学位論文要旨



No 121074
著者(漢字) 林,光紀
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,ミツノリ
標題(和) Hml 様遺伝子過剰発現イネの解析
標題(洋) Analysis of rice overexpressing Hml like gene
報告番号 121074
報告番号 甲21074
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4874号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 教授 中野,明彦
 東京大学 教授 平野,博之
 東京大学 助教授 桝澤,修一
 東京大学 助教授 梅田,正明
内容要旨 要旨を表示する

序論

糸状菌である北方斑点病菌(Cochliobolus carbonum)は、トウモロコシの病原菌として大きな被害をもたらすことが知られている。トウモロコシのHm1遺伝子はNADPH依存性HC-toxin還元酵素(HCTR)をコードし、この菌の生産するHC-toxinを還元し無毒化することがわかっている(Johal and Briggs,Science 1992)。当研究室ではイネからHm1様遺伝子(YK1)を得た(Hihara et al., Plant Biotechnol.1997)。さらに、YK1を過剰発現させたイネは、紫外線や冠水ストレス条件下で耐性を示した(Uchimiya et al.,Mol. Breeding2002)。また、オオムギなどのイネ科植物にもHm1様遺伝子の存在が報告されている(Hanet al., Mol. Plant-Microbe Interact.1997)。しかしながら、北方斑点病菌はトウモロコシ以外のイネ科の植物には感染しないことからイネHm1様遺伝子の機能については不明であった。そこで私は博士課程において、Hm1様遺伝子の過剰発現イネを用いてHm1様遺伝子の生化学的機能を明らかにした。

結果と考察

Hm1様遺伝子(YK1)形質転換イネのストレス耐性の解析YK1過剰発現体に過酸化水素等の処理を行いストレス応答の解析を行った。エバンスブルーによる生死染色やストレス処理後の経時的なイオン漏出の測定を行った。その結果、形質転換体(L-1とL-2)は過酸化水素(図1)、塩、スクロース飢餓の各ストレスに対して耐性を示した。さらに、イネに感染する病原菌への抵抗性を解析したところ、柔組織病であるイネ褐条病菌(Acidovorax avenae subsp.avenae)の病斑拡大を抑制することがわかった。これらの結果からYK1はストレス耐性に関わる機構に深く関与する可能性が示唆された。

YK1タンパク質の特性の解析

YK1がHCTR活性を有しているかどうかを植え継ぎ後5日目のイネカルス、及び播種後7日目の植物体を用い、NADPH存在下でのHC-toxinの還元活性を測定することにより解析した。その結果、カルス、植物体共にYK1過剰発現体(L-1とL-2)で有意にHCTR活性の増加が検出された(表1)。

近年のイネゲノムの遺伝子データの公表によりYK1遺伝子がシンナモイル-CoA還元酵素(CCR)遺伝子、及びジヒドロフラボノール還元酵素(DFR)遺伝子と相同性を持つことを見出した。CCRはリグニン合成系で働く酵素で、NADPH存在下で4-ヒドロキシシンナモイル-CoA、フェルロイル-CoA、シナポイル-CoAを還元する。一方、DFRはフラボノイド合成系の1つであるアントシアニン合成系で働く酵素であり、NADPH存在下でジヒドロクエルセチン、ジヒドロミリセチン、ジヒドロケンペロールをロイコアントシアニジンに還元する。

細胞内のCCR活性とリグニン量に変化は見られなかったため、YK1のリグニン合成系への関与はないものと考えられたが、アントシアニン合成系の中でジヒドロクエルセチンからロイコシアニジンが生成する反応系を用いてDFR活性の測定を行ったところ、カルス、植物体共にYK1過剰発現体で有意にDFR活性の増加が検出された(表1)。さらに、アントシアニジンの1つであるデルフィニジン量、及びアントシアニン量共にYK1過剰発現体で有意な増加が検出された。

YK1タンパク質が実際にDFR活性を有しているかどうかを調べるため、YK1をGSTとの融合タンパク質として大腸菌内で発現させ、精製しin vitroでのDFR活性の検出をNADPHの酸化反応を用いた方法で試みた結果、YK1はDFR活性を有することが明らかとなった。また、DFRによる反応産物(ロイコシアニジン)量を、キャピラリー電気泳動質量分析装置(CE-MS)を用いて測定した。CE-MSは物質の電気浸透流中の移動度の違いを利用してキャピラリー中でイオン成分の分離を行い、溶液試料中のイオン成分の同定、定量を行うものである。その結果、本手法によりジヒドロクエルセチンから生成されるロイコシアニジンを検出した(図2)。YK1がHCTR活性のみならずDFR活性も有していたことからYK1が抗酸化剤としての機能を持つアントシアニン合成系に関わっている可能性が示唆された。そこでこれ以後YK1をOsDFR/HCTRと定義した。

形質転換体におけるNAD(P)合成系の解析

YK1(OsDFR/HCTR)の過剰発現による細胞内の代謝物変化を見る上で、酵素活性がNADPH依存的であるということから、細胞内のニコチンアミド補酵素に注目しNAD(H)、NADP(H)の定量を行った。NADとNADHはアルコール脱水素酵素によるエタノールからアセトアルデヒドへの酸化反応、NADPとNADPHはグルコース-6-リン酸脱水素酵素によるグルコース-6-リン酸から6-ホスホグルコノラクトンへの酸化反応を用い、チアゾリルブルー(MTT)の還元による吸光度変化により測定した。その結果、形質転換体ではニコチンアミド補酵素量が有意に増加していた(図3)。

NAD及びNADPの合成には2つの回路が知られている。すなわち、Deamido-NADからNADの合成経路とNMNからNAD の合成経路である。形質転換体におけるNAD synthetase、NMN adenylyltransferase (NMNAT)、及びNAD kinaseの活性測定を行った。NAD synthetaseではDeamido-NAD、NMNATの場合はNMN、NAD kinaseではNADと、異なる反応の前駆体を用いた。その結果、NAD synthetase、NAD kinase活性が形質転換体で有意に増加していた(図4)。ノーザン解析の結果、NAD synthetaseとNAD kinaseのmRNAの蓄積量に差は見られなかったことから、遺伝子の転写以降の過程で何らかの機構を介して酵素の活性が上昇したことが示唆された。ここまでの結果から、DFRとしての機能を有するYK1が増加したことによりアントシアニン合成系が活性化され、さらに反応で使われるニコチンアミド補酵素の合成系の活性化が起こり、これが協調することでストレス耐性を獲得したものと考えられた(図5)。

Hm1変異体の解析

YK1がHCTRだけではなくDFR活性も有していたことから、トウモロコシ変異体(Hm1hm2とhm1hm2)を用いて、DFR活性、及びアントシアニン量の測定を行ったところ、Hm1変異体(hm1hm2)で活性、量共に減少していた。さらに植物体(播種後14日目)に過酸化水素処理を行いイオン漏出を調べた。その結果、Hm1変異体はストレスに感受性を示した(図6)。また、ニコチンアミド補酵素量もHm1変異体で減少していた。これらの結果はYK1過剰発現体における結果と正反対であり、トウモロコシHm1もYK1と同様にDFRとしての機能を有していることが示唆された。

DFR遺伝子欠損イネの解析

本研究において、イネゲノム中にはDFR様遺伝子が8つ(AK099770, AB003496, AK059518, AK072654,AK067955, AK071832, AK106089, AK067272)存在することを見出した。さらに、ノーザン解析によりこのうち5つ(AK099770, AB003496, AK059518, AK072654, AK067272)が実際に発現していることが明らかになった。これらのイネDFR遺伝子の1つ(AB003496; Nakai et al., Plant Biotechnol. 1998)が欠損したイネ(Taichung 65; T65)と、T65にこのDFR遺伝子を戻し交配により導入したイネ(T65:DFR)を用いてアントシアニン合成系の変化、及びストレス耐性に対する解析を行った。その結果DFR遺伝子欠損イネではDFR活性の減少及びアントシアニジンの1つであるシアニジン量の減少が検出された。また、播種後14日目の植物体に過酸化水素処理を行いイオン漏出を調べたところ、DFR遺伝子欠損イネではストレスに感受性を示した。これらの結果よりDFRが過酸化水素ストレスに対する防御機構に関わっていることが明らかになった。

今後は、YK1の過剰発現とニコチンアミド補酵素合成系の上昇との詳細な相関機構について調べていきたい。さらに、今回YK1がDFRとしての機能を有していることは明らかになったが、イネにおいてこの他の基質還元能力の有無についても解明を行いたい。また、トウモロコシHm1もDFRファミリーに入ると考えられたことからトウモロコシにおけるHm1の機能の詳細についても解析を行いたい。

図1 ストレス誘導性細胞死の解析

植物体を過酸化水素処理し、2-24時間後にイオン漏出を測定した。

図2 CE-MSによるDFR反応生成物の検出

GST-YK1融合タンパク質を用いてDFR活性の測定を行い、反応生成物としてロイコシアニジンを検出した。

図3 ニコチンアミド補酵素の定量

液体培養細胞を用いてニコチンアミド補酵素量の測定を行った。

表1 DFR及びHCTR活性の比較

液体培養細胞、及び植物体におけるDFR及びHCTR活性の比較。カッコ内はベクターコントロールの値を100とした相対値

図4 NAD(P)合成に関与する酵素活性の比較

植物体(播種後7日目)におけるNAD synthetase (a)とNAD kinase (b)の活性測定結果を示す。

図5 形質転換体におけるフラボノイド合成系とNAD(P)合成系の協調的作用機構のモデル図

YK1の過剰発現により、フラボノイド合成系の活性化、及びNAD(P)合成系の活性化が起こる。2つの系が協調的に働くことでストレス耐性が付与されたものと考えられる。

