学位論文要旨



No 121178
著者(漢字) 小早川,将子
著者(英字)
著者(カナ) コバヤカワ,マサコ
標題(和) 半導体多層系における角度依存層間磁気伝導
標題(洋)
報告番号 121178
報告番号 甲21178
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6268号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 長田,俊人
 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 助教授 初貝,安弘
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的と構成

半導体超格子や有機導体、層状酸化物などの多層系では、傾斜磁場をかけたときに層間抵抗が磁場角度に対して振動する現象が知られている。本論文では、多層系の磁場中層間伝導における諸問題を解明することを目的とする。

以下に、本論文の構成について記す。

量子極限近傍における角度依存磁気抵抗効果とトンネル描像

多層系の角度依存磁気抵抗効果(AMRO)は、従来は半古典的描象で説明されてきたが、最近、トンネル描像で説明できることが分かってきた。トンネル描像とは、多層系の層間伝導を隣接2層間のトンネルだけで説明する描象である。ここでは、半古典的描象が破綻する、量子極限近傍でトンネル描像が成り立つかどうかを明らかにする。

少数層系の角度依存磁気抵抗効果とトンネル描像

多層系の角度依存磁気抵抗効果は、トンネル描像で説明されてきたが、いまだ解明されていない問題も多い。そこで、少数層系試料を用い、磁場中層間伝導の諸問題に対する隣接2層間のトンネルの寄与を実験に明らかにする。

傾斜磁場下における電場ドメイン

半導体超格子の層間方向に電場をかけたときに、不均一な電場がかかり電場ドメインを形成することがある。このような電場ドメインに傾斜磁場をかけたときに、新たな電場ドメインが生じることが知られているが、さらに詳細な測定を行い、ドメイン構造を明らかにする。

電場中角度依存磁気抵抗振動と電子軌道カオス

有限電場中の角度依存磁気抵抗振動は、フェルミ面形状からシュタルク・サイクロトロン共鳴によるAMROの変調で説明できることが知られている。しかし、別のグループから、電子の実空間軌道カオスの様相が変化することにより、層間伝導が振動するという理論が報告された。ここでは、フェルミ面形状と電子軌道カオスの関係を明らかにする。

結論

本論文のまとめを行う。

本研究室に導入された分子線エピタキシー装置の立ち上げをおこない、本研究で用いる試料を作製した。また、作製した試料は、フォトリソグラフィーを用いて、メサ型に加工した。測定は、13Tまで印加可能な超伝導マグネットと、角度回転機構を用いて行った。

量子極限近傍における角度依存磁気抵抗効果とトンネル描像

多層系の磁気抵抗の角度効果に角度依存磁気抵抗振動(AMRO, Angular dependent Magnetoresistance Oscillation)と呼ばれる現象がある。これは、磁場の大きさによらず、磁場の角度に対して磁気抵抗が振動する現象で、磁場の大きさに対して抵抗が振動するシュブニコフ・ドハース振動とは異なる効果である。AMROは、隣接2層間のトンネルを考える、トンネル描像で説明できることが分かっているが、半古典的描像が破綻する量子極限近傍で、トンネル描像が成り立つかどうかを半導体超格子を用いて、実験的に検証した。

図2.1に、層間磁気抵抗を磁場の層に垂直な成分と平行成分に対してプロットした。明るい部分は磁気抵抗が大きいことをあらわす。白い点線で示した位置では、水平方向に磁気抵抗が大きく、この位置は磁場の垂直成分だけでスケールされる。これはシュブニコフ・ドハース振動であり、それが磁場方位によって変調されていることが分かる。

図2.2にトンネル描像を用いて層間のトンネル確率を計算した結果を示した。このグラフの明るいところはトランスファー積分が小さく、層間伝導が小さいことを表す。量子極限近傍でも層間伝導が振動していることが見て取れるが、弱磁場側では、明るく見える部分が直線状につながり、これは従来のAMROを表している。また赤い実線は、平行磁場共鳴条件の位置を示し、これより右側ではAMROが現れない。

図2.1の実験結果と図2.2の計算結果を比べてみると、明暗のパターンが合致していることがわかる。従って、量子極限近傍においてもトンネル描像が成り立つことが確かめられた。

少数層系の角度依存磁気抵抗効果と層間コヒーレンス

トンネル描像により、3次元的フェルミ面がない、層間結合がインコヒーレントな系でも、AMROが起こることが予測され、実験的にも確かめられている。しかし、多層インコヒーレント系における磁気抵抗のバックグラウンド反転や、多層インコヒーレント系のピーク効果など、いまだ解明されていない問題も多い。そこで、そのような問題に対する局所的効果である隣接2層間のトンネルの寄与を調べることにした。層間結合がコヒーレント的な5層系試料とインコヒーレントな5層系試料を作製し、角度依存磁気抵抗を測定した。

