学位論文要旨



No 121167
著者(漢字) 才田,大輔
著者(英字)
著者(カナ) サイダ,ダイスケ
標題(和) 磁気力顕微鏡を利用した局所的電流評価に関する研究
標題(洋) Local Current Evaluation by Magnetic Force Microscopy
報告番号 121167
報告番号 甲21167
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6257号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高橋,琢二
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 年吉,洋
 東京大学 助教授 杉山,正和
 東京大学 助教授 三田,吉郎
内容要旨 要旨を表示する

近年,プロセス技術の発達により,数μm角の領域の中に複数の電極と電流路が含まれるネットワーク系が作製されるようになってきた.このような系において,電極間に電流計を挿入し回路を流れる全電流を評価することは可能であるが,一方で個々の電流路を流れる電流値を評価することは非常に困難である.電流路の特性評価や断線状況を観察することを考えると,回路に挿入することなく個々の電流路を流れる電流を定量的に評価できる測定手法が要求される.本論文では,高い空間分解能を持ち,試料形状とその周囲の磁場勾配分布を同時に観測することができる磁気力顕微鏡(MFM)に着目し,微小なネットワーク系内の個々の電流を定量的に評価できるような測定系の実現を目指した.また,数μA程度の電流を検出可能な感度の実現,ならびにMFMで検出される信号と電流の間の定量性の検討を目的とした.さらに,測定において擾乱となる静電引力の影響の抑制方法も検討した.

まず,電流が作る磁場勾配をMFMで観察するとカンチレバーに交流電流に同期したねじれ変位が生じることに着目し,形状を得るためのカンチレバーの変位と磁気力による変位を独立に切り分けて検出する新たな方法を提案した.具体的には,カンチレバーを縦モード共振で励振させながら試料に周期的に接触させ,その縦方向変位量を形状像を得るための高さ方向制御に利用する.また,磁場勾配中で磁性探針に磁気力が働くことで生じるカンチレバーのねじれ変位の中で,交流電流に同期する成分をロックインアンプを用いて取り出し磁気力信号とした.ここで,実測される磁気力信号の振幅値(R)ならびに交流電圧との位相差(θ)は,それぞれ観測点における磁場勾配の強度と向きにおおよそ対応している.ところで試料に交流電圧を印加する場合,探針と試料の間の電位差が交流電圧に同期して変化することで生じる静電引力が,カンチレバーのねじれ変位に影響を及ぼす問題がある.この問題に対して,交流電流とは異なる周波数の交流電圧を利用して制御された直流オフセット電圧を印加して探針と試料の間の電位差をバランスさせる方法を新たに提案し,試料を流れる電流に影響を与えることなく静電引力の影響を逐次抑制することを実現とした.一方,試料に印加する交流電流周波数としてカンチレバーのねじれ共振周波数を利用することで,試料を流れる電流に対して測定系の感度が増加することを明らかにした.幅2 ~ 20 μmのGaAs/AlGaAsメサストライプ型電流路を用いて,試料内のヘテロ界面を流れる0.07 ~ 20 μArmsの電流が作る磁場勾配分布を検出できることを確かめた.

次に,提案した測定手法による磁場勾配検出の妥当性について検討した.この方法ではカンチレバーのねじれ変位量を磁気力信号として取り出しているため,カンチレバーの長手方向に直交する向きの力成分に対して感度を持つと考えられる.そのため,カンチレバー長手方向に対して電流路を平行に配置した図1(a)のように,ねじれ変位の方向と磁場勾配の方向が一致する場合には磁気力信号が検出される一方で,電流路を長手方向に直交するように配置した図1(b)のときは,ねじれ変位の方向と磁場勾配の方向が直交するため磁気力信号が検出されないと考えられる.これを確かめるために,幅が異なる電流路で構成されたT分岐型電流路を作製(図1(c))し,その周囲の磁場勾配分布を観察した.T分岐型電流路に合計200 μArmsの交流電流を流したときに検出された電流路の形状像を図1(d)に,磁気力信号の振幅成分,位相差成分を図1(e),図1(f)にそれぞれ示す.カンチレバーの長手方向に対して電流方向が直交する場合,磁気力信号の振幅値はほぼノイズレベルであることがわかる.一方,平行配置となる場合,電流路の両端の位置で磁気力信号の振幅が増加し,位相差が180度変化する様子が確認できる.ところで,数値計算から電流路直上において磁場が一様となること,即ち磁場勾配が存在しないことがわかっている.また,電流路両側側壁付近で逆向きとなる磁場勾配が存在することも明らかにしている.実際に電流路直上で得られた磁気力信号の振幅はほぼノイズレベルとなっている.また,電流路の両端において磁気力信号の振幅と位相差が大きく変化している様子は,磁場勾配がその向きを含めて正しく検出できていることを示している.さらに上下の電流路で電流の向きが逆向きであるため磁場勾配の向きも反転するが,その様子も磁気力信号の位相差の反転として検出できていることが確かめられた.

