No | 121175 | |
著者(漢字) | 小野,雅紀 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | オノ,マサノリ | |
標題(和) | 低温走査トンネル顕微鏡による半導体表面構造とその電子状態に関する研究 | |
標題(洋) | Low temperature scanning tunneling microscopy on semiconductor surface structures and their electronic states | |
報告番号 | 121175 | |
報告番号 | 甲21175 | |
学位授与日 | 2006.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 博工第6265号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 物理工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 近年、固体表面研究手法の一つとして確立された走査トンネル顕微鏡(scanning tunneling microscopy,STM)は、もはや基礎的な物性研究に留まらず様々な分野で利用されている。特に最近では有機分子の合成やナノスイッチングなどのナノテクノロジーの発展・応用に欠かせないツールとなっている。表面物性研究においても超高真空・超低温・強磁場など多重極限環境下での観察などその適用範囲を広げている。 本研究では、はじめに超高真空・低温・磁場中で安定したSTM観察および走査トンネル分光(STS)測定を行うことができるように改良を行った。STMによる表面観察時における探針―試料間の距離は1nm以下であり、トンネル電流はその間の距離に対して指数関数的に変化するため外部からの擾乱に敏感であることがよく知られている。その対策として防音室およびアクティブ除振台の導入・装置固定台の強化・ガス冷却式の熱シールドを用いた液体ヘリウムデュワーの導入などによって振動ノイズを低減させ、また液体ヘリウムデュワーの内容積を増加させることで最長6日間連続して熱ドリフトのない安定なSTM観察が可能となった。この低温STM(LT−STM)を用いてSi(001)清浄表面の低温での構造およびSi(111)−√3×√3−Ag表面の電子状態に関する実験を行った。 Si(001)表面は、最表面原子が二量体(ダイマー)を形成し、さらに非対称に傾いて安定することが知られている。非対称ダイマーの傾き方向をS=1/2のスピンとみなし、表面を2次元の直方格子系のイジング系と考えることによって、その構造の温度依存性が議論された。この議論によれば、室温においてダイマーは熱的に揺らいでおり(フリップ-フロップ運動)、STMや低速電子線回折(LEED)などの時間平均された構造解析手法では見かけ上対称なダイマーが観察され(2×1構造)、試料表面を冷却(<140K)するとフリップ-フロップ運動が止まり非対称化したダイマーがSTMにより観察される(c(4×2)もしくはp(2×2)構造)。しかし、最近になって6〜20Kの温度領域では再び対称ダイマーが観察されるとの報告があり、論争となっていた。それらの報告に対して試料や試料ホルダー位置の関係から試料の十分に冷えていないのではないかとの指摘があり、実際、通電加熱により1250℃程度の高温で加熱して清浄表面を得るため試料に直接温度センサーをつけることができず、試料温度を性格に測定することが困難であった。我々は、校正された温度センサーを用いて実際に試料上の温度を測定した上でのSTM観察を行い、この問題の解決に取り組んだ。 10K以下でのSTM観察を行ったところ、占有準位像においてはこれまでの報告同様、一見して対称と思われるダイマー構造(2×1構造)が観察された(Fig.1)。しかしながら、STM像の詳細な解析からダイマー列の間に非対称化ダイマーに起因した構造が観察されており(Fig.1(c))、10KではSi(001)表面は非対称ダイマーからなり、STM像では何らかの影響で見かけ上対称ダイマーのように観察されることが明らかとなった。一方、非占有準位のSTM像においては常に非対称化したダイマー構造が観察されている(Fig.1(b))。 10Kで対称ダイマーが観察されている条件のまま47Kまで温度を上昇させたところ、占有・非占有状態どちらにおいても非対称ダイマーからなる構造が観察された。見かけ上の対称ダイマーが観察される温度は40K以下であり、ちょうど用いたシリコン基板中のキャリアがクエンチする温度に相当することから、この現象はSi基板のキャリアクエンチに起因したものと考えられる。占有準位のSTM観察においては試料から探針に電子が流れることから、探針直下の局所的な領域において帯電し、それによって局所的に表面のポテンシャルが下がるため、それまで非占有準位側にあった表面準位がフェルミ準位より下がりトンネル電流に寄与すると考えられる。占有・非占有準位の表面状態両方からのトンネル電流の寄与により、STM観察において本来の占有準位のみからなる像とは異なる像が得られ、一見対称ダイマーのように見えるとして説明できる。この研究結果から40K以下でのSi(001)表面構造の議論に対して統一的見解を得ることができた[1]。 