学位論文要旨



No 121070
著者(漢字) 望月,潔隆
著者(英字)
著者(カナ) モチヅキ,キヨタカ
標題(和) 翻訳開始因子eIF4Eに結合するRNAアプタマーによる翻訳阻害機構の解明とその医工学的応用への展開
標題(洋) High affinity RNA for mammalion translation initiation factor 4E ; A novel inhibitor of translation
報告番号 121070
報告番号 甲21070
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4870号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 教授 伊庭,英夫
内容要旨 要旨を表示する

<序>

生物の遺伝子発現には様々な制御機構が存在する。中でも翻訳反応の制御はmRNAの転写反応と同様、遺伝子の発現量に直接影響するため、精密な制御機構のもとに成り立ち、細胞の増殖・分化に重要な役割を担っている。真核生物の翻訳制御では、翻訳開始因子eIF4EによるmRNAの5'末端のm7GpppN(キャップ構造)の認識と、幾つかのeIFの介在によってリボソーム40SサブユニットがmRNAに誘導される過程が重要である(図1)。eIF4Eとキャップの結合はこの過程の第一段階であり、リン酸化や4E-Binding Proteinsによる厳密な制御を受けている。またeIF4Eは他のeIFの中でも細胞内でその分子数が最も少ない因子であり、この発現量の増減が細胞の状態に大きな影響を与えることが知られている。例えば、eIF4Eを過剰発現した細胞は非協調的な分裂をくり返し腫瘍化する。生体内ではeIF4Eの発現量増加がヒト乳癌、肺癌、大腸癌細胞中に顕著にみられている。また、eIF4Eの発現量の増加に伴って他の原癌遺伝子産物が過剰発現する。このように細胞の癌化とeIF4Eの発現量の増加が密接に関わっていることが示唆されてきている。

DNA、RNAといった核酸は生物の遺伝子情報と伝達媒体として知られているが、分子間相互作用においても高い特異性・機能性をもつ分子である。近年、これらの生体分子を創薬をはじめとした臨床応用へと展開する新しい試みがなされている。In vitro selection法により選択された、ある標的物質に対して特異的に結合する分子をアプタマーという。アプタマーは多くの場合、標的物質の強力なアンタゴニストとして機能するため、病気に関連したタンパク質をターゲットとすることにより、アプタマーの医薬品への応用が期待される。本研究では、癌細胞にみられるeIF4Eの過剰発現による細胞の癌化の抑制を目的として、eIF4Eに特異的に結合するアプタマーを選択し、その機能性の解析を行った。

<方法と結果>

RNAアプタマーの選択はTuerk and Gold(Science 1990)、Ellington and Szostak(Nature 1990)の開発したin vitro selection法により行なった。40ntのランダム配列を含む約1015分子のRNAプールからHisタグ付きマウスeIF4Eと結合するRNAを、Ni2+-NTA resinでpull-downすることにより選択し、逆転写PCRにより増幅した。この選択を14ラウンド行い、濃縮されてきたRNAの塩基配列を決定したところ、9つの配列に収束していた。さらに、表面プラズモン共鳴(SPR)解析を行い、eIF4Eとアプタマーの相互作用解析を試みたところ、aptamer 1においてeIF4Eに対する特異的な結合が確認され、またその結合定数はKd=11.2nMであった。次に、得られたアプタマーがeIF4Eと結合することで、eIF4Eのキャップ結合活性にどのような影響を与えるかを調べるため、cap analogであるm7GTP-sepharose resinを用いたpull-down実験を行った。その結果、aptamer 1を加えたものは濃度依存的にeIF4E-cap間の結合を阻害した。これらのことからaptamer 1はeIF4Eのキャップ結合阻害活性を有していることが示された。次に、この結合阻害が翻訳反応に与える影響をみるため、ウサギ網状赤血球ライセートを用いたin vitroでの翻訳反応にアプタマーを加え、その翻訳阻害効果を検証した(図2)。CATとLUCのリポーター遺伝子配列をタンデムに配置し、その間にHCV IRES(Hepatitis C Virus Internal Ribosome Entry Site)の配列を挿入した、5'末端がcappingされたmRNAを翻訳の鋳型とした(図2;上)。HCV IRESはeIF3と40Sリボソームサブユニットに直接結合して下流のORFの翻訳が行われることが知られており、鋳型のmRNAのCAT産物はキャップ依存的、LUC産物はキャップ非依存的な反応により翻訳される。このmRNAを35s-Metを含むウサギ網状赤血球ライセートに加えてin vitro翻訳させ、この系にaptamer 1を0.5-5.0μM濃度で加えたところ、LUC産物の翻訳量に影響はみられなかったが、CATの翻訳産物量はaptamer 1の濃度に比例して減少した(図2;下)。また、同様の系にコントロールとしてN40 randomを加えた実験ではCAT、LUCの翻訳産物量に影響はみられなかった。これらのことからaptamer 1はeIF4Eを必要とするキャップ依存的な翻訳反応を特異的に抑制することが判明した。