その結果、インコヒーレントな少数層系試料で、磁気抵抗のバックグラウンドが反転し、多層系と同様な結果を得た(図3.1)。このことから、バックグラウンド反転の起源は多層系特有の現象(バルク効果)ではないと考えられる。

また、インコヒーレントな少数層試料において磁場が層に平行なときに抵抗がピークとなるピーク効果が観測された。これは、コヒーレント系でみられるピーク効果とは異なる現象である。そこで詳しく調べてみると、平行磁場共鳴の磁場以上で、ピークの形状が磁場の垂直成分だけで決まることが分かった。平行磁場共鳴以上の磁場では、隣接2層間の波動関数が離れ、層間伝導が小さくなる。その結果、系が2次元的になり、2次元的弱局在効果が現れてくると考えられる。インコヒーレントな系では、トンネルをしてから次のトンネルが起こる前に、面内で拡散されることになり、それは隣接2層間で考えられるプロセスである。また、面内の拡散による磁気抵抗は磁場の垂直成分でスケールされる。もし、面内の拡散が層間伝導に反映されるのならば、インコヒーレント系のピーク効果は面内の弱局在効果を反映していると考えられる。また、磁気抵抗のバックグラウンド反転は、面内の磁気抵抗を反映していると考えられる。

傾斜磁場下における電場ドメイン

電場ドメインを示すような半導体超格子に傾斜磁場をかけると新たな電場ドメインが生じることが本研究室のKuraguchiらによって報告された。そこで詳細な測定を行った。図4.1は、傾斜磁場をかけたときに電圧・電流特性を測定し、その微分コンダクタンスを求めたものである。白い部分は、コンダクタンスが大きいところを表し、黒い線は電場ドメインの電流値の跳びに対応する。一様電場中での層間伝導の計算結果と比較することにより、図4.2のように各ドメイン領域で、どのような電場ドメインになるのかを決定することができた。

電場中角度依存磁気抵抗振動と電子軌道カオス

電場中の角度依存磁気抵抗振動は、Kuraguchiらによってフェルミ面の形状と関連付けられ、シュタルク・サイクロトロン共鳴が磁場の角度によって変調されることにより説明できるとされてきた。一方、T. M. Fromholdらのグループにより、実空間電子軌道のカオスの様相の変化により、層間伝導が振動するという提案がなされた。そこで、フェルミ面形状と電子軌道カオスの関係について調べてみることにした。まず、弱電場極限において電子軌道カオスの発生する条件をフェルミ面上の電子軌道を計算することにより求めた。その結果、磁場の角度がある臨界角θcより大きくなったときに、フェルミ面上の電子軌道に双曲型不動点が現れるが、その双曲型不動点からカオスが発生していることが分かった(図5.1)。つまり、カオスが発生する必要条件は、双曲型不動点の存在であることが分かった。

次に、有限電場・傾斜磁場下でカオスの領域の範囲を求めた。図5.2にカオスの発生領域を層間伝導の半古典的計算の結果と重ねて示した。赤い部分は層間伝導が大きいところ、青い部分は小さいことを表している。カオスの発生領域は、白く網掛けした部分である。その結果、電子軌道カオスの発生領域は、有限電場中で広がっているが、全ての領域を覆いつくすことはないことが分かる。低角側ではカオス領域は存在していないにも関わらず、依然として層間伝導の振動は見られる。従って、電子軌道カオスだけで、全ての層間伝導の振動を説明することは出来ないといえる。

本論文において、半導体を用いて磁場中層間伝導の諸問題について調べた。これにより、以下のことを明らかにした。

量子極限近傍において、半導体超格子の角度依存磁気抵抗効果を測定し、トンネル描像で層間伝導を説明できることを実験的に確かめた。

少数層系を用いて、磁気抵抗角度効果を調べることにより、磁場中層間伝導の諸問題に対して、隣接2層間のトンネルが寄与することを実験的に確かめた。

傾斜磁場下における電場ドメインの詳細な測定を行い、ドメインの組み換えを観測し、電場ドメインの構造を明らかにした。

フェルミ面形状と電子軌道カオスの関係を調べ、電場中角度依存磁気抵抗振動は、電子軌道カオスだけによるものではないことを確かめた。

図2.1 半導体超格子の層間磁気抵抗

図2.2 トンネル描像による層間のトンネル確率の計算結果

図3.1 インコヒーレントな少数層系の角度依存磁気抵抗振動(4.2K)

図4.1 電場ドメインを示す試料の傾斜磁場下の微分コンダクタンス。温度は、4.2K、磁場は13T。横軸は磁場の角度、縦軸は電場である。

図4.2 各領域におけるドメインの構造。(1)〜(4)は図4.1の(1)〜(4)に対応している。

図5.1  〓=70°のフェルミ面をもつ電子軌道のストロボスコピックポアンカレ断面。フェルミ面近傍のいくつかの電子軌道の波数〓を時間2π/〓Bごとに、 面に射影した。

