学位論文要旨



No 121135
著者(漢字) 津田,伸一
著者(英字)
著者(カナ) ツダ,シンイチ
標題(和) 気泡核生成 : 成長の分子動力学解析
標題(洋)
報告番号 121135
報告番号 甲21135
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6225号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高木,周
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 加藤,千幸
 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 助教授 川村,隆文
内容要旨 要旨を表示する

緒言

気泡核の生成‐成長過程は,キャビテーションや沸騰,蒸気爆発などにおける最初の時系列素過程であり,気泡の初生機構や発泡点の解明において重要である.この素過程は分子論的側面を無視できないが,熱流体工学の分野ではおもに連続体的な観点から研究が進められてきていた.しかし,近年のナノ・バイオテクノロジーの進展にしたがい,熱・流体輸送を促進する観点において,相変化過程としての核生成‐成長過程を分子論的側面から明らかにする必要が出てきている.そこで,本研究では(減圧下における)気泡核の生成‐成長過程を分子動力学解析によって明らかにすることを目的とする.

数値実験法

Lennard-Jones液体を対象として,分子数,体積,全エネルギ一定の分子動力学シミュレーションをおこなう.計算領域は立方体であり,周期境界条件を課す.また,本研究では減圧下における気泡核の生成‐成長過程を模擬するが,この場合,準安定平衡状態にある低圧力下の液体を生成する必要がある.本研究では,計算領域の等方膨張操作により系の圧力を制御することで,目的とする低圧力下の準安定液体の生成をおこなう(1)(2).また,解析に際しては,気泡核領域を適宜抽出する必要があるが,これについては丸山・木村の方法(3)を用いておこなう.

単一気泡核の生成過程の解析(核生成速度の逆転現象)

近年,不凝縮ガス混入液体中での気泡核生成においては,温度上昇にともなって核生成速度が低下するという,通常とは定性的に異なる変化(核生成速度の逆転現象)が起こる場合があることが,理論と実験の双方において指摘されている(4)(5). 本節では,減圧下の核生成を対象として,逆転現象の機構を不凝縮ガスの分子特性との関係において明らかにすることを目的とする.

まず,核生成速度に比例する量として,核生成確率を計算した(2).その結果,不凝縮ガスの分子間力が弱い場合には,その分子径の違いによって生じる圧力差に対して,核生成確率の変化が逆転する(圧力が低くなるにつれて,核生成確率が低下する)ことがわかった. つぎに,気泡核が生成される前の準安定平衡状態において,ゆらぎによって現れる微小ボイドの分布関数を計算した.その結果,逆転現象が起こる(不凝縮ガスの分子間力が弱い)場合には,その分子径が大きいときほど,より大きなボイドを形成する頻度が高くなることがわかった.このことは,分子間力が弱くて分子径の大きな不凝縮ガスの存在が,より臨界サイズに到達しやすくすることを意味しており,逆転現象が起こる運動論的要因として考えられる.

つぎに,この逆転現象を熱力学的側面から解析した.具体的には,状態方程式(EOS)を計算(6)し,EOSから飽和点とスピノーダル点を導出する.ここで,スピノーダル点とは,核生成速度が0になる熱力学的状態点である(飽和点では核生成速度が無限大となる).結果として,逆転現象が起こりやすい(不凝縮ガスの分子間力が弱い)場合には,分子径の違いが低圧力(高負圧)領域になるほどEOSの差として表れやすくなることがわかった.このことは,スピノーダル圧力の違いが表れやすくなることを意味しており,実際に分子間力が弱い(逆転現象が起こる)場合には,その分子径が大きくなるにつれてスピノーダル圧力は著しく高くなることがわかった.このように,スピノーダル圧力の上昇幅が大きいことは,系の熱力学的状態が(核生成速度が無限大になる)スピノーダル圧力に近くなることを意味しており,逆転現象が起こる熱力学的要因として考えられる.

このような熱力学的背景を踏まえたうえで,飽和圧力とスピノーダル圧力の間で無次元化した過熱度を導入した.この無次元過熱度は,飽和点で0,スピノーダル点で1になるようにスケーリングされる.導入した無次元過熱度と核生成確率の変化の関係を調べた結果,圧力で比較した場合と異なり逆転的傾向は表れなくなることがわかった.すなわち,無次元過熱度を導入することで,過熱度の上昇にともない核生成確率も上がるという熱力学的に整合する現象として,核生成速度の逆転現象を記述できることが明らかとなった.

