学位論文要旨



No 121179
著者(漢字) 佐光,貞樹
著者(英字)
著者(カナ) サミツ,サダキ
標題(和) 導電性高分子ナノファイバーの開発と電気物性に関する研究
標題(洋)
報告番号 121179
報告番号 甲21179
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6269号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 教授 土井,正男
 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 特任講師 奥薗,透
内容要旨 要旨を表示する

近年、半導体デバイスは驚異的な高密度・高集積化を遂げているが、微細化がより進みナノメータースケールになると、加工限界、高価格化などの問題が生じ、根本的な発想の転換が求められている。このような問題を解決するためのアプローチの一つとして、従来の微細化(マクロからミクロへ)の方向とは逆に、分子の組織化・集積化(ミクロからマクロへ)による機能素子を目指した分子エレクトロニクスの研究が急速に発展している。 単一分子を究極の分子素子として機能させようという分子エレクトロニクスの研究では理論的側面から多くの研究がなされ、分子ダイオード、分子メモリー、分子スイッチなどさまざまな機能を持った分子素子が提案されてきた。しかしながら単一分子という空間スケールの小ささゆえに実験による検証は進まず、わずかにLB膜や自己組織化単分子膜において整流特性を示すことが確認されるに留まっていた。その後のナノテクノロジーの隆盛とともに単一の原子や分子に働きかける実験手法の開発が爆発的に進展し、特に走査型プローブ顕微鏡の技術や電子線リソグラフィーによる微細加工の技術の発達により、2000年以降STM、AFMなどの走査型プローブ顕微鏡による単分子膜中の孤立分子の特性測定や数nmのギャップを持つ固定電極によるクーロンブロッケードや近藤効果の観測などが行なわれ、単一分子素子の実証実験として大きく注目されている。このように分子素子単体の特性研究が進む一方で、分子素子をデバイスとして集積化して電子回路を構築しようという研究はいまだほとんど行われていない。

分子素子をデバイスとして集積回路を構築するためには、分子素子とマクロな電極と接合するための分子スケールの配線材料(分子配線)が必要不可欠である。特に導電性高分子は高分子鎖上に広がったπ電子共役構造を持ちドーピングを施すことで金属に匹敵する高い導電率を示すことや、有機化学合成の手法によりさまざまな修飾手法が確立されていることなどの利点があり分子配線の有力な候補と期待されている。

導電性高分子は高分子であるために形態の自由度が大きく、高分子鎖が伸張したロッド状形態では大きな導電性を示すのに対して、単分子鎖レベルに孤立させると分子鎖は大きな内部自由度のために丸まったコイル状形態をとりやすくπ共役系が分断されて導電性が低下してしまうという問題点がある。導電性高分子で分子配線を実現するためには分子素子と接続するための分子スケールの細い直径でありながら高い導電性を確保するために高分子鎖が伸張された状態を維持している必要があるという矛盾した2つの要請が求められる。導電性高分子一本鎖では直径が1 nmにも満たないため取り扱いが難しいことから、数nm程度の直径を持った導電性高分子のナノファイバー状分子集合体を形成することにより分子スケールの直径を持ちかつ高分子鎖が伸張した状態を維持した分子配線を実現しようという機運が高まっており、分子スケールの直径を持った導電性高分子ナノファイバーの作製手法の検討及びその電気物性測定手法の確立が求められている。

本研究では分子スケールの直径を持つ導電性高分子ナノファイバーの作製手法に関して2種類の作製手法の検討を行なった。第1の作製法はDNAの単分子伸張法として研究されている分子コーミング法を導電性高分子に応用した手法である。分子コーミング法によるナノファイバーの作製法では、液体の流動場を利用して導電性高分子を固体基板上で伸張しナノファイバー状集合体を形成させる。もう1つの作製法は、導電性高分子間に働くπ電子間相互作用により導電性高分子の溶液からナノファイバー状集合体を得る再結晶法である。再結晶法では結晶性の高い導電性高分子のファイバーを得ることができる。

