学位論文要旨



No 121057
著者(漢字) 梅津,大輝
著者(英字)
著者(カナ) ウメツ,ダイキ
標題(和) ショウジョウバエの視覚系神経節の形成に必要な神経細胞の相互作用
標題(洋) Coordinated interaction between pre/post-synaptic neurons in the developing optic ganglion in Drosophila melanogaster
報告番号 121057
報告番号 甲21057
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4857号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 多羽田,哲也
内容要旨 要旨を表示する

序論

高度の情報処理を司る中枢神経系には膨大な数の神経細胞が存在し複雑で精緻な神経回路を形成している。そこで、脳の高次機能の解明には、脳の基本的構成要素である神経細胞の構造や機能、および多種多様な神経細胞間のシナプス連絡形成の解明が不可欠である。本研究はモデル生物として様々な特性を有するショウジョウバエをモデルとし、脳形成に関わるメカニズムについて細胞及び分子レベルで理解することをめざした。特に本研究でモデルとして用いたショウジョウバエlaminaは視神経が最初に投射する比較的単純な神経節であり、神経節を構成する細胞についての解剖学的な知見が比較的集積しているなどの特徴を有する。Lamina神経節の形成には視神経からのシグナルが必要なことが古くから知られていたが、Kunesらによって行われた一連の研究によってそれらの分子実体が視神経の軸索(R axon)から供与されるHedgehog(Hh)やSpitzなどの分泌性シグナル分子であることが明らかになった。Hhを受容し、分化を開始したlamina神経細胞は初期の分化マーカーであるDachshund(Dac)を発現することが知られている(図1A)。分化を始めたlamina神経細胞は新しく投射してきたR axonとともにlamina神経節に特徴的なカラム状の構造、すなわちlaminaカラムを形成する。Laminaカラムは個々の個眼に由来するR axonの束が5つのlamina神経細胞を一列に従えた構造を持つ(図1C左)。本研究ではこのlamina神経節の構成単位であるカラム構造の形成メカニズムとそれに関わる因子の同定を試みた。

Hhシグナルはlamina カラムの形成に必須である

Laminaカラムの形成メカニズムの解明をめざし、始めにHhシグナルの必要性を検討した。Hhシグナルの必須構成因子の一つであるsmoothened(smo)の変異を用いてクローン解析を行った。smoの変異をホモに持つ体細胞クローンを脳に特異的に誘導することによって、クローンで細胞自律的にDacの発現が消失することが確認された。smoのクローンの生じ方を詳細に観察するとコントロールとsmoで興味深い違いがあった。ここでlaminaをR axonの投射の最前列を境界として外側の領域と内側の領域とに分け、それぞれをpre-assembling domainとassembling domainと定義することにする(図1C)。コントロールのクローンはassembling domainに高頻度に生じるのに対し、smoのクローンはassembling domainには全く生じなかった。このことからlamina神経細胞がlaminaカラムに配置するためにはHhシグナルが必要であると考えられた。

Single-mindedはHh制御下にありlaminaカラム形成に必須である

Hhシグナルによって発現が誘導される何らかの因子がlamina神経細胞のlaminaカラムへの取り込みに機能しているものと考えられる。その因子を同定するために、エンハンサートラップ系統のスクリーニングを行い、single-minded(sim)遺伝子のエンハンサーがlamina神経細胞に特異的な発現を制御していることを見出した。抗Sim抗体によって発現パターンを調べたところ、Simはlamina神経細胞に特異的に発現していることが確かめられた。sim遺伝子はbasic-Helix-loop-helix-PAS(bHLH-PAS)型の転写因子をコードしており、別のbHLH-PAS転写因子のdARNT(Tgoとも呼ばれる)とヘテロダイマーを形成し、核内に移行することで転写因子として機能を発揮することが知られている。Lamina神経細胞におけるSimの発現はHhシグナルに依存的かどうかを調べるために、smoのクローンでSimの発現を調べた。その結果、クローンで細胞自律的にSimの発現が消失した。したがって、SimはR axonからのHhによって発現が制御されていることが示された。

