学位論文要旨



No 121046
著者(漢字) 谷池,俊明
著者(英字)
著者(カナ) タニイケ,トシアキ
標題(和) 触媒モデル表面における活性構造と反応機構の第一原理計算による解明
標題(洋) First-principle theoretical calculations for active structures and reaction mechanisms on model catalyst surfaces
報告番号 121046
報告番号 甲21046
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4846号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 浜口,宏夫
 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 斉木,幸一郎
内容要旨 要旨を表示する

背景

実工業プロセスの根幹を成す不均一系触媒の活性点構造及び触媒反応機構の原子・分子レベルでの解明は、触媒化学における最重要課題である。しかし、大半の実触媒は複数種の反応活性点を有し、結果として生じる複雑さがこの課題の解決を困難にしてきた。そのため、原子・分子レベルで調製され、均一な活性点構造を有するモデル触媒上での反応機構の研究が様々な手法により成されてきた。特に、実験と第一原理計算を組み合わせたアプローチは、近年の計算資源の飛躍的増加により著しくその重要性を増している。本研究の目的は、モデル触媒の活性点構造から反応機構までを網羅する包括的な密度汎関数計算を行い、触媒活性を制御する電子的・構造的要因を解明することである。

Co2+-dimer/γ-Al2O3モデル触媒における新規NO-CO反応機構の解明

一般的に、全ての表面反応は吸着エネルギーを駆動力とするLangmuir-Hinshelwood機構か、衝突エネルギーを駆動力とするEley-Rideal機構に従うと言われている。当研究室は、Co2+-ensemble/γ-Al2O3触媒において、表面上に観測されないCOとNOを共存させることによって従来型とは全く異なる機構の新規現象が発言することを見出した。具体的には、表面に存在しないはずのspectator COによって、NOの平衡吸着量が2-3倍も増加し、N2O+CO2が含浸Co2+/γ-Al2O3触媒の50倍もの活性で生成する。興味深いことに、これらの新規現象はCo2+-ensemble/γ-Al2O3触媒と同様なCoの電子状態・局所構造を持つCo2+ monomer/γ-Al2O3触媒では観測されない。本章の目的は、密度汎関数計算によって、Co2+-dimer/γ-Al2O3モデル触媒の構造を提案し、新規現象発現の要因、及び、実験的に捕捉不可能なCOが関与するNO-CO反応機構の詳細を解明することである。

全ての計算はGGA PBEを用いた密度汎関数法によって行った。γ-Al2O3バルク・表面構造の計算では、基底関数として平面波及びウルトラソフト擬ポテンシャルを用い、プログラムにはSTATEを使用した。一方、Co2+の固定化, NOの吸着, NO-CO反応の計算は、基底関数としてDNP及びECPを用い、DMOL3により実行した。また、Co2+を含む全ての計算では、スピン分極を考慮した。γ-Al2O3表面は1 nm以上の真空層を取ったスラブによって再現し、3 x 4 x 1のk点を取った。遷移状態の構造はLST/CG/QSTにより決定した。

一般的にγ-Al2O3バルクはdefect spinel構造を取ると言われるが、その詳細は未だに議論中である。最大の焦点は、1/9サイトの割合で含まれるカチオン空孔がTd, Ohサイトのどちらを占め、どのような相互配列を取るのか、ということである。これらを決定するため、私は計6層(ABCDEF)から構成され、カチオン空孔を2つ含むAl16O24ユニットセル(Fig. 1(a))を用意した。2つの空孔を18個のカチオンサイトに割り振ってエネルギーを比較した所、Oh空孔はTd空孔よりも1.1 eV安定であり、空孔同士は反発することがわかった。最安定構造(Fig. 1(b))では、2つの空孔が互いに最も離れたOhサイトを占有している。次に、最安定表面である(110)表面の構造を決定するため、バルクを異なる位置で切ることで得られる6個の表面構造のエネルギーを比較した。結果を簡単に述べると、表面の安定性は最表面の化学組成によって決まり、両論のAl2O3に近い組成を持つ層(A, B, F)を露出した構造が安定であった。

