学位論文要旨



No 121089
著者(漢字) 西野,穣
著者(英字)
著者(カナ) ニシノ,ジョウ
標題(和) 遺伝的変異量に対する集団構造と自然選択の共同効果
標題(洋) THE JOINT EFFECT OF POPULATION STRUCTURE AND NATURAL SELECTION ON THE AMOUNT OF GENETIC VARIATION
報告番号 121089
報告番号 甲21089
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4889号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田嶋,文生
 東京大学 助教授 上島,励
 東京大学 教授 平野,博之
 東京大学 講師 井原,泰雄
 九州大学 教授 舘田,英典
内容要旨 要旨を表示する

集団遺伝学の主な目標の一つは、様々な要因(突然変異、遺伝的浮動、自然選択、組み換え、集団構造など)がどのようにして自然集団の遺伝的変異の量とパターンを形成しているかを知る事である. このため集団遺伝学では、実験・観察とともにそれらを説明するための様々なモデルの理論解析が重要である. 近年、DNA配列データの急増を背景に、中立検定(MK test, Tajima's testなど)がしばしば棄却される事が知られ、簡単な自然選択モデル(任意交配集団、遺伝子選択、組換え自由)の下で自然選択力の推定も試みられている. 今後は、自然選択が遺伝的変異に与える影響についてより広範な理解が求められている.

塩基多様度(π)は遺伝的変異量を測る量のひとつであり、サンプルペア当たり、DNAサイト当たりの平均塩基相違数である. 選択的に中立の下でπの期待値E[π]は4Neυとなる(Kimura 1969). ここでNeは二倍体生物の有効集団サイズ、υは世代当たりサイト当たりの突然変異率である. 任意交配集団の場合、Neは実際のサイズNTと等しいので、E[π]=4NTυとなる. 一般に、集団の構造化はNeを増大しπは増加する. 自然選択下でのE[π]は、任意交配集団の場合にはKimuraによる式で知ることができる. しかし、自然集団は必ずしも任意交配集団ではなく集団構造を持っている場合が多い. そこで本研究では、遺伝的変異量に対する集団構造と自然選択の共同効果を明らかにする事を目的とした. また、分子進化速度を決定する突然変異の集団への固定確率uについても研究した. 本研究ではInfinite-Site Modelを仮定する. この場合、E[π]=H×2 NTυが成立する. Hは、突然変異が生じそれが集団から消失、または集団に固定する過程で導入されるヘテロザイゴシティ(=2x(1-x). xは突然変異頻度)の和の期待値である. 集団構造のモデルとしてIsland Modelを用い、Lは分集団数、Nは分集団の個体数、NT(=NL)は全集団の個体数とする.

第一章では、遺伝的変異量に対する集団構造と方向性選択の効果について研究した. 祖先型をA、突然変異型をaとして、遺伝子型AA、Aa、aaの適応度をそれぞれ1、1+hs(0≦h≦1)、1+sとする. 任意交配集団では優性度hのE[π]への効果は顕著である. 突然変異が有利な場合(s>0)、E[π]は次のようになる. 遺伝子選択(h=0.5)では、中立の場合より最大で2倍程度まで増加する. 完全優性(h=1)では、中立の場合より最大で5倍程度まで増加する. 一方、完全劣性(h=0)では、中立の場合より小さくなる. また、突然変異が不利な場合(s<0)、突然変異は集団から除去されやすいため、E[π]は優性度hの影響は受けるものの一般に中立の場合より小さくなる.

Island Model下でのE[π]を知るための方法として、一つめに拡散近似法を応用する事を考えた. 任意交配集団の場合、E[π]は突然変異頻度xに関する一次元拡散方程式を解く事によって得られる(Kimra 1969). 一次元拡散方程式は、xの世代当たりの変化の平均 および分散 で規定される. 一方、Island Modelの場合、i番目の分集団の突然変異頻度xiに関して方程式が成立し(L次元拡散方程式となる)、そのままではE[π]を求める事ができない. そこで、 と を形式的に任意交配集団の場合と同様の形で表してみると、となる. と がxiを含み一次元拡散方程式として解くことができないので次のようにする。まず を、中立下での の平均値(Takahata 1983)

で代用する. 次に、μ3を無限島モデル(Wright 1931)、中立下でのμ3の値

で代用する. このようにしてL次元拡散方程式を一次元拡散方程式に帰着しE[π]を計算する方法を考えた. 近似は、上記の仮定から選択が十分に弱く分集団数が大きくまた移住率が比較的大きい場合によい近似を与える.

