学位論文要旨



No 121152
著者(漢字) 酒井,英司
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,エイジ
標題(和) 鳥類の呼吸機構の解明と熱輸送促進への応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 121152
報告番号 甲21152
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6242号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 渡辺,紀徳
 東京大学 教授 長島,利夫
 東京大学 教授 河内,啓二
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 寺本,進
 東京大学 講師 姫野,武洋
内容要旨 要旨を表示する

鳥類の肺気道内の流れは,動脈血と対向した一方向流れになっていることが知られている.一方向流れにより対向流ガス交換を行なうため,鳥類の呼吸におけるガス交換効率は,哺乳類のそれに比べて遥かに高い.一方向流れの発生機序に関しては,気道内の流れとの関連が指摘され,図 ef{fig:lung}に示す母管(Mother Tube),娘管(Daughter Tube)および枝娘管(Side-Daughter Tube)からなる気道分岐部における流れ場が注目されている.しかしながら,鳥類の呼吸機構を対象にした従来の研究の殆どは,定常吸込み分岐流れの流量分配比を調べることを主としており,流れ構造の詳細と一方向流れの関係が解明されたとは言い難く,また,実際の呼吸流れにおける一方向流れの発生機序については不明な点が多い.

他方,近年熱工学の分野において,LSI素子の冷却技術や人工衛星などの宇宙システムにおける地球周回軌道上の熱管理技術として,作動流体の振動流を用いて効果的に熱輸送を行なうドリームパイプや自励脈動式ヒートパイプが注目され,従来の液還流式のヒートパイプに比べて高い熱輸送特性を示すことが報告されている.しかしながらドリームパイプでは熱輸送量が温度勾配に依存すること,自励脈動式ヒートパイプでは脈動流の予測と制御が困難であることから未だ実用に至っていない.

本研究は,新しい熱輸送管の着想を鳥類の呼吸流れに得たもので,鳥類の呼吸機構を解明し,その上で熱輸送デバイスへの応用を企図し,熱輸送特性の評価を行なうことを目的とする.そこで,研究の課題として次のように三点を定めた.

(1) 鳥類の呼吸機構の解明(一方向流れの発生機序の解明)

(2) 一方向流れによる熱・物質輸送促進の評価

(3) 一方向流れの発生に適した流路形状の探査

上述の(1)については,鳥類の呼吸機構の基本的性質を把握するために,気道モデルとして,鳥類の気道の本質的特徴である直角分岐管を採用した.トレーサ法による流れの可視化,PIVによる流速測定により分岐管内の流れのパターンおよび流量分配を実験的に調べ,またSIMPLE法をベースにした数値解析により流れ場と圧力場の詳細な情報を得ることで.一方向流れの発生機序について考察した.そして,吸込み流れにおいて枝娘管入口に生じる剥離渦に起因する娘管入口と枝娘管入口の圧力差によって,枝娘管から娘管へ向かって一方向流れ成分が駆動され,枝娘管入口の剥離渦が消滅する吐出し流れにおいても,慣性の効果によって一方向流れ成分が維持されることを示した.

(2)については,鳥類の呼吸において肺内部の酸素分圧が大気のそれにほぼ等しいことから,移流によるガス輸送に着目して,分岐管内のガスの挙動をCIP法により数値的に解析した.その結果,一方向流れ成分が殆ど生じない条件では母管から取り込まれた新気の1%しかガス交換に寄与しないのに対して,一方向流れ成分が明確に生じるようになると,新気の27%がガス交換に寄与するようになって,一周期当たりの軸方向のガス輸送が27倍に促進されるといったデータも得られ,鳥類の呼吸機構を熱輸送管へ応用することの有効性を示すことができた.そして,(1)の結果と後述する(3)の結果を受けて,熱輸送の実験を行ない,熱輸送量をドリームパイプのそれと比較し,一方向流れが軸方向の熱輸送を飛躍的に促進することを実験的に確認した.

(3)については,鳥類の気道に独特な形状である分岐直前の「狭窄部形状」と「枝娘管の複数本形状」に着目し,これらの分岐形状が一方向流れ成分の形成や軸方向のガス輸送に及ぼす影響を調べた.その結果,いずれの流路形状においても,従来の研究で気道モデルとして用いられている直角分岐管と比べて,一方向流れ成分の発生が促進され,それに伴って軸方向のガス輸送が飛躍的に向上されることを示した.単位仕事当たりのガス輸送量の観点からも改善が見られた.

このような知見から,以下のような結論を得る.鳥類の呼吸においては渦と慣性が支配的な要因となって,一方向流れを生じる.そしてこの一方向流れは,軸方向のガス輸送を飛躍的に促進する.鳥類の気道に独特な「狭窄形状」や「枝娘管の複数本形状」を模倣することにより一方向流れの発生を増強し,軸方向の熱・物質輸送能力を改善することが可能であり,鳥類の呼吸機構をドリームパイプなどの熱輸送管へ応用することは有用である.

