学位論文要旨



No 121042
著者(漢字) 迫田,孝太郎
著者(英字)
著者(カナ) サコダ,コウタロウ
標題(和) gem-ジフルオロアルケンの分子内ビニル位置換による含フッ素環状化合物の合成
標題(洋) Synthesis of Fluorinated Cyclic Compounds via Intramolecular Vinylic Substitution of gem-Difluoro Alkenes
報告番号 121042
報告番号 甲21042
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4842号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 尾中,篤
内容要旨 要旨を表示する

含フッ素有機化合物は、生理活性や耐酸化性などをはじめ、光学的あるいは電気的にも興味ある特性を示すものが多く、その用途に関する研究が盛んに行われている。これに対し、含フッ素化合物の特異な反応性を有機合成化学に利用する例は、あまり知られていない。こうした状況の下、筆者はフッ素の性質をよく反映している化合物としてgem-ジフルオロアルケンを取り上げ、これを基質とする有機合成反応の開発研究を行ってきた。すなわち、gem-ジフルオロアルケンが大きく分極していることを利用し、従来困難と考えられてきた環化形式の求核付加やアルケン挿入などを達成し、モノフルオロ置換環状化合物の合成法を開発した。具体的には、1-トリフルオロメチルビニル化合物を出発物質として、SN2'反応とSNV反応とを連続的に行い、2-フルオロキノリンを始めとする一連の含フッ素ヘテロ環化合物を系統的に合成できた(第一章)。また、gem-ジフルオロアルケンの分子内炭素求核部位、酸素求核部位による5員環形成を行うことで、1-フルオロシクロペンテン、5-フルオロジヒドロフランなどを合成した(第二章)。さらに、ジフルオロアルケン部のアミノパラジウム錯体への挿入を利用する5員環形成も行い、5-フルオロ-3H-ピロールの合成法を見出した(第三章)。

連続SN2'-SNV反応によるフルオロヘテロ環の合成

これまで当研究室では、gem-ジフルオロアルケンの分子内フッ素置換による含フッ素ヘテロ環化合物の合成を行ってきた。しかし、トリフルオロエチルトシラート1とヨウ化アリール2から調製される(gem-ジフルオロビニル)ベンゼン誘導体3を出発物質とするため、合成できる環化体4は3-フルオロ体に限られていた(式1)。

本研究では、2位にフッ素置換基を有するヘテロ環化合物を合成するため(gem-ジフルオロアリル)ベンゼン誘導体を調製し、これをSNV反応による環化前駆体として用いることを考えた。アニリン誘導体5から調製したアリールリチウム6と、1-CF3ビニルシランあるいはα-CF3スチレン7とのSN2'反応を行い、簡便にジフルオロアルケン8を得ることができた。続いて環化前駆体8に塩基を作用させると、SNV反応が進行し、1,4-ジヒドロ-2-フルオロキノリン9および2-フルオロキノリン10を合成することができた(式2)。

また同様に、フェノールからは2段階で2-フルオロクロメン14aが、またチオフェノールからはSN2'反応とSNV反応がone-potで進行し、2-フルオロチオクロメン14bが得られた(式3)。2位をフッ素化した4H-クロメンおよびチオクロメンはこれまでに合成例がなく、さらに本法では変換可能なシリル基を3位に持つヘテロ環化合物を合成することもできる。

gem-ジフルオロアルケンの分子内炭素求核部位及びエノラート部位による5-endo-trig環化

上述した分子内置換反応を5員環形成に適用しようとすると、環形成の起こりやすさを示すBaldwin則で不利とされる5-endo-trig環化を経ることになる。これに対し筆者は、大きく分極したgem-ジフルオロアルケンの末端炭素と求核中心との間の静電的相互作用を活用し、 Baldwin則の例外となる5員環形成を行わせることができた。即ち、ジフルオロアルケン部位を有するヨウ化アルキル15やヨウ化アリール16から金属-ハロゲン交換で分子内炭素求核部位を発生させると、 5-endo-trig環化が進行し、 1-フルオロシクロペンテン17および3-フルオロインデン18を合成することに成功した(式4)。