複数気泡核の成長過程の解析

本節では,前節よりも計算領域を大きくすることで,複数の気泡核の成長過程を模擬する.計算対象としては,不純物の混入がない一成分系液体アルゴンと,10%のモル分率でヘリウム相当の不凝縮ガスが混入している二成分系の液体アルゴンである.一般に,相転移の動的過程を解析する際には,新しく現れる相が形成する領域(ドメイン)の代表長さを導出し,その時間によるべき乗則に注目する.このとき,べき乗則によってスケーリングされる指数を成長速度指数と呼ぶが,この指数は対象とする相転移を駆動するユニバーサルな機構を反映していると考えられる.そこで,本節では,各系における気泡核の成長過程を捉えたうえで,成長速度指数との関係に注目した.なお,代表長さとしては平均気泡核半径を導出する.

結果として,一成分系においては,個々の気泡核の成長がある程度進んだ時点で,小さな気泡核は収縮‐崩壊に至る一方,大きな気泡核は成長し続ける様子が確認された.これに対して,二成分系では合体による成長がつぎつぎと起こり,一成分系で見られた収縮‐崩壊過程は明確には確認されなかった.このように一成分系と二成分系で成長の様子が大きく異なるにも関わらず,成長速度指数はともにn=1/2となった.そこで,成長速度指数を決めるパラメータである,気泡核半径の総和値と総気泡核数に対するスケーリング指数に注目した.その結果,これらのスケーリング指数は大きく異なることがわかり,気泡核半径の総和値や総気泡核数が成長機構の違いを反映する適切なパラメータになることが示された.また,この2つのパラメータは,サイズ分布関数f(R,t)の半径Rに対する1次と0次のモーメントをそれぞれ積分した値であることから,サイズ分布関数を介して各スケーリング指数と成長機構との対応づけを図ることも可能である.

サイズ分布関数の漸近挙動解析

本節では,個々の気泡核の時間変化の定式化を試みるとともに,ある一定の制約条件のもとで示される気泡核のサイズ分布関数の時間発展則をLifshitz & Slyozov(7) が示した漸近挙動解析にもとづいて導出する.対象は,前節の一成分系液体中での気泡核である.

まず,各気泡核の半径変化が従う方程式を考える.連続体スケールでは,気泡半径はNavier-Stokes方程式を気泡表面と非圧縮性の周囲液体に対して適用したRayleigh-Plesset方程式(8)に従って変化する.前節のシミュレーションでは,直径が高々10nm程度の気泡核を対象としているため,Rayleigh-Plesset方程式に単純に従う半径変化をしているとは考えにくいが,まずはマクロな気泡の半径変化が従う本方程式にどの程度合致するのかを確かめた.結果として,前節の各気泡核の半径変化はRayleigh-Plesset方程式に単純には従わないことがわかった.また,この原因は,表面張力の曲率依存性を正確に考慮できていない点にあり,気泡核の表面層を含めた局所圧力テンソルの計算が重要であることを述べた.

一方,表面張力を単純にフィッティングパラメータとして用いた場合には,各気泡核の半径変化はRayleigh-Plesset方程式によく従うため,少なくとも本方程式の枠組みは適用可能であることがわかった.また,このときRayleigh-Plesset方程式の各項の寄与を比較したところ,慣性項の影響が他の表面張力項や圧力項,粘性項と比較して小さいこともわかった.以上の点を踏まえて,慣性項を無視したRayleigh-Plesset方程式に対して漸近挙動解析と次元解析をおこなった結果,得られる成長速度指数はn=1となった.これは,第4章で得られた成長速度指数(n=1/2)とは異なっており,その原因としてRayleigh-Plesset方程式とは異なる数学的構造が存在すること(表面張力の曲率依存性など)や,計算領域依存性の問題があることを指摘した.

結言

減圧下における気泡核の生成過程と成長過程を分子動力学シミュレーションにより再現し,核生成速度に及ぼす不凝縮ガスの分子特性の影響や,不凝縮ガスがもたらす成長機構への影響を成長速度指数との関係において明らかにした.また,気泡核のサイズ分布関数の時間発展則を明らかにするうえで重要となる,気泡核半径の時間変化の定式化を試み,Rayleigh-Plesset方程式の有効性と問題点を指摘した.

T. Kinjo, M. Matsumoto, Fluid Phase Equilibria, 144, 343, 1998.津田ら, 機論B編, 71, 1893, 2005.丸山・木村, 機論B編, 65, 3461, 1999.V. Talanquer, D. W. Oxtoby, J. Chem. Phys., 102, 2156, 1995.P. G. Bowers et al., Journal of Colloid and Interface Science, 215, 441, 1999.Y. Kataoka, J. Chem. Phys., 87, 589, 1987.I. M. Lifshitz, V. V. Slyozov, J. Phys. Chem. Solids, 19, 35, 1961.M. S. Plesset, J. Appl. Mech., 16, 277, 1949.
審査要旨 要旨を表示する

キャビテーションをはじめとする気液の相変化現象において,その最初の時系列素過程にあたる気泡核の生成‐成長過程は,熱流体工学の分野において残されてきた大きな未解決問題の一つである.また,近年のナノ・バイオテクノロジーの進展にともない,微小空間内における熱流体輸送を促進するための新しい観点や技術が必要になってきているが,気液の相変化や微小気泡の利用はその一つとして注目されてきている.このような中,気泡核の生成‐成長機構やそのサイズ分布状態を分子レベルから明らかにしていく必要性が高まってきている.そこで,本論文では液体中における気泡核の生成‐成長機構やそのサイズ分布状態を,分子スケールから解明することを目的としている.

第1章は「緒論」であり,研究の背景,従来の研究の経緯,および本論文の目的と構成を述べている.

第2章は「数値実験法」であり,研究手法として採用している分子動力学法の概要と気泡核の生成‐成長過程の再現方法,および主な解析方法を述べている.

第3章は「単一気泡核の生成過程の解析」である.ここではLennard-Jones液体を対象として,減圧下での気泡核生成において重要な役割を果たす不凝縮ガスの影響を,その分子特性との関係において解明している.まず,分子動力学シミュレーションにもとづいて核生成頻度を計算し,不凝縮ガスの分子間力が弱い場合には,その分子径の違いに応じて生じる圧力差に対して,圧力の上昇にも関わらず核生成頻度が上昇するという,通常の変化とは定性的に異なる現象(逆転現象)が起こることを見出している.ここで,この逆転現象は分子径の違いによって生じる濃度ゆらぎの違いに起因することを分子論的観点から説明している.また,逆転現象が起こる場合には低温度高負圧領域における熱力学的状態点が分子径の違いを受けやすくなることに注目し,この影響を反映した無次元過熱度という指標を導入している.そのうえで,この逆転現象が無次元過熱度の上昇にともなう核生成頻度の上昇という,熱力学的に整合性のある(通常の変化とも定性的に合致する)現象として記述できることを示している.

第4章は「複数気泡核の成長過程の解析」である.ここでは,大規模分子動力学シミュレーションによって複数の気泡核が相互に影響を及ぼしあう系での粗大化過程を再現した上で,その粗大化機構を反映する物理量の(時間のべき乗による)スケーリング指数を導出している.解析対象は,不純物の混入がない一成分系アルゴンと,10%のモル分率でヘリウムに相当する不凝縮ガスが混入している二成分系アルゴンである.まず,一成分系では,個々の気泡核の成長がある程度進んだ時点でより小さな気泡核は収縮‐崩壊に至る一方,より大きな気泡核は成長を続けるという競合的な粗大化が起こるのに対して,二成分系では,合体による粗大化が頻繁に起こることを示している.また,このように粗大化の形態が異なる理由を,分子論的観点と熱力学的観点から考察している.続いて,平均気泡核半径の時間変化に対するスケーリング指数(成長速度指数)は双方の系において1/2になる一方で,成長速度指数の内訳である気泡核の総半径と総気泡核数に対する2つのスケーリング指数は双方の系で大きく異なることを導いている.このことから,この2つのスケーリング指数が粗大化機構を反映する注目すべきパラメータとなることを結論づけている.

第5章は「サイズ分布関数の漸近挙動解析」である.まず,第4章で注目したスケーリング指数を介して気泡核のサイズ分布の時間発展則,ひいては気泡核分布の多重スケール構造を明らかにするための指針を述べている.そのうえで,気泡核のサイズ分布の時間発展則を導くために必要となる,気泡核半径の時間変化の定式化を試み,マクロな気泡半径の時間変化を記述するRayleigh-Plesset方程式を用いることの有効性と問題点を議論している.

第6章は「結論」であり,本論文で得られた主な知見をまとめている.

第3章では不凝縮ガスが核生成過程に及ぼす分子レベルでの影響を,分子論的観点に熱力学的観点も加えて統合的に明らかにしており,その学術的成果は非常に大きい.また,第4章ではほとんど分かっていなかったメゾスケール領域における気泡核の粗大化過程の一部を明らかにしている点が評価される.第5章は発展的な内容であり,気泡核半径の時間変化の定式化には成功していないが,気泡核分布の多重スケール構造を明らかにするうえで必要な課題と指針を明示している点は評価される.このように,本論文はいくつかの先駆的な解析結果とそれに基づく物理的描像,および今後の進むべき方向性を示しており,該当分野における工学的寄与は非常に大きい.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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