学位論文要旨



No 121056
著者(漢字) 浅岡,洋一
著者(英字)
著者(カナ) アサオカ,ヨウイチ
標題(和) ゼブラフィッシュ松果体の光受容細胞に特異的な遺伝子発現機構
標題(洋) Molecular Mechanism of Pineal-specific Gene Expression in the Zebrafish
報告番号 121056
報告番号 甲21056
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4856号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 加藤,英明
 東京大学 助教授 飯野,雄一
 理化学研究所 独立主幹研究員 政井,一郎
内容要旨 要旨を表示する

松果体と網膜は共に間脳由来の光受容組織であり、両者の光受容細胞の間には、外節構造を持った細胞形態や、オプシンをはじめとする一群の発現遺伝子など、多くの類似点が認められる。にもかかわらず、松果体と網膜の生理機能は大きく異なり、前者は概日リズムの形成と内分泌機能に特化し、後者は主として視覚機能を司る。こうした「似て非なる」松果体と網膜の比較を通して両者それぞれに特異的な遺伝子発現機構を理解することは、脳組織の多様な機能分化の仕組みに迫る上で極めて重要であるとともに、両光受容組織の進化的な関係を推測する上で非常に興味深い。近年、光受容細胞に特異的なCrx(Cone rod homeobox)や、神経網膜に特異的なNrl(Neural retina leucine-zipper)など数々の転写因子が同定され、網膜における遺伝子発現機構の解析は急速に進みつつある[Furukawa et al.(1997) Cell, 91, 531; Swaroop et al.(1992)Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 89, 266]。その一方で、松果体の遺伝子発現メカニズムに関する知見は非常に乏しく、これまで「松果体と網膜の対比」という視点から両組織の遺伝子の転写調節機構を捉えることは困難であった。当研究室では1999年に、ゼブラフィッシュの松果体オプシンであるエクソロドプシン(exorh)を同定した[Mano et al.(1999) Mol. Brain Res., 73, 110]。exorh遺伝子とロドプシン(rh)遺伝子は、分子系統学的に非常に近縁でありながら、松果体と網膜にそれぞれ特異的に発現している。このため、exorh遺伝子の転写調節領域は、松果体特異的な遺伝子発現メカニズムの解析に適しているのみならず、rh遺伝子の網膜特異的な発現機構との比較解析が行える点において格好の研究対象と考えられた。そこで私は、exorh遺伝子のプロモーター領域を単離し、ゼブラフィッシュのトランスジェニック技術を利用した機能解析を試みた。

まず、ゼブラフィッシュのゲノムDNAからexorh遺伝子の上流配列1055-bpをクローニングした。単離した上流配列が組織特異的プロモーターとして機能するか否かを確かめるため、下流にレポーター遺伝子EGFPを連結した発現ベクターを構築し[図1A、Ex(-1055)]、これを用いて独立の複数のトランスジェニック系統を樹立した。蛍光顕微鏡下においてトランスジェニック個体を観察した結果、いずれの系統においても松果体特異的なEGFP発現を確認することができた(図1B、矢頭)。

次に、松果体特異的な発現に必要なプロモーター領域を絞り込むために、exorh遺伝子の上流配列を段階的に欠失させたコンストラクトを作製し、上記と同様にして多くのトランスジェニック個体の解析を行った。その結果、翻訳開始点から上流側147-bpの領域のみで松果体特異的な遺伝子発現を誘導できることを見出した。この147-bpの領域内にはrh遺伝子上流にも存在するCrx/Otx結合配列が3つ見出された。このことは、Crx(もしくはCrxと同じファミリーに属するOtx)が網膜と松果体に共通の遺伝子発現に必須な転写因子であることと良く符合する。一方、多くの動物種のrh遺伝子上流においてはNrl結合配列(NRE)が保存されているが、exorh遺伝子上流にはNREは見出せなかった。先行研究により、網膜のrh遺伝子はCrxとNrlによって協調的に転写活性化を受けることが示されている[Chen et al.(1997)Neuron, 19, 1017](図2)。この知見をもとに類推すると、松果体においてはCrx/Otxに加えて(機能的にNrlに対応するような)未知の転写活性化因子が存在し、Crx/Otxとの組み合わせによって松果体特異的な遺伝子発現が誘導されるのではないかと考えられた。私は、この仮説を検証するために、exorh遺伝子プロモーターのより詳細な解析を試みた。まず、exorh上流配列147-bpのうち、TATAボックスより上流の88-bpの領域に、それぞれ11-bpの欠失を持つ8種類のコンストラクトを作製した。これらをゼブラフィッシュ胚に遺伝子導入し、ふ化後の個体の一過的なEGFP発現を解析した結果、上述の3箇所のCrx/Otx結合配列に加え、既知の配列を含まない22-bpの領域の欠失によって松果体での発現が消失することを見出した。そこで次に、この22-bpの領域内を3-4塩基ずつ網羅的に置換した7種類のコンストラクトを作製し、上記と同様の解析を行った。その結果、最終的に、松果体における遺伝子発現に必要な領域を12-bpまで絞り込むことができた。私は、この12-bpの新規配列をPIPE(Pineal expression Promoting Element)と命名した。

