学位論文要旨



No 121182
著者(漢字) 堀井,和由
著者(英字)
著者(カナ) ホリイ,カズヨシ
標題(和) 分子配向スペクトロスコピー法の開発と複雑流体における異方秩序形成過程の研究
標題(洋)
報告番号 121182
報告番号 甲21182
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6272号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 酒井,啓司
 東京大学 教授 高木,堅志郎
 東京大学 教授 土井,正男
 東京大学 教授 田中,肇
 東京電機大学 教授 野村,浩康
内容要旨 要旨を表示する

液晶、高分子などのソフトマテリアルは外場に対して容易に応答し、その光学的物性や粘弾性などの力学物性に異方性が現れることが知られている。この外場応答性を利用したデバイス応用の面から、複雑流体における分子配向制御技術には現在大きな関心が集まっている。本研究では外場を用いた局所領域における分子配向スペクトロスコピー法の開発と、さまざまな有機複雑流体における異方的秩序形成過程の観察を行った。実験に用いた装置は自らが独自に開発・改良を行ったもので、従来は測定困難であった実験条件下、特にMHz域に至る高周波数域においても分子配向ダイナミクスを観察できるという特徴がある。これらの装置を用いて流体の並進運動や光吸収性が分子配向形成過程にどのように影響するか、温度などの外的条件によってどのように変化するかに注目して研究を行った。本研究の内容は開発した装置の種類によって3章に分かれており、それぞれ外場には光電場、ずり流動、定在超音波を用いた。以下にその概略を示す。

方形パルスレーザーを用いた光カー効果スペクトロスコピー法の開発と色素効果のメカニズム

近年、液晶等方相に色素を添加すると、光カー効果(光に対する分子配向応答)が劇的に増大する現象が見いだされた。この現象の特徴は色素濃度が小さい (< 0.1 wt%)にもかかわらず、増大率が非常に大きい点にある。この色素効果のメカニズムに関してはいくつかのモデルが提案されているものの、分子レベルでの実験的な検証はほとんど行われていなかった。これは従来用いられていたナノ秒パルスレーザー強度変調法では光吸収に伴う熱的効果の影響を受けてしまうため、分子の配向協同運動が顕著に表れる相転移温度近傍での測定が困難で分子間相互作用を詳しく調べることができなかったからである。そこで本研究では、パルスレーザー強度変調法に替えて低出力のレーザー光を長時間(数十・s)照射する方形パルスを用い、さらにその偏光面を高速変調させる方形パルスレーザー偏光変調法を開発した。熱的効果は光強度に比例して起こるのに対し分子配向は偏光変調に従うので、光カー効果を熱的効果と分離して測定できるようになった。この装置を用いてさまざまな色素濃度の液晶色素混合系における光カー定数スペクトルの測定を行った(Fig.1)。色素濃度が高くなるにつれて光カー定数は増大する一方で、配向緩和時間は全く変化していないことがわかった。色素を添加しても系の配向ダイナミクスを決めるのは依然として液晶性分子の配向揺らぎであり、疑似ドメインは影響を受けないことがわかった。色素効果は疑似ドメインとは関係なく、双極子-双極子相互作用のような長距離的な作用を介して液晶性分子に直接分子配向を誘起していることが明らかとなった。また、励起状態の色素分布に異方性が生じることと配向ダイナミクスが液晶性分子の配向揺らぎに因っているという事実から、本実験結果は色素分子が回転子として働くブラウン運動モーターのモデルを支持する結果となった。

四重極ピエゾ流動複屈折法の開発とコロイド・ミセル系におけるずり変形・配向結合現象の測定

形状異方性を持つ複雑流体中では、流体のずり流れと分子回転運動との間に結合が現れることが知られている。ずり流れから分子配向への結合現象を観察する手法としてはクエット流法が従来一般的に用いられていた。しかし、クエット流法はずり場の侵入長があるために1kHz以上の高周波測定が困難で、結合の大きさを見積もるのに流体のずり粘性周波数依存性が必要となることから結合を定量評価することは困難であった。そこで、結合現象をより広帯域周波数で観察しうる四重極ピエゾ流動複屈折法の開発を行った。四極に配置したピエゾ素子を用いてクエット流法のせん断変形ではなく純ずり変形を流体に印加し、そのずり流動場によって分子配向を誘起するという方法である。ピエゾ素子の駆動量を光学検出することによって流体にかかるずり変形の絶対量を求めることができ、結合の大きさを定量的に評価することが可能になった。Fig2は配向緩和周波数が十分速い温度で測定した液晶5CBの流動複屈折スペクトルである。周波数100kHzまで複屈折量が周波数に比例し理論と一致した。このことから四重極ピエゾ法の周波数帯域は1〜100kHzで、クエット流法より二桁高い周波数まで測定することに成功した。この装置を用いてひも状ミセル水溶液のスペクトル測定を行ったところ、配向緩和周波数より低い周波数領域で共鳴現象と思われる特異なスペクトルを観察した。この共鳴はピエゾ間距離に依存する巨視的な配向現象で、ひも状ミセルは並進運動に対しては液体だが、配向に関してはゲル的な振る舞いを表すことがわかった。また、タンパク質コロイド系の牛血清グロブリンについても測定を行ったところ、実際の分子の大きさから予想されるよりも遅い配向緩和時間が観測された。このことからコロイド分子は周囲の水を包含しながら回転運動していることがわかった。

定在超音波複屈折法の開発と液晶等方相における高速結合現象の測定

四重極ピエゾ法では高周波になると、観察領域の大きさが音波の波長程度となって非圧縮条件が成り立たなくなるために、100kHzで測定限界となった。これより高周波領域における高速な結合現象を観察するために定在超音波を利用した新しい複屈折スペクトロスコピー法を開発した。一つのピエゾ素子に対向してL型のアルミ板を配置する。ピエゾ素子からアルミ板の角に向かって音波を発振すると音波はアルミ面で全反射されるので、この系は四重極に配置した四つのピエゾ素子が同位相で音波を発振する系と等価になる。対向したピエゾ素子間には定在波が起こるので、流体には二つの直交した定在超音波が形成される。このとき媒質の変形をみると、等方的に伸縮する体積変形領域と異方的で非圧縮な純ずり変形領域が空間的に分離して格子状に形成されていることになる。これらの変形領域の異方性と屈折率変化の違いを利用することにより、分子配向による複屈折量と流体にかかる変形量(音波の強さ)を測定することができる。これにより、音波の強さから複屈折量を較正できるので、ピエゾ素子の非共振領域で周波数を連続的に掃引したスペクトルが得られるという利点がある。まず、装置の性能評価としてプローブ光を空間掃引して複屈折量の空間分布測定を行い、定在波の間隔でほぼ理想的に格子状の変形領域分布が形成されていることを確認した。また、測定可能周波数領域に関しては四重極法よりさらに高周波の5MHzまで測定することに成功した。この測定法を用いて液晶6CB等方相における複屈折の温度依存性測定を行った(Fig.3)。四重極法では測定困難であった液晶性分子の配向緩和が観察された。相転移温度近傍に向かって複屈折量が臨界的に消失していく様子が見られるが、光電場を用いた複屈折測定ではこのような振る舞いは現れなかった。このことは速度勾配から分子配向への結合の大きさを表す結合粘性が温度に関して臨界性を持っていることを示している。この結合粘性の臨界性は全く異なる測定手法である動的光散乱を用いた測定結果とよく一致した。すなわち、液晶等方相の相転移温度近傍ではずり変形と配向運動の結合が切れて分子は自由に回転運動していることがわかった。

以上の通り、本研究では外場として光電場、流動場、定在超音波を用いて局所領域における分子配向運動を制御する3つの複屈折スペクトロスコピー法を開発した。光電場を用いた測定では、光吸収性試料における分子配向形成過程の測定を行い、光吸収エネルギーが長距離相互作用を介して分子配向秩序を増大していることを明らかにし、ブラウン運動モーターモデルを支持する実験結果を得た。また、ピエゾアクチュエータを用いた四重極流動複屈折法、定在超音波複屈折法により1Hz〜5MHzという従来法の領域をはるかに超える広い周波数帯域での分子及び分子集合体の配向・回転現象の観察手法を確立した。これらは数MHz以上の周波数帯域を持つ従来の超音波複屈折法につながる測定法と位置づけられる。これらの測定法を用いて、速度勾配を伴うずり変形が分子配向に結合する現象を測定したところ、分子に直接トルクを与えて配向を誘起する光電場複屈折法では観察されない特異な分子配向ダイナミクスを見いだした。ひも状ミセルでは空間サイズに規定される分子配向の巨視的な共鳴現象を観察し、液晶等方相ではずり変形と独立して分子回転運動する振る舞いを観察することに成功した。以上述べたとおり、本研究によりミセルやコロイド分子などの回転運動の遅い巨大分子から回転運動の速い液晶性分子までの幅広い試料で、ずり変形から分子配向への結合過程を観察することが可能となった。

Fig.1 さまざまな色素濃度における光カー定数スペクトルの実部

Fig.2 四重極ピエゾ法の周波数帯域評価

Fig.3 液晶6CBにおける定在超音波複屈折の温度依存性

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「分子配向スペクトロスコピー法の開発と複雑流体における異方秩序形成過程の研究」と題し、3種類の外場を用いた複雑流体の局所的異方性秩序を制御・検出する測定法を開発し、異方性形成の分子素過程を研究することを目的としている。

液晶、高分子などのソフトマテリアルは外場に対して容易に応答し、その光学的物性や粘弾性などの力学物性に異方性が現れることが知られている。この外場応答性を利用したデバイス応用の面から、複雑流体における分子配向制御技術には現在大きな関心が集まっている。本研究では外場を用いた局所領域における分子配向スペクトロスコピー法の開発と、さまざまな複雑流体における異方的秩序形成過程の観察を行った。実験に用いた装置はすべて論文提出者が独自に開発したもので、従来は測定困難であった実験条件下でも分子配向ダイナミクスを観察できるという特徴がある。本論文は開発した測定手法に応じて章立てがなされており、それぞれ配向を誘起する外場として光電場、ずり流動、定在超音波を用いたシステムについて記述されている。

本論文は4章から構成されている。

第1章は「序論」であり、本研究の背景と目的、および本論文の構成について述べられている。

第2章は「光電場による配向制御」と題し、光吸収性試料にも適用できる光カー定数スペクトロスコピー法の開発と光カー効果増大現象の機構に関して記されている。色素・液晶混合系ではレーザー光照射に伴う熱的効果が不可避であり、パルス光を用いた従来の測定法では光カー効果と熱的効果を分離して観察することは不可能であった。そこで、これを解決するために方形パルス光と偏光変調を組み合わせた光複屈折法を開発し、熱的効果と分離して光カー効果の測定を行った。実験結果から色素は光カー効果を増大させる一方で、配向緩和には影響しないことが明らかとなった。この事実から液晶・色素間の相互作用についての考察を行い、その機構のモデルとして色素分子がブラウン運動モーターとして働いているという従来の仮説を支持する結果となった。

第3章「ずり流動場による配向制御」では、広帯域流動複屈折スペクトロスコピー法の開発、及びひも状ミセルやコロイド系において測定を行った結果について記している。これまでの測定法では周波数限界が1kHz程度と低く、また界面の影響を無視することができなかったため、新たに圧電素子により非圧縮ずり変形を印加する四重極流動複屈折法を開発した。液晶等方相において測定を行ったところ四重極法の周波数帯域は1〜100kHzとなり、従来法より帯域を二桁広げることができた。この装置を用いて、ひも状ミセルではずり粘性緩和に伴う振動的配向現象を見出した。さらにタンパク質コロイド試料において測定を行ったところ、コロイドが周囲の水を引きずりながら回転している振る舞いが観察された。

第4章では「定在超音波による配向制御」と題し、定在超音波を用いたずり変形・配向結合現象を高周波領域で測定できる定在超音波複屈折スペクトロスコピー法について述べている。前章の四重極法では高周波域ではずり変形領域と音波の波長が同程度になって日圧縮性が破れ、これが測定限界となった。そこで定在超音波によって高周波域で結合現象を観察する手法を開発した。定在波による純ずり変形領域における複屈折量から配向状態を検出し、また変形による屈折率勾配による光偏向量から流体中の音波(変形量)を定量測定する。装置を用いて液晶等方相における配向状態の温度依存性の測定を行った結果、液晶等方相では相転移温度に近づくにつれて複屈折量が最大値を経てから減少する振る舞いが観察され、結合粘性に温度依存性を見出した。動的光散乱測定から結合粘性は温度臨界性を持つことが報告されており、本実験の結果はこの臨界性を支持する結果になった。

第5章は「総論」と題し、本論文の内容を簡潔にまとめている。

以上のように、本研究では複雑流体における異方性形成過程に着目して独自の測定法を開発し、異方性の大きさ、形成速度を定量的に評価する手法を確立した。また光カー効果増大現象の機構に関する相互作用を明らかにし、ブラウン運動モーターが関係していることを示唆する結果を得た。さらに液晶、ミセル、コロイド系などの複雑流体においてずり変形・配向結合現象を広帯域、高周波域で観察できる測定法を確立し、液晶の相転移近傍において結合粘性が減少することを明らかにした。このように本研究の成果は、複雑流体における異方性形成過程を観察する有力な測定法を確立し、光吸収性、並進自由度との結合が異方性形成に与える影響を評価したという点で物理工学への貢献が大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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