学位論文要旨



No 121053
著者(漢字) 吉田,麻子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,アサコ
標題(和) 高配位ケイ素の特性を活用した新規な分子カプセルの創製
標題(洋) Development of Novel Molecular Capsules by Utilizing the Characteristics of Highly Coordinate Silicon
報告番号 121053
報告番号 甲21053
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4853号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
内容要旨 要旨を表示する

カルセランドに代表される共有結合によって組み上げられたカプセル型分子の研究の発展に続き、近年では、金属−配位子間の相互作用等の非共有結合を活用したカプセル型分子が注目を集めている。一方、5配位ケイ素化合物の超原子価結合は活性化された共有結合であり、他の試剤や触媒を加えることなく加熱するだけで結合の組み替えを可逆的に行える場合がある。また、5配位ケイ素は一般に三方両錐構造を有し、アピカル結合とエクアトリアル結合との結合角は約90 度に規定されており、結合の方向性が明確である(Figure 1)。当研究室では、これらの性質が自己集合錯体の構築に多く用いられている遷移金属への配位結合に類似している点を利用し、5配位ケイ素を接合部として活用したスクエア型分子やプリズム型分子の合成に成功している。本研究では、分子レベルでの容器として様々な応用が可能なカプセル型大環状化合物に着目し、熱力学支配により効率よく合成でき、かつ通常の条件下では速度論的に安定な分子カプセルの構築ついて検討した。

高配位ジヒドロシランユニットとbowl型アルコールとの反応による分子カプセル合成の試み

複数のヒドロキシ基を外縁部に持つbowl型分子と高配位ジヒドロシランとを反応させれば、加熱条件下では5配位ケイ素上での可逆的な結合の組み替えにより、熱力学的に最安定な分子カプセルが生成すると期待される。まず、ホモオキサカリックス[3]アレーン骨格をもつトリオール1とジヒドロシラン2をCDCl3中で加熱したところ、1と2が1:3で結合した化合物3が生成した(Scheme 1)。さらに1を作用させると高分子量成分の混合物が生成し、カプセル型分子4は得られなかった。用いたトリオール1の柔軟な構造がカプセルの合成を妨げていると考え、次に、高度に事前組織化された剛直な骨格をもつテトロール5を用いて同様の反応を行ったところ、やはり5と2が1:4で結合した化合物6が得られた。6と5の反応は非常に遅く、長時間加熱を継続する間にアルコキシシラン部の分解が起こり、カプセル型分子7を得るには至らなかった(Scheme 1)。

これらの結果を踏まえ、反応点を減少させた剛直なジオール8をアルコールとして用いたカプセル合成について検討した。8と2モル当量の2との反応により、ビス(モノヒドロシラン)9を単離収率85%で合成した(Scheme 2)。ヘキサンからの再結晶により得られた単結晶についてX線結晶構造解析を行ったところ、Figure 2に示すように、鎖状のヘキサン分子が9のキャビティに取り込まれたシャトルコック状のパッキング構造を形成していることが明らかとなった。深いキャビティをもつキャビタンドは注目を集めているが、包接錯体がこのようなカラムを形成した例はまれであり、今回の例は鎖状ゲストの包接場として興味深い。次に分子カプセル10を得るために、9とジオール8との反応をtoluene-d8中100℃で行ったが全く進行しなかった(Scheme 2)。9のケイ素上の水素は、三方両錐構造のエクアトリアル位を占めていることがX線結晶構造解析により確認されている。この配座が非常に安定であり、水素がアピカル位を占める配座をとりにくいために、ヒドロシラン部のジオール8に対する反応性が低下したものと考えられる。

キャビタンドジオールとビス(モノヒドロシラン)ユニットを用いたカプセル型分子の合成

以上のように、高配位ジヒドロシランを用いた場合、2段階目の反応が進行しにくいことがわかった。そこで、ジオール8と、予めケイ素上の水素がアピカル位に位置するビス(モノヒドロシラン)11または12との反応を検討した。まず、8とビフェニレンスペーサーをもつ11を1:1のモル比で混合してCDCl3中75℃で加熱し、1H NMRにより反応を追跡した。反応は徐々に進行し、3日後には単純なスペクトルを与える生成物にほぼ収束した。これをゲルろ過液体クロマトグラフィー(GPC)で分離すると、8と11が1:1で結合したかご型分子13が88%という良好な単離収率で得られた(Scheme 3)。13の構造はX線結晶構造解析により決定した(Figure 3)。

続いて、フェニレンスペーサーをもつ12を用いカプセル型分子の合成を検討した。2分子ずつの8と12から構成されるカプセル型分子14は、分子力場計算からC60と安定な錯体を形成することが予測されており(Figure 4)、実際にC60と錯形成すれば、速度論的に安定なフラーレン内包分子カプセルが得られると期待される。まず、8と12をCDCl3中75℃で加熱したところ、反応の進行は非常に遅いながら、30日以上加熱して反応混合物をGPCにより分離すると、目的の14に加えて、3分子ずつの8と12が環化した15が得られた(Scheme 4)。また、15より高分子量側では、8と12が直鎖状に連結したと考えられる多量体成分および、15よりも大きな環化体と考えられる成分が得られた。環化体14および15の生成機構は、反応の初期段階において生成した直鎖状多量体成分の末端ヒドロキシ基が高配位ケイ素を攻撃し、ケイ素上でのアルコキシ交換を経て生成する、すなわちバックバイティング機構であると考えられる(Figure 5)。そこで、GPCにより分取した高分子量成分を他の試剤を加えずにCDCl3中で加熱したところ、予想通り14と15の生成が確認された。この結果から、高分子量成分は速度論的な生成物であり、加熱するのみで環化体へと変換されることが明らかとなった。次にGPCで単離した14または15をそれぞれ100℃で加熱したところ、いずれの場合も、ほぼ同じ比率で14と15を含む混合物を与えた(Scheme 5)。これは、100℃において、この系が熱力学支配となりこの平衡へ収束したものと考えられる。

続いて、C60共存下、75℃で反応を行った。その結果、C60非存在下では30日以上を要した状況に達するまでに、7日を要するのみであった。そこで、反応温度を100℃にし、反応初期における生成物について調べた。反応を10時間後に停止して、反応混合物をGPCにより分析すると、C60を添加しない場合においては、GPCの排除限界を超えるような高分子量の成分が主生成物であり、14および15の生成はわずかであったのに対し、C60共存下では14および15の生成比が顕著に増大していた(Scheme 6)。これらの結果は、14、15のような環化体の生成において、C60が速度論的なテンプレートとして有効に働いていることを示唆している。

また、C60共存下で反応を行った場合、構造決定には至っていないが包接錯体の生成がUV-Visおよび13CNMRスペクトルにより示唆された。

Figure 1. Hypervalent bond of pentacoordinate silicon.

Figure 2. Crystal packing of 9・hexane.

Figure 3. Crystal structure of molecular cage 13(The hexyl groups are omitted for clarity.

Figure 4. Lowest energy structure of 14-C60 obtained by conformational search(MM3*).

Figure 5. Possible mechanism for formation of capsule 14.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第1章は序論、第2章はbowl型アルコールと5配位ケイ素部位をもつジヒドロシランを用いたカプセル型分子の合成の試み、第3章は5配位ケイ素部位をもつシランユニットを用いた深いキャビタンドの合成と構造、第4章はbowl型ジオールと5配位ケイ素部位をもつビス(モノヒドロシラン)を用いたカプセル型分子の合成について述べている。

第1章では、これまでに研究されてきた様々なカプセル型分子を、共有結合、超分子相互作用、動的共有結合など、それらの構築のために利用している結合や相互作用の種類によって分類し、それらが持つ特長と問題点について述べている。さらに、5配位ケイ素を含むケイ素化合物の構造、およびアルコールに対する反応性について説明している。そして、この5配位ケイ素の超原子価結合の特性を活用することで、これまでに報告されているものの特長を併せ持った新規なカプセル型分子を創製するという研究目的を述べている。

第2章では、柔軟なホモオキサカリックス[3]アレーン骨格をもつトリオール15、または剛直なキャビタンド骨格をもつテトロール17と、5配位ケイ素部位をもつジヒドロシラン13との反応によるカプセル型分子の合成を試みている。いずれの場合も、目的のカプセル型分子は得られていないが、その後の研究で用いるbowl型アルコールの骨格を選択する際の有用な指針を与えている。

第3章では、bowl型ジオール34と、5配位ケイ素部位をもつジヒドロシラン13との反応による深いキャビタンド30の合成、およびその構造について述べている。キャビタンド30のモノヒドロシラン部位は5配位状態をとっており、ケイ素上の水素は三方両錐構造のエクアトリアル位を占めていることを明らかにし、このことがもう一分子のジオール34との反応性を低下させた原因であると結論している。また、結晶状態では、キャビタンド30が再結晶溶媒として用いたヘキサンを一分子取り込み、シャトルコック状のカラムを形成していることを明らかにしている。つながったチャネルではなく、閉じたキャビティが有機分子をゲストとして取り込んでカラム構造を形成した例は少なく、興味深い。

第4章では、かご型分子42の合成、およびカプセル型分子43、44の合成について述べている。かご型分子42は、bowl型ジオール34と、ビフェニレンをスペーサーとするビス(モノヒドロシラン) 39を加熱するのみで定量的に生成すること、またそのキャビティがナノスケールを有することを明らかにしている。一方、新規なカプセル型分子43、44は、ジオール34とフェニレンをスペーサーとするビス(モノヒドロシラン) 40を加熱することでそれぞれ約30%、25%の収率で単離されている。そしてその生成機構が、34と40が鎖状に連結した多量体成分が閉環分解するバックバイティング機構であることを、単離した多量体成分から43と44が得られるという実験結果から推定している。また、単離した43と44をそれぞれ単独で加熱すると、いずれの場合も43と44をほぼ同じ割合で含む混合物を与えるという結果から、これらが熱力学支配下で生成することを示している。続いて、C60を添加して同反応を行い、C60のテンプレート効果について検討している。C60を添加すると、添加しない場合に比べ、環化体が生成する反応が顕著に促進されること、しかし添加・無添加に関わらず43と44の最終的な収率には違いが見られないことから、C60は環化体の生成において速度論的なテンプレートとして働いていると解釈している。また、C60を添加した反応により得た43のUV-visスペクトルを測定し、添加しない反応で得た43には観測できない長波長領域の吸収を観測している。さらに、粗生成物の13C NMRスペクトルを測定し、フリーのC60では観測されない幅広のピークを観測している。これらは、現在のところ構造については明らかにされていないものの、カプセル型分子とC60が錯形成をしていることを示唆する結果であると考えている。

なお、本論文は川島隆幸・後藤敬との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク