学位論文要旨



No 121079
著者(漢字) 榎本,匡宏
著者(英字)
著者(カナ) エノモト,マサヒロ
標題(和) GnRHによるコロニー形成及び細胞移動の制御の解明とその進化的意義の考察
標題(洋) Regulation of colony-formation and cell migration by GnRH and consideration of its evolutionary significance
報告番号 121079
報告番号 甲21079
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4879号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 朴,民根
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 岡,良隆
 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 助教授 兵藤,晋
内容要旨 要旨を表示する

序論

GnRH(生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン)は、1971年に脳下垂体からの生殖腺刺激ホルモンの合成・放出を促すホルモンとして同定された視床下部ペプチドである。その後、近年の分子生物学の発展に伴い、GnRH及びその受容体が様々な種で同定され、脊椎動物全般でリガンド、受容体ともに複数存在し、その発現分布は広範に渡っていることが報告されている。このようなGnRH及びその受容体の複数性と広範な発現分布は、GnRHが生殖腺刺激ホルモンの放出以外の生理機能を担っていることを強く示唆しており、これまでに、神経修飾、免疫系修飾、卵巣における卵胞の発育制御などの生理機能をもつことが報告されている。しかしながら、これらのGnRH作用についてはその詳細なメカニズムはいまだ解明されていない。

GnRHの発見以来、第2のブレークスルーとなったのがGnRHニューロンの発生起源に関する研究である。GnRHニューロンが嗅板で発生し脳内に移動するという1982年の発見は、それまでの神経発生の常識を覆すものであった。GnRHニューロンはこの移動の際にもGnRHを産生していることが示されているが、その生理機能についても明らかになっていない。

このようなGnRHの多様な生理機能を考える上で興味深い知見として、GnRHによる細胞種に依存した正負の増殖制御がある。最近では、細胞接着、移動、細胞骨格の再構築に対するGnRHの制御も明らかになり、細胞増殖をはじめとする基本的な細胞機能に対するGnRHの作用機序とその生理的意義が注目されている。

本研究では、過去の研究において発見したコロニー形成に対するGnRHの正負の制御に注目し、その詳細な特性と作用機序について4種類の細胞株(TSU-Pr1, Jurkat, DU145, HHUA)を実験モデルとして解析を行った。さらに、その過程において明らかになったGnRHによる細胞移動の制御及びアクチン骨格の再構築についても研究を行い、多様な生理機能の背後にあるGnRH情報伝達系の共通性と特異性、そしてその進化的意義について考察した。

第1章 GnRHによる正負のコロニー形成制御の特性

まず、4種類のヒト細胞株TSU-Pr1(前立腺がん由来), Jurkat(T細胞白血病由来), DU145(前立腺がん由来), HHUA(子宮がん由来)を用いて、GnRHのコロニー形成率に及ぼす影響を調べた。その結果、TSU-Pr1, JurkatではGnRH投与によりコロニー形成率が増加し、逆にDU145, HHUAでは減少した。次に、この相反する作用の特性を解析するために、ヒトに存在する2つの天然リガンド(GnRH-I, II)と合成アンタゴニスト、Cetrorelixを用いて、正負の作用のリガンド選択性を調べた。その結果、2つの相反する作用は異なるリガンド選択性を示すことがわかった。このことは、2つの作用が異なるGnRH受容体を介していることを強く示唆している。

第2章 GnRHによるコロニー形成制御における各GnRH受容体サブタイプの機能第1章の結果を受けて、まず、ゲノム上は2種類存在することが知られているヒトI型、II型GnRH受容体に関してRT-PCRにより発現解析を行ったところ、GnRH刺激に対して正に応答する細胞株(TSU-Pr1, Jurkat)と負に応答する細胞株(DU145, HHUA)の発現パターンに明確な差異は見られなかった。次に、RNA干渉法を用いて各GnRH受容体サブタイプの発現を抑制しGnRHに対する応答を調べたところ、以下のような興味深い結果が得られた。I型受容体は、正負どちらの作用においても3種すべてのGnRHの作用に関して必須であった。また、II型受容体は、正負どちらの作用においてもGnRH-IIとCetrorelixの作用に必要であった。さらに、II型受容体splice variantはGnRHに対する正の応答に必要であり、反応の方向性の決定に関与することが示唆された。ヒトII型GnRH受容体は、その遺伝子配列の欠陥から偽遺伝子であると考えられてきたが、本研究の結果は、II型受容体が機能的であることを示している。

第3章 GnRHによる細胞移動の制御とアクチン骨格の再構築

第1、2章ではGnRHによるコロニー形成の制御について、各GnRH受容体サブタイプの機能に焦点をあてて解析を行ったが、その過程においてGnRHが細胞移動にも関わっていることが示唆される現象が観察された。それは、GnRHによりTSU-Pr1の培養ディッシュ上での局在が不均一になるというものである。この現象は、コロニー形成を制御することの生理的意義やGnRH情報伝達系の共通性と特異性を理解する上で重要な手がかりになると考え、その作用機序も含めて詳細な研究を行った。

まず、GnRHによる培養デッィシュ上の細胞の局在の変化は細胞移動を反映していると予想し、定量的な解析を行うために、走化性や細胞移動の研究にしばしば用いられるmodified Boyden chamber assay(Fig. 1)を行った。この方法は、細胞の大きさに対して適切なpore size(本研究では8 〓m)のchamberの上側に細胞をまき、数時間後にchamberの下側に移動した細胞数を測定するという実験法である。同じ前立腺由来の細胞株であるが、コロニー形成に関してはTSU-Pr1とは反対のGnRH作用が見られたDU145についても同様の解析を行った。まず、chamberの下側にGnRHを与えた条件では、TSU-Pr1, DU145ともに細胞の移動に有意な差は見られなかった。この結果は、細胞がGnRHに走化性を示して移動するのではないことを示唆している。次に、細胞が自己分泌物質に対して走化性を示す例が報告されていたため、chamberの下側にconditioned mediumを与えたところ、TSU-Pr1, DU145ともに細胞移動が増強された。この条件下で、chamberの上側に細胞とともにGnRHを与えると、増加した細胞移動がTSU-Pr1では促進され、DU145では抑制された。以上の結果から、GnRHにより細胞の運動性が変化し、その結果細胞移動に影響したと予想した。

そこで次に、phalloidin染色を行ってアクチン骨格に対するGnRHの制御を調べたところ、GnRHによりTSU-Pr1ではfilopodiaを形成している細胞の割合が有意に増加し、逆にDU145ではstress fiberを形成している細胞の割合が有意に増加した。この結果は、細胞内のGnRH情報伝達系がRhoファミリーGタンパク質(Rac1, Cdc42, RhoAなど)を経由していることを強く示唆するものである。この可能性を検証するため、Rac1, Cdc42, RhoAのdominant-negative mutant(順にRac1 T17N, Cdc42 T17N, RhoA T19N)を発現させたときのGnRHの細胞移動に対する影響を調べたところ、TSU-Pr1ではRac1 T17N, Cdc42 T17Nの発現によりGnRH作用が観察されなくなった。一方、DU145ではRhoA T19Nの発現によりGnRH作用が見られなくなった。さらに、第2章と同様にRNA干渉法によりGnRH受容体の発現を抑制した細胞を用いて細胞移動やアクチン骨格の再構築に対するGnRHの影響を調べたところ、正負のコロニー形成の場合と同様に、正負の細胞移動の制御、アクチン骨格の再構築にもヒトI型GnRH受容体は必須であることが示された。

また、Rac1, Cdc42, RhoAの活性化は、正負の細胞移動の制御のみならず、正負のコロニー形成の制御にも関与していることが、dominant-negative mutantを用いた実験で明らかになった。この結果は、RhoファミリーGタンパク質がGnRHの細胞内情報伝達において重要な役割を果たしていることを示唆している。考察

以上の結果から、GnRH情報伝達系の共通性と特異性に関しては以下のような統合的解釈が考えられる。まず、「共通性」については、本研究によりGnRHによるコロニー形成及び細胞移動の制御の両方に共通して、RhoファミリーGタンパク質が関わっていることが明らかになった。RhoファミリーGタンパク質は、その下流において多用な細胞機能を制御することが報告されており、GnRH受容体はRhoファミリーGタンパク質の活性制御を共通の機構とし、多様な現象を制御する可能性が示唆された。また、「特異性」については、第2章の各GnRH受容体サブタイプの機能解析の結果から、ヒトII型GnRH受容体splice variantがGnRH作用の特異性、特に正負の方向性の決定に寄与することが強く示唆された。その作用機構としては、受容体サブタイプ同士の二量体形成、各受容体サブタイプの情報伝達系のクロストークなどが想定される。また、細胞の自己分泌物質がGnRHによる細胞増殖やコロニー形成の制御に影響するという結果を過去に得ており、GnRH作用の特異性は、細胞の自己分泌物質の情報伝達系とのクロストークによっても決まる可能性がある。以上の考察を模式的にFig. 2に表した。

現在までに報告されている多くの動物種に共通して見られるGnRH作用の多様性は、多様な細胞内情報伝達系を動かすことを可能にする本質的特徴をGnRH情報伝達系がもち、それが進化的に保存されている可能性を示唆している。コロニー形成と細胞移動の制御におけるGnRH情報伝達系の共通性と特異性に着目した本研究は、このような観点においても重要な知見を与えてくれると考えられる。