SimがHhシグナルの標的としてlaminaカラム形成に機能しているとすれば、sim変異クローンはsmoのクローンと同様にassembling domainには生じないはずである。simのクローンを誘導してみると実際にassembling domainにはほとんどクローンが生じなかった。ただし、smoのクローンの生じ方とは違いがあった。それはsimのクローンはsmoのクローンよりも大きく、Dacを発現している点である。このことは細胞の増殖と神経分化への最初のステップには異常がないことを示している。したがってsimはlaminaカラムの形成に特異的に機能していると考えられる。

次にsimヘテロ変異体を用いてsimの働きを解析した。sim2/sim ry75変異体の幼虫の脳では、pre-assembling domainのlamina神経細胞が増加していた(図2A,C矢頭)。また、R axonは野生型の脳よりもずっと狭い領域に投射しており、assembling domainのlamina神経細胞の数は著しく減少していた(図2A,C矢印及び黄色で囲んだ円内)。sim変異体のDacポジティブなlamina神経細胞の全体数は野生型の脳のそれとほとんど違いがなかった。また、pre-assembling domainの細胞分裂のパターンを細胞分裂促進因子のE2Fに対する抗体の染色によって調べたところ、sim変異体を観察した時も、laminaにおける発現パターンは野生型のそれとほとんど違いはなかった。以上の結果から、sim変異体で見られたpre-assembling domainにおける細胞数の増加は有糸分裂完了後のlamina神経細胞が蓄積してしまった結果と考えられる。

Simの過剰発現はlaminaカラム形成の早発を招く

simをlamina神経細胞に過剰発現すると、pre-assembling domainのlamina神経細胞の数が減少した。これはlamina神経細胞が早発的にassembling domainすなわちlaminaカラムに取込まれていることに起因すると考えられる。このことを確かめるために、LacZエンハンサートラップ系統のtkv-lacZの発現を指標として細胞の軌跡を調べた。野生型の脳においては、tkv-lacZの発現はlaminaの前駆細胞で最も強く、lamina神経細胞が分化するにつれて発現が弱まる。この時、tkv-lacZを発現しているlamina神経細胞はpre-assembling domainにだけ見られ、assembling domain内のlamina神経細胞はtkv-lacZをほとんど発現していない。その一方で、simをlamina神経細胞で過剰に発現した脳ではpre-assembling domainが消失しており、tkv-lacZを発現するlamina神経細胞がassembling domain内に多数見られた。このことから、sim過剰発現細胞が早発的にlaminaカラムに取込まれていることが確認された。過剰にsimを発現するlamina神経細胞が早熟にR axonとの相互作用能を獲得したものと考えられる。以上のことから、simはlaminaカラム形成の最初のステップに必要であり、おそらくR axonとの相互作用に必要な遺伝子セットの発現を制御していることが推察できる。

結論

本研究ではショウジョウバエlaminaカラムの形成にHhシグナルが必須であることを示した。また、Hhシグナルによって発現が制御されるbHLH-PAS型の転写因子Simがlamina神経細胞のR axonとの相互作用に特異的に機能し、その相互作用はlaminaカラムを形成するのに必須であることを示した。同時に、lamina神経節において神経間の連結を確立するためには後シナプス神経の動的なふるまいが必要であることも示した。

図1:発生中のlaminaの構造

(A)3令幼虫期のショウジョウバエ脳。R axon(灰)の投射とDac(緑)の発現。A:前側、D:腹側、L:側方。

(B)視神経軸索(R axon)投射パターンの模式図。

(C)発生中のlaminaを腹側(左)と側方(右)から見た模式図。腹側から見た時にlamina神経細胞が5つ並んだlaminaカラム構造が認められる。分化し始めたlamina神経細胞(青)、成熟lamina神経細胞(ピンク)。

図2:sim変異体におけるlaminaカラム形成異常

(A,B)野生型のR axon(白)とlamina神経細胞(マゼンタ)を腹側から見た図。BはAの模式図。

(C,D)simヘテロ変異体のlamina。DはCの模式図。

図3.Laminaカラム形成のモデル図

R axonからHhを受容したlamina神経細胞がsimを発現し、laminaカラムに会合していく。

審査要旨 要旨を表示する

私たちは視覚情報に多くを依存して外界を認識している。目の網膜には視細胞が2次元的に配列しその一つ一つが対象の映像の一部の光を受像している。従ってその情報を受け取る脳では視細胞の2次元の配列を正確に読み取る必要がある。そのために視細胞の配列を反映するように視神経は脳に投射し、この用を満たしている。このように視神経の配列を脳への神経結合に於いて反映させる仕組みをretinotopyあるいはretinotopic mappingとよぶ。このメカニズムを理解することは脳の神経回路の形成を理解するための良いモデルとなる。本論文は、ショウジョウバエのretinotopyを支えるメカニズムの一端を発見したことを述べている。

ショウジョウバエの視神経は脳の視覚中枢であるラミナ神経節に投射し、そこでラミナ神経とシナプスを形成する。本論文において、梅津大輝は視神経軸索(R axon)とラミナ神経の細胞間相互作用を発見し、その過程に関わる因子の同定と、変異体を用いた機能解析、特にシナプス後神経細胞の寄与についての新たな知見が述べられている。

ラミナ神経節はR axonとラミナ神経細胞とからなるラミナカラムとよばれる構成単位をもとに形成され、それがretinotopyの基礎となっている。ラミナ神経細胞の分化は新たに投射してくるR axonによって誘導されることが知られていたが、ラミナカラムの形成過程について詳細な分子発生学的な研究がなされた例はなかった。梅津大輝はラミナカラムの形成過程の分子メカニズムを解明するために、この過程におけるヘッジホッグ(Hh)シグナルの必要性を検討した。Hhシグナルの必須構成因子の一つであるsmoothened(smo)の変異をホモに持つ体細胞クローンを脳に特異的に誘導することによってクローンの生じ方を詳細に解析した。その結果、smoの変異細胞はラミナカラムへ取り込まれないことを見出し、ラミナ神経細胞がラミナカラムに配置するためにはHhシグナルが必要であることを示した。

Hhシグナルの制御の下でラミナ神経細胞のラミナカラムへの取り込みに機能している因子を同定するために、エンハンサートラップ系統のスクリーニングを行い、basic-Helix-loop-helix-PAS(bHLH-PAS)型の転写因子をコードするsingle-minded(sim)の遺伝子産物がラミナ神経細胞に特異的な発現を制御していることを見出した。smoのクローンでSimの発現を調べ、クローンで細胞自律的にSimの発現が消失していることを明らかにし、SimがR axonからのHhによって発現が制御されていることを示した。

simのクローン解析とsimの生存可能な変異体の表現型の解析とから、simもHhシグナルと同様にラミナカラムの形成に機能していることを明確に示した。また、simのクローンはラミナ神経細胞の分化マーカーであるDacを発現していることから、細胞の増殖と神経分化への最初のステップには異常がないことを確かめており、simがラミナカラムの形成に特異的に機能していることを明らかにした。

simをラミナ神経細胞に過剰発現することにより、ラミナ神経細胞が早発的にラミナカラムに取込まれていることを示し、simはラミナカラム形成の最初のステップに機能していること、R axonとの相互作用に必要な遺伝子セットの発現を制御している可能性を示唆した。電子顕微鏡による観察からラミナカラム形成の鍵とも考えられるR axonとラミナ神経細胞間の特徴的な相互作用が以前に報告されていたが、梅津は共焦点顕微鏡による観察によっても同様の観察結果が得られることを示した。さらに、同様の手法により、simの変異体においてもラミナ神経細胞を一細胞レベルで観察し、野生型で見られたラミナ神経細胞とR axonとの相互作用がほとんど見られないことを示した。

本論文ではショウジョウバエのラミナカラムの形成にHhシグナルが必須であること、Hhシグナルによって発現が制御されるbHLH-PAS型の転写因子Simがラミナ神経細胞のR axonとの相互作用に特異的に機能し、その相互作用はラミナカラムを形成するのに必須であることを示している。このことは同時に、神経節形成には伸長してきた軸索とシナプス後神経細胞の細胞体との相互作用が必要であることを新たに示している。さらに、その過程に重要であると考えられるラミナ神経細胞のふるまいに関する示唆的なデータを提示し、論じている。

理論、実験の組み立ては十分高い水準にあり、得られた実験結果は、神経回路形成機構の解明に資するところが大きい。なお、本論文は村上智史氏、佐藤純博士、多羽田哲也博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本研究は博士(理学)の学位に値するものと考える。

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