図1 鳥類の気道形状と流れのパターン

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)酒井英司提出の論文は,「鳥類の呼吸機構の解明と熱輸送促進への応用に関する研究」と題し,本文6章と付録から成っている.

鳥類の肺気道は非対称分岐形状を有し,分岐後方においては細気管支がループ状の流路を形成している.細気管支内の流れは,吸気と呼気を通して常に同じ方向に流れる成分を有し,動脈血と対向した一方向流れに振動流が重畳した流れとなっている.一方向流れにより対向流ガス交換を行なうため,鳥類の呼吸におけるガス交換効率は,哺乳類のそれに比べて遥かに高い.一方向流れの発生機序に関しては,これまでの解剖学的な研究において,機械的な弁機構が発見されていないため,気道内の流れとの関連性が指摘され,いくつかの空気力学的な仮説が提唱されている.特に気道分岐部における流れの寄与が注目され,モデル分岐管を用いた種々の研究がなされているが,これらの殆どは定常吸込み流れの流量分配を対象にしており,吐出し流れや実際の呼吸流れのような振動流における一方向流れの発生機序については,解明されたとは言えない状況にある.

他方,近年熱工学の分野において,作動流体の振動流を用いて効果的に熱輸送を行なうドリームパイプが注目され,液還流形のヒートパイプに比べて高い熱輸送特性を示すことから,地球周回軌道上の熱管理や小型電子機器の冷却技術として期待されている.熱輸送能力を最大限に引き出すことを目的とした多様な研究がなされているが,ドリームパイプにおける軸方向熱輸送は,半径方向の熱拡散を基礎とし,高い熱輸送特性を得るためには大きな温度勾配を要することから,これまで実用化には至っていない状況にある.この技術に鳥類の呼吸機構を応用して,振動流を一方向流れに変換すれば,対流による熱輸送が可能であり,ドリームパイプの熱輸送能力の改善につながる可能性があることは,容易に推察される.

本論文で著者は,鳥類の呼吸における一方向流れの発生機構を解明し,その機構をドリームパイプに応用することで,ドリームパイプにおける課題を解決し,高性能で且つ信頼性の高い熱輸送管を実現することを企図した.まず,鳥類の気道の本質的特徴である直角分岐管を対象にして,一方向流れの発生機序を実験と数値計算により明らかにすると共に,一方向流れが軸方向のガス輸送を飛躍的に促進することを示した.また,流路形状を変えた数値計算を行い,ガス輸送と加振仕事の観点から,最適な流路形状の指針に関する検討を加えている.その上で,鳥類の呼吸機構の熱輸送管への応用が有用であることを実験によって確認した.

論文の第1章では研究の背景を述べ,研究の目的と独自性を明確にしている.

第2章では,鳥類のモデル気道として直角分岐管を採用し,正弦波振動流の流れ構造と流量分配の関係を,流れの可視化,PIVによる流速測定,並びにSIMPLE法をベースにした数値計算により詳細に調べ,吸込み流れのもとで分岐部に生じる剥離渦と慣性が支配的となって分岐管内に一方向流れ成分が生じることを見出している.また近似理論モデルを立てて解析を行なうことにより,現象の見通しの良い定性的な理解を可能にし,剥離渦と慣性との影響の度合いによる流れの様相の変化等を明らかにしている.

第3章では,一方向流れが軸方向のガス輸送促進に及ぼす影響について,CIP法をベースにした数値解析を行い,分岐管内のガスの挙動を可視化し,ガスの輸送過程を明らかにすると共に,一方向流れの増加に伴って軸方向のガス輸送が飛躍的に増大することを示している.

第4章では,鳥類の呼吸機構の実用を念頭に,一方向流れの発生に関して最適な流路形状を探査している.鳥類の気道においては,分岐の直前に狭窄部があること,直角分岐が連続して多数存在していることに着目して,狭窄形状と多分岐形状が一方向流れの発生に及ぼす影響について解析した.その結果から,これらの流路形状が,従来鳥類のモデル気道として用いられてきた直角分岐管に比べて,一方向流れ成分の発生を助長するように作用することを見出し,それを反映して軸方向のガス輸送が改善されることを述べている.

第5章では以上の結果を受けて,鳥類の呼吸機構を利用した熱輸送管の特性を実験的に調べ,熱輸送が一方向流れによって大幅に促進されることを示している.さらに数値解析により,熱輸送促進の基本的過程についても明らかにしている.

第6章は結論であり,本研究で得られた知見をまとめている.

以上要するに,本研究は鳥類の呼吸機構に見られる一方向流れの発生機序を,実験と数値解析により明らかにし,この流れによる熱輸送の促進効果を実験的に確認して,高い熱輸送特性をもつ熱輸送管の基礎技術の可能性を示したものであり,航空宇宙工学上貢献するところが大きい.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク