学位論文要旨



No 121048
著者(漢字) 中川,義清
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,ノリキヨ
標題(和) 新規なジチオラト架橋異種金属クラスター錯体の合成、構造と性質
標題(洋) Synthesis, Structures, and Properties of Novel Dithiolato Bridged Heterometal Cluster Complexes
報告番号 121048
報告番号 甲21048
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4848号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 長谷川,哲也
 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 助教授 田中,健太郎
内容要旨 要旨を表示する

硫黄を含んだ異種金属クラスター錯体は生体酵素のモデル化合物や触媒として注目されている。また、メタラジチオレン錯体は金属1原子と硫黄2原子から構成される複素五員環化合物であり、その擬芳香族性に由来する特異な反応性を有することが知られている。当研究室においてはこの特異な反応性を利用することにより、環状構造の異種金属クラスター錯体(η5-C5Me5)Rh(SSC6H4)Co2(CO)5 (1)及び(η5-C5Me5)Ir(SSC6H4)Co2(CO)5 (2)が合成されている。

筆者は博士課程において、8族メタラジチオレンクラスター錯体(η6-p-Me2CHC6H4Me)Ru(SSC6H4)Co2(CO)5 (3)及び(η6-C6Me6)Ru(SSC6H4)Co2(CO)5 (4)を合成し、その構造、電気化学的及び分光学的性質、及び反応性について検討を行った。また、その過程においてある種のメタラジチオレンクラスター錯体を、まったく構成元素の異なるメタラジチオレンクラスター錯体より合成する新規なクラスター合成反応を見出した。

本博士論文の第2章においては3及び4の合成、構造及び各種物性について述べた。8族のメタラジチオレン錯体としては(η6-C6R6)Ru(SSC6H4)を用いた。(η6-C6R6)Ru(SSC6H4)は金属周りの電子数が16であり、これまでに当研究室で合成されたメタラジチオレン錯体の原料である9族メタラジチオレン錯体(η5-C5Me5)M(SSC6H4)(5:M=Rh,6:M=Ir)と等電子的であるため、類似の反応性を有することが予想されるためである。しかし、η5-C5Me5がアニオン性の配位子であるのに対してη6-C6R6は中性の配位子であるため、置換基の差異に由来する物性や反応性の差異が観測されると期待される。

1当量の単核メタラジチオレン錯体(p-Me2CHC6H4Me)Ru(SSC6H4) (7)及び(C6Me6)Ru(SSC6H4) (8)に対してCo2(CO)8とトリメチルアミンN-オキシドを作用させたところ、3が18%、4が49%の収率でそれぞれ得られた(Scheme1)。

3及び4の構造は単結晶X線構造解析によって決定した(Figure1)。Ru-Co(2.61-2.62Å)及びCo-Co(2.45-2.47Å)の原子間距離はそれぞれ十分に短く直接金属結合が存在することを支持する結果となった。Ru-Co間はジチオラト配位子のSにより、Co-Co間はカルボニル基によりそれぞれ架橋されており、3及び4は9族メタラジチオレンクラスター錯体1及び2と類似構造をとっていた。また、メタラジチオレン環の二面角より、1-4のメタラジチオレン環はSがCoに配位した後もその擬芳香族性を保っていることが明らかになった。通常、メタラジチオレン環のSが他の金属に配位すると、Sの軌道がsp2よりsp3に変化するためにその擬芳香族性が失われることが知られている。例えば、直線型のメタラジチオレンクラスター錯体は金属結合が生成するとメタラジチオレン環の平面性とそれに由来する擬芳香族性を失うことがわかっている。以上より、1-4は特異な結合様式を有していることが示唆された。そこで、金属結合に関するより詳細な知見を得るために4について構造解析より得られたデータを基にZINDO計算を行った。計算の結果、CoからRuへの電子供与とSからCoへの電子供与が存在することが明らかになった。さらに、CoとRu、CoとSの原子間距離はそれぞれ2.30Å、2.25Åと十分に短いのに対して、CoとCの距離(3.27Å)は直接結合が存在するとみなすには長い距離であった。以上の考察より、メタラジチオレン環がCo0に対してη3配位していることがあきらかになった(Chart1)。これまでに平面性を保ったメタラジチオレン環のSMSによるη3配位は報告例がなく、1-4は新規な配位形式を有するといえる。

4のIRスペクトルを測定したところ、カルボニル基に由来する1700-2100cm-1における特異吸収が、1及び2よりも低波数側に観測された。これは、4におけるRu上の置換基η6-C6Me6が、Rh(1)及びIr(2)における置換基η5-C5Me5よりもより電子供与性が高いため、4の方がカルボニル基へのπ-backdonationの割合が増加し、結果としてカルボニル基の三重結合性が弱まったためであると考えられる。

1-4のサイクリックボルタモグラムにおいては-1.1 V vs ferrocenium/ferrocene付近に可逆な一電子還元波が観測され、1-4の電位差は0.1V以内であった。これに対して、クラスター錯体の原料である、単核のメタラジチオレン錯体5-8においては一電子還元電位は金属の種類によって大きな差が見られ、その差は最大で0.4Vにもなった(Table1)。したがって、メタラジチオレンクラスター錯体においてはジチオレン中の金属の差異は還元電位にほとんど差異を及ぼさないことがあきらかになった。また、2および4に対してDFT計算をおこなったところ、電子は主にCo上に局在化していた。これら二つの事実より、1-4の一電子還元反応はCo上において進行していると考えられる。

第3章においてはメタラジチオレンクラスター錯体1-4と単核のメタラジチオレン錯体5-8の反応性について検討を行った(Table2)。4と5を1,4-dioxane中加熱還流という条件において反応させたところ、新規なメタラジチオレンクラスター錯体(η5-C5Me5)Rh(SSC6H4)Ru2(CO)4(SSC6H4) (9)が得られた(entry 1)。同様の反応を5の代わりに6を用いて行ったところ、新規なクラスター錯体(η5-C5Me5)Ir(SSC6H4)Ru2(CO)4(SSC6H4) (10)が主生成物として、(η6-C6Me6)Ru(SSC6H4)Ru2(CO)4(SSC6H4) (11)が副生成物として得られた(entry 2)。また、3と5の反応で9が、3と6の反応で10が、entry 1及びentry 2よりもやや低収率で得られた(entry 3,4)。さらに、1は8と反応して9を与えた(entry 5)。entry 1-5の反応においては金属骨格の大規模な再構築が進行しており、新規なクラスター錯体合成反応であるとみなすことができる。これに対して、1と6の反応、2と5の反応においてはいずれも1と2の1:1混合物が得られ、メタラジチオレン部位の交換反応が進行していることがわかった(entry 6およびentry 7)。

これらの反応性の差異を生み出す原因は反応過程における中間体の差異によるものと考えられる。前者の金属骨格再構築反応ではRu2(CO)4(SSC6H4)という中間体が生成していると考えられる。この中間体Ru2(CO)4(SSC6H4)はクラスター錯体を形成した場合に、Co2(CO)5よりもより熱力学的に安定な錯体を形成すると考えられる。すなわち、生成するクラスター錯体はRu2(CO)4(SSC6H4)が生成する反応条件か否かで決定されると考えられる。他の活性種Rh2(CO)5やIr2(CO)5が観測されないのは、置換基の脱離能の差によるものと考えられ、Ru上の中性配位子η6-C6R6の方が、Rh,Ir上のアニオン性配位子η5-C5Me5よりもより脱離しやすいためであるといえる。

第4章においては第3章において得られた新規なクラスター錯体9-11の構造および物性についての議論を行った。9-11の構造は単結晶X線構造解析により決定した。9-11は類似構造をとっていたため、9のORTEP図のみFigure2に示す。9-11の金属骨格は三角形構造で、1-4と同様であった。各金属間はジチオラト配位子のSによって架橋されていた。1-4の金属骨格周りの電子数は48であり、3本の金属結合がすべて単結合であることを示す結果であるのに対し、9-11においては金属骨格周りの電子数は50であり、1-4よりも2電子多いことが明らかになった。この電子余剰状態を反映するように、9のRu-Ru結合(2.76Å)は通常の金属単結合とみなせる長さであるのに対し、Rh-Ruの結合距離(3.02Å)は単結合とみなすには長い値であった。10および11においても同様で、1本の金属単結合と2本の長い金属結合が存在することが明らかになった。9-11の金属結合様式を明らかにするために9及び11に対して、構造解析の結果を基にZINDO計算を行った。計算の結果、9のHOMOは3つの金属の結合性軌道で、Ru-Ruのdπ結合性軌道とRhのd軌道により生成していてRu2種よりRhへの配位が存在することがわかった(Chart2)。同様の結果が11においても得られた。すなわち、9-11は1本の金属単結合と、1本の配位結合により4電子で3つの金属を結合させている、3中心4電子結合であることが明らかになった。

9-11のUV-vis-NIRスペクトルを測定したところ、900nm付近に吸収ピークは観測されなかった。この結果は1-4においてその領域に、主としてHOMOよりLUMOへのMMMMCT遷移に帰属される吸収ピークが観測されたこととは対照的な結果といえる。この結果より、50電子3核クラスター錯体9-11のHOMOとLUMOのエネルギー差は48電子3核クラスター1-4よりも大きいということができ、9-11の金属結合が1-4よりも弱いことを支持する結果となった。また、9-11のサイクリックボルタモグラムを測定したところ、-1.79VvsFc+/Fcに不可逆な還元波が観測された。一方、1-4においては前述のように可逆な還元波を示しており、対照的な結果となった。これらの結果は電子が9-11の金属の反結合性軌道であるLUMOに入ることにより、金属骨格が崩壊することを示すと考えられる。

以上、筆者は博士課程において8族メタラジチオレンクラスター錯体を合成し、その構造をX線解析により明らかにした。また、構造解析の結果とZINDO計算を併用することでこれらのクラスター錯体においてはCo2に対してメタラジチオレンがη3配位するという新規な配位形式をとっていることがわかった。各種のメタラジチオレンクラスター錯体とその原料である単核のメタラジチオレン錯体との反応により金属骨格の大規模な再構築反応を経て、新規な電子過剰環状クラスター錯体が生成することが確認された。これらの電子過剰クラスター錯体は単結合とみなすには長い金属結合を有していた。構造解析とZINDO計算の併用により、これらの電子過剰クラスター錯体はメタラジチオレン環のM(M=Rh,Ir,Ru)に対してRu2種が電子を供与しており、クラスター錯体の金属結合が3中心4電子結合であることを示す結果となった。本博士論文において解明された新規な金属結合様式及びクラスター錯体合成反応は、クラスター化学の分野を大きく進展させると期待される。

Scheme1. Syntheses of 3 and 4.

Figure1. ORTEP drawings of 3 and 4(50%probability).

Table 1. Formal potentials(V vs ferrocenium/ferrocene) for reduction of cluster complexes and mononuclear metalladithiolene complexes

Table 2. Reactions of cluster complex 1-4 with mononuclear complex 5-8.

Figure 2. ORTEP drawings of 9(50% probability).

参考文献
審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章と付録からなり、第1章は研究の背景と目的、第2章は新規な8族メタラジチオレンクラスター錯体の合成、第3章はメタラジチオレンクラスター錯体と単核のメタラジチオレン錯体の反応性、第4章は第3章において得られた新規なクラスター錯体の構造および物性、第5章は研究成果のまとめと展望について述べられている。以下に各章の概要を記す。

第1章では研究の背景として、硫黄を含んだ異種金属クラスター錯体は生体酵素のモデル化合物や触媒として注目されていること、メタラジチオレン錯体は金属1原子と硫黄2原子から構成される複素五員環化合物であり、その擬芳香族性に由来する特異な反応性を有することが知られていること、ならびにこれまでの所属研究室環状構造の異種金属クラスター錯体 (h5-C5Me5)Rh(SSC6H4)Co2(CO)5 (1) 及び (h5-C5Me5)Ir(SSC6H4)Co2(CO)5 (2) の合成について言及し、本博士課程において、8族メタラジチオレン錯体にもとづくラスター錯体の合成と反応性、物性の解明を目的とした研究を行ったことを述べた。

第2章においては(h6-p-Me2CHC6H4Me)Ru(SSC6H4)Co2(CO)5 (3) 及び(h6-C6Me6)Ru(SSC6H4)Co2(CO)5 (4)の合成、構造及び各種物性について述べた。1当量の単核メタラジチオレン錯体 (p-Me2CHC6H4Me)Ru(SSC6H4) (7) 及び(C6Me6)Ru(SSC6H4) (8) に対してCo2(CO)8とトリメチルアミンN-オキシドを作用させたところ、3が18%、4が49%の収率でそれぞれ得られた。3及び4の構造は単結晶X線構造解析によって決定した。特に、メタラジチオレン環の二面角より、1-4のメタラジチオレン環はSがCoに配位した後もその擬芳香族性を保っていることが明らかになった。そこで、4について構造解析より得られたデータを基にZINDO計算を行った結果、メタラジチオレン環のS-Ru-SがCo0に対してh3配位していることが明らかになり、1-4は新規な配位形式を有するといえる。IRスペクトル、UV-VIS-NIRスペクトル、レドックス特性についても明らかにした。

第3章においてはメタラジチオレンクラスター錯体1-4 と単核のメタラジチオレン錯体の反応性について検討を行った結果を述べた。適切な合成条件を用いると、新規なメタラジチオレンクラスター錯体 (h5-C5Me5)Rh(SSC6H4)Ru2(CO)4(SSC6H4) (9) 、(h5-C5Me5)Ir(SSC6H4)Ru2(CO)4(SSC6H4) (10)、 (h6-C6Me6)Ru(SSC6H4)Ru2(CO)4(SSC6H4) (11)が得られた。これらの反応では金属骨格の大規模な再構築が進行しており、新規なクラスター錯体合成反応であるとみなすことができる。反応メカニズムについて考察した。

第4章においては第3章において得られた新規なクラスター錯体9-11の構造および物性についての議論を行った。9-11の構造は単結晶X線構造解析により決定した。9-11の金属骨格は三角形構造で、各金属間はジチオラト配位子のSによって架橋されていた。9のRu-Ru結合(2.76 A)は通常の金属単結合とみなせる長さであるのに対し、Rh-Ruの結合距離(3.02 A)は単結合とみなすには長い値であった。9及び11に対して、構造解析の結果を基にZINDO計算を行った結果、9のHOMOは3つの金属の結合性軌道で、Ru-Ruのd□ 結合性軌道とRhのd軌道により生成していてRu2種よりRhへの配位が存在することがわかった。すなわち、9-11は金属骨格周りの電子数は50の電子余剰状態であり、1本の金属単結合と、1本の配位結合により4電子で3つの金属を結合させている、3中心4電子結合であることが明らかになった。UV-vis-NIRスペクトルを、レドックス特性についても議論した。

第5章では、以上の結果を総括し、今後の研究展望を述べている。またAppendixとして、構造解析結果を記している。

以上、本論文は、8族メタラジチオレンクラスター錯体の合成し、X線構造解析、分子軌道計算を新規な配位形式を解明した。本博士論文において解明された新規な金属結合様式及びクラスター錯体合成反応は、クラスター化学の分野を大きく進展させると期待される。なお、本論文第2章は西原 寛、山田鉄兵、村田昌樹、杉本 学との共同研究、3章、4章は西原 寛、村田昌樹、杉本 学との共同研究であり、一部は既に学術雑誌として出版されたものであるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク