学位論文要旨



No 121067
著者(漢字) 古谷,昌広
著者(英字)
著者(カナ) フルタニ,マサヒロ
標題(和) ホスホイノシチド結合ドメインを用いたホスホイノシチドの検出と応用の研究
標題(洋) Application of phosphoinositide-binding domains for the detection and quantification of specific phosphoinositides
報告番号 121067
報告番号 甲21067
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4867号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
内容要旨 要旨を表示する

哺乳類には7種類のホスホイノシチドが存在し、様々な細胞の機能において重要な役割を持つことが知られている。例えば、dynaminはPHドメインを介してPtdIns(4,5)P2と結合することで細胞形質膜から出芽中のクラスリン被覆膜の根元にリング状に絡み付く。この作用によりクラスリン被覆膜が形質膜からねじりとられる。PLC δ1も同様にPHドメインを介してPtdIns(4,5)P2と結合することで、PtdIns(4,5)P2を効率よく分解することが分かっている。また、インスリンなどの増殖刺激によって産生されるPtdIns(3,4,5)P3はAktを活性化し増殖、抗アポトーシスなどの指令を出す他、RacのGEFであるTiam1やP-REXを活性化することで細胞運動を制御しているとされる。細胞内のホスホイノシチド量は代謝酵素によって厳しく管理されているため、代謝酵素の変異により各種ホスホイノシチド量のバランスが崩れると重大な疾患を引き起こすことが知られている。例えば、PtdIns(3,4,5)P3の3位のリン酸基を脱リン酸化する酵素であるPTENの変異は乳癌、悪性脳腫瘍などの癌を引き起こしPtdIns(3,4,5)P3の5位のリン酸基を脱リン酸化する酵素であるSHIP1やSHIP2の変異はそれぞれ急性骨髄白血病や糖尿病を引き起こすことが報告されている。しかし、これらの知見は分子生物学の発展とともに代謝酵素の研究から得られたもので、実際のホスホイノシチド量はほとんど研究されていない。なぜなら、細胞内に含まれているこれらのホスホイノシチドは余りにも微量なため、現在のところ個々のホスホイノシチドを別々に、高感度に検出する方法は確立されていないからである。

ホスホイノシチドは低分子であるため良好な抗体を得るのが困難なため細胞内のホスホイノシチドの局在は不明であった。しかし、PHドメインをはじめ、ホスホイノシチドに特異的に結合するドメインが発見されることでこの問題は解決される。現在では10種類ほどのドメインが特定のホスホイノシチドに特異的に結合することが明らかになっている。EEA1やHrsのFYVE fingerやSNX3のPXドメインはPtdIns(3)P、FAPP1やCERTのPHドメインはPtdIns(4)P、myotublalinのGRAMドメインはPtdIns(3,5)P2、PLC δ1のPHドメインはPtdIns(4,5)P2、TAPP1やTAPP2のPHドメインはPtdIns(3,4)P2、GRP1やARNOのPHドメインはPtdIns(3,4,5)P3を特異的に認識する。本研究ではホスホイノシチドの生理的機能の解析を詳細におこなうため、個々のホスホイノシチドを特異的かつ高感度に認識するホスホイノシチド結合ドメインをプローブとして用いてそれぞれのホスホイノシチドを検出し定量する方法の確立を目的として以下の研究を行った。

Dot-blot法とELISA法の2つの方法を用いて検討したところ、PtdIns(3)Pに対するプローブとしてHrsのFYVE finger、PtdIns(4)P-FAPP1のPHドメイン、PtdIns(4,5)P2-PLC PLCδ1のPHドメイン、PtdIns(3,4)P2-TAPP1のPHドメイン、PtdIns(3,4,5)P3-GRP1のPHドメインを選択した。また、プローブの感度を高めるためHrsや、FAPP1、TAPP1はドメインを直列に2つ繋いだコンストラクトを作成した。

まず、ELISA法に基づいた酵素活性の測定方法を確立したELISAプレートをC16(塩化パルミトイル)で前コートし、ホスホイノシチドを含むリポソームを反応させることで均一にホスホイノシチドをELISAプレートへ固相化することができた。この固相化法を用いてp110αとPTENの活性測定を行った。またPtdIns 3-kinaseの阻害剤であるwortmannmやLY294002を用いてp110αの活性阻害実験を行った。その結果、従来の放射性同位体を用いる方法や無機リン発色法と比べて本方法はより簡便で高感度であり、阻害剤の濃度依存的なp110α活性のシグモイド曲線が得られた。このことから、本実験法は阻害剤のhigh-throuputなスクリーニングに適しており、阻害効果をも適切に評価できると考えられる。さらに、B16細胞とより転移性の高い株であるB16F10細胞の細胞抽出液中のホスファチジルイノシトールキナーゼ、または、フォスファターゼ活性の測定を行ったところ、B16F10において優位にPtdIns3-kinaseとPtdIns4-kinase活性が向上していることが分かった。また、TLCプロット法によってB16F10細胞の方がB16細胞よりもPtdIns(3,4,5)P3を多く含んでいることも明らかになった。これらのことからB16F10細胞ではPtdIns3-kinaseが活性化されていてPtdIns(3,4,5)P3の産生を促進し、その結果、転移能を獲得したと推測される。

次に、細胞内のホスホイノシチド量を定量するため、TLCブロット(薄層クロマトグラフィー)法を確立した。細胞から抽出した脂質をTLC展開しPVDF膜に脂質を転写した後、ホスホイノシチド結合ドメインを用いて個々のホスホイノシチドを検出する方法である。インスリン刺激によりPtdIns(3,4,5)P3は30秒でピークに達しその後、5分以内に素早く代謝される一方、PtdIns(3,4)P2は30秒から1分にかけピークに達し、徐々に分解される結果となった。また、PtdIns(4,5)P2は刺激1分間、減少するがその後増加することが分かった。wortmanninまたはLY294002処理後にインスリン刺激をした細胞から脂質を抽出しそれぞれのホスホイノシチドを調べるとPtdIns(4,5)P2量に変化はなかったが、PtdIns(3,4,5)P3、PtdIns(3,4)P2の産生は抑制されていた。これらの結果から、インスリン刺激によりPtdIns3-kinaseが活性化されPtdIns(3,4,5)P3、PtdIns(3,4)P2を産生することとwortmanninまたはLY294002がin vivoでPtdIns 3-kinase活性を抑制することを示している。さらに、PTENの機能を欠損しているglioblastoma3種類に含まれるPtdIns(3,4,5)P3量には違いがありp110αの発現量にも依存していなかった。この結果はPtdIns(3,4,5)P3量が単に代謝酵素の発現に反映されるのではなく、複雑な調節を受けていることを示しており、実際にPtdIns(3,4,5)P3を測定することの重要性を示している。

これらの方法はホスホイノシチドを簡便かつ、高感度に定量できるためホスホイノシチド代謝異常によって引き起こされる癌や糖尿病といった疾患の診断や創薬研究に応用できると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

ホスホイノシチドは生体膜を構成するリン脂質であり、細胞分裂や増殖、運動などの細胞の機能を制御するシグナル分子でもある。ホスホイノシチド代謝酵素の変異が癌や糖尿病などの疾患を引き起こすことが報告されている。従って、ホスホイノシチドの代謝を調べることは生物学だけでなく医学の発展にも繋がることになる。しかし、細胞内のホスホイノシチドは微量であるため高感度で簡便に測定する方法は樹立されていない。本論文では結合ドメインを用いて個々のホスホイノシチドを検出し定量する新しい方法論ついて述べられている。論文提出者はdot-blot法とELISA法を用いてドメインの各ホスホイノシチド対する特異的性を調べ、2面偏波式干渉計技術を用いてドメインとホスホイノシチドとの解離定数を求めた。その結果、PI(3)PのプローブとしてHrs2×FYVEを、PI(4)Pに対してFAPP1 2×PHを、PI(3,4)P2に対してTAPP1 2×PHを、PI(4,5)P2に対してPLCδ1 PHを、PI(3,4,5)P3に対してGRPI PHドメインが最適であると選定した。

次にこれらのドメインを用いて酵素活性の測定を行っている。従来のELISA法では脂質を蒸発乾固してプレートに固相化していたため不均一に脂質がコートされることになり再現性と定量性にかける方法であった。論文提出者はプレートを炭素鎖で前処理することで、蒸発乾固することなく脂質を固相化することに成功した。この方法を用いてPI(3,4,5)P3の3位のリン酸基を脱リン酸化する酵素であるPTENと、PI(4,5)P2の3位にリン酸基を付加するPI 3-kinaseの活性を測定した。また、PI 3-kinaseの阻害剤の阻害効果を調べることに成功した。このことは、この実験系がホスホイノシチド代謝酵素の阻害剤や活性化剤のスクリーニングに応用できることを示している。この方法の特徴は放射性同位体を用いることなく1つのプレートで反応、検出を行うことができるため、非常に簡便でありまた多くのサンプルを一度に扱うことができるという点が従来の方法と比べて大変優れている。

さらに論文提出者はTLC blot法を改良し、細胞内のホスホイノシチドを定量している。TLC blot法は細胞から脂質を抽出した後、TLCに脂質をスポットし展開してから熱と圧力をかけて脂質をPVDF膜に転写する。その後、ドメインを用いてホスホイノシチドを検出するという方法である。悪性度の異なるマウスメラノーマ細胞において悪性度が高まるにつれPI(4,5)P2は減少しPl(3,4,5)P3が増えていることを示した。PTENはp53の次にヒトの癌での変異が報告されている遺伝子である。そこで実際にPTENが機能していないヒト神経膠芽腫細胞のPI(4,5)P2とPI(3,4,5)P3量を定量したところ、Pl(4,5)P2量には差が見られなかったが、PI(3,4,5)P3量には顕著な差があることが判明した。さらにこのPI(3,4,5)P3量は代謝酵素の一つであるPI 3-kinase(p110α)の発現量とは一致していなかった。このことはホスホイノシチド量が代謝酵素の発現量を単純に反映しているのではないということを示唆しており、ホスホイノシチド量を直接測定することの重要性を示している。これまでホスホイノシチド量の測定には放射性同位体標識法と質量分析法用いられていた。しかし、放射性同位体標識法は標識のできない生体試料のホスホイノシチドは測定できず、質量分析法は感度が悪くPI(3,4,5)P3などの微量ホスホイノシチドは測定できないという欠点を持つ。論文提出者の考案した定量法はPI(3,4)P2やPI(3,4,5)P3という微量ホスホイノシチドを放射性標識することなく高感度で簡便に測定することができ、既存の方法では不可能な癌組織などの生体試料でのホスホイノシチド代謝を調べられる唯一の方法であり、ホスホイノシチド代謝異常による疾患の診断や治療に応用できると考えられる。なお、本論文は伊藤俊樹、辻田和也、伊集院荘、竹縄忠臣との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、本研究が生物学だけでなく医学においても大きく貢献するといえ、本論文審査および学力確認の結果から博士(理学)の学位を授与することを適当と認める。

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