Aptamer 1のキャップ結合阻害作用モデルとして、RNA aptamer 1が自身の塩基の一部(キャップのm7G同様、グアニン塩基である可能性が高い)をキャップ構造に擬態して結合し、競合阻害作用を持つのではないかと推測した。もしaptamer 1がキャップ構造を擬態してキャップ結合部位に結合するのであれば、eIF4Eのキャップ結合に関与するアミノ酸に変異を導入することで、aptamer 1は結合できなくなると考えられる。そこで、キャップ結合部位変異型eIF4Eとaptamer 1の結合をSPRにより解析した(図3)。解析の結果、キャップ構造のリン酸基を認識する側鎖の変異体であるR112Aはaptamer 1に対してほとんど結合活性を持たず、K206Aにおいては全く結合活性がみられなかった(図3)。これらの結果から、aptamer 1とeIF4Eの相互作用にはArg112とLys206の塩基性アミノ酸側鎖の存在が重要であることが示され、またaptamer 1はキャップ構造を擬態してキャップ結合部位に結合しているのではなく、キャップ結合部位の入り口に結合することでeIF4Eのキャップ結合を妨げることが推察された。

次に、アプタマーの反応阻害作用機序が明らかとなったので、アプタマーによる細胞内のeIF4Eの抑制効果の検証を行なった。まずアプタマーの細胞内での効果を検証するにあたって、適切なモデルとなる細胞株の選択が必要となる。理想的なのは、eIF4Eの機能阻害により細胞の成長・分化・形態変化などに表現型としてその効果が反映され、さらにその原因を還元しやすいモデル系を用いることである。そこで、最も単純な真核生物の一種であり、遺伝学的・分子生物学的手法が確立している酵母S.cerevisiaeをモデル細胞として用いることを考えた。そのため、酵母eIF4EをヒトeIF4Eに置き換えたヒトeIF4Eキメラ酵母を作製し、これをほ乳類細胞の単純モデルとしてaptamer 1の発現を試みた(図4)ヒトeIF4Eで生育する酵母株は、ヒトeIF4Eの発現量に依存してその生育速度が変化することを確認した。この際、eIF4E発現量が比較的少ないCYCプロモーターでのeIF4E発現株(BY4727、ΔCdc33::His3、p416CYC-h4E or y4E)株をアプタマー発現のモデル生物とした。アプタマー発現に際しては、aptamer 1は86merと短く、また二次構造性をあまりとらないフレキシブルなRNAであるため、結合活性に影響をもたらす余分な付加配列が付かないような発現系が望ましい。そこで、RNAアプタマーを2つのhammerhead ribozymeで挟みこみ、86merのRNAとして発現できるような切断位置を設けることで発現時の付加配列を切り捨てるように設計した(図4)。また、mRNAが核外に輸送されるためにはある程度の長さが必要であるという報告があるため、リボザイムとアプタマーのユニット(RzAp1;214mer)をタンデムに配置し((RzAp1)n;n-1, 2, 4, 8)、長いmRNAとして発現されるように設計した。これらの(RzAp1)nをGALプロモーターとCYCターミネーターの間に挿入し、pRS424ベクターに組み入れたプラスミドを作製してヒトeIF4E、および酵母eIF4E発現酵母株(BY4727/Δcdc33::HIS3/p416CYC-heIF4E or yeIF4E)に形質転換した(図4)。その結果、得られた酵母株のうち、ヒトeIF4E発現酵母にRzAp1を4つ並べてmRNAとして発現させた(RzAp1)4酵母株のみに強い生育抑制効果が現れた(図5)。

<考察>

本研究により、ほ乳類eIF4Eに特異的に結合するRNAアプタマー、「eIF4E aptamer 1」が選択された。このaptamer 1とeIF4Eの相互作用にはArg112-Lys206の塩基性アミノ酸側鎖が関与していたeIF4Eのキャップ結合部位付近は塩基性アミノ酸に富んだ正電荷に帯電した領域であり、RNA分子の負電荷と相補した静電的相互作用がin vitro selection法において重要な要素であることを示している。また、近年のX線結晶構造解析の報告(Tomoo et al. J. Mol. Biol. 2003)では、m7GpppAの二番目のヌクレオチドであるAとeIF4EのThr205-Lys206-Ser207アミノ酸側鎖が相互作用しており、Lys206はキャップ構造の二番目のヌクレオチドとの相互作用部位である可能性がある。すなわち、Thr205-Lys206-Ser207側鎖がキャップ構造以降のヌクレオチドと相互作用して潜在的なmRNAの安定化部位として機能しており、この潜在的RNA結合構造によりRNAアプタマーが選択されたと考えられる。

Aptamer 1はキャップ結合阻害活性を持ち、翻訳開始反応を抑制した。また、ヒトeIF4Eを発現させた酵母細胞中でaptamer 1を発現させた実験では、(RzAp1)4発現株において、ヒトeIF4E特異的に生育の抑制効果が観察された。これらのことから、aptamer 1は細胞中の環境においても機能し、ヒトeIF4E依存的な翻訳反応を抑制できることが推察された。さらに、(RzAp1)n mRNAの適度な長さが細胞質側に存在するeIF4Eの阻害に重要であることから、mRNAの核外輸送がaptamer 1が細胞質側で機能する上で必須であることが考察された。

