学位論文要旨



No 121055
著者(漢字) 渡邊,裕美子
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ユミコ
標題(和) U-Th 放射非平衡年代測定法の開発とメタン湧出域と断層破砕帯の炭酸塩鉱物への応用
標題(洋) Development of U-Th Radioactive Disequilibrium Analyses for Carbonate Minerals and its Applications to Methane Seeps and Fault Fracture Zones
報告番号 121055
報告番号 甲21055
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4855号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中井,俊一
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 蒲生,俊敬
 東京大学 教授 松本,良
 東京大学 助教授 鍵,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 炭酸塩のウラン放射非平衡年代は、古気候、水文、そして人類の進化のような多岐にわたる研究分野において時間軸に制約を与えることができる。酸化的環境でウランは水に溶け易く、トリウムは溶けにくいので、そこから沈殿する炭酸塩は数ppm程度のウランを含み、トリウムはほとんど含まれない。そこで、238U壊変系列中の234Uから壊変して出来る230Thの増加量は年代に換算することができる。炭酸塩が沈殿した時に230Thが零であるという前提で、数年から約50万年までの年代測定が可能である。本研究では、年代測定のために必要な分析手法を開発し、開発した手法を断層破砕帯とメタン湧出域の炭酸塩に応用した。

[ウラン‐トリウム同位体希釈分析法の開発]

炭酸塩をウラン放射非平衡年代測定するのに先立って、高感度マルチコレクター型ICP質量分析計(MC-ICP-MS)により炭酸塩試料をウラン-トリウム同位体希釈分析する手法を確立した。

MC-ICP-MSによる分析の流れは以下のようである。まず、炭酸塩試料をHNO3-HCl-HF-HClO4-H3BO3により完全に酸分解させた後、試料溶液を三つに分け、その中の二つに同位体希釈分析を行うためのウランとトリウムのスパイクをそれぞれ添加した。

用いたスパイク溶液は独自に作成したものである。通常、スパイクとして用いられるものは人工的に作成された229Thや236U、天然存在度の小さい235Uを濃縮したものであるが、それらの試薬は核燃料物質などであり、日本では特別な許可を得る必要があるため取り扱いが難しい。そのため本研究ではウランは235Uの存在度が小さい市販の劣化ウランを、トリウムは市販の硝酸トリウムを用いて作成した。スパイクの同位体比はMC-ICP-MSを用いて測定し、濃度は濃度既知の標準溶液によりスパイク濃度を決める同位体希釈分析を行い決定した。

スパイクを加えた試料と加えていない試料について、鉄共沈により主要元素のカルシウムを除去し、陰イオン交換樹脂と抽出クロマトグラフィー用U/TEVA樹脂を用いてそれぞれトリウムとウランを分離精製した。分離効率はウラン、トリウム共に80%以上で、化学ブランクはそれぞれ14pg以下、11pg以下であった。分離試料は2%硝酸溶液としてIsoProbe(GV instruments)で同位体比分析した。得られたデータは質量差別効果と、検出器間の違いによるズレを含んでいるため、標準試薬との比較測定を行い、補正計算を行った。

ウラン-トリウムの同位体分析と同位体希釈分析の再現性を評価するために、日本地質調査所から配布されている石灰岩の標準岩石JLs-1を5回繰り返し分析した。ウランの濃度と同位体比の再現性は0。1%以下であった。しかしながら、トリウムの濃度と同位体の再現性はそれぞれ4%、8%で、精度の良い分析が出来なかった。質量差別効果と、検出器間の感度補正に用いたトリウム標準溶液と試料溶液とのトリウム同位体比が3桁のオーダーで異なるため、質量分析計内にメモリーが残り易いことが原因として考えられた。メモリー効果やその軽減策を考慮するため、トリウム試薬をトリウム標準補正とウラン標準補正の2手法で分析することを試みた。その結果、トリウム標準溶液の代わりにウラン標準を用いることで、トリウム同位体比の分析の精度を向上させることができた(図1)。また、研究初期にトリウムの化学ブランクは170pgであったが、これは鉄共沈の際に添加する鉄溶液に由来していた。そこで、鉄溶液をトリウム濃度の低い試薬に切り替え、ブランクを低減化させた。そして、分析精度におけるブランクの寄与を詳細にするため、JLs-1と同等のトリウム同位体をもつ試薬を作成し、化学処理前後での同位体比を測定した。使用したトリウム量を少なくすると230Th/232Th比は下がり、ブランクの寄与が明らかになった。ブランク補正すると化学処理前の値と一致し、その精度はブランクの寄与率と同程度であることが確認できた。改良した手法でJLs-1中のトリウム(4ng程度)を再度分析すると、トリウムの濃度と同位体比にしてそれぞれ0.4%、0.5%の精度で測定することができた。

次に、表面電離型質量分析計(TIMS)で年代測定されている珊瑚試料を分析した。得られた115.7±7.9と111±18千年の年代はTIMSによるデータと調和的である(図2)ことから、本研究の分析法の信頼性が確認できた。

開発した手法は、市販されている標準試薬をスパイクとして用いても正確な分析が可能であり、ウラン放射非平衡分析の汎用性を広げた点で特に重要である。

[断層破砕帯の炭酸塩鉱物脈への応用]

断層内部流体は周囲の物質の物理的・化学的特性を変化させるので、断層活動を考える上で、断層内部流体の特性(起源や移動様式)を評価することは大変重要である。これまで、流体の特性について断層内物質の構造や化学組成から多くの研究がなされているが、時間軸に関する情報に乏しかった。そこで、本研究では、断層内部流体の痕跡である方解石脈をウラン放射非平衡分析することにより、流体のタイムスケールに制約を与えることを試みた。

試料として、野島断層を貫く掘削コアにより採取された炭酸塩鉱物脈を用いた。まず、炭酸塩脈を完全に酸分解させてウラン放射非平衡分析すると、不純物のトリウムの影響が大きく、年代は得られなかった。次に、不純物の影響を低減化させるため、試料を900℃で灰化後、弱酸でリーチングさせた。溶解液と残渣、両方のウラン放射非平衡分析を行った結果、試料溶解時にウラン-トリウムが異なる挙動を取ると言う問題点が明らかになった。これらの問題は不純物を含む炭酸塩の年代測定をする上で重要な知見となる。

[メタン湧出域の炭酸塩への応用]

メタンは温室効果ガスとして地球規模の環境変動に影響を与えるので、メタン湧出の活動履歴を知ることは大変重要である。メタン湧出域には炭酸塩がよく観察されるが、これらは硫酸還元菌を媒介にしたメタンの酸化によって形成される。炭酸塩は地質学的なタイムスケールで安定に保存されるため、メタン湧出活動を解明する指標として炭酸塩は有用であると考えられる。しかしながら、メタン湧出域の炭酸塩をウラン放射非平衡年代測定した研究はあまりない。それは、メタン湧出域の炭酸塩には珪酸塩や有機物などの不純物が混入して沈殿時に230Thを含有するので、年代としての解釈が難しいからである。本研究では、日本海・直江津沖のメタン湧出域を例に、炭酸塩と堆積物のウラン放射非平衡分析を行い、堆積物のトリウム同位体比から沈殿時に混入した230Th量を見積もって年代補正することで、湧出域の炭酸塩の形成時期に制約を与えることを試みた。

日本海東縁に位置する直江津沖堆積盆には小さな舌状の海嶺があり、その頂部には多数のポックマークや泥火山が存在している。付近には、強いメタンの湧出が確認されている。また、地球物理学的観測からメタンハイドレート層の存在が示唆され、ピストンコアによって回収されたハイドレートのメタンの炭素同位体組成から熱分解起源メタンの存在が示唆されている。そこで、この地域のメタン湧出やハイドレートは深部の熱分解起源ガス貯留層と繋がっている可能性が高い。

試料として、ピストンコアやグラブ採泥器によって回収された炭酸塩ノジュールと堆積物を用いた。炭酸塩試料は図3中のPC05, PC15, G3地点、堆積物試料はPC04, PC05, PC11地点で採取された。炭酸塩試料はカルサイト・アラゴナイトの微細粒結晶であり、不純物との物理的分離が困難であったため、バルクとして分析した。

その結果、図4のような放射非平衡が確認できた。1つの炭酸塩ノジュールを3つのブロックに分けて分析するとアイソクロンが引け、2万6千年の年代が得られた。このアイソクロンは堆積物の値を通るので、炭酸塩ノジュール中には堆積物と同様の組成の不純物が混入していることがわかる。さらに、アイソクロンが引けることは、炭酸塩が形成してからウラン-トリウムに関して閉鎖系であったことを意味している。堆積物の(230Th/232Th)実測値と炭酸塩試料のトリウム濃度から炭酸塩沈殿時の230Thを補正して、補正年代を得た。補正年代は1万2千年〜3万5千年に分布し、特に2万年の年代に集中した。

ウラン放射非平衡の補正年代と同じ試料の14C年代を比較すると、14C年代はより古い年代を示す。これは湧出したメタンのデッドカーボン(放射性炭素14Cを含まない炭素)が寄与したものと考えられ、ウラン放射非平衡年代を真の年代だとすると、デッドカーボンの寄与は0〜90%である。メタン湧出域の炭酸塩はデッドカーボンの影響が無視できないので、炭酸塩の形成時期を知るためにはウラン放射非平衡年代がより適切である。また、年代の集中する2万年前にデッドカーボンの寄与が最大であることから、メタン湧出流量と炭酸塩の量は比例していることが示唆される。

得られた年代が本研究地域の炭酸塩を代表するもので、炭酸塩の量がメタン湧出流量に比例するものと仮定できるとすると、2万年前に活発なメタン湧出が日本海・直江津沖で起こったと言える。2万年という年代は最終氷期の海水準の最も低い時期に当たるので、水圧低下に伴うメタンの上昇あるいはメタンハイドレートの分解が起こった可能性がある。