Fig.1. modified Boyden chamber

Fig.2. GnRHによるコロニー形成及び細胞移動の正負の制御の分子機構

審査要旨 要旨を表示する

GnRHは、リガンド及び受容体の広範な発現分布から、自己・傍分泌因子として多様な生理機能をもつことが示唆されている。特に、脾臓、胸腺、卵巣においては、GnRHが細胞の増殖を促進あるいは抑制することで免疫修飾や卵胞の発育・退行制御作用をもつことが明らかになり、GnRHによる細胞増殖制御の分子機構は細胞株や初代培養系を用いて国内外で盛んに研究が行われてきた。本論文の研究内容は、論文提出者が修士課程の研究で発見したコロニー形成に対するGnRHの正と負の制御に注目し、その詳細な特性と作用機序について4種類の細胞株(TSU-Pr1, Jurkat, DU145, HHUA)を実験モデルとして行った結果をまとめた内容である。そして本研究で明らかになった多様なGnRHの生理機能の背後にある情報伝達系の共通性と各生理現象に特異的な分子機構を議論するとともに、その進化的意義についての考察が述べられている。

論文は3章からなり、先ず第1章ではGnRHによる正負のコロニー形成制御の特性を解析している。その結果、正と負の相反するGnRHの作用は異なるリガンド選択性を示すことを明らかにした。このようなリガンド選択性の違いは、正負の作用が異なるGnRH受容体を介していることを示唆している。第1章の結果を受けて、第2章では各GnRH受容体サブタイプがいかにこの現象に関わっているかを解析している。ゲノム上に2種類存在することが知られているヒトI型、II型GnRH受容体の発現をRT-PCRにより解析したところ、GnRH刺激に対して正に応答する細胞株(TSU-Pr1, Jurkat)と負に応答する細胞株(DU145, HHUA)の発現パターンに明確な差異は見られなかった。しかし、RNA干渉法を用いて各GnRH受容体サブタイプの発現を抑制しGnRHに対する応答を調べたところ、以下のような興味深い結果が得られた。I型受容体は、正負どちらの作用においても3種すべてのGnRHの作用に関して必須であった。また、II型受容体は、正負どちらの作用においてもGnRH-IIとCetrorelixの作用に必要であった。さらに、II型受容体splice variantはGnRHに対する正の応答に必要であり、反応の方向性の決定に関与することが示唆された。ヒトII型GnRH受容体は、その遺伝子配列の欠陥から偽遺伝子であると考えられてきたが、本研究の結果はII型受容体が機能的であることを示している。

以上の研究過程において、GnRHにより培養デッィシュ上の細胞の局在が変化することを発見し、第3章ではその詳しい解析を行った。先ず、走化性や細胞移動の研究にしばしば用いられるmodified Boyden chamber assayを用い、chamberの下側にconditioned mediumを与えた際の細胞移動に対するGnRHの影響を調べた。その結果、TSU-Pr1では細胞移動が促進されたが、DU145では逆に抑制された。この結果からGnRHが細胞のアクチン骨格に影響を及ぼすことが予想されたため、phalloidin染色によりアクチン骨格に対するGnRHの制御を調べた。その結果、GnRHによりTSU-Pr1はfilopodia形成の促進が、DU145ではstress fiber形成の促進が観察された。また、このような細胞アクチン骨格系の変化にはRhoファミリーGタンパク質(Rac1, Cdc42, RhoAなど)の関与が報告されているので、Rac1, Cdc42, RhoAのdominant-negative mutant(順にRac1 T17N, Cdc42 T17N, RhoA T19N)を用いてその可能性を調べた。結果、TSU-Pr1ではRac1 T17N, Cdc42 T17Nの発現によりGnRH作用が観察されなくなり、DU145ではRhoA T19Nの発現によりGnRH作用が見られなくなった。また、Rac1, Cdc42, RhoAの活性化は、正負の細胞移動の制御のみならず、正負のコロニー形成の制御にも関与していることも同様の実験で示された。

以上のような研究成果はGnRH生理機能とGnRH情報伝達系の進化を考える上で大変重要な知見であり、論文提出者の研究成果は博士(理学)の学位を受けるにふさわしいと判定した。

なお、本論文の第1章の一部は、Seong, Jae Yong、川島誠一郎、朴民根と、第1章と第2章の一部は遠藤大輔、川島誠一郎、朴民根と、General introductionとGeneral discussionの一部は朴民根と、そして第3章は、内海真理、朴民根との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験の計画と実施を行ったものであると認められる。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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