これら一連の解析結果は、PIPEが松果体特異的な遺伝子発現を担う可能性を示唆する。しかし一方で、PIPEを介した転写活性化は組織特異的なものではなく、単に遺伝子発現の強度を上昇させているという可能性も否定できない。これらの可能性を検証するために、網膜特異的な遺伝子発現を誘導するrh遺伝子プロモーターにPIPEを導入する実験を行った。具体的には、rh遺伝子プロモーター内に存在するPIPE相同領域に対して4塩基の変異と1塩基の挿入を施して人工的にPIPE配列を導入し、これをEGFP遺伝子に連結した[図1A、Rh(-1084)/PIPE]。この発現ベクターを用いてトランスジェニック個体を作製した結果、本来、rh遺伝子が発現しない松果体において、異所的なEGFP発現が観察された(図1D、矢頭は松果体を示す。図1Cと比較)。この結果は、PIPEが松果体特異的な遺伝子発現を導くシスエレメントであることを強く支持する。さらに、rh遺伝子プロモーターの5'側にPIPEを付加したコンストラクトを用いた場合にも、上記と同様に松果体におけるEGFP発現が確認され、松果体における発現誘導がrhプロモーター配列の変化によるものではないことを示した。以上の結果から、私はPIPEが松果体特異的な遺伝子発現を担うシスエレメントであると結論した。

松果体の組織特異性を生み出す分子機構のさらなる理解には、PIPEに対して特異的に結合する転写因子の同定が不可欠である。そこで、酵母のワンハイブリッド解析系を用い、ゼブラフィッシュcDNAライブラリーからPIPE結合因子を探索した結果、再現性のある陽性シグナルを示す2つのクローン(以下、クローン名w89およびw141として記述)を得ることができた。両クローンのコード領域全長の塩基配列を決定したところ、w89とw141がコードするタンパク質のアミノ酸配列は核内レセプターファミリーに属するRev-erbとRorに、それぞれ最も高い一致度を示した。RT-PCR法(図3A)およびin situ hybridization法(図3B-G)によりw89とw141のmRNA発現パターンを解析した結果、両遺伝子は共に松果体において発現していることが確認された。

本研究では、進化的関連の深い松果体と網膜の光受容細胞の対比を通じ、松果体特異的な遺伝子発現を生み出すシスエレメントPIPEの同定に成功した。さらに、PIPEに結合し松果体特異性を規定すると考えられる候補因子の同定に至った。本研究の成果は、脊椎動物の光受容器官・組織の多様性を生み出す機構に迫る上で、重要な知見をもたらすものと考えられる。

【図1】exorh遺伝子のin vivoプロモーター解析

パネルA:作製した各コンストラタトの模式図。パネルB:exorh遺伝子上流1055-bpによる松果体特異的なGFPの党規誘導。蛍光顕微鏡を用いて受精7日後のトランスジェニック個体を背側から観察した。松果体(矢頭)においてGFPの発現が認められる。パネルC:rh遺伝子上流1084-bpによる網膜特異的なGFPの発現誘導。蛍光顕微鏡で受精7日後のトランスジェニック個体を背側やや左側から観察した。眼球のレンズを通して、網膜におけるGEPの発現が認められる(左目)。松果体においてはGFPの発現は全く認められない。パネルD:PIPEを導入したrh遺伝子(変異導入)プロモーターによる異所的なGFPの発現誘導。蛍光顕微鏡で受精7日後のトランスジェニック個体を背側やや左側から観察した。網膜でのGFP発現に加え、松果体(矢頭)においてGFPの発現が観察される。パネルE-G:それぞれパネルB-Dの微分干渉像。スケールバーは100 μm。

【図2】松果体および網膜に特異的な遺伝子発現のモデル

網膜の遺伝子発現には、光受容細胞に特異的な転写因子Crxと神経網膜に特異的な転写因子Nrlが関与する。CrxとNrlは直接的に結合し、rh遺伝子の転写を協調的に活性化する。この知見をあとに類推すると、松果体の光受容細胞ではCrx(もしくはOtx)とPIPE結合因子(図中のX)が協調的に働いて、松果体特異的な遺伝子発現が誘導されるのではないかと考えられる。