得られた(110)表面にCo2+ dimerをI)表面水酸基との交換反応, II)表面Al3+とCo2++H+の交換, III)Co2+ dimer, Al3+, O2-, H+から成る分子層の清浄表面への添加、という3通りの方法で固定化した。その結果、数十個ものモデルが得られたが、これらは定性的に3種類に分類でき、その内の1種類のみが全ての実験結果を満たすことがわかった。Fig. 2はそのモデルのtop viewである。2つのCo2+は共にtrigonalに歪んだTd対称性を持ち、3つのOと結合している。最も重要なCo間距離は0.316 nmと、EXAFSの結果(0.33 nm)を精度良く再現した。得られたCo2+-dimer/γ-Al2O3モデル触媒と、Co2++H+の1単位をAl3+に戻したCo2+ monomer触媒を比較した所、実験からも示されているように、両者のCo2+の電子状態, 局所構造はほぼ一致した。Co2+ dimer触媒の特徴は個々のCo2+というよりは、むしろ、2つのCo2+の相対関係にあり、より具体的には、0.316 nmという距離にあるCo2+の非占有d軌道が互いに向かい合っていることがわかった。この配向によって、隣り合うCo2+に同時に吸着した分子間に相互作用が生じ得る。このCo2+ dimer触媒に特有な吸着子間相互作用こそが現象発現の鍵であると考えられる。

次に、経験的にはdinitrosyl種と同定される2 NOの吸着状態を明らかにするため、Co2+-dimeモデル触媒上において2 NOの吸着シミュレーションを行った所、gem-dinitrosyl種I(Fig. 3(a)), gem-dinitrosyl種II, cis-(NO)2 dimer種(Fig. 3(b))という、同じような振動数を与える3つの吸着構造が得られた。特に、gem-dinitrosyl種IIは、1つのCo-O結合が切断されることによって安定化しており、他の2つ吸着構造との間に活性障壁を持つことからも、COによって生成される安定な種に対応すると考えられる。また、COとの反応性が最も高い種は、dimer構造に特有な吸着子間相互作用を利用したcis-(NO)2 dimer種であり、気相COの接近に伴って隣り合うNO間で2π*-2π*結合を作ることで安定化し、容易にN2Oを生成することがわかった。

P修飾Mo(112)-p(2x1)表面上におけるチオフェンの水素化脱硫反応機構の解明

Moと14-16族典型元素との化合物は炭化水素の選択酸化や水素化脱硫に高い活性を持つ。そのため、超高真空下でMo(110)やMo(100)をO,C,Sなどで修飾した、修飾Mo表面上における反応機構の研究が多くなされてきた。しかしながら、これらの原子レベルで平らな表面上では、修飾原子は単に反応物の吸着阻害因子としてのみ働き、選択性と反応性の両立は困難であった。特に、S修飾Mo表面は水素化脱硫反応の実触媒であるMoS2系触媒のモデル表面として注目されてきたが、最重要なチオフェンの脱硫に成功した例はなかった。当研究室は、ridge-and-trough構造を持つMo(112)をPで修飾した、P修飾p(2x1)表面がチオフェンのブタジエンへの水素化脱硫反応に高い活性を持つことを初めて発見した。本章の目的は、密度汎関数計算によってP修飾Mo(112)-p(2x1)表面の構造を決定し、P修飾子がチオフェンの吸着構造に与える影響、及び、水素化脱硫反応機構を解明することである。

全ての計算はDMOL3によって行い、交換相関項にはPBEを、基底関数にはDNP及びECPを用いた。Mo(112)表面は7層のスラブによって表し、1.5-2.0 nmの真空層を取った。清浄表面のp(1x1)ユニットに対して8 x 4 x 1のk点を使用し、長周期表面に対しても同様のk点を採用した。 P修飾Mo(112)-p(2x1)の構造を決定するため、一般的に考えられている様にP吸着が大規模な表面再構成を伴わないと仮定し、エネルギー・吸着振動数の実験値との比較により、吸着サイトを決定した。最安定なサイトはquasi-fourfoldサイトで、谷に位置したPが4つのMoと結合している(Fig. 4 (right))。

