学位論文要旨



No 121132
著者(漢字) 岩吉,俊輔
著者(英字)
著者(カナ) イワヨシ,シュンスケ
標題(和) 引張刺激に応答した細胞の形態変化のメカニズムに関する研究
標題(洋)
報告番号 121132
報告番号 甲21132
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6222号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛田,多加志
 東京大学 教授 鷲津,正夫
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 佐久間,一郎
 東京大学 講師 古川,克子
内容要旨 要旨を表示する

血管の内腔面を形成する血管内皮細胞 (endothelia cell: EC)は,生体内において,血流による軸方向の剪断応力や拍動による周方向の引張刺激など,様々な力学的刺激が負荷されており,これらの刺激に応答して,その細胞機能及び血管機能の調節を行っている.よく知られる細胞の力学的刺激への応答の一つに,形態の変化がある.血管内皮細胞は生体内において血流方向,すなわち引張方向に対して垂直に配向しているが,生体外で培養するとランダムに配向する.しかしながら,これに周期的引張刺激を負荷すると,数時間で生体内と同様に引張刺激と垂直の方向に配向,伸長した形態となる.この応答は,力学的ストレスに対する細胞の忌避行動であるといわれている.

従来のこのメカニズムに関する研究は,固定した細胞の染色や,細胞を可溶化して平均化されたタンパク質のリン酸化状態を調べるなど,死んだ細胞群のある時点での状態に基づいて行われていた.しかしながらこの方法では,形態変化の過程が分からない.また,個々の細胞でのシグナルや細胞内でのシグナルの局在性などが調べられないといった問題点があった.

これらの問題点の解決策として挙げられるのが,リアルタイムイメージングである.生きている細胞をそのまま観察するため,個々の細胞における形態変化の観察が可能となる.また,近年急速に技術が進歩している蛍光タンパク質イメージングを用いれば,細胞内の生体分子のダイナミックなリモデリングを時系列的に観察することや個々の細胞の細胞内シグナルをリアルタイムで測定することも可能となる.

もし,細胞への引張刺激負荷とリアルタイムイメージングを同時に実現することが可能になれば,細胞の形態変化のメカニズムを含む,引張刺激に応答する様々な細胞機能の解明への強力なツールになると考えられる.さらに,細胞の引張刺激への応答のメカニズムを解明することは,高血圧症,動脈硬化などの力学的因子が作用する疾患の治療法や予防法の開発や,力学的刺激負荷を利用した組織構築による再生医療の実現などに応用できる可能性がある.

そこで本研究では,引張刺激負荷への細胞応答のリアルタイムイメージングシステムを構築すること及び,それを用いて周期的引張刺激に応答した血管内皮細胞の形態変化のメカニズムを探ることを目的とした.

周期的引張刺激に応答した細胞形態変化の連続観察

細胞を両側に引っ張ることで引張刺激負荷時に細胞を視野から逃さずに観察できるカム型引張刺激装置とシンクロナスモーターを組み合わせることで,10%,1Hzの周期的引張刺激を負荷しながら,細胞を連続的に観察可能なシステムを構築した(Fig.1).これを用いて2時間,周期的引張刺激をヒト臍帯静脈血管内皮細胞(HUVEC)に負荷したところ,引張方向と垂直の方向への配向が観察された(Fig. 2).

次に,この形態変化を連続的に録画し,内皮細胞一個一個の追跡を行い,Shape Index(S.I.)という値を用いて,個々の細胞の形態変化のプロセスを定量的に解析したところ,細胞の初期の形態に依存して,形態変化のプロセスが異なることが分かった.ここで, S.I.は細胞の外周と面積から定義され,1に近付くほど丸く,0に近付くほど伸長した細胞であることを示す.引張刺激負荷前の形態が丸い形態をしている細胞では,引張刺激開始直後からS.I.が低下,すなわち細胞が伸長を開始する.これに対し,引張刺激負荷前の時点で引張方向に配向している細胞では,引張刺激開始後にS.I.は一度増加し,次に減少する,すなわち一度丸まってから次に伸長していることが分かった.引張刺激負荷前に引張方向と垂直に配向している細胞では,S.I.の変化は見られなかった.

さらに,初期の状態で引張方向に配向しているある細胞に注目したところ,引張刺激開始後にまず収縮し,真円に近い形状になってから引張方向と垂直の方向に伸長することが観察された.この結果から,細胞の伸長のみでなく細胞の収縮が重要な役割を果たしていることが示唆された.

蛍光タンパク質を用いた細胞骨格と細胞接着のリモデリングの可視化

細胞の形態は,アクチンや微小管といった細胞骨格が,それぞれ張力部材と圧縮部材としてバランスを取ることで構築されている.また,前項の実験から細胞収縮の重要性が示唆されたが,この細胞収縮はストレスファイバーと呼ばれるアクチンフィラメントの束の収縮により引き起こされる.そこで,周期的引張刺激に応答した形態変化の,より詳細なメカニズムを解析するために,緑色蛍光タンパク質Green Fluorescent Protein (GFP)とアクチンの融合タンパク質を発現するプラスミドベクターをリポフェクション法により血管内皮細胞内に発現させることで,アクチン細胞骨格を可視化した.また,アクチンストレスファイバーの端点は細胞接着(Focal Adhesion)と呼ばれるタンパク質の複合体に接続しているが,そこに局在するタンパク質の一種であるzyxinもRed Fluorescent Protein (RFP)により,アクチン同様に可視化することで,2種類のタンパク質の2色同時観察を実現した.

引張刺激下での蛍光タンパク質観察システムは,精度良い引張量を負荷することができ,かつ高倍率,高開口数の水浸対物レンズ(60倍,N.A. 1.1)でアクセスが可能なステッピングモーター型引張負荷装置と正立型蛍光顕微鏡(Olympus)を組み合わせることで構築した(Fig. 3).

この顕微鏡システムを用いて,20秒おきに画像を取得し,その間に10%の引張刺激を10回負荷することで,HUVECに10%,0.5Hzの周期的引張刺激を負荷しながら,アクチンとZyxinのリモデリングの同時観察を行ったところ,初期の細胞の形態やストレスファイバーの状態に依存して,数種類のパターンのリモデリングが観察された.

1つめのパターンとしては,引張刺激負荷開始前の時点で,引張刺激と垂直方向にストレスファイバーが配向している細胞では,周期的引張刺激の負荷開始直後から,そのストレスファイバーが伸長を始め,それと共に細胞も細胞膜のラフリングを起こしながら,その方向に伸長した.2つめのパターンとしては,引張方向に配向したストレスファイバーを持っている丸い細胞や,引張方向と斜め方向のストレスファイバーを持っている細胞では,それらのストレスファイバーがフォーカルアドヒージョンと共に核を中心として回転し,引張方向と垂直に配向する.それと同時にストレスファイバーの伸長も生じ,結果として細胞が引張方向と垂直に配向,伸長した(Fig. 4).3つめのパターンとしては,初期の時点で引張方向に配向,伸長していた細胞では,引張刺激によりストレスファイバーと共に収縮し,直後に一部のストレスファイバーは消失する.次に引張方向と垂直にストレスファイバーが現れ,このストレスファイバーの伸長と共に細胞も引張方向と垂直に伸長した.このように,周期的引張刺激に応答した細胞形態変化は,細胞骨格及び細胞接着の収縮,崩壊,再構築,回転移動などが組み合わさって生じていることが見出された.

FRETによる細胞内シグナルのリアルタイム測定

前項の実験から,個々の細胞や細胞内部で,細胞内シグナルが異なる可能性あることがわかった. そこで,リアルタイムで単一細胞の細胞内シグナルを測定するために,蛍光タンパク質のリアルタイムイメージングシステムの応用として, CFPとYFP間の蛍光共鳴エネルギー移動(Fluorescence Resonance Energy Transfer: FRET)による細胞内シグナルのリアルタイム測定システムの構築を行った.

構築したFRET測定システムを用いて,細胞骨格や細胞接着のリモデリングに関与しているといわれているSrcチロシンキナーゼの活性を測定した.FRETのプローブには,カリフォルニア大学サンディエゴ校のDr. Chienのグループが作成したSrc Reporter を使用した.

生理活性物質への応答を計測したところ,EGFやVEGF による刺激に対してSrc ReporterのRatioの低下が見られた.これはSrcチロシンキナーゼの活性の上昇を意味する.次に,周期的引張刺激を負荷したところ,Src ReporterのRatioの低下が見られた(Fig. 5).また,この反応はSrcチロシンキナーゼの特異的阻害剤であるPP1を用いることで消失した.これらの結果は細胞群を対象としたウェスタンブロッティング法などの生化学的手法により報告されている結果と一致している.FRET測定により,単一細胞を追跡した場合においても,Srcチロシンキナーゼが活性化することが示唆された.

Fig. 1 カム型細胞引張刺激負荷装置

Fig. 2 血管内皮細胞の形態変化

Fig. 3 ステッピングモーター型細胞引張刺激負荷装置と正立型蛍光顕微鏡システム

Fig. 4 周期的引張刺激に応答した細胞骨格と細胞接着のリモデリング

Fig. 5 引張刺激に応答したSrc ReporterのRatioの変化

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「引張刺激に応答した細胞の形態変化のメカニズムに関する研究」と題し,本文9章からなる.

血管内皮細胞は生体内において,血流による剪断応力や拍動による引張刺激に応答して応答して,細胞機能や血管組織の調節やリモデリングを行っている.そのため,この血管内皮細胞の力学的刺激に応答するメカニズムを解明することは,動脈硬化症などの疾患の治療法や予防法の開発や,力学的刺激負荷を利用した組織構築による再生医療の実現などに貢献できると期待されている.

血管内皮細胞の力学的刺激への応答の一つに,周期的引張刺激に応答した,引張方向と垂直への配向がある.従来のこのメカニズムに関する研究は,固定した細胞や,細胞を可溶化することにより行われてきたが,この方法では,形態変化の過程が分からない,個々の細胞での細胞内シグナルの変化が分からないといった問題点があった.これらの問題点の解決策として挙げられるのが,リアルタイムイメージングである.

本論文は,引張刺激負荷への細胞応答のリアルタイムイメージングシステムを構築することにより,周期的引張刺激に応答した血管内皮細胞の形態変化のメカニズムを探ったものである.

第1章 「緒言」では,研究の背景として細胞の力学的刺激に応答した形態変化に関する先行研究やGreen Fluorescent Protein(GFP)を使ったリアルタイムイメージング手法,本研究における目的を述べた.

第2章 「実験方法」では,血管内皮細胞の細胞培養法や本論文で開発した細胞引張刺激負荷装置の解説を行った.

以下,第3章から第7章では,本研究の目的を実現するために行った実験テーマごとにまとめられてある.

第3章「周期的引張刺激に応答した細胞形態変化の連続観察」では,周期的引張刺激を負荷しながら細胞を連続的に観察可能なシステムを構築した.これを用いて2時間,周期的引張刺激を細胞に負荷し,個々の細胞の形態変化の解析を行ったところ,引張刺激負荷前の形態に依存して,形態変化のプロセスが異なることが分かった.また,周期的引張刺激に応答した形態変化には細胞の伸長のみでなく,収縮が重要な役割を担っていることが示唆された.

第4章「蛍光タンパク質を用いた細胞骨格と細胞接着のリアルタイムイメージング」では,形態変化のより詳細なメカニズムを解析するために,細胞骨格と細胞接着を単一細胞レベルでリアルタイムイメージング可能なシステムを,引張負荷装置とGreen Fluorescent Protein (GFP)イメージング技術を組み合わせることで構築した.これを用いて細胞に周期的引張刺激を負荷し,アクチン細胞骨格と細胞接着の同時観察を行ったところ,アクチンストレスファイバーは,崩壊,再構築,収縮,伸長,移動と様々なパターンのリモデリングを生じながら,細胞形態を変化させていることが分かった.

第5章「周期的引張刺激に応答した形態変化に関与する細胞内シグナル」では,周期的引張刺激に応答した形態変化における細胞内シグナルを探るために,種々の阻害剤を用いて細胞内シグナルを阻害した血管内皮細胞に周期的引張刺激を負荷し,その形態変化を位相差顕微鏡や蛍光顕微鏡によって観察した.その結果, Rho kinaseや2型ミオシンのリン酸化がこの形態変化に関与していることがわかった.

第6章「FRETによる細胞内シグナルのリアルタイム測定」では,第4章GFPを用いたリアルタイムイメージングの応用として,Fluorescent Resonance Energy Transfer (FRET)による細胞内シグナルのリアルタイム測定システムを構築した.FRETのプローブとして,細胞骨格や細胞接着のリモデリングに関与しているSrcチロシンキナーゼ活性を測定するSrc Reporterを用いた.薬剤刺激への応答を計測したところ,EGF,VEGF に応答してSrcチロシンキナーゼの活性の上昇が確認された.次に,周期的引張刺激を負荷したところ,単一細胞においてもSrcチロシンキナーゼ活性が上昇するという結果を得た.この結果は過去の報告による細胞群での測定結果と一致している.また,このSrcチロシンキナーゼの上昇は,Srcの特異的阻害剤であるPP1を用いることでブロックされた.

第7章「カルシウムイオン濃度と一酸化窒素産生量の同時測定」では,周期的引張刺激に応答した,血管弛緩を引き起こす一酸化窒素(NO)の産生量の変化と,それを制御しているカルシウムイオン濃度の変化を,カルシウムイオン蛍光指示薬Fura-2と一酸化窒素指示薬DAF-2を用いて同時に測定した.この結果から,引張刺激下でのリアルタイムイメージングを実現することは,形態変化のメカニズム解析のみでなく,血管内皮細胞やその他の細胞の生理的機能について研究する上で有用なツールとなり得ることがわかった.

第8章「総括」では,第3章から第7章の実験結果を組み合わせて得られる考察や,実験システムの今後の可能性などについて述べた.

そして最後に第9章「結言」として本博士論文の成果を述べた.

以上のように,本論文では引張刺激下のリアルタイムイメージングシステムを構築し,細胞の形態変化のメカニズムを探ったが,それらは,工学的な意義が大きく,細胞の力学的刺激に応答するメカニズムの解明に重要な貢献をなすものと考えられる.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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