【図3】w89およびw141のmRNA発現パタ-ン

パネルA:RT-PCR解析。パネルB-G:in situ hybridization法によるw89の発現解析。受精6日後のゼブラフィッシュ胚に対し、w89 anti-sense鎖プロ-ブ(B,E)、w89 sense鎖プロ-ブ(C,F)、またはexorh anti-sense鎖プロ-ブ(D,G)を周いた。パネルB-Dは、胚の頭部を左側面から観察したもの。松果体を含む脳神経部位においてw89の発現が認められた。矢頭は松果体の位置を示す。パネルE-Gは、それぞれパネルB-Dの松果体を含む領域を拡大したもの。スケールバーは50μm。

審査要旨 要旨を表示する

松果体の光受容細胞は、外節構造を持った細胞形態やオプシンをはじめとする一群の発現遺伝子など、多くの点において網膜視細胞と類似性を示す。一方で、松果体と網膜の生理機能は大きく異なり、前者は概日リズムの形成や内分泌機能に特化し、後者は主として視覚機能を司る。松果体と網膜の類似性や、それぞれの特異性を規定する分子メカニズムの解明は、"いかにして脳の多種多様な神経細胞の運命が決定づけられるか"という脳神経科学の重要課題につながるとともに、両組織の進化的な関係を推測する上で非常に興味深い。こうした問題へのアプローチとして、両組織における遺伝子の発現調節機構を比較解析することは極めて有効である。近年、網膜での遺伝子発現の解析は急速な進展をみせている一方、松果体の遺伝子発現に関する知見は非常に乏しく、両組織の比較解析を行う上での大きな障壁となっている。そこで論文提出者は、ゼブラフィッシュにおいて松果体特異的な発現を示すエクソロドプシン(exorh)遺伝子に着目し、ゼブラフィッシュのトランスジェニック技術を利用したプロモーター解析を試みた。

まず、論文提出者はゼブラフィッシュのゲノムDNAから、exorh遺伝子の上流配列1055-bpをクローニングした。単離した上流配列が組織特異的プロモーターとして機能することを確かめるために、下流にレポーター遺伝子EGFPを連結した発現ベクターを構築し、これを用いて独立多数のトランスジェニック系統を樹立した。蛍光顕微鏡下においてトランスジェニック個体の観察を行い、いずれの系統においても松果体特異的なEGFP発現が誘導されていることを確認した。次に、松果体特異的な発現に必要なプロモーター領域を絞り込むために、exorh遺伝子の上流配列を段階的に欠失させたコンストラクトを作製し、上記と同様の解析を行った。その結果、翻訳開始点から上流側147-bpの領域のみでも松果体特異的な遺伝子発現を誘導できることを明らかにした。この147-bpのプロモーター領域に対し網羅的な欠失・変異実験を行った結果、既知の配列を含まない12-bpの領域が松果体における遺伝子発現に必要であることを見出した。論文提出者は、この12-bpの新規配列をPIPE(pineal expression promotiilg element)と命名した。さらに、PIPEに松果体特異的な遺伝子発現を誘導する能力があることを確認するために、網膜特異的に発現を誘導するrh遺伝子プロモーターにPIPEを導入する実験を行った。具体的には、rh遺伝子プロモーター内に存在するPIPEと相同性を示す領域に対して4塩基の変異と1塩基の挿入を行うことにより、人工的なPIPEを持つ発現ベクターを構築した。これを用いてトランスジェニック個体を作製した結果、本来、rh遺伝子が発現しない松果体において、異所的なEGFP発現が観察された。この結果は、PIPEが松果体特異的な活性を持ったシスエレメントであることを強く支持する。さらに、rh遺伝子プロモーターの5側にPIPEを付加したコンストラクトを用いて、同様に松果体におけるEGFP発現を確認し、松果体における発現誘導がrhプロモーター配列の変化によるものではないことを証明した。以上の結果から、論文提出者はPIPEが松果体特異的な遺伝子発現を担うシスエレメントであると結論付けた。

松果体特異的な遺伝子発現機構の理解をさらに深めるため、論文提出者はPIPEに対して特異的に結合する転写因子の単離を試みた。ゼブラフィッシュのcDNAから発現ライブラリーを構築し、PIPE配列をbaitとした酵母のワンハイブリッド法によってPIPE結合因子のスクリーニングを行った結果、再現性のある陽性シグナルを示す2つのクローン(w89およびw141)を得ることに成功した。両クローンのコード領域全長の塩基配列を決定したところ、w89とw141がコードするタンパク質のアミノ酸配列は核内レセプターファミリーに属するRev-erbとRORに、それぞれ最も高い一致度を示した。RT-PCR法およびin situ hybridization法によりw89とw141のmRNA発現パターンを解析した結果、両遺伝子は共に松果体において発現していることが確認された。

松果体特異的な発現を担うシスエレメントPIPE、およびPIPEに結合し松果体特異性を規定すると考えられる候補因子を同定した本論文の成果は、光受容組織の多様性形成メカニズムの全容解明に向けて重要な基盤を提供すると考えられる。

なお、本論文は真野弘明・小島大輔・深田吉孝との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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