学位論文要旨



No 121045
著者(漢字) 鈴木,秀明
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ヒデアキ
標題(和) 静的及び動的水素結合系新規有機伝導体と誘電体の作製、構造及び物性
標題(洋) Preparations, crystal structures, and physical properties of novel organic conductors and dielectrics with static and dynamic hydrogen-bonded networks
報告番号 121045
報告番号 甲21045
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4845号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 森,初果
 東京大学 助教授 田島,裕之
 東京大学 助教授 錦織,紳一
 東京大学 教授 上田,寛
 東京大学 教授 小林,昭子
内容要旨 要旨を表示する

本来絶縁体である有機物が電荷移動によって伝導体となり得ることが発見され、その後、合成金属、有機超伝導と発展し、無機物とは異なる低次元性や有機物ならではの柔軟さという特異性により化学、物理の両方面より研究が進んでいる。分子が構成単位となる有機物では、分子に様々な官能基を導入することで、個性を生み出すことが可能であり、この分子を集合化して結晶にした時に、その分子の個性が機能性(物性)に生かされる物質の開発が広く行われている。たとえば、有機伝導物性を絶縁相から超伝導、金属相まで幅広く系統的に変化させることや、結晶内での分子間プロトン運動とπ電子系および、格子の変化がカップルしたスイッチング機能の開拓は重要な課題である。筆者は博士課程において、(1)結晶中に水素結合を導入して、その静電的相互作用を利用した有機伝導体の分子配列制御、さらに系統的な立体障害官能基の導入が電気伝導性に与える影響について調べた。また、(2)分子間に水素結合を持つ有機単結晶中でプロトン運動による誘電応答を観測し、その出現機構を解明した。4章からなる本論文の各章の内容を以下に要約する。

序論

無機物では、絶縁体や半導体、金属性など様々な伝導性を示す物質が18世紀に発見された。一方、本来絶縁体である有機物が電荷移動によって伝導体となり得ることが発見されたが、その歴史は非常に浅い。有機伝導体は、伝導性ポリマーと、分子性伝導体の大きく2つに分類される。分子性伝導体は良質の単結晶が多く得られたことから、様々な物性測定に適しており、主に基礎的な研究を中心に進められ、伝導体となり得ることが発見された後、合成金属、有機超伝導と発展した。無機物とは異なる低次元性や有機物ならではの柔軟さという特異性により化学、物理の両方面より研究が進んできた、分子性伝導体におけるドナー分子開発の歴史の概略を述べた。

誘電応答には、自発分極の発生機構によって、「変位型強誘電体」と「秩序・無秩序型強誘電体」に分類される。有機物で前者は多く発見されているが、後者の例は少ない。これまで開発された秩序・無秩序型水素結合系誘電体を紹介し、その結晶内での誘電性発現の機構について述べた。

静電的相互作用を利用した新規有機伝導体の分子配列及び伝導性の制御

分子性伝導体において、その分子配列は伝導性を決定する上で大変重要な要素であることが知られている。しかし多くの有機伝導体において、弱い分子間相互作用であるファンデルワールス力により分子配列は決定されているために、安定相が複数ある。そのため、結晶作製時に特定の分子配列だけ得ることは一般的に困難である。そこで、本研究では、ドナー分子間に比較的強い分子間相互作用を与えることで積極的に分子配列を制御することを試みた。具体的にはドナー分子間に水素結合的なC-H…O相互作用を付与させるために、エチレンジオキシ基と、5員環から8員環までのシクロアルキレン基(CnH2n-2;n=5-8)及びフェニレン基を含む一連の新規ドナー分子CnDT-EDO-TTF(Cn:n=5-8)とBzDT-EDO-TTF(Bz)(図1)を合成した。

Cn(n=5-8)及びBzドナー分子とPF6-の電荷移動錯体を作製することが出来たので、結晶構造と伝導性の比較検討を行った。結晶構造はすべての錯体で、分子平面に対して0度、30度、60度方向に積層するβ”型と呼ばれる分子配列をとることが分った(図2)。これは分子間に2次元的なC-H…O相互作用による水素結合ネットワークを構築しているため、シクロアルキレン基及びフェニレン基と導入した官能基が異なるにもかかわらず、類似のβ”型分子配列をとる。さらに、官能基のシクロアルキレン基及びフェニレン基の体積が大きくなるにつれて、60度方向の分子間距離はC5<C6<C7<Bz<C8の順に系統的に広がることが分かった。そこで、一連の錯体の伝導性を測定したところ、面間距離の違いにもかかわらず、全て低温まで金属性が見られた(図3)。その中でC8、C5、C7錯体は63K、33K、15Kにそれぞれ抵抗極小をもち、C6錯体は4.6Kまで金属的挙動を示し、Bz錯体は室温と6Kの抵抗比が55と最も大きい抵抗減少を示すことが分かった。この違いを明らかにするために、X線結晶構造解析による室温での導入した官能基の温度因子の大きさを調べたところ、C8>C5>C7,C6>Bz錯体の順で小さくなることを見出した。このように立体配座の自由度が小さくなると、抵抗減少も大きくなるなど、伝導挙動に大きな影響を与えることが明らかとなった

