学位論文要旨



No 121064
著者(漢字) 小林,隆嗣
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,タカツグ
標題(和) 遺伝暗号拡張の構造的基盤
標題(洋) Structural basis of genetic code expansion
報告番号 121064
報告番号 甲21064
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4864号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 黒田,玲子
 東京大学 助教授 堀越,正美
 東京大学 教授 横山,茂之
内容要旨 要旨を表示する

生物では、タンパク質は遺伝暗号表に基づいて20種類の標準アミノ酸から合成されるが、それらの官能基の種類は限られる。有用なタンパク質を人為的に作るうえでは、アミノ酸の官能基の種類の乏しさは重大な制限である。より多様な官能基をもつタンパク質は、様々な新しい機能をもつと期待される。そこで、非天然型アミノ酸を含む非標準アミノ酸をタンパク質に導入する研究が行われ、遺伝暗号を改変ないし拡張することにより、様々な非標準アミノ酸を、様々な長さのタンパク質に部位特異的に導入する方法が開発された。

遺伝暗号を拡張するには、特定のtRNAとアミノ酸とをATPの加水分解を利用して結合させる酵素であるアミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)のtRNAおよびアミノ酸特異性を、細胞内とは異なるもの(aaRS*、tRNA*とする)に改変し、翻訳系へと導入する。このときに、規則正しい遺伝暗号の対応付けを保つために、aaRS*とtRNA*は、多くの種類の内在性のaaRSやtRNAと相互作用しない性質(直交性)をもつことが保証されていなければならない。同時に、アミノ酸認識に関しても、非標準アミノ酸を特異的に認識し、他の標準アミノ酸は認識しない性質を持つ必要がある。Schultzらは、古細菌Methanocaldococcus jannaschii由来のチロシルtRNA合成酵素(TyrRS)と、対応するtRNA(tRNATyr)が、大腸菌内で直交であることを見出し、非天然型アミノ酸であるO-メチルチロシン特異的なTyrRS変異体の作成に初めて成功した。一方、真核生物においては、横山茂之らが大腸菌由来TyrRSと真正細菌Bacillus stearothermophilus由来tRNATyrを用いて、動物細胞で3-ヨードチロシンをアンバーコドン特異的に導入することに成功している。

TyrRS・tRNATyr対の直交性は古細菌/真核生物と真正細菌の間でのTyrRSのtRNA認識機構の違いに由来している。古細菌および真核生物のtRNATyrは、特徴的なC1:G72塩基対、A73、アンチコドンを、真正細菌では、アンチコドン、A73のほか、古細菌/真核生物とは全く逆のG1:C72塩基対と特徴的な長いバリアブルアームをそれぞれアイデンティティ決定因子として持つ。その中でもtRNAの1:72塩基対が、真正細菌型と古細菌/真核生物型のTyrRSにおいて直交性の鍵となっている。これまでに、真正細菌Thermus thermophilus TyrRS・tRNATyr複合体の立体構造が決定され、TyrRSはtRNAのアクセプターステム、アンチコドンループに加えて、C末端のtRNA認識ドメインで長いバリアブルアームを認識していること、G1:C72およびA73認識機構が示された。ヒトのmini-TyrRSについても単体の立体構造が決定された。しかし、古細菌/真核生物型TyrRSとtRNATyrとの複合体の立体構造は決定されていなかった。一方、アミノ酸特異性の改変の結果得られた変異体が、なぜもとの基質であるチロシンを認識せず、非天然型アミノ酸をよく認識するのかについても、非天然型アミノ酸とTyrRS変異体との立体構造が決定されていないために、構造的基盤は解明されていなかった。

そこで本研究では、これらの遺伝暗号の拡張に用いられた2種類のTyrRSと基質との複合体のX線結晶構造解析を通じて、遺伝暗号拡張の構造的基盤を明らかにした。

古細菌Methanocaldococcus jannaschii由来TyrRS・tRNATyr・チロシン複合体のX線結晶構造解析によるtRNA認識機構の解明(第2章)

古細菌M.jannaschii由来TyrRSとその対応するtRNAの発現系の構築、精製、結晶化を行い、高輝度放射光施設SPring-8を用いたX線回折実験によって、TyrRS・tRNATyr・チロシン三者複合体の立体構造を1.95Å分解能で決定した(図1)。M.jannaschii TyrRSはホモ二量体を形成しており、チロシン1分子がRossmannフォールドドメインに結合していた。二つのtRNATyr分子はホモ二量体の二つのサブユニットに橋を架けるようにまたがっている。アクセプター末端部にあるC1はArg174と水素結合し、また水分子を介してArg132と水素結合することで認識される。一方、G72はLys175の側鎖と水素結合することによって認識されている(図2)。Arg132、Arg174およびLys175は古細菌および真核生物由来TyrRSの間で高度に保存されており、これら水素結合のネットワークによる厳密な認識が、TyrRSにおけるC1:G72特異性の基盤と考えられる。A73はステムから投げ出され、Val195の主鎖により認識されている。一方、T.thermophilus TyrRSでは、tRNATyrのG1についてはあまり認識されておらず、C72はGlu154との1本の水素結合で認識されているのみである(図2)。さらに、A73塩基部分はステムの延長上にある。これらの認識の違いから、G1:C72塩基対をもつtRNAがM.jannaschii TyrRSに結合しようとしても、G1の官能基はArg174から遠く離れ、しかもC72と水素結合できるような水素結合の受容基が全くないために、水素結合が形成されずに認識されないと考えられる。一方、T.thermophilus TyrRSでは、C1:G72塩基対を認識できない。G72の近傍には水素結合の供与基がないために、水素結合ができず、またM.jannaschii TyrRSでArg174に対応する残基であるArg198は、A73とC1を同時に認識することができない。以上の認識・識別の機構の違いが、真正細菌TyrRS・tRNATyr対と古細菌/真核生物TyrRS・tRNATyr対の直交性の源になっている。本研究ではまた、真正細菌TyrRSとは異なる、古細菌/真核生物型TyrRSに特徴的なアンチコドン認識機構を明らかにした(図3)。M.jannaschii TyrRSにおいて、tRNATyrのアンチコドンの1文字目のG34は、Phe261とHis283の環の間に入り込んでスタッキングし、Asp286と水素結合によって認識されている。このアスパラギン酸残基を様々な残基に置換したところ、アルギニン残基に置換することによって、遺伝暗号の拡張に用いるG34C tRNATyr(アンバーサプレッサーtRNA)を、野生型酵素に比べて65倍強く認識し、かつ野生型tRNATyrよりも強く認識することを示した(図4)。また、チロシン結合部位の構造比較も行い、アミノ酸認識の改変の可能性について論じた。

大腸菌TyrRS触媒ドメインのX線結晶構造解析による、アミノ酸活性化と非天然型アミノ酸認識機構の解明(第3章)

野生型大腸菌TyrRSの触媒ドメインと5'-O-チロシルアデニル酸(Tyr-AMP)アナログであるTyr-AMSとの複合体、および3-ヨードチロシン認識型変異体である、Y37V・Q195C二重変異体(37V195C変異体)大腸菌TyrRSの触媒ドメインとTyr-AMS、3-ヨードチロシンもしくはチロシンとの複合体を調製し、結晶化を行い、SPring-8を用いたX線回折実験により、それぞれ2.7、2.7、2.0、2.0Å分解能で立体構造を決定した(図5)。野生型TyrRSのチロシンとの複合体(万有つくば研究所との共同研究により決定)と、野生型酵素とTyr-AMSの複合体との詳細な比較により、TyrRSのアミノ酸活性化において重要な働きをするKMSKSループについて、ATPのアデニン環とIle228の主鎖部分との水素結合が形成されることで誘起される新しい状態である「半開」の状態をとっていることを明らかにした。また、基質結合によって、基質結合部位の構造変化により、チロシンとATPが順序良くTyrRSに結合することを示した。これらの結果から、アミノ酸活性化における基質結合とKMSKSループの動きとが協調することで、アミノ酸活性化反応が規則正しく進行していることを明らかにした。さらに、37V195C変異体は、Val37とCys195という2つの残基が、もとのチロシンの認識と同様の、Asp182とチロシンヒドロキシル基との間の水素結合を保ちながらも、van der Waals相互作用によってヨード基を認識していた(図6左)。37番残基と195番残基は、周りの残基とのvan der Waals相互作用によって強く固定され、固いポケットを形成している。そして、37番残基の置換は、γ-メチル基がちょうどヨウ素原子とvan der Waals半径で接し、ヨウ素原子のための空間を作るために理想的な残基の大きさであることが明らかとなった(図6右)。さらに、37V195C変異体の195番残基の置換体とチロシンもしくは3-ヨードチロシンとの複合体の結晶化を行い、それらの立体構造をSPring-8および実験室系におけるX線回折実験により、高分解能で決定した。その結果、195番残基の置換は、元の基質のチロシンとの直接的な相互作用のみならず、空いたポケットの隙間への水分子の侵入をも防ぐように働いていることが示され、37V195C変異体が3-ヨードチロシンの認識に非常に適応した変異体であることが明らかとなった。

図1 M.jannaschii TyrRS複合体の全体構造

図2 tRNAアクセプター認識。

(左)M.jannaschii TyrRS、(右)T.thermophilus TyrRS。

図3 tRNAアンチコドン認識。

(左)M.jannaschii TyrRS、(右)T.thermophilus TyrRS。

図4 286番残基の置換とG34C tRNATyrアミノアシル化活性の変化

図5 大腸菌TyrRSサブユニット構造

図6 37V195C TyrRSに結合する3-ヨードチロシン。

(左)|Fo|-|Fc|オミット電子密度図、(右)CPKモデル

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなる.第1章は,イントロダクションであり,遺伝暗号の拡張に関する研究の歴史と背景に触れ,遺伝暗号の拡張の鍵となるアミノアシルtRNA合成酵素について解説している.そして,本論文の主対象となっているチロシルtRNA合成酵素 (TyrRS) の立体構造解析と遺伝暗号の拡張への応用について,生物種間のTyrRS・tRNATyr・の直交性と,非標準アミノ酸に対する特異性の獲得が,遺伝暗号の拡張に不可欠な要素であることを詳細に解説し,それらの分子基盤の理解のための立体構造解析が重要であると提起している.第2章は,古細菌Methanocaldococcus jannaschii由来TyrRSと,その対応するtRNA,基質であるチロシンとの三者複合体の立体構造解析について述べている.論文提出者は,M. jannaschii TyrRS・tRNATyr・チロシン複合体の立体構造を1.95 Aという高分解能で決定した.そして,既に構造決定されていた真正細菌TyrRSとtRNATyrとの複合体の立体構造と比較することにより,それらの間でtRNAアクセプターアーム末端部が全く異なった残基と水素結合様式によって認識されていることを示し,直交性の構造的基盤を明らかにしている.tRNAアンチコドンの認識についても,両者で全く異なった認識様式をとるという新しい知見が得られている.さらに論文提出者は,その構造情報を利用して,遺伝暗号の拡張に用いられるサプレッサーtRNAを強く認識する新規変異体の作成に成功している.また,tRNA認識とアミノ酸認識を改変した各変異体のモデルを作成し,それぞれの認識機構を考察している.第3章は,3-ヨードチロシンを選択的に認識する大腸菌TyrRS変異体の基質認識機構の解明と,それに付随して明らかにされた,TyrRSのアミノ酸活性化反応における構造変化について述べている.論文提出者は,野生型TyrRSの触媒ドメイン (TyrRSΔC) と,反応中間体のアナログであるTyr-AMSとの複合体の立体構造を決定し,(株)万有製薬つくば研究所で決定されたTyrRSΔC・チロシン複合体の立体構造と比較することにより,従来の構造解析では見いだされなかった,KMSKSループの新しい立体配置を発見している.このループは,先行研究によってアミノ酸活性化反応に重要な役割を持つことが知られていたが,本論文で,ループがATPの結合と反応の進行に伴った3つの立体配置をとることによって反応が進行することが初めて明らかにされた.次に,3-ヨードチロシン選択的な変異体である37V195C変異体と3-ヨードチロシンもしくはチロシンとの複合体の高分解能立体構造を決定し,野生型の基質認識と比較を行っている.先行研究で得られた変異体のほか,新たな変異体を作成し,各基質に対する活性測定を行っている.さらに,195番残基の役割を明らかにするために,4種類の変異体を作成し,それぞれ,3-ヨードチロシンもしくはチロシンとの複合体の立体構造解析と基質結合部位の比較を行っている.それらの結果より,37V195C変異体の3-ヨードチロシンの特異的な認識のために,Val37とCys195はそれぞれ3-ヨードチロシン認識の獲得とチロシンの排除という異なった役割を担っていることを,原子レベルで初めて解明している.第4章は,総合的な討論と,今後期待される研究課題,結論が記されている.その中で,TyrRSのCCA末端の認識について,新しい仮説を提示している.また,古細菌TyrRSと真正細菌TyrRSのドメインを入れ替えることによって,遺伝暗号拡張のための新しいキメラ酵素が作成できる可能性について示唆している.

なお,本論文第2章は,東京大学の横山茂之教授,濡木理助教授(現・東京工業大学・教授),坂本健作助手 (現・理化学研究所・チームリーダー),石谷隆一郎博士 (現・東京大学・特任助手),EMBL (フランス) のStephen Cusack博士,Anna Yaremchuk博士,Michael Tukalo博士との共同研究である.また,第3章は,横山茂之教授,坂本健作助手,万有製薬つくば研究所の西村暹博士 (現・筑波大学・監事),滝村哲雄博士,鎌田健司博士,Vincent P. Kelly博士 (現・Trinity Collage Dublin,アイルランド),Ryo Sekine氏 (現・Etagon社,アメリカ) との共同研究である.しかし,それらいずれも論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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