学位論文要旨



No 121097
著者(漢字) 花崎,直太
著者(英字)
著者(カナ) ハナサキ,ナオタ
標題(和) 人間活動を考慮した全球水循環モデルの開発と世界の水資源の時間変動の推定に関する研究
標題(洋)
報告番号 121097
報告番号 甲21097
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6187号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 沖,大幹
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 助教授 堀田,昌英
 東京大学 教授 木本,昌秀
 東京大学 助教授 鼎,信次郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文は人間活動を考慮した全球水循環モデルの開発と世界の水資源の時間変動の推定に関するものである。論文は6章からなる。

第1章では研究の背景や目的を述べた。世界の陸域の降水は年間111,000km3あり、このうち71,000km3は蒸発し、残りの40,000km3が流出すると推定されている。この流出が世界の年間水資源ということになる。これに対して世界の年間取水量は3,800km3と推定されている。このうちの70%を占めるのが農業用水である。水資源量が取水量の10倍以上あるにもかかわらず、世界各地で水不足が発生している。これは水資源と水利用の空間偏在性と時間偏在性が原因である。この水不足が将来さらに悪化するのではないかと懸念されている。これは人口増加・経済発展による水需要の増大、地球温暖化による気温の上昇や降水パターンの変化、化石水(持続可能な利用のできない地下水)の枯渇が根拠になっている。これらは全て将来についての様々な要素のからむ複合的な問題であると言える。これらの問題を科学的に評価するための世界水資源アセスメントが数多く行われてきた。最も基本的な手法は各国や国連機関が発行する統計データを編集して行うものである。この手法は信頼性が高いが、統計データという制約から年単位・国別が解像度の限界である。別の手法としてモデルシミュレーションを利用するものがある。この手法は空間解像度を飛躍的に高めたが3つの問題がある。第1に時間解像度は年単位のままであるため、水需給の時間偏在性を考慮できないことである。第2に年取水量と年河川流量を独立に計算し比較しているため、取水や貯水池操作による取水量や流量の増減などが考慮できないことである。第3に単純なモデルを利用して河川流量と水需要量を計算し、結果を過去の観測値で修正しているため、将来についての様々な要素のからむ複合的な問題の理解に適しているのか疑問があることである。そこで本研究では取水・灌漑・貯水池操作などの人間活動を含む全球統合水資源モデルを開発し、日単位の水需給を考慮した世界水資源アセスメントを行うことを目的とした。水循環や水需給のプロセスを重視し、特に気象と水資源の関連を詳細に扱えるのが特徴である。研究の構成は以下の通りである。第2章で、水資源量の推定に必要な陸面過程モデルと全球河川モデルを、第3章で、水利用量の推定に必要な農業プロセスモデルを、第4章で、需給の時間的遍在を緩和する機能を持つ貯水池操作モデルをそれぞれ開発した。第5章で、これらのモデルを統合し、世界水資源アセスメントを行った。計算対象は全球の陸域で、空間解像度は緯度・経度1度、期間は1986年から1995年までの10年で、時間解像度は日単位である。

第2章では陸面過程モデルと全球河川モデルを利用して全球河川流量の推定を行った。本研究を遂行する大前提として地球の陸域水収支や河川流量を時間的・空間的に高解像度で把握する必要がある。全球の河川流量を推定する手法はこれまでに数多く提案されてきたが、本研究では主に気象データから河川流量を計算する手法を採った。まずBucketモデルをベースに陸面過程モデルを開発し、必要な改良を加えた。全球河川モデルにはTRIPを利用した。シミュレーションにはGlobal Soil Wetness Projectという国際プロジェクトのフレームワークを利用し、このプロジェクトが作成した気象データと土地被覆データを利用することで、全球の河川流量を日単位で計算した。結果の考察は観測値との比較、GSWP2参加モデル間の比較、別手法を利用して開発されたデータセットとの比較の三段階で行った。まず観測流量と比較した結果、年流量は428観測地点中242の観測値点で誤差が±50%以内に、ピークタイミングは428観測地点中、276の観測値点で誤差が±1ヶ月以内になった。次にGSWP2に参加した12モデルとの比較を行った結果、本研究のモデルは単純な構造にも関わらず平均的な挙動を取っていることが明らかになった。ただし、東シベリアで流出を過小評価し、南米の熱帯域で流量を過大評価し、全球的に流量ピークの発生が早いことが分かった。最後に既存の研究と比較した結果、年流量の誤差が±50%以内、ピークタイミングの誤差が±1ヶ月以内という閾値では既存のデータセットと大きな遜色がないが、閾値を狭めると、観測値によるパラメータの同定や結果の修正を行ったものとの差異が大きくなることが分かった。しかし同定や修正を行っても顕著な誤差が発生しており、世界の河川流量を精度よく推定いくことが現在においても当該分野の課題であることを改めて示した。

第3章では農業プロセスモデルを開発し、全球への適用を行った。本研究を遂行するにあたり、取水量の70%を占める農業用水を時間的・空間的に高解像度で推定する必要がある。まず農業プロセスモデルSWIMをベースにモデルを開発した。農業プロセスモデルは作物の成長を日単位でシミュレートするもので、栽培条件に応じた収穫日数の変化や収量の推定が行える。ここで比較のため、既存の研究で利用されてきた灌漑需要推定モデルCROPWATをベースにしたモデルも開発した。これは栽培日数を固定し、収量の推定も行えない単純なものである。前者を新方式、後者を旧方式と呼ぶ。二つの方式から得られた農事歴、灌漑需要量、収量について観測値と比較し検証を行った。農事暦については、旧方式で再現の難しかった冬小麦を中心に改善がみられ、収穫日数についても若干短めに見積もる傾向があるものの妥当な値を推定できることが確認された。灌漑需要量に関しては取水量の統計データと比較を行ったところ、旧方式に比べて統計データとの対応が良いことが分かった。最後に収量であるが計算値は観測値と大きく乖離した。本研究では農業技術や施肥量のプロセスを無視して計算を行ったが、収量の算定に当たってはこれらの効果が無視できないためだと考えられた。既存の水資源アセスメントでは水不足による社会的な影響を評価してこなかったが、収量の減少率から水資源逼迫を示せる可能性が示された。

第4章では貯水池操作モデルの開発を行った。貯水池は水需給の時間的遍在を緩和する効果があり、水資源評価を行う上で無視できないと考えた。貯水池は既存の全球河川シミュレーションでは無視されるか、自然湖とみなして扱われてきたが、これは貯水池の操作ルールがグローバルに入手できないことによる。そこで操作ルールを自動生成するモデルの開発を行った。モデルは河川流量の年々変動や季節変動の緩和と下流の灌漑需要の季節変動への対応を考慮して個別の貯水池に操作ルールを設定する。このモデルは世界の27の貯水池で検証を行い、効果を確認した。次に全球河川モデルに総貯水容量が1000×106m3以上の世界の452の貯水池を配置し、貯水池操作を考慮した全球河川流量シミュレーションを行った。貯水池操作を考慮することによって上流に貯水池のある84の観測地点中34の地点でRMSEが5%以上減少し、効果が確認された。最後に貯水池操作を考慮する場合としない場合のシミュレーション結果を比較することで、貯水池操作の全球水循環への影響の評価を行った。貯水池操作は大陸規模の月河川流出量を数%から30%程度変動させていることが示唆された。

第5章では結合モデルの開発を行い、水資源アセスメントを行った。これまでに開発した陸面過程モデル、全球河川モデル、農業プロセスモデル、貯水池操作モデルを結合し、統合水資源モデルを開発した。また灌漑地の土壌水分を管理するための灌漑取水モデルと環境流量を設定するための環境用水モデルの2つを新たに追加した。まず陸面、河川、農業、貯水池操作、灌漑取水、環境用水の6つの組み合わせを変えて実験を行うことにより、貯水池操作、灌漑取水、環境用水の設定が地球の水循環や水資源におよぼす影響を定量的に評価した。次に世界で水需給が逼迫しているといわれている9つの流域に絞って詳細な考察を行った。結合モデルの利用により水資源の季節遍在性、大規模貯水池の効果の定量化、取水による河川流量の減少の考慮が可能になり、既存の研究では示されなかった「必要なときに必要な水が取れるか」を表す新しい水資源指標を利用したアセスメントを行った。ただし日単位の水需要を河川から取水する場合、グローバルには需要の半分以下しか取水できないという結果が得られた。ここから水資源量に応じて水需要量を抑制すること、需要発生期間をずらすこと、河川以外の水源を考慮することの必要性が示唆された。

第6章では結論と今後の課題を述べた。本研究では全球統合水資源モデルを開発した。これは取水・灌漑・貯水池操作の人間活動を考慮して全球の陸域の水循環のシミュレーションができる世界で初めてのモデルである。陸面・河川・農業・貯水池操作の4構成要素はそれぞれ観測値や既存の研究と入念な比較・検証が行われ、少なくとも既存の研究と同等かそれ以上の精度が認められた。この統合水資源モデルを利用し、水需給の季節変動性を考慮した世界水資源アセスメントを行った。日単位での水需給収支を考慮し、「取りたいときに取れるか」を重視したもので、既存の水資源アセスメントになかったものである。しかし日単位で取水をシミュレートする場合、大規模貯水池の操作を考慮しても、河川からは水需要がまかなえず、水資源に応じた水需要量の抑制・需要発生期間の変化、河川以外の水源の考慮が重要であることが示された。これはこれまでの年単位の評価では顕在化しなかった問題であり、需給の時間的偏在に関する研究が重要であることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

世界的には人口の増加や都市化の進展、森林から耕地や居住地などへの土地利用の変遷などといった人間活動が水・物質循環に大きな影響を与え、現時点でも世界各地で洪水や渇水といった水循環の変動が水害や旱魃などの災害をもたらしている事態をより深刻にするのではないか、と懸念されている。これに対して適切な対応策を講じるためには、地球規模の水循環変動の把握と予測が可能なモデルシステムを構築する必要がある。しかも、人間活動が水循環に及ぼす影響が看過し得ない現代においては、自然系の水循環のみならず、人間系の水循環のモデル化も不可欠である。

本論文は、グローバルな水循環と水収支を、いわゆる陸面モデルに加えて河川モデル、貯水池操作モデル、農業灌漑モデル、農業生産モデルを統合して全陸地上緯度経度1度格子ごとに10年分に関して日単位で推定し、これまでにない画期的な水資源アセスメントを実現したものである。

第1章では研究の背景や目的が示され、地球上の水循環の概要の紹介に始まり、水需給の逼迫が、水資源と水利用の空間偏在性と時間偏在性が原因であることを論じ、世界各地の水問題を科学的に評価するための世界水資源アセスメント手法に関して既往の研究の手法の分類と、本研究で用いられた手法の特徴が示されている。

第2章では論文提出者がすべてコーディングした陸面過程モデルと全球河川モデルとを利用して全球河川流量の推定を行った結果が示されている。陸面モデルとしてはBucketモデルをベースとしたモデルが開発され、全球河川モデルにはTRIPが利用されている。シミュレーションには第2期Global Soil Wetness Project(GSWP2)という国際プロジェクトで準備された気象データと土地被覆データが利用され、全球の河川流量が日単位で計算された。結果の比較検討からは、推定過程で過去の観測結果を参照して同定や修正を行っても推定値には顕著な誤差が発生しており、世界の河川流量を精度良く推定することが現在においても当該分野の重要課題であることが改めて示されている。

第3章では農業プロセスモデルが開発され、全球に適用された。作物の成長を日単位でシミュレートする農業モデルと、既存の研究で利用されてきた灌漑需要推定モデルCROPWATをベースにしたモデルの推定結果が農事歴、灌漑需要量、収量について観測値と比較検証された。農事暦については、旧方式で再現の難しかった冬小麦を中心に改善がみられ、収穫日数についても若干短めに見積もる傾向があるものの妥当な値を推定できることが確認された。灌漑需要量に関しては取水量の統計データと比較を行ったところ、旧方式に比べて統計データとの対応が良いことが分かった。収量に関して計算値は観測値と大きな乖離を見せ、本研究では農業技術や施肥量のプロセスが十分にまだ表現できていないことが大きな要因であると推察されている。そこで、逆に、収量の減少率から水資源逼迫を示せる可能性も示された。

第4章では貯水池操作モデルが開発され、世界の27の貯水池で検証を行った後、総貯水容量が1000×106m3以上の世界の452の貯水池を配置し、貯水池操作を考慮した全球河川流量シミュレーションが行われた。貯水池操作を考慮することによって上流に貯水池のある84の観測地点中34の地点でRMSEが5%以上減少し、さらに、貯水池操作は大陸規模の月河川流出量を数%から30%程度変動させていることも示唆された。

第5章では陸面過程モデル、全球河川モデル、農業プロセスモデル、貯水池操作モデルを結合した統合水資源モデルを開発し、灌漑地の土壌水分を管理するための灌漑取水モデルと環境流量を設定するための環境用水モデルの2つが新たに追加された結果が紹介されている。この統合水資源モデルの各要素が地球規模の水循環や水資源におよぼしている影響が、この統合モデルを用いたシミュレーションにより定量的に評価された。また、世界で水需給が逼迫しているといわれている9つの流域に絞った詳細な考察もなされた。結合モデルの利用により水資源の季節遍在性、大規模貯水池の効果の定量化、取水による河川流量の減少の考慮が可能になり、既存の研究では示されなかった「必要なときに必要な水が取れるか」を表す新しい水資源指標の提案が行われ、水資源に応じて水需要量を抑制すること、需要発生期間をずらすこと、河川以外の水源を考慮することの必要性が示唆された。

第6章では、取水・灌漑・貯水池操作といった人間活動を考慮して全球の陸域の水循環のシミュレーションができる世界で初めてのモデルが開発され、この統合水資源モデルの利用により水需給の季節変動性を考慮した世界水資源アセスメントを行った結果など、全体のまとめが述べられている。

この様に、自然人間系のグローバルな水循環を適切にモデル化した研究は世界でも他に類をみず、また、本研究で用いられた大量データの可視化手法によりシミュレーション結果の品質管理や解析研究の能率向上、あるいはグローバルな水収支推定結果の公開などによる水資源工学への貢献は極めて大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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