次に、清浄表面, P修飾表面上におけるチオフェンの吸着構造を調査した。清浄表面上において、チオフェンは環を構成する全ての原子がMoに結合したη5,S-μ5吸着構造を圧倒的に好んだ(Fig. 5(a))。この吸着構造では、C-C, C-Sを含む全ての結合が一様に活性化されるため、実験で観測されるような非選択的な分解を起こすことがわかった。一方、P修飾Mo(112)-p(2x1)表面では、Pの立体障害によってη5,S-μ5吸着構造が抑制され、代わりにFig. 5(b)に示されるような、S-C結合のみがMoからのback-donationを通して選択的に活性化された吸着状態が最安定になった。これはPの適度な立体障害効果による選択率の上昇を意味する。

最後に、P修飾Mo(112)-(2x1)表面におけるチオフェンの水素化脱硫機構に関する計算を行った。チオフェンの反応活性種は、SがMoのontopに結合したS-bound種である。P-HはMo-Hに比べてS-C結合の水素化能力が非常に高く、P-Hによる最初の水素化によってチオフェンは1,3-cis-butadiene-thiolateに至り、続く水素化によってブタジエンへと至るパスが最も有利であった。このようにPはHの活性化の役割も果たすことがわかった。

結論

私は、密度汎関数計算に基づき、モデル触媒表面の活性点構造を詳細に決定し、その上での反応物の吸着状態や原子レベルでの反応機構を求めることに成功した。さらに、モデル触媒表面が示す高い反応性の電子的・構造的要因を示した。

Fig. 1. (a) Schematic view of the unit cell of γ-Al2O3 and (b) the most stable bulk structure. The dashed circles indicate the cation defects. Black: O, dark gray: Td Al, gray: Oh Al.

Fig. 2. Top view of the Co2+-dimer/γ-Al2O3 model catalyst. The arrows indicate the orientation of the unoccupied d orbitals of the Co2+ ions. Black: O, gray: Oh Al, light gray: Co, white: H.

Fig. 3. Adsorption structure of (a) Gem-dinitrosyl species I and (b) cis-(NO)2 dimer species. Black: O, gray: Al, light gray: Co, white: N.

Fig. 4. Perspective view of (left) the clean Mo(112) and (right) the P-modified Mo(112)-p(2x1) surfaces. Gray: Mo, Black: P.

Fig. 5. Perspective view of (a) the η5, S-μ5-bound species on the clean Mo(112) surface and (b) S-μ2-bound species on the P-modified p(2x1) surface. Gray: Mo, Black: P, light gray: S, dark gray: C, white: H.

審査要旨 要旨を表示する

工業プロセスの根幹を成す不均一系触媒の活性点構造及び触媒反応機構の原子・分子レベルでの解明は触媒化学における最重要課題である。しかし、触媒の多くは不均質で複雑な表面構造と電子状態を持つためこの課題の解決を困難にしてきた。本論文は、モデル触媒の活性点構造から反応機構までを網羅する包括的な密度汎関数計算を行い、触媒活性を制御する電子的・構造的要因を明らかにしたものである。

第1章では、本研究の目的と意義について述べている。

第2章と第3章では、Co2+-ensemble/γ-Al2O3触媒において、表面上に観測されないCOがNOの表面吸着量を2-3倍も増加し、吸着NOの反応性を50倍も促進させるという新規現象を第一原理計算により解明したことを述べている。第2章では、密度汎関数計算によって、Co2+-dimer/γ-Al2O3モデル触媒の構造を提案している。γ-Al2O3バルクは欠陥スピネル構造を取ると言われるが、カチオン空孔がTd,Ohサイトのどちらを占め、どのような相互配列を取るのかは不明であった。本論文提出者は、Oh空孔はTd空孔よりも1.1 cV安定であり、空孔同士は反発することを示し、2つの空孔が互いに最も離れたOhサイトを占有する最安定構造を提出した。さらに、表面の安定性が最表面の化学組成によって決まり、量論のAl2O3に近い組成を持つ表面(110)構造が最も安定であることを示した。得られた(110)表面に固定化されたCo2+ dimer構造モデルを解析し、極めて多くの検討結果から、1種類のみが全ての実験結果を満たすことを見いだし、 2つのCo2+が共にtrigonalに歪んだTd対称性を持ち、3つのOと結合している固定化構造を結論した。