測定系の定量性を検討するため,T分岐型電流路周囲でそれぞれ検出された磁気力信号の振幅比と各電流路を流れる電流比を比較した.まず,試料等価回路を考え,上側と下側の電流路を流れる電流の大きさはほぼ同じとなることを明らかにした.次に,上側と下側の電流路のそれぞれにおいて周囲に作られる磁場勾配の大きさを数値計算をもとに,上側の電流路周囲で検出される磁気力信号(Ru)の方が,下側の電流路周囲で検出される磁気力信号(Rl)と比較して,理論的には1.5倍大きくなることを明らかにした.図1(e)に示したX-X'ならびにY-Y'に沿って得られた磁気力信号振幅成分のラインプロファイルをそれぞれ図1(g),1(h)に示す.上側と下側の電流路における磁気力信号の振幅ピーク値の比を電流路の左側側壁付近ならびに右側側壁付近で各々比較したところ,Rl u : Rl l = 1.1 : 1.0,Rr u : Rr l = 1.1 : 1.0となった.理論値ではRu : Rl = 1.5 : 1.0となったことを考えると,実験で得られた磁気力信号振幅の差は若干小さいことがわかる.また,ラインプロファイルを取った各側壁付近での磁気力信号振幅成分の電流依存性を調べた(図. 2).ここでは各電流路に全電流の半分の電流が流れていることを考慮に入れ,横軸は各電流路を流れる電流値としている.いずれも磁気力信号振幅成分が電流に比例する傾向が得られている.この結果は,測定系が電流強度の変化を磁気力信号振幅の強度変化として定量的に検出できることを示している.一方で,図. 2では外挿値は原点を通らずオフセットがあることが確認できる.この結果は,外挿値は原点を通るが低磁場側で信号がノイズに埋もれているという傾向とは異なるものである.このオフセットはカンチレバーのねじれ変位の中で磁気力とは異なる原因で誘起される変位によるものであると考えられる.その原因として,カンチレバーの機械的な励振や試料上での走査によってもカンチレバーにねじれ変位が誘起されているためと考えている.そこで,実測された磁気力信号の中にはオフセットが一様に含まれているものと考えて,上側と下側の電流路においてそれぞれ左側側壁付近を観察して得られた磁気力信号の振幅ピーク値(Rl u,Rl l)を用いて,最小二乗法を利用してそれぞれの近似直線を求めた.図. 2の黒の点線はRuに対して描いた近似直線であり,グレーの点線はRlに対して描いた近似直線を表している.その結果,オフセットは4.7 μVと見積もられた.上側と下側の電流路で得られた磁気力信号の振幅に対して,オフセット分を校正してその比をとり,全電流値に対する依存性を調べた結果を図. 3に示す.上側と下側の電流路における磁気力信号の振幅ピーク値の比は,図. 2の近似曲線の傾きの比から平均としてRu : Rl = 1.2 : 1.0となることがわかった.T分岐の上側の電流路周囲で磁場強度が強くなるという傾向をMFMで検出できていることが確かめられたが,オフセット分を校正した後でも実験値は理論値と比べて小さくなっており,その原因を明らかにすることはできなかった.今後,定量測定を実現するためには,実験値が理論値と比べて小さくなった原因を追究するとともに,磁気力とは異なる原因で誘起されるカンチレバーのねじれを抑制して測定値のバラツキを抑える必要がある.

最後に,測定系の空間分解能を明らかにすべく,幅0.5 μmの電流路が0.2 μm離れて平行に配置された試料にItotal = 160 μArmsの電流を流したときに,その周囲に作られる磁場勾配分布をMFMで検出した.図4(a)に検出された形状像,磁気力信号の振幅成分ならびに位相差成分を,図4(b)にL-L'に沿って得られた各ラインプロファイルをそれぞれ示す.得られた磁気力信号の特徴は数値計算で確かめた磁場勾配分布と良く一致した.また,0.2 μm離れた2点での磁場勾配分布が判別できていることから,我々の測定系の空間分解能が0.2 μm以下であることがわかった.より正確な空間分解能を議論するためには,0.2 μm以下に近接して電流が流れるような試料を作製する必要がある.

以上,本論文では電流が作る磁場勾配を0.2 μm以下の空間分解能で観察できるMFMを利用した測定系を提案し,0.07 ~ 360 μArmsの電流が作る磁場勾配分布を定性的に検出できることを実証した.また,検出される磁気力信号と電流との間の定量性にも検討を加え,ある程度の一致を示すことを確かめた.

図1 カンチレバーと電流路の配置が(a)平行となる場合と(b)直交となる場合.(c)T分岐型電流路の構造と,その(d)形状像.合計200μArmsの電流を流したときにMFMで検出された磁気力信号の(e)振幅成分.(d)位相差成分.(g)X-Xに沿って得られたラインプロファイル.(h)Y-Yに沿って得られたラインプロファイル.

図2 T分岐型電流路周囲の磁場勾配分布を観察したときに得られた磁気力信号振幅成分の電流依存性.黒の点線はRuに対して描いた近似曲線であり,グレーの点線はRlに対して描いた近似曲線を表す.

図3 磁気力信号振幅比の電流依存性.

図4 (a)Itotal = 160μAのときに得られた(i)形状像と磁気力信号の(ii)振幅成分. (iii)位相差成分.(b)(a)(i)に示したL-Lに沿って得られた各ラインプロファイル.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「Local Current Evaluation by Magnetic Force Microscopy(磁気力顕微鏡を利用した局所的電流評価に関する研究)」と題し,英文で書かれている.本論文は,磁気力顕微鏡(MFM)による磁場勾配検出を通じて局所領域を流れる電流を定量的に評価するための測定系を実現することを目指した研究の成果について記述しており,全8章から成っている.

第1章は「Introduction(緒論)」であり,本研究の背景を概観している.プロセス技術の発達に伴い,LSIなどの回路では,数μm角のような極く狭い領域の中に多数の電極と電流路がネットワーク状に配置されるようになっている.そのような系の特性評価を行うためには,回路に挿入することなく個々の経路を流れる電流を定量的に評価できるような測定手法が望ましいこと,また,実現可能な非破壊測定の候補としては磁場センサによる電流誘起磁場検出が挙げられること,を指摘している.さらに,このような目的にはμmを上回る高い空間分解能が要求されるため,各種磁場センサの中ではMFMに優位性があることを述べている.一方で,従来のMFMが持つ問題点として,測定の定量性や空間分解能に関する議論が不十分であることを指摘し,これらを明確にすることがMFMを当該目的に適用する上で極めて重要であることを述べるとともに,本論文の目的と構成を述べている.

第2章は「Principle of Magnetic Force Microscopy(磁気力顕微鏡の原理)」と題し,基本的なMFMの概略ならびに動作原理を述べている.MFMでは,その磁性探針が受ける磁気力は磁場勾配に起因するため,磁気力によるカンチレバー変位をその向きも含めて検出すれば,原理的に試料周囲に存在する磁場の面内方向ならびに高さ方向の勾配を分離して観察できることを示している.

第3章は「Preparation of Fine Current Paths(電流路試料の準備)」と題し,本研究で用いた各種電流路の構造と作製方法を説明している.測定系の基本動作を検討するために用意した幅2〜20 μmのGaAs/AlGaAsメサ型ストライプ構造と,測定系の空間分解能ならびに定量性を評価する目的で作製したAu/Ti積層電流路について,それぞれの構造を示すとともに,その作製プロセスやパッケージング手順などについて述べている.

第4章は「Basic Performance of Current-Induced Magnetic Field Detection by MFM(MFMを利用した電流誘起磁場測定系の基本特性)」と題し,測定手法の概念と実際に構築した測定系の基本動作,ならびに擾乱を排除して正確な電流評価を可能とするために付加した実験的工夫について議論している.まず,電流を交流とすることで,発生する磁場によるMFMカンチレバー変位を電流に同期した交流信号とし,またカンチレバーのねじれ変位に着目することによって,形状を得るためのカンチレバーの変位と磁気力による変位,すなわち試料形状と電流,を同時かつ独立に評価できる手法を提案している.特に,試料に印加する交流電流周波数をカンチレバーのねじれ共振周波数に一致させることで,電流に対する測定系の感度が向上することを述べ,幅2〜20 μmの電流路を流れる約0.04〜20 μArmsの電流が作る磁場勾配分布を検出できたことを示している.一方で,通電するために試料に印加する交流電圧によって電流路とカンチレバーの間に静電引力が発生し,それによるカンチレバーのねじれ変位が磁気力信号の正確な検出の妨げになるという問題を指摘している.探針-試料間の電位差をバランスさせてこの問題を解決するために新たに導入した静電引力抑制手法の原理を述べ,特に交流電流とは異なる周波数の交流電圧を利用した直流オフセット電圧制御法では,試料を流れる電流に影響を与えることなく静電引力の影響を逐次抑制できることを示している.

