学位論文要旨



No 121177
著者(漢字) 小埜,和夫
著者(英字)
著者(カナ) オノ,カズオ
標題(和) 電子正孔分離型量子構造における励起子相関とパルス強磁場による変調に関する研究
標題(洋)
報告番号 121177
報告番号 甲21177
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6267号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶽山,正二郎
 東京大学 教授 志村,努
 東京大学 教授 金道,浩一
 東京大学 助教授 長田,俊人
 東京大学 助教授 島野,亮
内容要旨 要旨を表示する

研究背景と本論文の位置づけ

半導体へテロ構造は結晶成長技術の進歩とあいまって、その応用はもちろん、基礎物理の理解の面でも注目を集めてきた。半導体を低次元化すると、キャリアの状態密度が劇的に変化することから、2次元の量子井戸構造、1次元の量子細線構造、0次元の量子ドット構造などが盛んに作成され、2次元系では量子ホール効果や励起子ボーズ凝縮、1次元系では量子細線レーザー、0次元系では量子ドットの量子情報処理への応用などといった研究が世界中で進んでいる。

半導体中の励起子系は、その密度や温度に依存してさまざまな相を示すことが知られている。励起子を高密度に生成すると励起子間距離が励起子ボーア半径よりも小さくなり、電子正孔プラズマや電子正孔液体といった、キャリア相関が物性を大きく支配する相が現れる。また非常に低温では励起子ボーズ凝縮相が現れることが予測されている。タイプII半導体中に光励起された電子と正孔は実空間で分離しており、それぞれの波動関数の重なりは非常に小さい。そのため再結合確率は非常に小さく、励起子寿命が桁違いに長いため、格子温度まで十分に冷えた高密度励起子系を作るのに適している。光励起された直後のキャリア温度は余剰エネルギーの分だけ温度が高いが、数ナノ秒程度のキャリアの熱緩和時間よりも十分に長い、数十ナノ秒からマイクロ秒程度の励起子寿命中には、格子系の温度まで熱緩和することが可能である。たとえば励起子ボーズ凝縮の転移温度は励起子の軽い質量を反映して原子の転移温度に比べて桁違いに高い1K程度の温度であり、タイプII半導体では実現可能である。また、緩和時間が長いことから、励起子分子や電子正孔液体、電子正孔プラズマ状態を作り出すために、パルスレーザーのような高出力光源を必要とせず、通常のcw励起で十分な数のキャリアを生成することが出来ると考えられる。このようなアドバンテージを利用して、GaAs/AlAsヘテロ構造に代表されるタイプII量子構造において、高密度励起子系の研究が盛んに行われている。すでに特異な空間配置を示す荷電励起子や励起子分子の存在が観測され、理論的には実空間分離量子構造における電子正孔液体や、結晶成長方向にマクロな大きさの波動関数をもつ励起子ポリマーの存在も予測されている。また、励起子ボーズ凝縮を目指した研究も盛んであり、凝縮の前兆であるボーズ粒子の引き込み現象を観測したという報告も出てきている。

凝縮相の探求や励起子ポリマー、電子正孔液体の可能性を議論するうえで、励起子相関について研究することは非常に意味がある。また、磁場を加えることで、ベクトルポテンシャルという形でキャリアの運動量を変調することが出来ることから、励起子相関を磁場により操作できる可能性がある。磁場を用いて励起子相関を変調し、励起子ボーズ凝縮を実現するという研究は理論のみが先行しており、実験的には全く報告例がない。この研究の目指すところは、磁場が凝縮現象にどのように寄与できるかについて知見を得るところにある。

研究目的

タイプII量子構造の発光機構については、励起子局在モデル、キャリア局在モデルなどがあり、統一的な解釈は得られていない。本研究ではタイプII半導体へテロ構造における再結合ダイナミクスを明らかにすることを目的としている。タイプII量子構造における励起子相関を明らかにすると共に、強磁場を用いて励起子相関を変調することを目的とする。

実験結果と考察

電子正孔分離型励起子の再結合ダイナミクスについて

本研究で用いた試料はCdS/ZnSe多重量子井戸構造である。この系ではCdS層に電子が局在し、ZnSe層に正孔が局在する。再結合はヘテロ界面でおこり、その際の発光スペクトルを図1に示す。赤が強励起下のスペクトルであるが、図中の←方向に赤のスペクトルを平行移動して比較すると、形状が弱励起下のスペクトルとほとんど一致する。また、励起密度を増加するとピークエネルギーが高エネルギーシフトすることが分かった。CdS/ZnSe系は自己形成量子ドットが作成出来る系としても知られており、界面状態は完全にフラットであるとは考えにくい。タイプII半導体においては界面で再結合が起こることから、界面状態を発光スペクトルに反映しやすい。発光から、不均一広がりが20meV程度と見積もられ、界面ラフネスがダイナミクスに及ぼす影響は無視できないと考えられる。発光強度が非常に強いことから考えても励起子は界面ラフネスが作るポテンシャル揺らぎに局在している可能性が高い。図2に示す発光エネルギーの温度依存性も励起子局在を示唆する振る舞いを示している。図2中の黒線はバルクZnSeのバンドギャップの温度依存性である。発光エネルギーの温度依存性はバルクの振る舞いからは大きくかけ離れており、特長的なS字カーブ、つまり、60K付近まで低エネルギーシフトを示し、一転して高エネルギーシフトに転じる振る舞いを示す。これは界面における局在サイト間を励起子がホッピングしながら伝播するモデルで解釈される。60Kまでは音響フォノンを介したホッピング確率が大きくなるので、状態密度のよりテール側から発光が起こるようになるため、低エネルギーシフトを示す。60Kよりも高温では、温度により局在状態から励起されてフリーな状態になるため、高エネルギーシフトを示すようになると考えられる。半値幅の振る舞いも励起子ホッピングモデルと矛盾しない。40Kまでの温度領域でわずかに半値幅が小さくなることは、温度を上げることで局在化が進み、エネルギーの低い状態から再結合するためである。それ以上高温からは、温度により局在状態から励起され始めるため、エネルギーの高い状態にも励起子の分布が出来ることに対応して線幅が広がっている。

温度によるエネルギーシフトには明確な励起密度依存性があり、励起密度の増大に伴って低エネルギーシフト量が小さくなることが確認された。励起密度を増大すると、局在状態に入る励起子数が増大する。この系における励起子ボーア半径は6.5nmであり、このサイズよりも大きな局在サイト内には、励起子が複数個存在すると考えられる。電子と正孔が実空間分離した励起子は界面に垂直方向に並んだ電気双極子とみなすことが出来る。この双極子間に働く相互作用は同種キャリアが同じ面内に存在することから、反発力であるため、励起子間相互作用が大きくなると発光エネルギーは高エネルギーシフトを示す。励起密度が上がると発光エネルギーが高エネルギーシフトするのはそのためである。高密度に励起した状態で温度を上昇させると、励起子がホッピングし、局在サイト内の励起子占有が増大する。よって、エネルギーが低い局在サイトのエネルギー状態は上がる。このため、低密度励起時に比べて温度上昇によるシフト量は小さくなっているのではないかと考えられる。

励起子の局在サイト間ホッピングを考慮に入れて、励起子ダイナミクスをシミュレーションしたのが図3の右図である。図3の上に示す測定データと良い一致を見た。時間分解測定の実験結果に特徴的である、エネルギー緩和と非指数関数的な減衰プロファイルをシミュレーションは再現しており、モデルの妥当性を示していると考えられる。

パルス強磁場を用いた励起子相関の変調

タイプII量子構造中の励起子は成長軸方向に向いた大きな電気双極子モーメントを持ち、局在サイト内で高密度化することにより相関が強く働いていることが分かった。そこで、磁場を用いて励起子相関を制御することを目指して、磁気発光測定を行った。磁場は界面に垂直方向に加えた。

図4に磁場によるエネルギーシフトの励起密度依存性を示す。低励起密度領域では磁場によるエネルギーシフトが大きいが、励起密度が108cm-2程度になると、エネルギーシフト量が小さくなり、それより高密度ではまたシフト量が大きくなるという特異な振る舞いが観測された。

このような磁気発光の振る舞いは報告例がない。界面に垂直な磁場を印加すると、励起子波動関数の面内成分が収縮するため、実効的に励起子間距離が広がることになる。この効果により局在サイト内の励起子相関を抑制することが出来、エネルギー状態を下げることが出来ていると考えられる。磁場による高エネルギーシフトが励起密度を増大すると小さくなるのは、励起子相関を磁場により抑制した結果である。加えて界面に垂直方向の磁場は励起子の重心運動を妨げるため、励起子ホッピングを妨げる方向に働く。弱励起領域では磁場により発光線幅が増大しており、これはホッピング確率が減少していることと矛盾しない。

