5H6+)がアニリンカチオンの光解離反応:C6H5NH2+→C5H6++HNCから生成されると知られているにも関わらず、過去の研究では中性のアニリン分子に光を照射しており、カチオンからの解離を直接観測した例がない。そこで本研究ではイオントラップ中にアニリンカチオンを捕捉し、ナノ秒の可視域レーザー光の照射により、光解離生成物C5H6+の生成過程を調べた。 イオントラップ電子回折装置の設計と製作 光化学反応過程によって生成された中間生成物やクラスターイオンの構造を決定するためにイオントラップ法と電子回折法を組み合わせることを着想した。そして、そのためのイオントラップ電子回折装置の設計と開発を行った。 アニリンイオンの光解離フラグメントスペクトルの測定 アニリン中性分子を、Heをキャリアーガスとして超音速ジェットとし、スキマーで切り出してイオントラップ電極内に導入した。アニリン中性分子に対し、紫外パルスレーザー(λ=293.86nm、Δt〜10ns)を照射し、中間状態としてS1状態のオリジンバンドを経由した2光子REMPI法によってアニリンカチオンを生成した(図1(a))。この際、イオントラップのリング電極に周波数1MHz、振幅1。5kVp-pの交番電場を印加することにより、アニリンカチオンのみをトラップした(図1(b))。トラップされたアニリンカチオンに可視パルスレーザー光(λ=415〜435nm、Δt〜10ns、I〜3。5MW/cm2)を照射した。そして、エンドキャップに負のパルス電圧を印加することによって、アニリンカチオンとともに、アニリンカチオンから新たに生成した光解離生成物を引き出し、質量選別の後、マイクロチャンネルプレート(MCP)にて検出した(図1(c))。 可視レーザー光の波長を掃引し、主生成物であるC5H6+の、アニリンカチオンに対する比を測定することによって、解離フラグメント励起スペクトルを観測した(図2)。図2に示すようにC5H6+の収率は432nm付近(FWHM〜14nm)で最大となる。また、C5H6+の収率のレーザー強度依存性からアニリンカチオンから2光子吸収によってC5H6+が生成している事がわかった。励起光(λ〜423nm)の1光子分のエネルギーはアニリンカチオンの22B1−12A1遷移のエネルギーにほぼ一致する。このことは、C5H6+の生成は、アニリンカチオンが22B1状態を中間状態とした2光子吸収過程の後に解離を起こすことを示している。 電子回折法によるトラップされた分子イオンの構造決定 イオントラップ電子回折装置 イオントラップに捕捉されたイオンの電子回折像を測定するためにイオントラップ電子回折装置(図3)を設計・製作し、その性能を評価した。 スキマーによって切り出された中性気体分子をレーザーによりイオン化し、生成されたイオンをイオントラップ中にトラップする。トラップされたイオンに対し、熱電子銃から25keVに加速された高速電子をコンデンサーレンズ、偏向器、対物レンズを通して照射する。分子イオンから散乱された電子をMCPとフォスファースクリーンを組み合わせたイメージング検出器によって検出し、2次元回折像としてCCDカメラにより観測する。この際、散乱されなかった電子は、MCP検出面前に設置したFaradayカップによりその電流値を測定する。 イオントラップの性能評価 イオン分子種の電子回折実験においては、トラップされているイオンの捕捉時間とサンプル密度を評価する必要がある。 イオンの捕捉時間 トラップされているイオンは残留ガスとの衝突やイオン自体の寿命によってトラップ領域から外れていく。このことを、トラップ時間ならびにキャリアーガスの有無を変えて調べた。図4に中性のCC/4にλ〜800nm、Δt〜100fsのレーザーを照射して生成したCC/3+の実験結果について示した。図4からCC/3+に関しては、キャリアーガスの導入により捕捉効率が上昇することがわかった。 イオンの空間分布 捕捉イオンの空間分布を調べるためにアニリンカチオンをトラップし、照射するレーザー光を空間的に掃引することによって、アニリンカチオンから生成される解離生成物の量を測定した。生成量の変化をガウス関数でフィットをしたところ、その半値全幅は〜0.9mmであった。また、このときMCPの信号強度から〜7×104個のイオンがトラップされていることが明らかとなった。このことから、トラップされているイオンの密度は〜3×104/mm3であることが示された。この密度は圧力10-7Paの残留ガス密度とほぼ同程度であることがわかった。 サンプルからの散乱電子数 信号強度の見積もり トラップされている分子イオンの散乱断面積から算出される単位時間あたりの散乱電子数(ns)の入射電子線中の電子数(ni)に対する比は、ns/ni〜1.7×10-10である。一方、検出される電子としては、トラップされているイオンからの散乱電子以外にFaradayカップからの反跳電子や2次電子、ならびに残留ガスからの散乱によるものがあり、それらはノイズ源となっている。チェンバー内圧力1×10-7Paの残留ガスから予想されるバックグラウンド電子(nn)は入射電子に対し、nn/ni〜1.9×10-10である。したがって、トラップされている分子イオンからの散乱電子を観測するためには、超高真空下での実験を行うこと、並びに主なノイズ源であるFaradayカップに由来するバックグラウンド電子の割合を10-10以下に抑えることが必要となる。 半円型Faradayカップの製作 Faradayカップに由来するノイズ電子を減らすために、半円型の電極に電圧をかけ、非散乱電子の軌道を入射方向と逆方向に曲げてから、Faradayカップにて電子を検出した。入射電子が〜1μAの時、チェンバー内圧力が2.3×10-7Paの条件下でMCPによって検出されたバックグラウンド電子の数を、入射電子数に対して、nn/ni〜2.06(7)×10-9まで減らす事が出来た。 トラップされたイオンからの電子回折像 開発した半円型Faradayカップを用いて、トラップしたCC/3+からの電子回折像の測定を行った。イオン生成用のレーザーを照射した場合と、しない場合の測定を行い、それぞれの2次元画像を引き合わせた結果、トラップされたCC/3+からの散乱電子の観測を確認する事が出来た。 図1.イオン質量分析装置によるアニリンイオンのTOFスペクトル。(a)RF電場なし、(b)RF電場を印加した場合、(c)RF電場を印加し、さらに可視レーザー光を照射した場合。 図2.アニリンカチオンの解離フラグメント励起スペクトル。 図3.開発中のイオントラップ電子回折装置図。 図4。CC/3+の捕捉時間について。実線ならびに点線は実験値の減衰関数exp(-t/τ)によるフィット結果を示す。 | |
審査要旨 | 本論文は、従来の実験手法では決定することが困難であった分子イオンの物性に関し、イオントラップ質量分析法を用いることによって、分子イオンを単離し、反応過程ならびに構造に関して調べることを目的としたものである。そのための実験装置の製作・開発、および実験結果について記してある。 本論文は全5章から構成されており、第1章では、一般的な分子の構造決定の意義と従来の実験手法について述べた後、分子イオンの構造決定の意義ならびに研究背景について書かれている。 第2章は、製作したイオントラップ質量分析装置について、その原理、ならびに装置の性能評価の結果について記されている。イオントラップの質量選択性について動作確認を行った結果、理論から予想されるスタビリティダイアグラムにほぼ従う事がわかった。また、トラップされているイオンの空間分布、イオンの捕捉時間に関し実験を行った結果、5秒程度に渡り、104~105個/mm3の密度でイオンがトラップされ続ける事が示された。 第3章は、イオントラップ質量分析法を用いて、アニリンカチオンの光解離励起スペクトルを行い、アニリンカチオンの光解離過程に対する知見を得ている。レーザー光を用いて生成したアニリンカチオンをイオントラップ中にトラップした後、トラップされているアニリンカチオンに対しナノ秒の可視領域のレーザーを照射した。その際にアニリンカチオンからの解離反応によって生成されるC5H6+の生成量の測定を行い、アニリンカチオンの光解離励起スペクトルの測定に成功した。得られたスペクトルから、アニリンカチオンが第二電子励起状態を中間状態として経由して2光子吸収過程の後、C5H6+へ効率よく解離している事が示された。 第4章はイオントラップ電子回折装置についてその開発ならびに実験結果について述べられている。第2章で得られたトラップされているイオンの密度から、予想される信号強度が10-7 Paのガスから散乱される電子と同じ程度であることがわかった。しかしながら、入射電子を受け止めるファラデーカップから出る二次電子や反跳電子が、イオンからの散乱電子の測定を妨げていたため、これらの電子の放出を抑えるために半円型ファラデーカップを開発した。開発したファラデーカップを用いた結果、バックグラウンドの電子数を105分の1にまで落とすことに成功した。また試験的な実験によりトラップされているCCl3+からの散乱電子の測定に成功した。 なお、本論文第2章、第3章は山内薫との共同研究、第4章は歸家令果、山内薫との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって実験・解析を行ったものであり、その寄与は十分であると判断する。 したがって、審査委員会は論文提出者 加藤景子 に博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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