第5章は「Directional Selectivity in Magnetic Field Detection(磁場計測の方向選択性)」と題し,カンチレバーの長手方向と検出される磁場勾配の向きの関係について述べている.本手法では,カンチレバーのねじれ変位を利用しているため,原理的にはカンチレバーの長手方向に直交する向きの磁場勾配に対して感度を持つことをまず指摘している.その上で,カンチレバーと電流路の相対配置関係を意図的に選択し,特定の方向にのみ存在する磁場勾配分布に対して検出される磁気力信号の強度・位相を実験的に確かめることで測定系の磁場計測の方向選択性について検討している.特に,T字分岐型電流路周囲の磁場勾配観察の結果と,数値計算による周囲磁場分布の解析結果との比較を通じて,本手法による磁場勾配分布測定では,原理から期待される通りの方向選択性が得られていることを確認した.さらに,磁性探針の磁化方向を反転させると,磁性探針と磁場勾配との相互作用が反転することによる磁気力信号の位相反転も原理通り確認された.

第6章は「Spatial Resolution(空間分解能)」と題し,本測定系の持つ空間分解能について議論している.0.2 μmのギャップで隔てられた1組の並行電流路周囲での磁場勾配観察では,ギャップ領域内で磁気力信号の2つの強度ピークが互いに反転した位相信号とともに観測され,またこの結果は数値計算による予測とよく一致することから,本手法の空間分解能が0.2 μmよりも優れていることを実験的に検証した.この値は,他の磁場センサでは実現できていない値であり,MFMを利用する手法の優位性が示された.一方,数値計算からは電流誘起磁場の勾配分布には強い高さ依存性があることが示されており,MFM測定時におけるカンチレバーのタッピング動作が,観測したい磁場勾配を高さ方向に平均化してしまう恐れがあることが明かとなった.実際,測定時のカンチレバーの励振振幅を低減して,探針先端の振動が磁場勾配に明確な差がある領域内に収まるような工夫をした結果,磁気力信号のコントラストが明瞭になることを確かめており,より正確な磁場勾配検出のためには,MFMの動作条件も十分吟味する必要があることを指摘している.

第7章は「Quantitative Evaluation in Current(電流の定量計測)」と題し,本手法での電流評価における定量性について検討している.まず,バイアス電圧を変化させて電流値を変えると,磁気力信号の振幅成分もそれにほぼ線形に比例して変化することを実験的に確認した.一方,静電引力のみならず機械的励振や試料との周期的接触による反発力などによって生じるカンチレバーのねじれ変位が磁気力信号にオフセットとして重畳されてしまい,電流の定量評価を妨げる要因となることを指摘している.実験上,これらを一様なオフセット信号と見なして,得られた磁気力信号の強度成分から取り除くと,定量性がより高まることが示された.特に,同一バイアス条件にても経路ごとに電流値が異なる”田”の字型電流路での観測結果に対して同様のオフセット信号除去処理を行うと,電流/磁気力信号の比のばらつきが25 %以下の範囲に収まっていることを確認している.一方で,カンチレバーの個体差やその装着具合によってその応答性能が変化する問題は依然として残っているため,真の定量評価を達成するためには,標準試料などを用いたカンチレバーの校正が必要であることも併せて指摘している.

第8章は「Conclusion(結論)」であり,本論文全体の研究成果をまとめて要約するとともにその意義を述べている.

以上これを要するに,本論文は,MFMを利用した電流誘起磁場測定系を提案・構築し,その基本動作を確認した上で,様々な電流路周囲の磁場観測を行い,約40 nA〜400 μAの交流電流が作る磁場が検出可能であること,0.2 μmより優れた空間分解能が達成されていること,電流/磁気力信号の振幅比のばらつきが25 %以下に収まっていること,などを実験的に明らかにして,本手法が局所領域の電流定量評価測定に有望であることを実証したものであり,電子工学上,寄与するところが少なくない.

よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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