誘電応答を示す二成分分子結晶におけるプロトン運動機構の解明

水素結合の静電的な相互作用の利用に留まらず、結晶中での動的な分子間プロトン運動に伴う新しい電子状態の創出を目指して研究を行った。研究対象として選択したクロラニル酸-ジアジニウム系はこれまでに、分子間において(O-H…N)⇔(O…H-N)のような、プロトン運動がNMR及びNQRを用いた測定で示唆されている。本研究では、これら単結晶の誘電応答を測定したところ、1,2-ジアジニウム錯体においてのみ特異な挙動を示すことを明らかにし、その結晶構造、赤外吸収スペクトルの温度依存性を測定することにより、プロトン運動による誘電応答出現の機構を解明した。

単結晶作製はH型セルを使用した拡散法をメタール溶液で行い、クロラニル酸-1,2-ジアジニウム(1:2)の黒色ブロック状結晶を得た。この錯体は、錯体内にr(-O…H-N-)=1.36+1.23=2.59Åと短い水素結合を有し、また錯体間でも弱い水素結合ネットワークを構築している。水素体の誘電率測定を1kHz-1MHzの周波数帯で2K-380Kの範囲で行ったところ、116Kにピークに持つ誘電応答を示した(図5)。この挙動が、プロトン運動によるものかを調べるために重水素置換した錯体を用いて誘電率測定を行ったところ、このピークがほぼ消失したため、この挙動は結晶中でのプロトン運動を示唆している。

また、300Kで結晶構造を調べたところ、空間群はP21/aの単斜晶系であり、温度低下と共に、20Kまで単調に格子定数が減少した。20Kでも同型の結晶構造をとることから、この誘電応答は構造転移によるものではないと考えられる。

この特異な誘電応答をより詳細に検討するために、単結晶の赤外吸収スペクトルの温度依存性を調べた。単体のクロラニル酸結晶で見られる3200cm-1付近のO-H伸縮振動による吸収が室温では確認されず(図6(i))、160Kより低温で増大する。さらに、1200cm-1付近のO-Hの変角振動に起因する吸収も温度低下に伴い増大する(図6(ii))。また2300-2500cm-1の領域には室温でN-H結合に拠る幅広い吸収帯が観測されるが、温度低下に伴いこのブロードなピークが消失していく(図6(iii))。これらのことから、室温で分子間に観測された(-O…H-N-)の水素結合が、温度低下に伴い(-O-H…N-)結合へ変化したことを示唆している。この分子間での結合状態の変化の途上、つまり(-O…H…N-)の時に誘電応答が観測されると考えられる。このように(-O…H…N-)と非対称なポテンシャルをもつ二成分においてもプロトン運動により誘電応答を示すことを初めて明らかにすることができた。

まとめ

有機結晶中において、水素結合の静電的相互作用およびプロトン運動を利用し、機能性を発現させる研究を行った。まず結晶中に水素結合ネットワークを構築する有機伝導体を開発して、これまで困難であった分子配列制御に成功し、導入する官能基を変化させることにより、伝導性に与えうる効果を調べた。また、プロトン運動による特異な誘電応答を見出し、その錯体の結晶構造および赤外吸収スペクトルを測定し、分子間でのプロトン運動による誘電応答発現の機構を解明した。この二成分系分子間プロトン運動による誘電応答の発現は、今後の物質設計に重要な指針となるものである。

図1 CnDT-EDO-TTF(n=5-8)及びBzDT-EDO-TTFの分子構造

図2 (i)CnDT-EDO-TTF(n=5-8)及び(ii)BzDT-EDO-TTF錯体のβ”型分子配列。

図3 RDT-EDO-TTF(R=C5,C6,C7,C8,Bz)錯体の電気比抵抗率の温度依存性

図4 クロラニル酸-1,2-ジアジニウム錯体中のプロトン運動モード

図5 クロラニル酸-1,2-ジアジニウム錯体の誘電率(1MHz)

図6 クロラニル酸-1,2-ジアジニウム錯体の赤外吸収スペクトル(a)300K,(b)200K,(c)130K,(d)115K,(e)90K,(f)70K,(g)30K