図6 Hm1変異体(トウモロコシ)を用いた解析

播種後14日目の植物体(Hm1hm2/hm1hm2)に過酸化水素処理を行った。2-24時間後にイオン漏出を測定した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章はYK1過剰発現イネにおけるストレス耐性の解析、第2章はYK1タンパク質の機能解析、第3章はYK1過剰発現イネにおけるNAD代謝の解析、第4章はHm1変異体を用いたトウモロコシの解析、第5章はDFR 欠損イネの解析について述べられている。

トウモロコシHm1遺伝子はNADPH依存性HC-toxin 還元酵素(HCTR)をコードし、トウモロコシに特異的に感染する病原菌(北方斑点病菌)の生産するHC-toxinを還元し無毒化する。論文提出者は、イネHm1様遺伝子(YK1)の高発現イネを用いてYK1の生化学的機能を明らかすることを目的に以下の研究を行った。

第1章ではYK1過剰発現イネのストレス耐性の解析について述べている。YK1高発現体に過酸化水素、塩、スクロース飢餓の各処理を行いストレス応答の解析を行った結果、形質転換体で耐性を示した。さらに、イネに感染する病原菌への抵抗性を解析した結果、褐条病菌の病斑拡大を抑制することが明らかとなった。これらの結果からYK1がストレス耐性機構に関与する可能性を示した。

第2章では YK1タンパク質の機能解析について述べている。YK1がHCTR活性を有するかを解析した結果、YK1過剰発現体で有意な活性上昇が検出された。更に、YK1がリグニン合成系で働くシンナモイル-CoA還元酵素(CCR)、及びアントシアニン合成系で働くジヒドロフラボノール還元酵素(DFR)と相同性を持つことを見出した。CCR活性とリグニン量に変化がなかったため、リグニン合成系への関与はないものと考えられたが、DFR活性、及びデルフィニジン量、アントシアニン量については形質転換体で有意な増加が検出された。また、GST-YK1融合タンパク質を利用してDFR活性の検出を行った結果、実際にYK1タンパク質がDFR活性を有していることを明らかにした。YK1がHCTR活性のみならずDFR活性も有していたことからYK1がアントシアニン合成系に関与することを明らかにした。

第3章では形質転換体におけるNAD(P)合成系の解析について述べている。YK1がNAD(P)H依存性の酵素であることから、ニコチンアミド補酵素に注目し定量を行った。その結果、形質転

換体でニコチンアミド補酵素量が有意に増加していた。さらにNAD(P)合成系に関わる酵素活性を測定した結果、NAD synthetaseとNAD kinase活性が形質転換体で上昇していた。ノーザン解析の結果、両酵素の mRNAの蓄積量に差は見られなかったことから、転写後の何らかの調節機構により酵素活性が上昇したものと考えられた。ここまでの結果から、DFRとしての機能を有するYK1の増加によりアントシアニン合成系、及びNAD(P)(H)合成系の活性化が起こり、これが協調することでストレス耐性を獲得したと示唆した。

第4章ではHm1変異体の解析について述べている。YK1がHCTRとDFR活性を有していたことから、トウモロコシ変異体(Hm1hm2とhm1hm2)を用いて、DFR活性、及びアントシアニン量の測定を行ったところ、Hm1変異体(hm1hm2)で共に減少していた。更に、過酸化水素処理を行いストレス耐性を調べた結果、Hm1変異体はストレスに感受性を示した。また、ニコチンアミド補酵素量もHm1変異体で減少していた。これらの結果からHm1もYK1同様DFRとしての機能を有する可能性を示した。

第5章ではDFR遺伝子欠損イネの解析について述べている。本研究において、イネゲノム中にはDFR様遺伝子が8つ存在することを見出し、ノーザン解析によりこのうち5つが実際に発現していることを明らかにした。これらのイネDFR遺伝子の1つが欠損したイネを用いてアントシアニン合成系の変化、及びストレス耐性に対する解析を行った結果、DFR遺伝子欠損イネではDFR活性の減少、及びシアニジン量の減少が検出された。また、過酸化水素処理に対する耐性を調べた結果、DFR遺伝子欠損イネではストレスに感受性を示した。これらの結果よりDFRが過酸化水素ストレスに対する防御機構に関与することを示した。

本研究は、イネHm1様遺伝子がHCTR及びDFR活性の複数の機能を有する酵素であり、ストレス耐性機構に重要な役割を果たしていることを示した。これは植物のストレス応答の機構を解明する上で重要かつ新しい知見である。植物におけるストレス耐性機構に関わると考えられる酵素の機能を明らかにしたという点において、この研究は高く評価でき、博士(理学)の学位を授与できると認められた。

なお、本論文の第1章の一部は田村勝徳氏、第3章の一部は高橋秀行氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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