学位論文要旨



No 121076
著者(漢字) 池田,隆
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,タカシ
標題(和) 真核生物の鞭毛・繊毛軸糸構築の基礎となるタンパク質の研究
標題(洋) Studies on the basic components of ciliary and flagellar axonemes
報告番号 121076
報告番号 甲21076
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4876号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 助教授 奥野,誠
 東京大学 助教授 上村,慎治
 東京大学 助教授 朴,民根
 東京大学 助教授 広野,雅文
内容要旨 要旨を表示する

真核生物の鞭毛・繊毛は、運動装置あるいはシグナルを受け取るアンテナとして働く細胞器官である。近年、人間においてこれら鞭毛や繊毛のなんらかの異常が様々な病気を引き起こすことがわかってきたことからも、鞭毛・繊毛が担う機能の多様性と重要性が示されている。鞭毛・繊毛の骨格部分である軸糸は、2本の中心対微小管を9組の周辺微小管が取り囲む、いわゆる9+2構造と呼ばれる構造を持っていて、各周辺微小管はネキシンリンクと呼ばれる繊維状構造によって隣り合う周辺微小管とつながれている。周辺微小管上にはネキシンリンクの他に、ダイニンやその活性を制御するダイニン制御複合体など様々な構造が規則正しく配置している。また、周辺微小管はA小管とB小管からなり、各周辺微小管はネキシンリンクと呼ばれる繊維状構造によって互いにつながれている。周辺微小管中にはプロトフィラメントリボンと呼ばれる、サルコシル処理に対して不溶性として残る構造体が存在し、周辺微小管の構築と安定性に重要な役割を果たしているのではないかと考えられている。このような軸糸の全体的な構造は古くから調べられ、少なくとも250種類のタンパク質から構成されていることがわかっているものの、その骨格を構成するタンパク質それぞれの実体、局在、相互作用や機能は、一部のものについてしか解明されておらず、軸糸構築の基礎はいまだ不明な部分が大きい。

軸糸の構造は原生生物から哺乳類に至るまでよく保存されているが、鞭毛・繊毛を研究するのに、緑藻の一種であるクラミドモナスは優れたモデル生物として知られている。また、この生物は外界からの刺激に応答し、細胞内のCa2+濃度を変化させることによって劇的に鞭毛打波形を変換するなど、興味深い性質も持っている。近年、クラミドモナスにおいて、プロトフィラメントリボンに存在するRib72と呼ばれるタンパク質が同定された。このタンパク質はある種のプロテアーゼとATPの添加によって引き起こされる「sliding disintegration」と呼ばれる軸糸構造(9+2構造)の解体と同時に失われることから、分子としての実体が不明であるネキシンリンクとの関わりが指摘されている。また、Rib72はDM10と呼ばれるある種のNDPキナーゼに見られるドメインと、Ca2+結合モチーフであるEF-handを持つことから、Ca2+で調節されるNTP合成系の一部をなすのではないかという考えも提唱されている。しかし最近、Rib72と相同な配列がヒトの神経細胞で発現し、この遺伝子に生じた変異が、若年性ミオクロニー癲癇(JME)と呼ばれる疾患の原因になっているのではないかという報告がなされた。このように、Rib72が真核生物全般にわたって軸糸タンパク質として機能しているのかどうかや、このタンパク質がどのようなタンパク質と相互作用し、実際にどのような機能を担っているのかはわかっていない。

第1部では、クラミドモナスの鞭毛軸糸で同定されたRib72が真核生物の軸糸一般に保存されているタンパク質であるかどうかを、マウスのRib72ホモログを調べることによって検討した。はじめにデータベース検索により、クラミドモナスRib72と相同な配列がマウスには2つあることがわかり、それぞれ、mRib72-1、mRib72-2と命名した。これらマウスホモログはともに、クラミドモナスRib72と同様にDM10ドメインの3回繰り返しと、C末部分に2つのEF-handモチーフを持っていた。しかし最近、意外なことに、mRib72-1と同一の遺伝子が、若年性ミオクロニー癲癇の原因遺伝子EFHC1のマウスホモログとして、Efhc1の名前で報告された。また後に、mRib72-2のヒトホモログであるEFHC2もJMEと関連すると報告されている。したがって、これらのタンパク質が実際に鞭毛・繊毛特有のタンパク質であるか否かを再検討される必要が生じた。様々な器官におけるノザン解析の結果、両者ともに精巣で最も多くの発現が認められ、他の器官ではわずかしか検出されなかった。また、mRib72-1の抗体を作成し、タンパク質レベルでの発現を様々な器官で調べたところ、精巣と卵管で特に強く、次いで気管、肺で、そしてごく弱く脳での発現が見られた。これらはいずれも運動性の鞭毛・繊毛を持つ器官である。さらに、運動性の鞭毛・繊毛を持つ精子および気管上皮細胞と、非運動性の一次繊毛と呼ばれる繊毛を生やしたNIH3T3細胞について、間接蛍光抗体法によるmRib72-1の局在観察を行った結果、精子鞭毛軸糸と気管上皮繊毛軸糸全長にわたる局在が観察されたが、一次繊毛中では観察されなかった。以上の結果から、Rib72は真核生物に広く保存された軸糸タンパク質であり、特に運動性軸糸に重要であることが示唆された。脳には髄液の流れを作る働きを担う運動性の繊毛が存在している。このタンパク質の変異とJMEの発症との間の相関を示唆した報告では、変異EFHC1が神経細胞のアポトーシス過程を阻害することが癲癇発症の原因として考えられているが、本研究の結果はその考えを支持しない。本研究の結果は、この疾患の病理に繊毛のなんらかの異常が関わっている可能性を強く示唆している。

第2部では、Rib72と結合し、軸糸構築の基礎となるタンパク質を同定し、解析した。まず、マウスmRib72-1と相互作用するタンパク質を酵母ツーハイブリッド法で探索したが、再現性のある結果は得られなかった。そこで、組換えRib72を用いて、クラミドモナスの軸糸タンパク質に対するブロットオーバーレイアッセイを行った。その結果、2組のEF-handモチーフを持つ新規タンパク質(EFp39と命名)と、Pacrgと呼ばれるタンパク質のホモログを同定した。Pacrgはもともと哺乳類でパーキンソン氏病の原因遺伝子であるPARK2とプロモーターを共有する遺伝子の産物として知られていたものである。さらに、EFp39とPacrgのRib72結合を他の実験系で検討するため、化学架橋実験を行った。その結果、両者ともにある種の架橋剤によって軸糸内で架橋されるが、特にEFp39については何種類もの薬剤で架橋されることがわかった。この結果からも、EFp39とPacrgがRib72と結合している可能性が高いことが示された。

次に、EFp39とPacrgの局在を間接蛍光抗体法、または免疫電子顕微鏡観察によって検討した。その結果、両者とも周辺微小管に全長にわたって局在するというRib72と似た局在を持つことがわかった。しかし、両者ともに、プロトフィラメントリボンに存在するRib72は部分的にしか抽出されない溶液条件下で完全に解離することがわかった。したがって、これらはプロトフィラメントリボンの構成タンパク質ではなく、それに付属するタンパク質であることが示唆される。ただし、ダイニンなど多くの周辺微小管を形成するタンパク質が軸糸から解離する条件下で抽出を行ってもEFp39とPacrgは軸糸から解離しないので、周辺微小管に比較的強く結合したタンパク質であると考えられる。

Rib72はsliding disintegrationと同時に失われるタンパク質である。そこで、最後にsliding disintegrationの進行過程におけるEFp39とPacrgの挙動を調べた。その結果、Rib72の分解およびsliding disintegrationの進行に比べて、これらのタンパク質の軸糸からの解離ははるかに遅く起こることがわかった。このことから、EFp39とPacrgの軸糸との結合はRib72の存在状態とは独立であり、これらのタンパク質を周辺微小管につなぎとめておくのには別のタンパク質が関与していることが示唆された。

データベース検索の結果、他の生物種においては、EFp39と相同な配列をもつタンパク質は見出されなかった。したがって、このタンパク質はクラミドモナス特有のカルシウム結合タンパク質である可能性がある。クラミドモナスの鞭毛はCa2+濃度によって運動波形を大きく変化させるという特徴的な性質を持つが、このタンパク質はそのような鞭毛の特殊な性質に関係している可能性も考えられる。一方Pacrgは、最近、トリパノソーマ鞭毛で、その発現を阻害すると一部の周辺微小管が失われ、その欠失した周辺微小管の数は鞭毛の先端に近いほど多いことが報告された。また、周辺微小管の欠失がない領域でも、一部のネキシンリンクに切れ目が生じることも観察されたことから、Pacrgがネキシンリンクの一部を形成することによって、9+2構造の安定化に寄与している可能性が指摘されている。したがって、今回Pacrgが、ネキシンリンクに関連していると考えられているRib72と相互作用する可能性が示唆されたことは興味深い。周辺微小管は、tubulinを中心に様々なタンパク質間相互作用ネットワークの結果構築されていると考えられる。今後、EFp39およびPacrgとRib72の結合をさらに検討するとともに、これらと結合するタンパク質を研究することによって、ネキシンリンクのタンパク質構成や、周辺微小管の構築機構が明らかになると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

真核生物の細胞運動装置、鞭毛・繊毛の骨格部分である軸糸は、2本の中心対微小管を9組の周辺微小管が取り囲む普遍的構造を持つ。この構造は古くから知られているが、微小管同士を結合する構造(ネキシンリンク)や周辺微小管の構成要素の実体はまだほとんどわかっていない。しかし最近、クラミドモナスにおいて、周辺微小管中に存在する安定な微小管束(リボンと呼ばれる)の主要タンパク質の一つRib72が同定された。このタンパク質は微小管の安定化とともに、ネキシンリンクの結合にも関与する可能性が推定されており、軸糸構造の構築に基本的に重要な役割を果たすと考えられる。

本論文は、Rib72を手がかりにして、軸糸構築機構に迫ろうとする実験結果をまとめたもので、2章からなる。まず第1章ではRib72が軸糸一般に保存されているタンパク質であるかどうかを、マウスのRib72ホモログを調べることによって検討した。データベース検索により、マウスにはRib72と相同な配列が2つあることがわかった。ノザン解析の結果、両者ともに精巣で最も多くの発現が認められ、他の器官ではわずかしか検出されなかった。さらに、そのうちの一つmRib72-1の抗体を作成し、タンパク質レベルでの発現を様々な器官で調べたところ、精巣と卵管で特に強く、次いで気管、肺、そしてごく弱く脳での発現が見られた。これらはいずれも運動性の鞭毛・繊毛を持つ器官である。さらに、精子と気管上皮細胞について間接蛍光抗体法観察を行った結果、精子鞭毛軸糸と気管上皮繊毛軸糸全長にわたる蛍光が観察された。一方、非運動性の一次繊毛と呼ばれる繊毛を持つ培養細胞では局在は観察されなかった。以上の結果から、Rib72は真核生物に広く保存された軸糸タンパク質であり、特に運動性軸糸に重要であることが示唆された。最近、意外なことに、mRib72-1と全く同一の遺伝子Efhc1が、ヒト若年性ミオクロニー癲癇(JME)の原因遺伝子EFHC1のマウスホモログとして報告され、神経細胞の細胞死に関与しているという考えが提唱された。Rib72-1/Efhc1が鞭毛・繊毛においてのみ特に強く局在することを明瞭に示した本研究の結果は、JMEの発症機序に再考を迫るものである。

第2部では、Rib72と結合するタンパク質を検索した結果が述べられている。クラミドモナスの組み換えRib72を用い、軸糸タンパク質に対するブロットオーバーレイアッセイを行った結果、EF-handモチーフを持つ新規タンパク質EFp39と、Pacrgと呼ばれるタンパク質が同定された。軸糸の化学架橋実験によって、両者ともある種の架橋剤によってRib72と架橋されることが示され、それらのタンパク質間の結合が支持された。さらに、間接蛍光抗体法または免疫電子顕微鏡観察により、EFp39、Pacrgとも周辺微小管に全長にわたって局在することがわかった。これらは軸糸から多くのタンパク質が解離する高塩濃度条件下で抽出を行っても軸糸から解離しないので、周辺微小管に比較的強く結合したタンパク質であると考えられる。一方、KIなど、塩溶性の高い溶液によって軸糸から完全に解離することが見いだされたが、その条件ではRib72は部分的にしか溶出されなかった。したがって、PacrgとEFp39はともにリボン構成タンパク質というよりは、それに付属するタンパク質であることが示唆される。また、Rib72は軸糸をATP存在下でプロテアーゼ処理した際、軸糸解体と同時に失われるタンパク質である。一方、EFp39とPacrgは軸糸が個々の周辺微小管に解体後も微小管に結合したまま残ることが認められた。このことから、EFp39とPacrgの軸糸との結合にはRib72だけでなく、別のタンパク質も関与していることが示唆された。

以上の結果、運動性鞭毛・繊毛におけるRib72の普遍性が示され、それと相互作用する新規タンパク質2種が同定された。軸糸骨格の構成タンパク質がまだ数種類しか同定されていない現状では、このような新規タンパク質が発見されたことは重要である。このタンパク質を手がかりにして、さらに多くのタンパク質が同定されることが期待される。そのような今後の研究への手がかりを提供した研究として、本研究は高い価値を持つと考えられる。

なお、本研究は池田一穂、榎本匡宏、朴民根、広野雅文、神谷律との共同研究であるが、論文提出者が主体になって実験を行ったものであると認められる。したがって博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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