第3章では、吸着NO種の構造とCOの効果の原理について論じている。経験的にはdinilrosyI種と同定される2個のNOの吸着状態を明らかにするため、 Co2+-dimeモデル触媒上において2NOの吸着シミュレーションを行い、gem-dinitrosyl種I、gem-dinitrosyl種II、cis-(NO)2 dimer種という、同じような振動数を与える3つの吸着構造を得た。この中で、gem-dinitrosyl種IIは、1つのCo-O結合が切断されることによって安定化しており、他の2つ吸着構造との間に活性障壁を持つことから、COによって生成される安定な吸着構造に対応すると提案している。また、0.316nmという距離にあるCo2+の非占有d軌道が互いに向かい合っていること、そしてこの配向によって隣り合うCo2+に同時に吸着した分子間に相互作用が生じ得ることを見いだした。この吸着子間相互作用こそが新現象発現の鍵であることを明らかにした。次に、COとの反応性が最も高い種は、吸着子間相互作用を持つcis-(NO)2 dimer種であり、気相COの接近に伴って隣り合うNO間で2π*-2π*結合を作ることで安定化し、容易にN20を生成することを見いだした。

第4章と第5章では、チオフェンのブタジエンへの水素化脱硫反応に高い活性を持つ新規P修飾Mo(112)-p(2xl)表面の構造とチオフェンの水素化脱硫反応機構に関する第一原理計算を行っている。第4章では、密度汎関数計算によってP修飾Mo(112)-p(2xl)表面の構造を決定した。P修飾Mo(112)-p(2xl)の構造を決定するため、一般的に考えられている様にP吸着が大規模な表面再構成を伴わないと仮定し、エネルギー・吸着振動数の実験値との比較により。吸着サイトを決定した。最安定なサイトはquasi-fourfoldサイトで、谷に位置したPが4つのMoと結合している。

第5章では、清浄表面、P修飾表面上におけるチオフェンの吸着構造を決定した。清浄表面上において、チオフェンは環を構成する全ての原子がMoに結合したn5,S-μ5吸着構造を圧倒的に好む。この吸着構造では、c-c、c-sを含む全ての結合が一様に活性化されるため非選択的な分解を起こす。一方、P修飾Mo(112)-p(2xl)表面では、Pの立体障害によってn5,S-μ5吸着構造が抑制され、代わりにSを基点に表面垂直に立つことによりS-C結合のみがMoからのback-donationを通して選択的に活性化されること示した。さらに、P修飾Mo(112)-(2x1)表面におけるチオフェンの水素化脱硫機構に関する計算を行っている。チオフェンの反応活性種は、SがMoのontopに結合したS-bound種であり、P-HはMo-Hに比べてS-C結合の水素化能力が非常に高く、P-Hによる最初の水素化によってチオフェンは1,3-cis-butadicnc-thiolatcに至り、続く水素化によってブタジエンへと至る新反応機構を提唱した。

第6章では、本研究で得られた結果をまとめ議論を総括している。

以上、本論文では、密度汎関数計算に基づき、モデル触媒表面の活性点構造を詳細に決定し、その上での反応物の吸着状態や原子レベルでの反応機構を求めることに成功した。さらに、モデル触媒表面が示す高い反応性の電子的・構造的要因を示した。これらの成果は物理化学、特に触媒化学に貢献するところ大である。また、本論文の研究は、本論文提出者が主体となって考え実験を行い解析したもので、本論文提出者の寄与は極めて大きいと判断する。

従って、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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