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなる。第1章は序論で、前半では有機伝導体、後半では有機誘電体について、これまでの研究の発展が解説されている。特に前半では、分子配列と、物性を決定する電子構造には大きな相関があり、分子配列を分子間水素結合で制御すること、及び、制御された分子配列の中で、分子の立体障害を系統的に変えることによって電子状態を変化させ、物性との相関を調べるという本研究の目的が述べられている。また後半では、2成分系分子性結晶において、動的なプロトン運動による誘電応答を探索し、非対称ポテンシャルにおける誘電応答発現の機構を明らかにするという目的が記述されている。

第2章は、前半の水素結合系有機伝導体について述べられている。分子配列を分子間水素結合であるCH…O相互作用で制御するため、エチレンジオキシ基と、5員環から8員環までのシクロアルキレン基及びフェニレン基を含む一連の新規ドナー分子CnDT-EDO-TTF (Cn:n = 5-8)とBzDT-EDO-TTF(Bz)を合成したことが述べられている。各ドナーのPF6錯体を作製し、結晶構造解析を行ったところ、シクロアルキレン基及びフェニレン基と、導入した立体障害が異なるにもかかわらず、分子間に2次元的なCH…O相互作用による水素結合ネットワークを構築しているため、すべての塩でβ"型と呼ばれる分子配列をもつことが述べられている。さらに、立体障害の体積が大きくなるにつれて、60度方向の分子間距離はC5<C6<C7<Bz<C8錯体の順で系統的に広がるが、二量化の程度は異なり、分子平面にほぼ平行に伸びて、分子からの立ち上がりの小さいC5錯体において最大であることが述べられている。一連の錯体の伝導性を測定したところ、面間距離、二量化の違いにもかかわらず、全て低温まで金属性が見られ、その中でC8<C5<C7,C6<Bz錯体の順で室温からの抵抗減少が大きいことが述べられている。X線結晶構造解析によると、立体障害官能基の温度因子の大きさはC8>C5>C7,C6>Bz 錯体の順で小さくなり、立体配座の自由度と伝導挙動に大きな相関があることが述べられている。

第3章は、水素結合の静電的な相互作用の利用に留まらず、結晶中での動的な分子間プロトン運動に伴う新しい電子状態の創出を目指した研究について述べられている。本論文で、クロラニル酸-1,2-ジアジニウム錯体において特異的な誘電挙動を示すことを明らかにし、その結晶構造、赤外吸収スペクトルの温度依存性を測定することにより、プロトン運動による誘電応答出現の機構を明らかにしたことがまとめられている。単結晶作製は、拡散法で行い、クロラニル酸-1,2-ジアジニウム(1:2)の黒色ブロック状結晶を得、この錯体は、錯体内に短い水素結合を有し、また錯体間でも弱い水素結合ネットワークを構築していることが述べられている。水素体の誘電率測定を1 kHz-1 MHzの周波数帯で行ったところ、116 Kにピークを持つ誘電応答を示し、重水素置換錯体でこのピークはほぼ消失したため、誘電挙動はプロトン運動を示唆していると述べられている。また、低温構造解析により、この誘電応答は構造転移によるものではないと述べられている。この特異的な誘電応答をより詳細に検討するために、単結晶の赤外吸収スペクトルの温度依存性を調べたたところ、室温で分子間に観測された(-O…H-N-)の水素結合が、温度低下に伴い(-O-H…N-)結合へ変化したことを示唆し、この分子間での結合状態の変化の途上、つまり(-O…H…N-)の時に誘電応答が観測されると考えられ、このように(-O…H…N-)と非対称なポテンシャルをもつ二成分においてもプロトン運動により誘電応答を示すことを初めて明らかにすることができたと報告している。第4章にはまとめが述べられている。

以上、論文提出者は、本論文前半で、初めて立体障害を系統的に導入した新規水素結合系分子を合成し、この立体障害が結晶の構造、および伝導性に与える効果について調べ、その制御因子を明らかにした。後半では、結晶中、2成分分子間で動的なプロトン運動をもつ系について、誘電応答を観測し、従来の"分子変移型誘電応答"および"プロトン無秩序―秩序型誘電応答"と異なる、新しい"酸・塩基平衡移動型誘電応答"を見出した。非対称ポテンシャルをもつ水素結合系で誘電応答を見出した意義は大きく、今後の物質開発の大きな指針となりえる。

なお、本論文第2章は,木村伸也,市川俊、山下和樹,須藤幸,西尾豊,梶田晃示、前島倫子,森山広思、森初果との共同研究であるが,論文提出者が主体となって合成、分析、測定、及び検証を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める。

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