学位論文要旨



No 121117
著者(漢字) 松田,昌洋
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,マサヒロ
標題(和) 伝統的木造住宅の水平力伝達機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 121117
報告番号 甲21117
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6207号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 松村,秀一
 東京大学 助教授 塩原,等
 東京大学 助教授 腰原,幹雄
内容要旨 要旨を表示する

1995年に発生した平成7年(1995年)兵庫県南部地震においては伝統的な建造物が少なからず被害を受けたことにより,その耐震性に関して検討する必要があるといった認識が大きくなった.そのため,この地震以降,建築基準法の法規制を受けない文化財建造物に対しても,修理工事の際には構造計算を行い,その耐震性能を評価するといった傾向が増加してきている.

こうした傾向に伴い,学術的な研究分野では,柱や土壁,貫といった水平力抵抗要素についての実験や解析といった研究が活発化している.そして,平成12年には文化庁から「重要文化財(建造物)耐震診断指針」が発行され,伝統的な建造物に対する地震時の安全性に関する方針が示された.特に,同指針における“基礎診断”の中では土壁や垂壁付き独立柱,柱の転倒復元力といった,伝統的木造建築物に特有の水平力抵抗要素についての具体的な評価方法が提示されている.

しかし,地震力などの水平力に直接に抵抗する鉛直構面の評価がなされる一方で,鉛直構面どうしを繋ぎ,各鉛直構面に水平力を伝達する役割を持つ,水平力伝達機構に関する性能は未だ不明瞭な点が多い.

また,伝統的木造建築物の中でも,いわゆる民家と呼ばれる伝統的木造住宅,特に農家型の建物は座敷部分と比べて土間部分に土壁が多い傾向があり,水平力抵抗要素が平面的に偏った配置となっているケースが少なくない.このような建物については,地震時に土壁の少ない部分の変形が大きくなり,建物に大きな損傷が発生するといった被害が想定される.そのため,伝統的木造住宅の耐震性能を考える場合には,鉛直構面だけではなく,水平力伝達機構についても,その性能を定量的に把握することが重要となる.

一般的な在来軸組構法や枠組壁工法などの現代木造住宅と比べて,伝統的木造住宅は上屋と下屋に分かれた構成となっており,柱の高さが異なることから,文字通りの“水平”構面というものは存在しない.その代わりに,小屋組が比較的大きく,2重,3重に太い梁組が重なった架構となっているため,天井の他に屋根面や桁および梁による軸組も,水平力伝達機構を構成している要素であると考えられる.

以上のような背景から,本論文では伝統的木造住宅における水平力伝達機構の構造的な性能を定量的に捉えることを目的としている.

第1章では本研究に至った背景を述べ,伝統的木造住宅の水平力伝達機構に関する研究を行うことの意義を示した.現在までに,水平力伝達機構を構成する要素に関する研究は幾つか行われてきているが,本研究は水平力伝達機構の中における個々の要素の役割などを解明し,建物全体からの視点で水平力伝達機構を取り扱うものである.

第2章では伝統的木造住宅,およびその中で水平力伝達機構を構成する要素の整理・分類を行った.文化庁発行の「国宝・重要文化財建造物目録」により,伝統的木造住宅のみを拾い上げたところ,重要文化財建造物の伝統的木造住宅の形式は農家型のものが68%を占めることが分かった.その農家型の住宅の中でも,屋根架構が寄棟造,そして茅葺屋根を持つものの割合が多く,伝統的木造住宅の特徴として農家型,寄棟,茅葺屋根であることを示した.また,文献調査によって,小屋組に叉首を持つものが80%弱と大多数であることが分かった.その他には屋根,天井,梁組といった部材の特徴を整理した.

第3章では伝統的木造住宅の水平力伝達機構を構成する要素の構造的特徴について取り扱った.まず,既往の研究について整理し,現在までに得られている知見をまとめた.これにより,棹縁天井などの水平力伝達機構を構成する部材は現代木造住宅,特に枠組壁工法のものや合板張りの床と比べると剛性が小さいということが分かった.

また,伝統的木造住宅の大きな特徴である茅葺屋根について静的せん断加力実験を行った.試験体は実在する重要文化財の住宅の仕様に倣って作成したものであり,茅を葺いたものと下地のみのものとを用意した.正負交番の繰り返し加力で1/5rad.まで変形させたが大きな損傷は無く,大変形領域でも耐力の低下は認められなかった.また,実験中の試験体を観察したところ,試験体の下地がせん断変形しているのに対して,上部の茅は下地に対して全体が回転するような挙動が見られた.試験体ごとのせん断剛性を比較したところ,下地のみの試験体のせん断剛性は茅を葺いた試験体の23.2%であったことから,茅葺屋根のせん断剛性はその75%以上が,茅が下地を拘束することによって生じていることが分かった.

第4章では実際に建っている伝統的木造住宅を試験体とした水平加力実験を実施し,その実験結果を用いて水平力伝達剛性の算出を行った.実大建物を用いて行った研究は過去にも幾つか行われており,そこからは根太天井や棹縁天井は水平力伝達剛性を高める効果があることや伝統的木造住宅の水平力伝達剛性は,在来軸組構法の火打梁を入れない板厚12mmの床に相当することなどが分かっている.

本研究では山口県にある住宅を試験体として,大黒柱のある構面およびその両側にある構面の3つの桁行方向の鉛直構面に対して,順に静的水平加力実験を行った.計測された荷重は大黒柱のある構面の加力時が最も大きかったが,これは水平力伝達機構を介して,その両側の構面にも水平力が分担されているためである.いずれの加力のときも建物の平面が平行四辺形になるようなせん断変形が支配的となっており,建物全体がねじれるといった挙動は見られなかった.小屋組の隅木に貼ったひずみゲージより,加力時には隅木に軸力が生じていることが確認できたことから,小屋組が水平力伝達機構としての役割を担っているものと考えられる.また,建物を3質点の単純モデルに置き換え,実験値から各鉛直構面間の水平力伝達剛性を算出することを試みた.この計算により,幅1mあたりで191〜275kN/rad.(およそ1/500rad.までの変形時)という剛性を得た.これは,既往の研究と同様に在来軸組構法の火打梁を入れない板ある12mmの床と同程度の剛性である.

第5章では第4章で試験体として用いた住宅を立体フレームモデルによってモデル化し,実験結果との比較を行った.このモデルには第3章で示した既往の研究から得られた,棹縁天井や瓦葺屋根,そして実験で得られた茅葺屋根のせん断剛性を適用している.このモデルを用いて,ケーススタディをすることによって水平力伝達要素の水平力伝達機構全体への影響を考察した.

また,水平力伝達機構を考慮したモデルを用いた解析事例として,重要文化財関家住宅の耐震診断の概要と補強工事の内容を掲載した.

第6章では本研究で得られた知見をまとめることで結論とした.また,耐震診断に適用可能な簡便な評価方法の適用や,水平力伝達剛性と鉛直構面剛性の関係性を今後の課題として総括とした.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、伝統的木造建築物において、地震などの水平荷重に直接抵抗する鉛直構面などと比較して、各鉛直構面間で水平力を伝達する水平力伝達機構についての構造性能には解明されていない点が多いとの認識のもとに、伝統的木造住宅の水平力伝達機構を構成する要素の特徴および建物全体の中での役割について検討を行ったもので、6章からなっている。

第1章「序論」では、本研究に至った背景を述べ、伝統的木造住宅の水平力伝達機構に関する研究を行うことの意義を述べている。また、既往の研究と比較して、論文で取り扱う範囲を示し、その対象を寄棟形式の茅葺屋根をもつ農家型の伝統的木造住宅としている。

第2章「伝統的木造住宅の水平力伝達機構を構成する要素の分類」では、文献調査によって伝統的木造住宅をその特徴的な違いによって分類し、農家型,寄棟,茅葺屋根,叉首組といった特徴を持つ建物が多数を占めるということを示している。また、水平力伝達機構を構成すると考えられる部材について、整理・分類を行っている。

第3章「伝統的木造住宅の水平力伝達機構を構成する要素に関する実験」では、既往の研究の整理と茅葺屋根の静的せん断加力実験を行い、水平力伝達機構を構成する要素の構造的特徴について比較・検討を行っている。その結果、伝統的木造住宅の水平力伝達要素は現代木造住宅の床組と比べてせん断剛性が小さいこと、茅葺屋根,瓦葺屋根,棹縁天井,格天井の中では茅葺屋根のせん断剛性が最小であることを明らかにしている。

第4章「伝統的木造住宅の水平力伝達機構に関する実大実験」では、第2章で述べた特徴をもつ伝統的木造住宅を対象として、静的水平加力実験を行った結果について述べている。その結果、伝統的木造住宅は剛床仮定が成立しない建物であることを確認し、その水平力伝達剛性は幅1mあたりで191〜275kN/rad.(およそ1/500rad.までの変形時)であることを示している。

第5章「伝統的木造住宅の水平力伝達機構のモデル化」では、第4章で試験体とした住宅を対象として、水平力伝達機構を考慮した立体フレームモデルを作成し、実験結果との比較および水平力伝達要素を対象としたパラメトリックスタディを行っている。その結果、茅葺屋根、瓦葺屋根といった部材や小屋組の水平力伝達機構としての役割を指摘している。また、水平力伝達機構を考慮したモデルを用いた解析事例として,重要文化財関家住宅の耐震診断と補強工事の概要を示している。

第6章「結論」では、本研究で得られた知見をまとめて結論としている。さらに、耐震診断に適用可能な簡便な評価方法や、水平力伝達剛性と鉛直構面剛性の関係の解明の必要性を述べて、今後の課題としている。

以上本論文は、伝統的木造住宅の耐震性能を把握する上で考慮することが必要となる水平力伝達機構について、水平力伝達要素に関する静加力実験、実大建物を用いた静加力実験、水平力伝達機構を考慮したモデル化による解析によって段階的な検討を行い、伝統的木造住宅の耐震性を向上させるための貴重な知見を得たものであり、建築学上の発展に寄与するところがきわめて大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として、合格と認められる。

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