Island Model下でのE[π]を調べる二つ目の方法としてBirth-and-Death近似を考えた. Birth-and-Death近似では、移住率が非常に小さい事のみを仮定する. この仮定の下では、各分集団はAが固定しているかaが固定しているかのどちらかの状態であると見なす事ができる. 各分集団の状態は他の分集団からの移住により変化する. このような仮定の下でHに関する方程式をつくり、これを解くと、

となり、Hはhに独立である事が分かる. ここで、s→0(中立)とするとH=(L-1)2/(2L2Nm)となる. また、2Ns≫1(十分に有利)のとき、H=(L-1)2/(L2Nm)を得る. これは中立の場合の2倍である.

図1に拡散近似(任意交配集団、Island Model(Nm=0.5))、およびBirth-and-Death近似によって得られたE[π]を示した. 中立下のE[π]を2としている. 任意交配集団の場合よりもIsland Model(Nm=0.5)の方が優性度の効果が小さくなっている事が分かる. 移住率が非常に小さい場合は、Birth-and-Death近似で示されているように優性度の効果は無視でき、E[π]の最大値は中立下の2倍となることが分かる. このように集団構造が存在する場合、遺伝的変異量に対する優性度の効果は小さくなる. そして移住率が非常に小さい場合は、遺伝的変異量に対する優性度の効果はほとんど消失する. 一方、固定確率に対する優性度の効果は集団構造によって小さくなるが、移住率が非常に小さい場合でも優性度の効果は完全には失われない、という事が既存の研究で知られているが本研究でも確認された.

第二章では、遺伝的変異量に対する集団構造と超優性選択の効果について研究した. 超優性選択は積極的に多型状態を維持する事が知られている. 例えば哺乳類のMHC遺伝子は超優性選択のために多くのタイプのアリルが集団内に保持されている可能性が高い. 現在、突然変異のうちどれだけの割合で超優性選択が働くのかは定かではないが、それが微小であっても遺伝的変異量への貢献は大きくなり得るので理論的研究は重要である. 祖先型をA、突然変異型をaとして、遺伝子型AA、Aa、aaに対してそれぞれ適応度が1、1+s0(s0>0)、1のモデルを考える. Kimuraの近似式を用いて任意交配集団におけるE[π]を計算すると、E[π]はNTs0の増加に伴って指数関数的に増加する事が分かる. 例えば中立下でE[π]が0.1%の場合、NTs0=1、3、5の下ではそれぞれ約0.2%、1%、6%となる. Island Model下でのE[π]の計算には、拡散近似とBirth-and-Death近似の2つの方法を応用した.

拡散近似の方法としてCherry(2003)を使用した. Cherryによれば、有効な集団サイズNeと有効な選択係数はs0eはそれぞれ

となる. CherryおよびKimuraを使うとHは、

となる. 上記の式は、移住率mの減少にともない増加する項(Ne/ NT)とmの減少とともに減少する項( に関する積分の項)の積となっている. 移住率mの減少にともなうHの変化は、「有効集団サイズ増加」と「選択の効果Neseの減少」の兼ね合いで決まる事が分かる.

移住率が非常に小さくなるとHはどのように変化するのかを調べるためにBirth-and-Death近似を用いた. 第一章での結果が超優性の場合でも使える. すなわち、H=(L-1)2/(2L2Nm)となる. これは、移住率が非常に小さくなると中立下のHに近づく事が示唆している.

図2に、拡散近似で得たE[π]をNmの関数として示した. Nmの減少に伴いE[π]は次のように変化する. NTs0=0(中立)の場合は単調増加する. NTs0=1の場合はNm>0.5の範囲でほぼ一定、そして増加. NTs0=3、5の場合は一度大きく減少し、そして増加する. 大まかに言ってNTs0>1ならば、E[π]はNm に関してU字型の関数になる. 集団構造は、中立下ではNeを増加させ遺伝的変異量は大きくなるが、超優性選択下ではNeの増加に反して(特定の範囲のNmで)遺伝的変異量は小さくなるという現象は興味深い. 遺伝的変異量と分子進化速度(2NTυu)の比は、実際の種内変異と種間変異の比較研究に指針を与える. 図3に遺伝的変異量と分子進化速度の比E[π]/(2NTυu)の値を示した. 非対称の超優性モデルも考慮するために、遺伝子型AA、Aa、aaに対してそれぞれ適応度が1、1+s1(s1>0)、1+s2のモデルを用いている. また、中立下のE[π]/(2NTυu)を1としている. NTs2に関わらずE[π]/(2NTυu)はNmが小さくなると単調減少する事が分かる. これは、集団構造は分子進化速度よりも遺伝的変異量をより大きく減少させるからである. 近年、種内変異と種間変異の比較によって、優性度を考慮した選択力を推定する方法が開発された. 図3の結果は、もし集団構造を考慮せずに超優性の選択力を推定すると、ヘテロ接合度の選択力が過小評価されることを示唆している.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなる。第1章は、総合序論であり、集団遺伝学の中での本研究の位置づけ、および本研究の目的が述べられている。集団遺伝学の目的の一つは、遺伝的変異がどのような機構で維持されているかを知ることである。維持機構としては自然選択、集団構造などがある。集団遺伝学では、これまで遺伝的変異に対する自然選択や集団構造の効果がそれぞれ独立に研究されてきた。すなわち、自然選択の効果を研究する際は集団構造がない集団(任意交配集団)を考え、集団構造の効果を研究する際は自然選択が働いていない場合(中立な場合)を考えてきた。本研究では、自然選択と集団構造が同時に働いている場合を考えている。これが本研究の特徴である。

第2章は、集団構造と方向性選択が同時に働いている場合、遺伝的変異量に及ぼす効果を理論的に研究している。自然選択モデルとしては、選択係数と優性の度合を含むモデルをもちいている。また集団構造として、L個の分集団からなる有限島モデルをもちいている。突然変異モデルは無限部位モデルである。方法としては、拡散近似法とBirth-and-Death近似法を利用している。分集団間の移住率が非常に小さくない場合、拡散近似法をもちいている。この方法をもちい、数式化すると、L次元拡散方程式がえられる。しかし、L次元拡散方程式を解くことはできない。本研究ではこのL次元拡散方程式を1次元拡散方程式に近似する方法を開発し、この近似が有効であることを示している。分集団間の移住率が非常に小さい場合、Birth-and-Death近似法はよい近似をあたえる。これらの方法をもちい、以下のことを明らかにしている。(1)分集団間の移住率が小さくなるにつれ、優性の度合の効果が小さくなる。(2)分集団間の移住率が非常に小さくなると、遺伝的変異量は、優性の度合に関わりなく、中立な場合に期待される遺伝的変異量の2倍になる。

第3章は、遺伝的変異量に対する集団構造と超優性選択の共同効果について研究している。超優性選択モデルとして、対称的超優性選択モデルだけでなく、非対称的超優性選択モデルももちいている。集団構造としては、第2章と同様にL個の分集団からなる有限島モデルをもちいている。突然変異モデルはやはり無限部位モデルである。ここでも、第2章と同様に、拡散近似法とBirth-and-Death近似法を利用している。対照的超優性選択モデルをもちいた研究では、以下のことを明らかにしている。(1)分集団間の移住率が小さくなるにつれ、選択の効果が弱くなる。(2)分集団間の移住率が非常に小さい場合、遺伝的変異量は選択が働かないときに(すなわち、中立なときに)期待される遺伝的変異量に等しくなる。(3)分集団間の移住率が小さくなると遺伝的変異量は減少し、さらに移住率が小さくなると遺伝的変異が増加するという条件が存在する。非対称超優性選択モデルをもちいた研究では、遺伝的変異量は、分集団間の移住率が減少するにつれ、遺伝子選択(優性の度合が1/2)から期待される遺伝的変異量に近づくことを明らかにしている。

第2章および第3章で述べた結論は新しく、今後これらの結論は実験データを分析し、解釈する上で重要なものになるであろう。

なお、本論分の第2章と第3章は田嶋文生との共同研究であるが、論文提出者が主体となって行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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