図5には温度上昇による発光エネルギー位置のシフトが磁場下でどのように変調されるかを示している。温度上昇に伴うエネルギーシフト量が、磁場を加えることで小さくなる効果が確かめられた。これは励起密度を上げたときに温度によるエネルギーシフトが小さくなった現象と定性的に一致する。つまり、磁場を加えることで励起子相関を抑制し、励起子を高密度化することに成功したことを示している。

総括

本論文ではCdS/ZnSeタイプII量子構造を用いて、励起子の再結合ダイナミクスおよび、励起子相関の磁場による変調について議論した。界面に垂直方向の磁場を用いて、励起子密度を実行的に増大させることが出来ることを見出した。これは励起子の凝縮に向けて磁場が有効に働くことを示唆するものである。励起子ダイナミクスについては、局在サイト間ホッピングを考慮に入れた数値シミュレーションを行い、定性的な一致を見た。

図1.典型的な発光スペクトル

図2.発光エネルギーの温度依存性

図3.時間分解測定結果とシミュレーション比較

図4.磁場によるエネルギーシフトの密度依存性

図5.磁場によるエネルギーシフトの温度依存性

審査要旨 要旨を表示する

アルカリ原子のボーズ凝縮に関する研究が近年ノーベル賞を受賞するなど、ボーズ凝縮という現象にはその概念の誕生以来、非常に大きな関心が寄せられ、様々な系でその実現と現象の理解への企てがなされてきた。励起子も整数スピンを持つボーズ粒子である。温度や密度などの条件を満たせばボーズ凝縮することが予測され、励起子ボーズ凝縮実現への企ては古くから行われてきたにも関わらず、未だ、その実現を見ない。最近でも、Cu2Oにおけるパラ励起子や、GaAs/AlAsタイプII量子構造における間接型励起子をボーズ凝縮させる試みが積極的に行われている。小埜氏は、CdS/ZnSeタイプII量子構造を用いて、励起子ボーズ凝縮実現可能かどうか、また、そこで強磁場という物理環境がどのような役割をするかということについての研究を行った。小埜氏は、この系が、バンドオフセットが大きく励起子寿命が長い点、界面に程よくラフネスを含み、励起子に対するポテンシャルトラップの効果が期待できる点などに着目し、励起子の高密度化と冷却に有利であることを提案した。本論文では、未だはっきりとは解明されていないCdS/ZnSeタイプII量子構造における発光起源を解明するとともに、この系におけるボーズ凝縮の可能性について考察を行っている。

発光起源については、励起スペクトル、発光スペクトルの温度依存性、時間分解発光測定などの結果を総合して、界面におけるポテンシャルの揺らぎに局在した励起子による発光の可能性が高いということを実験的に明らかにした。また、励起子局在モデルによるモンテカルロシミュレーションを行うことにより、この系でのヘテロ界面内の局在サイトの分布、局在長、励起子局在過程などミクロな時空間に関する情報を得ることに成功した。時間分解発光測定とその詳細な解析から、励起子が局在サイト間をホッピングしエネルギー緩和している様子を確認し、局在エネルギーの大きなサイトに高密度励起子状態が実現していることを予測した。また、励起子の高密度化が局在サイトの閉じ込めポテンシャルをスクリーニングすることを実験的に示し、局在サイトでの局所励起子密度には上限(n=108 cm-2程度)があり、それ以上の高密度化は不可能であるという知見を得た。

氏は、強磁場が電子相関に強く関与できることに着目し、パルス強磁場による磁気発光測定を系統的に行った。その結果、界面に対して垂直方向に磁場を加えた場合、励起子の重心運動を抑制する効果および面内の励起子広がりを抑制する効果に起因して、前述した励起子による局在サイトでの閉じ込めポテンシャルスクリーニング効果を抑制できることを見出した。これにより、磁場を加えることで局在ポテンシャルトラップを有効に利用できる可能性を示した。40テスラのパルス強磁場により、励起子局所密度をゼロ磁場のそれに比べ1−2桁程度上げる得ること実験的に示すことに成功した。即ち、励起子ボーズ凝縮実現に十分な程度の高密度化(n=1010 cm-2程度)が可能であることが示された。これらの知見の下に、この系において励起子ボーズ凝縮を実現できる方法を提案した。

以上を要約すると、本研究はタイプII量子構造での局所局在ポテンシャルによる励起子高密度化とその強磁場効果を明らかにし、励起子ボーズ凝縮の可能性に関する新しくかつ重要な知見を見出しており、物理工学、物性物理学の発展に寄与するところが極めて大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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