学位論文要旨



No 121099
著者(漢字) 小菅,瑠香
著者(英字)
著者(カナ) コスゲ,ルカ
標題(和) 院内物流動線から見た病院の建築計画に関する研究
標題(洋)
報告番号 121099
報告番号 甲21099
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6189号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 教授 岸田,省吾
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 助教授 千葉,学
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的

日本の医療制度は、社会背景のもとに度々更新されている。病院は医療法などの所管法令に基づくものから診療報酬算定の施設基準まで、更新された法規類に適合するために変化し続けている。更新と直結する影響については誰でも予測できるが、派生する小さな影響については予測が難しい。ましてや建築は、ソフトが変化したからといって簡単には対応できない。

こうした点から、本論文では病院建築の使われ方について「設定に対する予想外の項目の発生」に着目した。あるシステムを設定すれば、建築の使われ方に何らかの影響が派生する。そのシステムと建築の関係性を明らかにして、各々の設定に適した建築形状の存在を証明することを目的とした。

特に本論文では「設定どおりに動く」ことが期待される供給部門に焦点を当て、院内供給搬送システムに基づく物流動線の設定と、現実の空間の使われ方について研究を行った。

用語の定義

日常生活でよく耳にするシステムという単語は、体系や制度・組織的なもの全般を指す広義の語句であるが、本論文では、病院内の複数の部門にまたがって行われる業務の運営方法の設定を表すものとした。つまり「システムと建築の関係性」とは、設定と空間の使われ方の関係性とも言える。

特に3〜5章で言う「供給搬送システム」とは具体的に、医療材料の搬送に対しては「一括搬送」と「各自搬送」、給食配膳に対しては「厨房配膳」と「病棟配膳」という各々2つのシステムを指している。

各章の内容

第1章では、論文の背景と目的を述べた後、既往研究に対する本論文の位置づけを行った。日本建築学会の論文報告集に掲載された病院建築に関する既往研究を見ると、その研究内容の変遷は、日本の医療政策史を反映していることが分かった。その中で本論文は「建築形態」「院内動線」「供給部門計画」の3つの領域にまたがって位置しており、システムの決定過程から実行時の空間の使われ方までを総合的に調査分析した点で、新しい視野を持つ研究と言える。

第2章では、次章以降のメインの研究に入る前に、より具体的な研究背景を得るために3つの小研究を行った。

1つめは「病院建築の変化」について、法規改正と建築形状の文献調査と、伊藤誠らの一連の部門別面積配分調査に筆者が近年のデータを追加して部門別面積配分の変遷分析を行った。その結果、病院が確かに建築的にも制度や社会背景の影響を受けており、近年の病院建築が個室化や分散便所の定着で病棟面積配分比を広げていること、および供給部門や検査部門は外部委託も手伝って面積配分比を縮小していることが分かった。

2つめは「物品の供給搬送システムの変化」について、300床以上の病院を中心にアンケート調査を実施した。病院業務の外部委託化は確実に進んでおり、清掃やリネンは特に早い段階から多くのの病院で外部委託されていたが、SPD(Supply, Processing and Distribution:物流一元管理)については、物品の供給搬送方法を切り替えることをきっかけに、近年急激に外部委託する方向にあることが分かった。また外部委託の導入時期は病院の建築・増改築時期らに一致しているものが多く、建築とシステムは一体で変化している様子も分かった。

3つめは「現代病院における病棟と支援部署の結びつき」について、職員の病棟出入り調査を行った。近年の病院では病棟看護師を看護業務に専念させるために、他部署の職員が病棟に出入して看護以外の業務を行うようになっている。T病院における病棟出入調査の結果、類似病院における40年前の病棟出入調査の結果よりも看護師の病棟出入回数は大変少なくなっていた。また、医師・看護師以外に病棟に出入した職員の多くはSPDの搬送職員であり、現代の病院では病棟業務がSPDをはじめ多くの支援部署によって助けられていることが分かった。