上記の反応では、アルキル及びアリールリチウムのような強力な炭素求核剤を用いていたが、より穏和なケトンエノラートを求核部位に用いても、5員環構築を行うことができた。gem-ジフルオロアリル=アルキルケトン19に水素化カリウムを作用させると、エノラートアニオンの発生と続くビニル位フッ素の分子内置換が酸素原子により進行し、5-フルオロ-2,3-ジヒドロフラン20が高収率で得られた(式5)。

このように、筆者はgem-ジフルオロアルケンを用いると、従来困難とされた5-endo-trig環化が進行することを明らかにするとともに、各種置換基を有する5-フルオロジヒドロフランを合成することができた。

gem-ジフルオロアルケンのHeck型5-endo-trig環化

上に述べたgem-ジフルオロアルケンの5-endo-trig環化では、これまで求核部位としてリチウムなどを対カチオンとする典型金属化合物を用いてきた。一方、遷移金属錯体を用いた分子内のアルケン挿入による環化反応を見ると、5-endo環化は反応例が限られている。筆者は、gem-ジフルオロアルケンの分極した二重結合と有機遷移金属錯体との静電的相互作用が、アルケン挿入の方向を制御し5-endo-trig環化を可能にするものと考え(式6)、次の検討を行った。

ジフルオロアルケン部を有するアリールトリフラート22にPd(PPh3)4を作用させたところ、インダノン25が得られた。これは、アリールパラジウム錯体23の5-endo環化体である3-フルオロインデン24が加水分解されたものであり、反応停止前にチオフェノールを添加すると、3-フルオロインデン24を得ることができた(式7)。同様の反応をビニル位にフッ素を持たない基質で行うと、5員環の生成は痕跡量にとどまる。これにより、ビニル位の2つのフッ素原子が本環化に重要な役割を果たしていることがわかった。

一方当研究室では、O-ペンタフルオロベンゾイルオキシムのN-O結合がPd(0)錯体へ酸化的付加してアルキリデンアミノパラジウム錯体を生じ、これに分子内のアルケン部位が挿入し、Heck型の5-exo-trig環化が進行してピロール誘導体を与えることが見出されている。そこで、アルケン部位としてジフルオロアルケンを用いれば、endo型の環化も行えると考えた。ジフルオロアルケン部を有するオキシム26にPd(PPh3)4を作用させ、アミノパラジウム錯体27を発生させたところ、目的とする5-endo型挿入が進行し、5-フルオロ-3H-ピロール29および2-フルオロ-4,5-ジヒドロベンゾインドール30を得ることができた。さらに、β-フッ素脱離で生成する二価パラジウムをPPh3で還元することにより、本反応の触媒化にも成功した(式8)。この反応は、立体的に不利な5-endo-trig環化を達成できただけでなく、gem-ジフルオロアルケンが遷移金属錯体に分子内挿入した初めての例である。

ビニル位末端にフッ素を1つだけ、あるいは水素、塩素、臭素などを有する同様の基質31からは、 Heck型の環化生成物は全く得られず(式9)、上の反応においてもビニル位の2つのフッ素原子が重要な役割を果たしている。このように筆者は、ジフルオロアルケンを用いることによって、 C-Pd錯体およびN-Pd錯体によるHeck型5-endo-trig環化が行えることを明かにした。

以上のように筆者は、gem-ジフルオロアルケンやトリフルオロメチルアルケンの大きく分極した性質を利用することにより、種々の含フッ素ヘテロ環化合物や炭素環化合物の合成を行うとともに、これまで反応例の少なかった求核付加やアルケン挿入による5-endo-trig環化を達成することができた。これらの反応は、フッ素の特性を活用して初めて反応が達成されたものであり、位置選択的にフッ素化されたヘテロ環及び炭素環化合物の合成を可能にするものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、gem-ジフルオロアルケンの分子内ビニル位置換による含フッ素環状化合物合成手法の開発について、3章にわたり述べたものである。

第一章では、連続SN2' -SNV反応によるフルオロヘテロ環構築法について述べている。これまでに、CF3CH2OTs1とヨウ化アリール2から調製される(gem-ジフルオロビニル)ベンゼン誘導体3を用いて、3-フルオロヘテロ環化合物4が合成されていた(式1)。