ナノファイバーの電気物性測定手法としては、ナノファイバーを基板上の電極間に配置しAFMで電極間に橋渡ししたナノファイバーの形態を観察した上で電気伝導度や電界効果トランジスタ特性の測定を行なった。この際用いる電極に必要な条件として、電極間隔はナノファイバーの長さより狭い(数100 nm以下)必要があり、さらに電極間に橋渡ししたナノファイバーの形態を原子間力顕微鏡(AFM)等で観察するために数nm程度のナノファイバーの外径よりも電極基板の表面上の荒さが十分に小さいことが求められる。上記のような要請を満たす微細電極端子付き基板は通常のフォトリソグラフィによる微細加工では作製できない。そこでフォトリソグラフィとAFMリソグラフィという2種類のリソグラフィ手法を組み合わせて使用することにより絶縁層の膜厚が150 nmのSiO2/Si基板上に電極間隔が200 nm程度のPtの微小電極端子を作製した。作製した基板表面の凹凸は1 nm以下と非常に平坦性が高く、ナノファイバーを橋渡しする前の電極間のインピーダンスは10TΩ以上と良い絶縁特性を示した。以上の結果からフォトリソグラフィとAFMリソグラフィを組み合わせてSiO2/Si基板上にスパッタリングしたPtを微細加工することにより、導電性高分子ナノファイバーの形態を観察するのに十分な平坦性に加え、ナノファイバー1本の導電性を測定するための狭い端子間隔と高い絶縁特性を持った微細電極端子付き基板を作製することができた。

微細電極端子付き基板上で分子コーミング法による導電性高分子ナノファイバー作製を試みた。導電性高分子にはポリスチレンスルホン酸(PSS)によりドーピングされて良い電気伝導性を示すポリ(3,4-エチレンジオキシチオフェン)(PEDOT/PSS)を使用した。PEDOT/PSSの水溶液を電極端子間にかかるように基板上に滴下し、続けてこの液滴を吸い上げることにより基板上を動く液滴の気液界面の流動場でPEDOT/PSSを伸張して基板上に固定化されたPEDOT/PSSナノファイバーを作製した。電極間のナノファイバーをAFMで観察して得られた画像から、ナノファイバーの直径は2-10 nm、長さは0.2-1.5 ・mあり、PEDOTの分子構造から推定される幅0.6 nmに比較してこのPEDOT/PSSナノファイバーは数本のPEDOTとPSSがバンドル状に絡み合ってファイバー状分子集合体を形成していると推定した。さらにナノファイバーは気液界面の後退方向に配向しており、微小電極端子間には3本のナノファイバーが橋渡しした。ナノファイバーの配向を制御することができた結果、分子を微細電極端子基板上にランダムにばらまいて載せる場合に比較して効率的に微小電極端子間を橋渡しすることができた。

この微小電極間を橋渡ししたPEDOT/PSSナノファイバーの電気伝導を真空中で測定した。室温で印加電圧が小さい領域ではオーミックな電流電圧特性が得られ、その抵抗値は800MΩと見積もられた。電気伝導度は温度が低下するとともに減少し、その温度依存性からPEDOT/PSSナノファイバー中のキャリア伝導機構は1次元の可変領域ホッピングモデルで記述できることを示した。

さらにナノファイバー1本ごとの物性の評価を行なうために、AFMマニピュレーションによる導電性高分子ナノファイバーの切断手法と微小電極端子を用いた導電率測定とを組み合わせる測定手法を確立した。3本のPEDOT/PSSナノファイバーをAFMマニピュレーションにより1本ずつ切断していくと電極間の電気伝導度は段階的に減少し、この減少幅から3本のナノファイバーそれぞれの導電率を見積もることにより、同じPEDOT/PSSナノファイバーでも、電気特性では導電率が0.6 S/cmと0.09 S/cmである導電性のPEDOT/PSSナノファイバーと導電率がほぼ0 S/cmの絶縁性のPEDOT/PSSナノファイバーの2種類があることを明らかにした。

結晶性の高い導電性高分子ナノファイバーの作製には、側鎖のアルキル鎖の炭素数が4から10までの4種類の位置規則性を有するポリ(3-アルキルチオフェン)を使用した。再結晶法で使用する溶媒や濃度、温度などナノファイバーの作製条件を系統的探索した結果、アニソールとクロロホルムを体積比で8:2で混合した混合溶媒を使用して70℃から20℃まで冷却速度25℃/hで徐冷することにより、検討した4種類のポリアルキルチオフェンすべてに関して溶液中でナノファイバー状分子集合体が得られることを見出した。溶液中で作製したナノファイバーを基板上に塗布してAFMで形態観察を行い、ナノファイバーは高さが3-5nm程度、幅が15-35 nm、長さが10 ・m以上あり、縦横比が1000以上の良好な1次元分子集合体形態を有していることを明らかにした。

ナノファイバーの作製過程で溶液の色が70℃のオレンジ色から、20℃まで冷却後の紫色に変化するサーモクロミズムが観察されたので、ナノファイバー作製過程での紫外可視吸収スペクトルを測定した。導電性高分子は高分子鎖の主鎖方向に共役したπ電子軌道を有するため、高分子主鎖のコンフォメーション変化により共役長が大きく変化する。共役長の変化はπ電子軌道のエネルギー準位を変化させるため、紫外可視スペクトル測定は高分子主鎖のコンフォメーション変化による共役長の変化を検出するための有効な測定手法となる。ポリアルキルチオフェンの溶液は70℃では445 nm付近に単一ピークを持つ吸収スペクトルを示し、0.20 ・mのフィルターを通してもスペクトルが変化がなかったことから、ポリアルキルチオフェンは70℃で混合溶媒に完全に溶解していることが示唆された。20℃まで冷却後は650 nm付近から立ち上がり520 nm付近で最大となる振動構造を持つ吸収スペクトルを示した。0.2 ・mのフィルターに通すとフィルター上には紫色の沈殿が残り、ろ過した溶液は透明な黄色の溶液になりAFM観察でナノファイバーは見られなくなった。フィルター後の吸収スペクトルでは600 nm付近の長波長側の吸収帯は消滅し、450 nm付近に単一の吸収ピークを示した。この結果から600 nm付近の長波長側の吸収帯は溶液中に生じたナノファイバー状分子集合体に由来することが明らかになった。吸収スペクトルが長波長に移動する現象は深色効果と呼ばれ、高温では主鎖の回転運動のために切断されていたπ共役系が低温でπ電子間相互作用により高分子主鎖の積層した分子集合体が形成することで主鎖の回転運動が抑制されπ共役系が伸びたことを示している。

さらにキャスト法により調製したポリアルキルチオフェンナノファイバー薄膜のフーリエ変換赤外分光測定を行い、アルキル鎖の分子運動に由来する吸収ピークとチオフェン環の分子運動に由来する吸収ピークを確認した。

またナノファイバーのミクロな構造に関する情報を得るため、再沈法で回収したナノファイバーの粉末X線回折測定を行った。粉末X線回折の結果、アルキル鎖長が長くなるに従って低角度側に移動していく指数(100)に対応する明瞭な回折ピークとアルキル鎖長に依存しないチオフェン主鎖が積層した方向の指数(020)に対応する回折ピークが得られた。ナノファイバーの回折ピークはポリアルキルチオフェン薄膜のX線回折のピークと一致したことからナノファイバーは薄膜と同じミクロ構造を有していることがわかった。この結果からナノファイバーは長軸方向にチオフェン環からなる高分子の主鎖が積層してできたミクロ構造を有することが示唆され、紫外可視吸収スペクトルの測定結果とも一致した。

ポリ(3-ヘキシルチオフェン) (P3HT)ナノファイバーに関しては微小電極端子付き基板を用いてナノファイバーの電界効果トランジスタ特性の測定を行った。印加するゲート電圧VGを変化させながらソースドレイン間の電圧VSDと電流ISDの関係を測定した結果、印加するゲート電圧を負の方向に大きくするに従ってISDが大きく増幅されたことからポリアルキルチオフェンナノファイバーはホールをキャリアとするp型のFET特性を示すことがわかった。このときのON/OFF比は104以上あり、線形領域から見積もられた移動度は0.015cm2/Vsと良好なFET特性を示すことを明らかにした。

図1.分子素子と電極の接続に分子配線を使用した分子デバイスの模式図

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、近年注目を集めている分子デバイスを構築するための要素技術のひとつとなる「分子配線」材料の作製手法およびその電気物性に関して総合的に検討した結果をまとめたものである。分子デバイスによる情報処理素子の構築の実現には残された課題も数多くあるが、特に分子デバイス同士をつなぐ配線材料の欠如が大きな障害となっている。

本論文で著者は分子配線材料としての導電性高分子ナノファイバーに注目し、その作製手法の検討及び電気物性測定手法の確立を目指した。電気物性と形態の密接な関係に着目して形態制御に重点を置いて、これまでほとんど報告例のなかったような分子スケールの直径を有する導電性高分子ナノファイバーの作製に取り組んだ結果、異なった2種類の作製手法により導電性高分子ナノファイバーの作製に成功した。また導電性高分子ナノファイバーの作製手法の開発だけでなく、得られた導電性高分子ナノファイバーのキャリア伝導特性を明らかにするために導電性高分子ナノファイバーの電気物性測定にも力を注いだ。特にナノファイバーの長さより短い電極間隔を有する平坦性が高い微細端子付き基板を作製して、原子間力顕微鏡(AFM)によるナノファイバーの形態観察、ナノファイバー1本ずつの切断法と同時に室温から低温までの広い温度領域でナノファイバーの電気物性測定を行った結果はこのようなナノスケールの有機伝導体における新しい電気物性測定手法の提案といえる。

本論文は4つの章より構成され、各章の概要は以下の通りである。第1章では分子デバイスの重要性と実現のための課題について、これまでに報告されてきた研究内容をまとめ、分子配線材料としての課題と導電性高分子ナノファイバーの現状と可能性を明らかにした。

第2章では1つめの導電性高分子ファイバーの作製手法としてPEDOT/PSSを導電性高分子として用いた分子コーミング法を検討した。分子コーミング法はDNAを単分子レベルで伸張する手法としてよく知られていたが、この手法を導電性高分子に初めて適用することにより固体基板上で気液界面が進行していく際に働く流動場を駆動力として利用して流動場方向にPEDOT/PSSをナノファイバー化するとともに基板上に伸張固定することができることを示した。この方法で作製したPEDOT/PSSナノファイバーは直径が数 nmとこれまで報告されている導電性高分子ナノファイバーの中では特に小さな直径を有しているだけでなく、ナノファイバーを気液界面の後退方向に配向させることができるため分子を微細電極端子基板上にランダムにばらまいて載せる場合に比較して効率的に微小電極端子間を配線することもできたことから、分子コーミング法は分子配線として用いる導電性高分子ナノファイバーを作製するのに適した手法であることを示した。基板上に作製したPEDOT/PSSナノファイバーの電気伝導度の温度依存性を測定し、PEDOT/PSSナノファイバー内のキャリア伝導は擬1次元可変領域ホッピングモデルで記述できることを明らかにした。微細電極端子間を橋渡しした複数のPEDOT/PSSナノファイバーをAFMにより1本ずつ切断しながら電気伝導度を測定することにより、PEDOT/PSSナノファイバー1本ずつの導電率を測定できることを示した。これまでナノスケールの電気物性測定には困難があったが、本論文ではAFMによるマニピュレーション技術と微細電極基板による電気物性測定を組み合わせることにより、ナノファイバー1本ずつの電気物性を再現性よく測定するための電気物性測定手法となり得ることを初めて実証した。

第3章ではもうひとつの導電性高分子ナノファイバーの作製手法として析出法によるのポリ(3-アルキルチオフェン)(P3AT)ナノファイバーの作製を検討した。導電性高分子ナノファイバーにおけるキャリア伝導を向上させるためにはナノファイバー内における高分子の結晶性が非常に重要な因子となるが、析出法を用いることで結晶性を有する10 nm程度の非常に細いナノファイバーが作製可能になった。高分子の規則性、濃度、冷却速度などさまざまな作製条件の検討を行いP3ATナノファイバーの作製には溶媒としてアニソールを用いることが有効であることを見出した。作製したナノファイバーをAFMによる形態観察、紫外可視吸光度測定、FT-IR測定、XRD測定などさまざまな測定手法を用いて評価することにより、作製したP3ATナノファイバーにはP3AT薄膜と同様の結晶性があり、直径は数 nm、長さは数〓m以上と理想的な1次元分子集合体構造を有していることを明らかにした。さらにこれらの測定から得られた知見を総合し、ナノファイバーの形成過程は強いπ電子間相互作用による異方的な結晶化速度がπ電子軌道方向に高分子主鎖が積層したP3ATナノファイバーの形成を誘引することを見出した。さらにキャリアを注入するためのドーピング手法と異なる空間スケールにおけるキャリア伝導機構の変化に注目し、ドーピング手法としては化学ドーピングと電界効果ドーピングという異なる2つのドーピング手法を行うとともに、ナノファイバーの長さというひとつの特徴的な空間スケールに対してナノファイバー内のキャリア伝導特性とナノファイバー間のキャリア伝導特性の違いの評価を、電極間隔がナノファイバーの長さよりも十分長い電極とナノファイバーの長さよりも短い電極を用いた電気物性測定により行なった。さらに低温までのキャリア伝導特性の温度依存性を測定することによりキャリアの伝導機構に関する知見を得た。

以上のように本論文で著者は、分子配線材料としての導電性高分子ナノファイバーの作製手法において新しい手法を開発するだけでなく、ナノファイバーの電気物性測定においても汎用性の広い電気物性測定手法を提案した。このような導電性高分子ナノファイバーは分子配線材料としてだけでなく近年応用が期待されている有機分子を用いたエレクトロニクスの要素技術として、その進展に寄与するものと考える。よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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