学位論文要旨



No 121125
著者(漢字) 中谷,隼
著者(英字)
著者(カナ) ナカタニ,ジュン
標題(和) 一般廃棄物処理システムの費用便益分析に基づいた統合的評価の方法論の構築と戦略的環境影響評価への適用可能性
標題(洋)
報告番号 121125
報告番号 甲21125
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6215号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 助教授 平尾,雅彦
 東京大学 助教授 福士,謙介
 東京大学 講師 片山,浩之
内容要旨 要旨を表示する

要旨

近年,環境問題の多様化を背景として,個別の事業段階より上位の政策・計画段階におけるSEA(戦略的環境影響評価)の必要性が高まっている.政策・計画段階での意思決定プロセスにおいては,代替案を幅広く設定し,それらが及ぼす環境影響を含めた様々な影響を考慮して各案を総合評価することで,透明性の高い意思決定が達成される.しかし,環境面,社会面,経済面といった多側面の影響を,どのように総合評価して意思決定に反映させるかについては,必ずしも明確な方法論があるわけではない.

研究の目的は,政策等の実施にともなう様々な種類の環境影響や社会面での影響,経済面での影響を,地域性を考慮し,地域住民の価値判断を反映させて統合的に評価することで,その政策等の意思決定プロセスに対して,資源配分の効率性の観点からの判断基準を提供するための方法論を構築することである.本論文では,計画段階におけるSEAへの適用を前提として,CBA(費用便益分析)に基づいた統合的評価の手法を提案した.我が国においてもSEAの導入の可能性があるとされている廃棄物分野を対象としたケーススタディを通して,提案した手法のSEAへの適用可能性を示し,評価結果を意思決定プロセスに反映させることの意義について考察した.

ケーススタディの対象は,神奈川県川崎市の一般廃棄物処理システムとした.川崎市では,現在,可燃ごみと不燃ごみの分別収集が行われていないが,容器包装リサイクル法が全面施行されたことを背景に,プラスチックごみの分別収集が計画されている.本論文では,容器包装プラスチックの分別収集とリサイクルに着目して代替案を設定し,提案した手法によって現状維持案を含めた複数案を比較評価した.

複数案は,以下のように設定した.現状維持案では,容器包装プラスチックを含む可燃ごみと不燃ごみを「普通ごみ」として混合収集し,全量を市内の施設で焼却処理するものとした.代替案Iでは,容器包装プラスチックを「プラごみ」として分別収集して直接埋立するものとした.代替案IIでは,容器包装プラスチックを分別収集してリサイクル(高炉原料化)するものとした.また,ごみ量の増減について「増減なし」「5%減」「10%減」,ごみの混入率について「0%」「5%」「10%」という状況を想定し,それらと各案の組み合わせによって21のシナリオを設定した.

評価項目は,「地球温暖化」「資源枯渇」「健康影響」「埋立処分場」「分別行動」「費用」の6項目とした.また,それぞれの評価指標は「GHG(温室効果ガス)排出量」「化石燃料消費量」「都市域大気汚染物質による健康被害量(DALY)」「埋立処分場の残余年数」「プラごみ分別収集の有無」「ごみ処理費用」と設定した.

まず,各シナリオについて,「インベントリ分析」および「インパクト評価」という手順で,各評価指標の値を推定した.地球規模の影響項目に関しては,LCA(ライフサイクルアセスメント)的な考え方で評価範囲を設定し,消費段階のみではなく,生産・供給段階も含めたライフサイクルでのインベントリを考慮した.また,高炉原料化に関しては,還元剤であるコークスの一部をプラスチックで代替した製鉄工程と,それに相当する量のコークスを用いた従来の製鉄工程の差を評価した.インパクト評価では,都市域大気汚染物質の排出量から,濃度評価および被害評価によって健康被害量(DALY)を推定した.インパクト評価が完了した段階では,影響項目「地球温暖化」および「資源枯渇」の観点からは代替案IIが最も望ましく,「費用」の観点からは現状維持案が最も望ましいことが分かった.影響項目「健康影響」または「埋立処分場」の観点からは,どの案が最も望ましいかについて明言することはできなかった.

次に,「影響項目の貨幣換算」「影響項目の統合化」という手順で統合的評価を行った.影響項目の貨幣換算の段階では,これらを地域的な影響を与えるグループ(健康影響,埋立処分場,分別行動)と,地球規模の影響を与えるグループ(地球温暖化,資源枯渇)に分けて考えた.

地域的な影響項目については,ペアワイズ評定型コンジョイント分析を用いて,川崎市の住民の価値判断を反映させて貨幣換算した.ただし,健康被害量に関しては,損失余命に換算したものを評価対象とした.また,地域的な影響項目に加えて,CO2(二酸化炭素)排出量をコンジョイント分析の評価対象とした.まず,フォローアップの質問によって,プラごみ分別収集の有無に対する漠然とした先入観からコンジョイント分析の質問に答えている回答者を,信頼性の低い回答者として抽出した.次に,費用負担(ごみ処理負担金)に対する意識を問う質問によって標本を分割することで,倫理的満足感の存在を確認し,それを持つ回答者を特定することができた.コンジョイント分析の解析によって,いずれの環境影響に関しても,住民の効用は単純な線型関数では表されないことが分かった.損失余命および埋立処分場の残余年数に関しては,効用が指数関数によって表された.CO2排出量に関しては,効用は「地球環境に貢献している」という満足感や,「地球環境に貢献しなければならない」という責任感に由来していると解釈された.また,プラごみの分別収集に関して,住民はプラごみを分別収集すること自体によって何らかの効用を得ていることが示唆された.

地球規模の影響項目に関しては,LCA分野の統合化手法の1つであるEPSを参考にして貨幣換算した.そして,全ての評価項目は,社会的便益または社会的費用として貨幣単位の単一指標に統合化され,各シナリオにおけるNSB(社会的純便益)が評価された.その結果,資源配分の効率性の観点から代替案Iか代替案IIが最も望ましい案であると言えた.どちらの方が望ましいかはごみの混入率に依存し,混入率が5%より小さいと見込まれるときには代替案IIの方が望ましく,混入率が5%より大きいと見込まれるときには代替案Iの方が望ましいという結論が得られた.ただし,影響項目「分別収集」の社会的便益は大きな不確実性をともなう可能性があるため,これを除外してNSBを評価したところ,現状維持案が最も望ましい案であるという結果となった.

ここまでに述べたケーススタディの結果をもとに,本研究で提案した手法のSEAへの適用可能性について検討した.ここでは,政策評価における本研究で提案する手法の役割は,CBAの役割を基本として,SEAの意義も内包したものであり,そこではLCAの考え方が土台にあることが述べられた.

最後に,提案した手法の妥当性と,今後の発展性および残された課題について議論した.本論文において,提案した手法の理論的な側面に関しては,十分に検討されたものと考えられるため,今後,研究を発展させていくべき方向性は,実務的な問題に関する検討であると言えた.本研究で提案した手法を含めた政策等の評価手法に求められる第一義的な役割は,絶対的な評価結果を求めることではなく,意思決定者による説明責任の一助となることにあると考えられ,本研究で提案した手法の実務的な側面を発展させる中では,「説明責任」を核とした研究が進められることが期待されるとした.

審査要旨 要旨を表示する

近年、事業の基本計画段階で代替案を含めた検討を行う戦略的環境影響評価実施の必要性が認識されてきている。費用便益分析による検討やライフサイクルアセスメントを活用した環境負荷の分析をその中に組み込んでいくことは、環境影響評価をより包括的なものにし、総合的な判断を行う上で重要と考えられる。しかしながら、その手法については実用的にはもちろん、学術的にも十分に検討されておらず、その基盤を形成することが求められている。

本論文はこのような背景の元に行われたもので、「一般廃棄物処理システムの費用便益分析に基づいた統合的評価の方法論の構築と戦略的環境影響評価への適用可能性」と題し、11章からなる。

第1章は「序論」で、問題意識とともに研究の目的を示している。

第2章は「既存の知識の整理」であり、本研究において提案する統合的な解析に関連する基本事項を網羅的に整理している。

第3章は「提案する手法の方法論」であり、本研究において新たに提案する統合的な評価の方法の基本的な考え方をまとめて示すと共に、具体的な手順について示している。ここで提案されている方法は、従来の費用便益分析やライフサイクルアセスメントなどを出発点としながらも、環境面、社会面と経済面の便益と費用を貨幣単位で比較可能なものにするために緻密な検討が加えられ、新たな評価体系に高められている。環境面では地域的な影響と地球規模の影響を区別し、健康被害、埋め立て地の残余年数、ごみ分別などの社会的な項目の重み付けと貨幣価値の算出をコンジョイント分析を用いて行っている点に大きな特徴がある。

第4章は「ケーススタディの対象」である。本研究では、川崎市における一般廃棄物処理システムを解析対象にしており、そこで検討の対象とした代替案を現状と比較して述べている。

第5章は「インベントリ分析」である。ここでは、対象としたシナリオのそれぞれに対する環境負荷を算出するために廃棄物の組成、収集、焼却、高炉原料化について環境負荷及び費用の両者について緻密な解析を行っている。

第6章は「インパクト評価」である。ここでは想定したそれぞれのシナリオの元で生じる廃棄物収集・輸送量の変化に伴う大気汚染物質排出量変化がもたらす健康被害量をリスク解析に基づき示しており、地域の環境への影響という、従来のライフサイクルアセスメントでは十分に評価されていなかった要素を評価している。

第7章は「統合化に向けた予備調査」である。実際にごみの分別を導入した他市について調査をして分別に対する市民の評価を把握すると共に、本調査に先立ち、コンジョイント分析などの表明選好法に生じがちなさまざまなバイアスを避けるために予備調査を繰り返し行った。この予備調査は、本調査の信頼度を高めるために大きく貢献しており、信頼性の高いコンジョイント分析調査を行うためのステップの提案としてもその意義は大きい。

第8章は「統合化のための本調査」である。ここでは本調査の詳細をまず示し、続いてコンジョイント分析の効用関数を複数提案し、そこから得られるパラメータ推定の結果を詳細に分析し、最終的に採用すべき効用関数を決定した。その結果から健康影響、埋め立て地の残余年数の減少、およびごみの分別行動のそれぞれに対する価値あるいは損害額を金銭的に評価することに成功している。

第9章は「統合的評価」である。この章では、前章までで得られた結果に基づき、温室効果ガスの排出、化石燃料資源の利用に伴う損害を貨幣価値で評価し、健康影響、埋め立て地の残余年数、およびごみの分別行動らと共に金銭評価を行った。このような評価の結果を基に社会的純便益が最も大きいシナリオとして、分別を行いプラスチックを高炉原料化する方法が選ばれることを示すともに、分別の徹底度や廃棄物量により社会的純便益が異なることを定量的に示した。

第10章は「戦略的環境影響評価への適用」であり、本研究で提案した手法がどのように戦略的環境影響評価の枠組みの中に位置づけられるかを明らかにし、またそのような戦略的環境影響評価の適用可能性について考察を行っている。

第11章は結論である。

本研究は、その管理方法が環境、健康、費用に与える影響が複雑である廃棄物処理システムを対象に取り上げ、提案した手法が持つ有効性を示している。しかし、ここで得られた成果、あるいは提案している手法の適用範囲ははるかに広い。公共的な事業を行う際に、それによってもたらされる正と負の影響を、影響を被る市民が有している価値基準を元に評価することを基本としている本手法は、新規事業を戦略的に選択していく段階、現状を改善していく段階で、社会的な合意の元に事業を進める上で役立つであろう。本研究は、このような課題に対して、きわめて緻密な理論と計算に基づいてなされており、今後のこの分野の研究と実践の基礎となるものとして高く評価される。

以上、本研究において得られた成果には大きなものがある。本論文は環境工学の発展に大きく寄与するものであり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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