今後、炭酸塩のウラン放射非平衡年代を安定同位体のデータと合わせることにより、メタン湧出活動のメカニズムとその環境への影響が詳細になることが期待される。

図1 トリウム試薬の同位体比。

(a)トリウム標準補正値。(b)ウラン標準補正値。

図2 珊瑚試料の(234U/238U)-(230Th/238U)図。

(縦方向の傾きの大きな線はアイソクロン、横方向の緩やかな線は(234U/238U)の成長線を表す。)

図3 炭酸塩試料の採取地点。

図4 ウラン放射非平衡図。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる.第1章は,ウラン−トリウム放射非平衡年代測定の原理を述べている.この方法がサンゴなどに適応される場合,鉱物形成時にトリウムを取り込んでいないことを仮定しているが,本論文で取り扱った,断層破砕帯の炭酸塩鉱物やメタン湧出域の炭酸塩鉱物の場合,この仮定が成り立たない.第1章の後半では,形成時にトリウムを含む鉱物の年代測定の問題点とその解決法について議論されている.

第2章は,ICP質量分析計による,ウラン−トリウム放射非平衡年代測定のための分析法の開発について述べられている.ウラン,トリウムの濃度分析には通常,229Th,236Uなどの同位体を用いた,同位体希釈分析が用いられている.国内では,これらのアイソトープの購入や保管には厳しい法的規制が適用される.本研究では入手しやすい,U,Th試薬を用いた同位体希釈分析法を開発し,その精度,確度を検証している.精度,確度を向上させるために,トリウム同位体比測定法を検討したこと,トリウムブランクの低減や補正法を開発したことが述べられている.石灰岩の標準岩石の繰り返し測定により分析精度を検討し,ウラン濃度や同位体比測定で0.1%,Th同位体比と濃度でそれぞれ1%,0.4%の繰り返し再現性を達成したことが述べられている.本論文で開発した方法を,合衆国地質調査所のサンゴ試料に適用し,表面電離型質量分析計を用いた分析で得られた年代と等しい結果を得た.また,わが国の地質調査所が発行したサンゴ標準試料にも適用して結果を報告している.

第3章は,第2章で開発した分析法を,野島断層の断層破砕帯の炭酸塩鉱物に適用している.まず,炭酸塩鉱物の分析の結果,鉱物はトリウムを多量に含み234Uの壊変による230Thの変化の検出が困難なため年代測定が困難であった.トリウムは不純物として含まれるケイ酸塩鉱物に濃集していると予想されるため,炭酸塩鉱物を選択的に溶解する方法を試みた.しかし,化学分解のさいに溶解したトリウムが溶け残り鉱物に吸着していることを示す結果が得られ,この方法が使えないこと明らかにした.また,炭酸塩鉱物にはウランの溶脱が認められ,放射壊変に関与する同位体が閉鎖系に保たれていない問題が明らかになった.以上の問題のため,本論文で分析した炭酸塩鉱物からは年代測定が困難であるが,分析した鉱物が同じウラントリウム組成を持つ地下水から沈殿した場合,試料が放射平衡に近くなっていることから,沈殿年代は三十万年より以前と考えられる.

第4章は,第2章で開発した分析法を,直江津沖のメタン湧出域の炭酸塩鉱物に適用している.同地域には海水へのメタン湧出が確認されているほか,メタンハイドレート層の存在を示唆するBSR面(Bottom Simulating Reflector)の存在が報告され,堆積物の下部にメタンハイドレート層が存在していると考えられている.この地域の炭酸塩ノジュールは湧出したメタンが海底付近で炭酸イオンに酸化されて沈殿したものと考えられている.したがって,その年代はメタンハイドレートが分解した出来事を記録していると予想される.分析の結果,この地域の炭酸塩ノジュールも沈殿時に無視できないトリウムを含んでいたことが明らかになった.本論文では沈殿時のトリウムの影響を補正するために,ひとつのノジュールをいくつかの部分に分けアイソクロンを引く方法と,ノジュール周囲のケイ酸塩堆積物を分析し,そのトリウム同位体比を用いて補正を行う方法を比較した.アイソクロンが堆積物の分析点を通ることから,炭酸塩ノジュールは周囲のケイ酸塩堆積物を不純物として含むと考察している.この結果から,ノジュール周囲のケイ酸塩堆積物をノジュール沈殿時のトリウムの補正に用いることにより年代測定が可能なことを示した.本論文では炭酸塩の沈殿年代として,3万5千年前から1万2千年前の年代を得た.2万2千年頃に沈殿がもっとも盛んだったことが明らかになった.この年代は氷河期により日本海の海水準が低下した時期に一致することから,海水準の低下による圧力低下でメタンハイドレート層が不安定化し,メタン湧出が激しくなり,炭酸塩鉱物の形成につながった可能性があると指摘している.日本海で炭酸塩鉱物の年代測定からメタン湧出の時期を明らかにしたのは本論文がはじめてであり,今後,本研究で開発した方法が古環境研究に適応できることを明らかにしたことは重要な成果である.

第5章は本論文全体のまとめである.

なお,本論文第2章は中井俊一との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行った.また,第4章は,中井俊一,松本良,蛭田明宏,吉田邦夫との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行った.両章とも,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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