本研究では、アプタマーを用いたRNA工学技術を生細胞に活用するための新規RNA発現系の構築に成功した。今後はアプタマー発現の際に生じる問題点を考察し、RNA医工学的応用への可能性を検討していく。

図1.翻訳開始因子eIF4E

図2.アプタマーによるin vitro翻訳阻害

図3.SPR解析によるeIF4E上のアプタマー結合部位の特定

図4.ヒトeIF4Eで生育する酵母株の作製と、アプタマーのリボザイム発現系

図5.アプタマー発現酵母株の生育

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなる。第1章は序論であり、真核生物の翻訳開始反応制御と、その制御異常による細胞のがん化促進に関して、今までの知見がまとめられている。その中で論文提出者は、翻訳開始因子eIF4Eの発現量と細胞の悪性腫瘍化の関連性から、制がん戦略として過剰な翻訳開始反応を抑制する抗がん剤の創製の重要性を指摘している。この制がん戦略は、翻訳開始反応上流に位置するmTORの機能阻害剤ラパマイシンが優れた抗がん剤として既に大きな効果を上げている例などからも、高い阻害特異性が期待できると考えられ評価できる。さらに、論文提出者はeIF4Eの機能性と構造性に着目し、eIF4Eに対するRNA製の阻害剤創製の意義を述べている。近年、RNA製の抗体医薬品としてRNAアプタマーの応用展開が世界的に始まっている。本学位論文の研究は、細胞内因子を標的分子として創製したRNAアプタマーを応用するための基礎研究を背景とし、RNA工学を用いた新規の標的分子阻害系を構築することに主眼を置いている。また、eIF4Eの発現異常によるがん化のメカニズムには未知の部分が多く、世界的な研究が活発に行われている分野であり、eIF4Eに対する特異的阻害剤は分子生物学的ツールとしてこれらの研究に有効利用されると考えられる。

第2章は実験結果について述べられている。論文提出者は、ほ乳類のeIF4Eタンパク質を精製し、これに対して結合するRNA分子をin vitro selection法により選択している。選択条件は一般的な方法であり、結合力の非常に高い2種類のRNAアプタマーの選択に成功したことが述べられている。この際に、より強く結合するアプタマーを取得するための選択条件の模索や、ある機能的特性をもつアプタマーのみを選択するための競合選択などの試行錯誤を行い、様々なアプタマーを取り揃えた上で、それらの生化学的特性を帰納し、考察していたのであれば、その後の実験と応用展開に関して、より広がりができたと思われる。この点に関して論文提出者は、得られたアプタマーの解析系の構築を優先し、特にaptamaer 1に対する生化学的機能解析を重視し、in vitro selection時の問題点やeIF4Eに結合するRNA分子の特性などを深く考察することで、研究を総括することを試みている。eIF4Eに結合するアプタマーの生化学的解析では、アプタマーによるeIF4Eの既知の機能性に対する阻害効果を逐次検証し、aptamer 1がeIF4Eのキャップ結合を阻害することを合理的な解析法を用いて指摘している。この際、aptamer 1によるeIF4Eのキャップ結合阻害効果の原因をeIF4Eの構造的知見から推察し、アプタマーとの相互作用に関わる側鎖を特定するなど、論理的に実験を展開していることが見受けられ、これらの点からも論文提出者の洞察力とそれを判別するための実行力は評価できる。また、標的タンパク質の一アミノ酸の置換により、RNAアプタマーが認識できなくなることは他に報告例が少なく、RNAアプタマーの性質を理解する上で非常に興味深い結果であり、本学位論文による重要な知見の一つと言えるだろう。

第2章終盤ではRNAアプタマーの細胞内発現実験に関して述べられている。標的タンパク質であるヒトeIF4Eで生育する出芽酵母の作成と、リボザイムを用いた新規のnon-coding RNA発現系の構築により、aptamer 1による細胞内eIF4Eの機能抑制に成功したことが報告されている。細胞内でRNAアプタマーを機能発現させた報告例は極めて稀であり、この結果は重要なチャレンジである。この解析に至るまでには様々な試行錯誤がなされており、RNAアプタマーを活用するための論文提出者の創意工夫と努力は高く評価できる。

第3章は第2章の結果に対する考察が述べられている。RNAアプタマーの選択的性質、機能的特性、機能条件などが広く考察されており、また簡潔にまとまっている。これらの考察を踏まえた後、論文提出者はRNAアプタマー発現時の問題点を洞察し、今後のRNA医工学的応用展開のための解決策を提言しており、本学位論文を非常に意義のあるものにしている。

最後の第4章には実験方法について述べられている。本学位論文の実験素材と手法に関しての詳細が全て網羅されている。

なお、本論文第2章は、小黒 明広・大津 敬・Nahum Sonenbergとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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