Si(111)−7×7清浄表面上に銀を1原子層(ML)吸着させ500℃程度で加熱することでSi(111)−√3×√3−Ag表面が形成される。この構造は室温おいてHCT(honeycomb chained triangle)構造をとるとして1988年頃に提案された。このHCT構造は銀原子で構成される2つの三角形が単位胞中に[112(−)]面に対して鏡像対称性を持つ構造である。低温(<150K)ではHCT構造中の銀原子で構成される三角形が±6°回転したIET(inequivalent triangle)と呼ばれる構造になり、[112(−)]面による対称性が無くなる。従ってSTMでは、室温で6回対称性を持つ構造として、また低温では対称性が下がり3回対称性を持つ構造としてそれぞれ観察されることが知られている。一方この表面の電子状態は、第一原理計算[2]や光電子分光測定[3]の結果から金属的な表面電子状態(S1)を持つことが知られている。そしてS1状態は等方的かつ放物面上の分散を持つこと、またSTMでは電子定在波として観察されることなどから理想的な2次元自由電子系であることが明らかとなっている。このSi(111)−√3×√3−Ag表面上にさらに余分な銀を吸着させると、吸着した銀原子から表面準位へ電子が提供され、その準位が高結合エネルギー側にシフトすることが光電子分光測定から観察されている[4]。またこの表面の作成条件によっては一様なSi(111)−√3×√3−Ag表面ではなく銀が吸着した表面が得られる可能性があり、理想的な表面上ではS1バンドはフェルミ準位を横切らず本質的に半導体的になることが指摘されている[5]。本研究では前述したように長時間安定した測定を行えるLT−STMを利用し、STM観察を行いながら各場所でスペクトルを取る2次元トンネル分光(2−dimensional tunneling spectroscope,2DTS)の手法により表面電子状態の研究を行った。面内で平均したSTSスペクトルから光電子分光測定で得られるS1(−0.3eV),S2(−0.9eV),S3(−0.9eV),S4(−2.6eV)準位に相当するスペクトルが確認できた。そこでS1状態が金属的かどうかを調べるために、吸着した銀が存在する場合・吸着した銀がほとんど無い場合・Si(111)−√3×√3−Ag表面とSi(111)−3×1−Ag表面(銀が少ない相)が混在している場合、それぞれに対して非占有準位の2DTS測定を行った結果、等方的かつ放物面で示される分散が得られた。S1準位が約−0.34eVであること・有効質量やフェルミ波数などがこれまでの実験結果とほぼ同じ値が得られることから、確かに表面準位は金属的であると結論づけることができる。また、占有状態の2DTS測定結果を基にスペクトルの位置依存性を調べたところ、吸着した銀原子の近傍でS2,S3準位が高結合エネルギー側にシフトしていることがわかった。これは先に述べた光電子分光測定のピークシフトに対応していると考えられる。そこで、2DTS測定によって得られたデータからピークシフトの空間分布を取ったところ、吸着銀原子の周りのポテンシャル変化を得ることができた(Fig.2(b))。また、ステップ端の近傍でも同様にポテンシャルが変化していることも確認された。これらのポテンシャルの変化はThomas-Fermi近似を用いた2次元自由電子系による静電遮蔽として説明されることがわかった。 以上のことから、LT−STMの改良により長時間にわたって安定して測定を行うことができる装置の開発を行い、STM極めて高い空間分解能を生かした測定を行うことにより低温でのSi(001)表面構造観察の際の局所的な帯電効果を見いだすことができた。また2DTS測定によって表面電子構造の空間分布や局所的なポテンシャル変化の分布を数meVのエネルギー分解能で得られることを示すことができた。 Fig.1 Si(001)表面の10KでのSTM像。 占有準位像(a)においては一見して対称ダイマーが、非占有準位像(b)では非対称なダイマーに起因するc(4×2)構造がそれぞれ明瞭に観察されている。(c)は(a)の一部をズームしたSTM像。明るく観察されている部分との間に、c(4×2)構造に対応した周期的な模様が見える(図中矢印)。 Fig.2 Si(111)−√3×√3−Ag表面のSTM像(左)と対応するポテンシャル分布像(Vs=-1.5V,It=200pA,40nm×40nm,T=6K)。 銀のアイランドの周りのステップ端(A)や吸着した銀の周り(B)においてポテンシャルの変化した領域が広がっている様子が観察されている。 | |
審査要旨 | 本論文は、「Low temperature scanning tunneling microscopy on semiconductor surface structures and their electronic states(低温走査トンネル顕微鏡による半導体表面構造とその電子状態に関する研究)」と題し、液体ヘリウム温度下で動作する超高真空走査トンネル顕微鏡(STM)を用いたSi(001)表面上のダイマー構造の低温相での原子構造や、Si(111)√3x√3-Ag表面での電子状態やポテンシャル分布など、シリコン基板表面の原子構造と電子状態に関する実験結果と考察をまとめたものである。本論文は全5章から構成されており、第1章は「Introduction(序章)」、第2章は「Scanning tunneling microscopy and spectroscopy(走査トンネル顕微鏡および分光)」、第3章は「Dimer buckling of the Si(001)2〓1 surface below 10 K observed by low-temperature scanning tunneling microscopy(低温STMにより観察されたSi(001)表面のダイマーバックリングに関する研究)」、第4章は「Electrostatic Potential Screened by a Two-Dimensional Electron System: A Real-Space Observation by Scanning Tunneling Spectroscopy(二次元電子系により遮蔽されたポテンシャルのSTSによる実空間観察)」、第5章は「Conclusions(結論)」について述べている。 第1章は序論であり、研究背景や本研究の特長・内容等について言及している。 第2章には装置に関する記述があり、主に用いた手法である走査トンネル顕微鏡(STM)およびその分光手法である走査トンネル分光(STS)について説明した後、本研究で用いた液体ヘリウム温度冷却の低温STM装置に関する説明、及び、本研究で加えた幾つかの改良点について述べている。これらの改良の結果、外部からの機械的振動による影響が低減されたことにより探針位置の制御性が格段に向上し、また長時間のSTM/STS測定が可能となったことを説明した上で、その性能を示すために同装置によるCu(111)表面上の銅原子を用いた原子マニピュレーションの研究について紹介し、さらに表面上各点でのトンネル分光測定手法である2DTS(two-dimensional tunneling spectroscopy)によるSi(111)-7x7表面の局所電子状態測定結果について述べている。 第3章ではSi(001)2〓1表面上での低温におけるダイマー構造のSTM観察について述べている。この表面は,最表面原子が二量体(ダイマー)を形成し、さらに非対称に傾いて安定することが知られている。これまでの研究ではこの非対称ダイマーの傾きが交互に配列したc(4x2)構造が安定構造とされていたが、最近行われた液体ヘリウム温度でのSTM観察において対称ダイマーが観察されこれまでの定説に異論が唱えられていた。そこで本装置を用いて低温での高分解能STM観察を行ったところ,占有準位像ではこれまでの報告と同様,一見対称と思われるダイマー構造が観察された。しかしながら,詳細に見るとダイマー列間に非対称化ダイマーに起因したc(4x2)構造が若干観察されたことから,低温でも非対称ダイマーであると結論付けている。STM像の温度変化から、基板のキャリアが凍結する40Kを境にそれ以下の温度で見かけ上対称ダイマーに見える現象が観察されたことから、この現象が、STM観察時の探針直下における局所的な帯電によりポテンシャル低下し,それまで非占有準位側にあった表面準位がフェルミ準位より下がりトンネル電流に寄与するようになることに起因すると推論している。 第4章はSi(111)√3x√3-Ag表面での低温STSによる研究であり、独自の方法によって表面ポテンシャル分布を原子スケールの空間分解能で精密に測定する方法を編み出し、それにより遮蔽されたポテンシャルやフリーデル振動を観察したことについて述べている。同表面上で2DTSによるトンネル分光測定を行ったところ、トンネルスペクトルから観察された幾つかの表面準位のエネルギー準位がステップ近傍や吸着物など電荷が誘起されていると考えられる箇所で徐々に変化している様子が観察された。一方、この表面には表面準位に起因した二次元電子系が存在することが定在波観察から明らかとなっており、この二次元電子系により遮蔽されたポテンシャルをLindhard近似に基づき計算したところ、観察されたエネルギー準位の変化と良い一致を示すことから、エネルギー準位の変化が表面での静電ポテンシャル変化によるものであり、かつ変化を測定することにより二次元電子系で遮蔽されたポテンシャルが実空間で観測されたと結論づけている。また、フリーデル振動と呼ばれるポテンシャルの振動構造に関しても実空間観察を行っており、その振る舞いについて報告している。 第5章は総括であり、これまで述べてきた研究結果についてまとめている。 以上をまとめると、本論文では低温超高真空STMの改良による高性能化を通じて、第3章に述べたようにSi(001)-2x1表面での低温でのダイマー構造の振る舞いを明らかにし、さらに第4章では、二次元電子系を有する表面であるSi(111)√3x√3-Ag表面において表面の静電ポテンシャル分布を精密に測定する手法を見出し、それを用いて遮蔽されたポテンシャルやフリーデル振動の実空間観察に成功している。低温STMを用いた半導体表面でのナノスケールでの構造・物性の評価及び評価法の確立という点で、物理工学への寄与は非常に大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
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