これに対し筆者は、2-フルオロヘテロ環化合物合成法の開発を目指した。すなわち、アニリン誘導体5からオルトリチオ化で調製したアリールリチウム6と、CF3ビニルシランあるいはスチレン7とのSN2'反応を用い、簡便に(gem-ジフルオロアリル)ベンゼン誘導体8を調製し、さらにそのSNV反応を行うことで、1,4-ジヒドロ-2-フルオロキノリン9および2-フルオロキノリン10が合成できることを示した(式2)。

また同様にして、フェノールからは2段階で2-フルオロクロメン14aが得られ、さらにチオフェノールからはone-potで2-フルオロチオクロメン14bが得られた(式3)。このように筆者は、オルトリチオ化、SN2'反応、SNV反応を組み合わせ、2-フルオロヘテロ環化合物を効率良く合成する手法を開発した。

第二章では、gem-ジフルオロアルケンの分子内炭素求核部位およびエノラート部位による5-endo-trig環化について述べている。筆者は、Baldwin則において不利とされる5-endo-trig環化を行うことに成功し、gem-ジフルオロアルケンが含フッ素環状化合物合成に広く利用できることを明らかにした。

すなわち、ジフルオロアルケン部位を有するヨウ化アルキル15やヨウ化アリール16にアルキルリチウムを作用させ、金属-ハロゲン交換によって生成する分子内アルキルアニオンおよびアリールアニオンによる5-endo-trig環化を行い、1-フルオロシクロペンテン17および3-フルオロインデン18を得た(式4)。

さらに、ケトンエノラートを求核部位に用いても、5員環が構築できることを示した。すなわち、gem-ジフルオロアリル=ケトン19に水素化カリウムを作用させると、エノラートアニオンの発生に続き、酸素原子が分子内のビニル位フッ素を置換し、5-フルオロ-2,3-ジヒドロフラン20を高収率で与えることを見出した(式5)。

第三章では、gem-ジフルオロアルケンのHeck型5-endo-trig環化について述べている。前章で述べたgem-ジフルオロアルケンの5-endo-trig環化では、リチウムなどを対カチオンとする有機典型金属化合物を用いてきた。一方、有機遷移金属化合物を用いた分子内のアルケン挿入による環化反応を見ると、5-endo環化は特殊な例に限られていた。筆者は、gem-ジフルオロアルケンの分極した二重結合と有機遷移金属錯体との静電的相互作用によって、5-endo-trig環化が可能になると考えた(式6)。

ジフルオロアルケン部を有するアリールトリフラート22にPd(PPh3)4を作用させたところ、インダノン25を得た。これは、アリールパラジウム錯体23の5-endo環化体である3-フルオロインデン24が加水分解したものであり、反応停止前にPhSHを添加すれば、3-フルオロインデン24が得られる(式7)。

さらに筆者は、オキシム26にPd(PPh3)4を作用させて発生するアミノパラジウム錯体27へのジフルオロアルケンのendo型挿入により、ピロール誘導体29および30を得た。また、b-フッ素脱離で生成する二価パラジウム錯体へPPh3を作用させることにより、本反応の触媒化にも成功した(式8)。この反応は、gem-ジフルオロアルケンが分子内挿入した初めての例であり、併せて立体的に不利な5-endo-trig環化を達成している。

末端ビニル位にフッ素以外の原子を有する同様の基質31からは、環化生成物は全く得られず(式9)、ビニル位の2つのフッ素原子が必要であることを示した。このように筆者は、ジフルオロアルケンを用いることによって、C-Pd錯体、N-Pd錯体による分子内Heck型5-endo-trig環化も行えることを明かにした。

以上のように、筆者はフッ素化合物の反応性を利用し、これまで例の少なかった形式の環化反応を達成しつつ、種々の含フッ素環状化合物の合成法を開拓した。これらの業績は、有機合成化学および有機フッ素化学の分野に貢献すること大である。なお、本研究は、市川淳士、和田幸周、三原純、藤原昌生、宮崎裕之、伊藤直孝、森山浩子との共同研究であるが、論文提出者の寄与は十分であると判断される。従って、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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