図5.2 層間伝導におけるカオス領域。縦軸は電場強度に比例し、横軸は磁場方位角である。赤色のところは、層間伝導が増大していることを表す。

審査要旨 要旨を表示する

有機導体や層状酸化物などの層状低次元導体では層間磁気抵抗が磁場方位の関数として振動的・共鳴的構造を示す各種の磁気抵抗角度効果が観測される。これらはフェルミ面上の電子軌道運動に起因する半古典効果であると考えられ、フェルミ面研究手法の1つとして利用されている。一方、物質によって磁気抵抗は異常な角度依存性を示し未解決の問題となっていた(バックグラウンド反転問題)。 本論文は、「半導体多層系における角度依存層間磁気伝導」と題し、層状低次元導体の磁気抵抗角度効果の理解と未解明問題の解決を目的として、人工的に設計可能な層状低次元導体である半導体超格子を利用して行った実験的研究の結果について記述したものである。

第1章「序論」では、本論文の目的、構成について述べられている。

第2章「背景と実験方法」では、磁気抵抗角度効果、層間コヒーレンス、Starkサイクロトロン共鳴、電場ドメインなど、本研究の背景となる概念が簡潔に説明されている。また分子線エピタキシー法によるGaAs/AlGaAs系多層膜の成長や低温強磁場下の伝導測定など、本研究で用いられた実験技術について説明されている。

第3章「量子極限における角度依存磁気抵抗効果とトンネル描像」では、強磁場量子極限近傍でのAMROの振舞が述べられている。少数のLandau準位しか占有されない量子極限近傍ではAMROの半古典描像は破綻する。強磁場極限のAMROを調べる目的で、容易に量子極限近傍が実現できるGaAs/AlGaAs半導体超格子を用いてShubnikov-de Haas振動が共存する低温領域で実験を行った結果、半古典条件からのAMROの逸脱、強磁場におけるAMROの消失などを実験的に示し、量子論的トンネル描像の正当性を実証している。

第4章「少数層系の角度依存磁気抵抗効果と層間コヒーレンス」は、本論文の中核をなす部分であり、人工的に設計可能なGaAs/AlGaAs系で作製した少数層系の層間磁気抵抗の振舞について述べられている。実験の目的は少数層内で起こる局所効果の抽出であり、各現象の起源が隣接層間トンネル現象のような局所効果か軌道運動に対応するバルク効果かを判定できる。また層間トンネル時間間隔が層内散乱緩和時間より長い系(「層間結合がコヒーレントな系」)か否かにも注目している。少数層系にしてもAMROは残るがコヒーレント系のピーク効果は消失することを確認し、「AMROは隣接層間の局所的トンネル現象であり、ピーク効果は多層に渡るバルク効果である」とするトンネル描像の主張を実証した。またインコヒーレント系のバックグラウンド反転が少数層系でも残ることを見出し、反転の起源がコンファインメントなどの軌道効果ではなく局所効果にあることを示した。さらにインコヒーレント系の弱局在的ピーク効果についても議論している。

第5章「傾斜磁場下における電場ドメイン」では、層間方向電場下の半導体超格子における磁場中電場ドメインの形成と構造について議論されている。サブバンド準位が共鳴した従来の電場ドメインに対し、傾斜磁場下では各伝導層のランダウ準位が共鳴した新しいクラスの電場ドメインが出現することが、本研究室の蔵口らによって見出されている。本研究ではこれを精密化し、ドメインの存在領域を電場・磁場方位・磁場強度の関数として詳細に調べ、トンネル描像による隣接層間トンネル確率の変動による層間伝導と比較した。その結果、ドメイン形成による電流・電圧特性の平坦部は、Starkサイクロトロン共鳴電圧に挟まれており、各共鳴に対応する2つの電場ドメインが形成されていることを示した。

第6章「電場中角度依存磁気抵抗振動と電子軌道カオス」では、層間電場・傾斜磁場下の擬2次元導体における電子軌道カオスの発生条件に関する議論が行われている。Fromholdらは電場中擬2次元系の層間伝導の角度依存振動を電子軌道運動のカオスの様相の変化によって説明した。この是非を判定する目的で、カオス発生条件をフェルミ面形状に関連付けて考察した結果、ゼロ電場極限では双曲型不動点を含む電子軌道が存在することがカオス発生の必要条件であること、有限電場ではカオス領域は広がるが角度依存振動が起こる領域をカバーしていないことを示し、カオス模型で全ての振動を説明できるわけではないことを指摘している。

第7章「総括」では、以上の研究の概要がまとめられている。

以上を要約すると、本研究は層状低次元導体の磁場中層間伝導の諸問題を、人工的に設計可能な半導体超格子を利用して解明したもので、各磁気抵抗角度効果の起源などに関する新しくかつ重要な知見を見出しており、物理工学、物性物理学の発展に寄与するところが極めて大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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