第3章〜第5章では、異なる病棟形状(高層集約型・中層分棟型)および供給搬送システムを持つ2つの病院において比較研究を行った。特に第3章では業務設定(システム)、第4章では搬送動線(建築)について分析を行った。第5章では総括して建築形状とシステムの関係性について考察を行った。

第3章では、医療材料および給食の病棟供給搬送について、職員構成やスケジュールなどの点から業務を分析した。

医療材料:SPDを導入しているT病院では業務の4割弱は搬送業務であり、そのスケジュールは過密かつ遅配の許されないものであった。一方医療材料の搬送を各病棟の看護助手にまかせているM病院では、資材課の職員が倉庫を出ることはなかった。この業務の違いに対し、T病院で医療材料の供給業務を行う日勤職員は11名であったが、M病院は4名であった。

給食:栄養科職員のスケジュール分析の結果、T病院では職員の調理業務は全体の4割しかなく、配膳業務が3割をも占めていることが分かった。また、病棟配膳システムを採用するT病院では、厨房で働く職員が栄養科全体の約半分であるのに対し、病棟で業務をこなす職員も3割以上であった。このことから、一般に栄養科業務の中心としてイメージされる「地下厨房での調理」に費やされる時間は、実際には業務のほんの一部であることが分かる。また患者の平均在院日数短縮によって、病棟配膳システムを採用するT病院では、病棟の食堂利用率が下がり続け、初期設定と現実の業務に差が生じていた。

第4章では、医療材料および給食の病棟供給搬送について、各々の病院で職員や運ばれる物品の追跡を行い、動線を分析した。

医療材料:SPD職員による一括搬送システムを用いたT病院の場合、カートを用いた搬送に費やす時間は特に長く、またそれらの業務における病棟滞在時間が比較的長いことも分かった。カートを用いた医療材料の搬送では、通常高層病棟では、搬送職員がEVで1フロアずつ上から順に搬送を行うという動線が設定される。しかし現実の搬送職員の動線は一定ではなく、職員自らが、その日の搬送スケジュールや物品の量を見て遅配のないよう、搬送ルートを独自に計算しながら動いていることが分かった。

一方病棟看護助手による各自搬送システムを用いたM病院では、看護助手が自らの病棟の必要物品を各部署に取りにいく。特に定期搬送に関しては、位置関係が近い病棟でチームを組む独自のポーター制をとっていたが、実際は定期搬送以外の搬送もかなりの数である。看護助手の業務の約4割が物品や患者搬送による病棟外滞在の業務であった。また看護助手の業務を追跡したところ、搬送と搬送の間に5分程度の病棟滞在時間がいくつも存在し、患者や同僚看護師との雑談で時間を潰す様子も見られた。病棟側に搬送職員を置く場合、職員の搬送業務間の時間をいかに有効に使うかが課題となる。

給食: 病棟配膳システムを用いたT病院では、厨房配膳と比較して病棟厨房間の物品搬送が複雑になっていた。病棟配膳といっても特別食や離床できない患者のために、厨房配膳および病室配食がなくなることはない。特に急性期患者の多いT病院ではこの割合が高くなり、食事提供方式の混在が病棟配膳業務をより煩雑にしていた。またシステム設定時に想定される物品搬送に対して、現実の病棟配膳では不足物品の搬送が大変多く、病棟パントリーと厨房間には、人手がなくても搬送が可能な程の密接な位置関係が必要とされた。そのため病棟配膳システムの採用には、建築形状は高層型で、垂直搬送手段が不可欠と判明した。

一方厨房配膳システムを用いたM病院では、業務は複雑ではないが、中層分棟型の病棟配置のため、配膳車の搬送距離が非常に長い。病院側は「遠い病棟から搬送する」方針であったが、現実には水平距離の長さや迂回の有無は搬送時間には大した影響を与えておらず、むしろEV待ちや受渡し職員待ちといった「待ち」が搬送過程に多く発生する動線に時間がかかっていることが分かった。

第5章では、病棟配置と搬送システムの理論的関係性に対する考察に、第3章および第4章での現実動線に対する知見を加えて、総合的に建築形状とシステムの関係性を整理し、両者の間に密接な関係があることを証明した。

第6章では、建築形状とシステムの関係性を前提として、それらが現実のプロジェクトでどのように決定されているのかを、新病院建設の基本計画時の病院職員に対する設計ヒアリングをもとに分析した。その結果、設計者は基本計画段階で、病院が採用するSPDや電子カルテなどのシステムを盛り込んで建築形状を決定したいと考えているが、病院職員は具体的にシステムが病院建築にどう影響を与えるのか予測できず、設計者に知識を求めていることが分かった。病院には複数の部門が存在するが、職員のほとんどが自部門の中だけで業務を行っているために他部門のことがよく分かっておらず、複数の部門にまたがるシステムに関する項目は決定が後回しにされる傾向があった。その結果、供給部門の設計は最後になり、具体的な物品の搬送動線から病院全体の形状を考えていくことは難しい状況にあることが分かった。

第7章では本研究のまとめを行った。

建築形状とシステムには密接な関係性が存在することが判明したが、供給部のように専門性が高い委託業者が介在するとき、設計計画段階に搬送の実働職員が参加することはなく、搬送動線の実態が設計者に伝わる方法はほとんど皆無であると考えられる。

従って、病院側の決定したシステムにあわせて建物をつくるとき、設計者はシステムから派生する、設定を越えた影響まで想定して、解決策を設計に盛り込む必要があると言える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、病院建築の使われ方に際して、社会的背景の変化に影響され更新される医療制度などソフトの要因が及ぼす「設定に対する予想外の項目の発生」に着目して、システムと建築の関係性を明らかにして、建築形態を探ることを目的としている。特に「設定どおりに動く」ことが期待されている供給部門に焦点を当て、搬送供給システムに基づく物流動線の設定と現実の建築空間の使われ方についての分析考察を行っている。

論文は全7章から構成される。

第1章では、論文の背景と目的を述べ、既往研究での本論文の位置づけを行っている。すなわち日本建築学会論文報告集に掲載の病院建築に関する既往研究の中で、本論文は「建築形態」「院内動線」「供給部門計画」の3領域にまたがり、システムの決定過程から実施時の空間の使われ方までを総合的に調査分析した点で、新しい視野を持つ研究と言える。また本論文における「システム」という用語の定義を行なっており、特に3〜5章での「供給搬送システム」を医療材料搬送では「一括」と「各自」搬送、給食では「厨房」と「病棟」配膳のことを示すと限定している。

第2章では、研究背景を把握するために実施した3つの予備的研究を示している。

第一は「病院建築の変化」に関する法規改正と建築形状の文献調査と既往研究の手法に倣って近年のデータを追加した部門別面積配分の変遷分析である。その結果、病院建築が制度や社会背景の影響を強く受けていること、個室化や分散便所導入で病棟面積配分が増加し、供給・検査部門は外部委託の影響か配分比が縮小したことを述べている。

第二は「物品の供給搬送システムの変化」に関するアンケート調査である。外部委託化は確実に進み、早期から導入された清掃やリネン業務に加え、SPD(物流一元管理部門)で急激に委託が進んでいる傾向を述べている。また委託の導入時期が増改築時期に一致していることを指摘している。

第三は「病棟と支援部署の結びつき」に関する職員の病棟出入調査である。看護師を病棟看護業務に専念させるため、他の職員が病棟に出入して、看護以外の業務を担当する状況を述べている。

第3章〜第5章では、異なる病棟形態と供給搬送システムを持つ2病院の比較分析を行っている。第3章ではシステムとしての業務設定、第4章では建築的な搬送動線を扱い、第5章では総括して建築形状とシステムの関係性の考察を行っている。

第3章では、医療材料と給食の病棟への供給搬送について、職員構成やスケジュールなどの業務を分析している。

医療材料については、SPD導入のT病院では業務の4割弱は搬送業務で、スケジュールは過密で遅配を許さないものであり、搬送を各病棟看護助手が担っているM病院では、資材課職員が倉庫を出ることはないという業務の違いに応じて、T病院では日勤職員は11名、M病院は4名と報告している。

給食については、栄養科職員のスケジュール分析の結果、病棟配膳システム採用のT病院では調理業務は全体の4割、配膳業務が3割も占めており、厨房業務職員が栄養科全体の約半分であるのに対し、病棟配膳業務職員も3割以上であり、「地下厨房での調理」の時間が他の病院に比して少ないこと、平均在院日数短縮により、T病院では病棟食堂利用率の低下が報告されている。

第4章では、医療材料と給食の病棟への供給搬送について、職員や物品の追跡を行い、動線を分析している。

医療材料についっては、SPD職員による一括搬送システムのT病院では、カート搬送の時間が特に長く病棟滞在時間も比較的長いこと、カート搬送では、通常は搬送職員がEVで高層病棟の各階に順に廻る動線が設定されるが、このでは搬送職員自らが搬送ルートを独自に計算しながら動いていることを報告している。病棟看護助手搬送システムのM病院では、看護助手が自らの病棟の必要物品を各部署に取りに行っており、実際は定期搬送以外の搬送もかなりの数であることが報告されている。

給食については、病棟配膳のT病院では、中央厨房配膳に比べて病棟厨房間の物品搬送が複雑で、急性期患者の多いため病室への配膳の割合が高くなり、業務が煩雑になっており、中央厨房配膳システムのM病院では、業務は複雑ではないが、中層分棟型の病棟配置のため、配膳車の搬送距離が非常に長いが、時間的にはEVや受渡し職員の「待ち」が長くなっているという実態が報告されている。

第5章では、病棟配置と搬送システムの理論的関係性に対する考察に、第3章および第4章での現実の動線に対する知見を加えて、総合的に建築形態とシステムの関係性を整理し、両者の間に密接な関係があることを証明している。

第6章では、建築形態とシステムの関係性の存在を前提として、それらが現実のプロジェクトでどのように決定されているのかを、新病院建設の基本計画時の病院職員に対する設計ヒアリングの記録をもとに分析している。その結果、設計者は基本計画段階で、病院が採用するSPDや電子カルテなどのシステムを盛り込んで建築形態を決定したいと望んでいるが、病院職員は具体的にシステムが病院建築にどう影響を与えるのか予測できず、設計者に知見を求めているという実態を報告している。多くの職員は、自己の所属する部門内で業務を行っているために他部門のことが理解できず、複数部門にまたがるシステムに関する項目は決定が遅れる傾向にあること、結果として供給部門の設計は最後になり、物品搬送動線から病院全体の形態を考えていくことは困難な現況にあることを発見している。

第7章では本研究のまとめを行っている。建築形態とシステムとの間には密接な関係性が存在することを証明しているが、供給部のように専門性が高い委託業者が介在するときには、設計計画段階にそれらの実働職員が参加することができないため、搬送実態を設計者に伝える方法が欠如していることを指摘している。従って、病院側の決定したシステムにあわせた設計をする場合には、設計者はシステムから派生する設定を越えた事態を想定して、解決策を設計に盛り込む必要があることを指摘している。

以上のように、本論文は、病院建築の複雑な供給業務に関する多角的な調査分析により、ほぼ内部業務の分析から計画・設計が可能な部門と供給部門のように他の部門との関係で計画・設計を行なわねばならない部門との相違を明示し、システムと病院建築形態についての新しい知見を明確に示して、建築計画学の発展に寄与したものである。

よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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