学位論文要旨



No 121185
著者(漢字) 横田,敏彦
著者(英字)
著者(カナ) ヨコタ,トシヒコ
標題(和) プラズマイオン注入/成膜法による生体機能性材料の創製に関する研究
標題(洋)
報告番号 121185
報告番号 甲21185
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6275号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 上坂,充
 東京大学 助教授 工藤,久明
 東京大学 助教授 阿部,弘亨
 東京大学 助教授 鈴木,晶大
内容要旨 要旨を表示する

序論

腎不全患者への透析療法の一種である連続携行式腹膜灌流(CAPD)と呼ばれる治療法において、シリコーンカテーテルは生体内において周辺組織と癒着せず、「トンネル感染」と呼ばれるカテーテル出口部での感染症や腹膜炎などの合併症を引き起こす要因となるため、医療現場で大きな問題となっている。生体組織接着剤にてカテーテルと周辺組織との接着が試みられているが、シリコーンは接着剤の付着力も乏しく効果はあがっていない。この付着力が向上すれば、感染防止に効果的であることが予想される。またさらにシリコーンは生体適合性に優れ医療用としての汎用性が高い反面、経年劣化も報告されており、単体では生体内で十分な長期安定化は困難である。本研究ではシリコーンの表面改質によりこれらの問題を解決することを目的とし、その手法として三次元形状物に対してイオン照射及び膜堆積が可能なプラズマイオン注入/成膜(PBIID)法に着目した。イオン照射によるシリコーンの表面改質および新たな層を形成することによる機能付加を行い、長期的にトンネル感染を防止するための新たな生体機能性材料の創製に向けての応用可能性について検討を行った。

実験方法

ポリジメチルシロキサン(C2H6SiO)nが主成分である医療用シリコーンシートを約15mm×15mmとなるように切り出したものを用いた。また本研究ではRF・高電圧パルス重畳方式PBIID装置を使用した。プラズマ生成ガスとしてHe・Ar・Krのいずれかを導入し、試料室の真空度は10mTorrに設定し、試料に印加する負の高電圧パルスは0〜-10kV、室温にて処理を30分間行った。

また本研究ではシリコーン表面へ機能付加するためのコーティング材として生体安全性、物理化学的安定性に優れるDLC(Diamond-Like Carbon)に着目した。しかしDLC膜は作製方法や作製条件によって得られる膜の構造も特性も異なるため、PBIID法にて作製したDLCの基礎的物性や細胞接着性およびこれらの関連性は明確ではない。そこでメタン、トルエン、窒素、水素を用いてPBIID法にて作製したDLCの基礎的物性データ取得およびそれらの試料の細胞接着性評価も行った。

表層物性解析手法

各種試料の組成はラザフォード後方散乱法(RBS)・弾性散乱検出分析法(ERDA)、X線光電子分光法(XPS)を用いて決定した。表面形状、表面官能基の種類、構成元素の結合状態、濡れ性は細胞接着挙動を左右すると考えられることから原子間力顕微鏡(AFM)、フーリエ変換赤外分光法(FT-IR)、水の接触角計を用いて調べた。さらに、炭素の構造を調べるため、マイクロラマン分光分析法(μ-RAMAN)を用いて評価した。

また、細胞接着挙動を評価するため、細胞接着状態を生体外観察した。用いた細胞はマウス由来の線維芽細胞(L929)である。この細胞と基材との接着を媒介するタンパク質を含むウシ胎児血清(FBS)を10%加えた培地中にL929を採取した後、培養は人間の体内を模擬したインキュベーター内で行った。細胞接着性の評価に関しては、L929が試料に接着しているか否かを細胞の形状により判断し、接着している細胞数の全細胞数に占める割合を細胞接着率として算出して評価に用いた。また、生体組織接着剤の付着力試験はヒト血清由来の生体組織接着剤を用いて接着面積が一定となるよう接着した後、せん断方向に引っ張り、剥離した時の荷重を測定して評価した。

実験結果及び考察

PBII処理したシリコーン試料は未処理のものに比べ、せん断方向付着力が約2〜8倍と大幅に向上した。これについて下記のように考察した。

FT-IRの結果から、CH3基などの分解がみられ、また切断された結合から新たにOH基・>C=O基などの結合が生成していた。疎水性であるCH3基の分解と親水性のOH基の生成が見られたことから表面の親水化が示唆された。そこで、Ar処理した試料に関して接触角を測定した。未処理シリコーンの接触角が108°であったのに対し、PBII処理した試料の接触角は103〜106°であり、PBII処理したシリコーン表面は親水化していた。ただし、-10kVで処理した試料のみ接触角は110°となり、表面は疎水化していた。さらに、表面形状の変化をAFMで観察した。シリコーンの表面粗さ及び表面積が印加負電圧の増加に対して指数関数的に増加し、表面粗さは未処理シリコーンに比べて最大約45倍増大した。これは結晶化している部分に比べて弱いアモルファス部分が、優先的にスパッタされたこと、および熱による収縮などによるものと考えられる[1]。

これらの結果から、表面の親水化により生体組織接着剤の主成分となるタンパク質の表面への吸着量が増加したこと、および表面粗さの増加に伴うアンカー効果によって、生体組織接着剤の付着力が向上したと考えられる。

また、-10kVで処理した試料のみ疎水化したのは、a-Cの顕在化および劇的に変化した表面形状効果が原因と考えられる。またラマン分光分析の結果から、この試料のみ顕著にa-C構造のピークが測定された。

PBII処理したシリコーンの細胞接着率は大幅に向上し、未処理シリコーンの細胞接着率が5割強であるのに対し、PBII処理した試料のうち大半が9割前後の細胞接着率となった。これについて下記のように考察した。

FT-IRの結果から、Si-O結合,Si-C結合,CH3基などの分解がみられ、また切断された結合から新たにSi-H結合・>C=O基などの結合が生成していた。これらの結合はタンパク質吸着サイトになるとの報告があり[2]、本研究における細胞接着率向上もこれらの結合の増減が見られたことから、タンパク質の吸着量増加が考えられる。また表面の親水化による細胞接着タンパク質の活性化、さらには表面形状の変化などにも起因すると考えられる。また、処理電圧が高くかつ質量数の重いプラズマガスで処理した試料では細胞接着率が低下したが、これは表面が疎水化したためではないかと考えられる。次に、シリコーンへ新たな層を形成し機能付加する前段階として、無機材料であるSiウェハーおよびシリカガラス上にPBIID法にてDLC膜の成膜を行った。そしてこれらのDLCについて構造解析と細胞接着性を調べた。

水素濃度はDLCの硬度などに影響するが、細胞接着性にも影響する可能性がある。そこで、メタンと水素を用いて水素濃度の異なるDLC膜を作製した。水素濃度を求めたところ16〜48%の間で変化した。これらの試料について細胞接着率を評価したが約80%で試料間による差は見られなかった。よって細胞接着率は水素濃度に依存しないことがわかった。さらにラマン分光分析の結果から、パルス負電圧を上げていくとDLC中のグラファイト構造が減少することが分かったが、細胞接着率との相関関係はなかった。これらの結果はトルエンを用いても同様であった。

次に、トルエンを用いて成膜したDLCに対して、Ar+イオンを80kV、照射量:1E13〜1E17 [ions/cm2]の範囲でイオンビーム照射を行った。照射により表面形状、組成、炭素の構造はほとんど変化しなかったが、FT-IRの結果から、照射量の増大に伴い、疎水性であるCH3基の分解と表面OHの生成が確認され、接触角も77°から70°へ低下し親水化した。これに追随して細胞接着率も低下した。細胞接着に最適な接触角が存在するとの報告もあり[3]、DLC膜の細胞接着率も接触角に依存することが示唆された。

次に、アミノ基の多い材料表面に細胞がより接着するとの報告があるため[4]、トルエンを用いて窒素ドーピングDLCを作製し細胞接着性を評価した。組成分析の結果から最大で約2%程度の窒素ドープDLCが成膜でき、FT-IRの結果からもC-N、C≡Nなどの結合が確認された。これらの試料に対して細胞説着率を評価したところ、細胞接着率は0.7%程度の窒素濃度まで正の相関関係があったが、それ以上の窒素濃度では約88%で一定となった。各試料の水の接触角を測定したところ、窒素濃度が高くなるにつれ68°から64°に低下した。これらはDLC表面のアミノ基とタンパク質のカルボキシル基が静電気的に結合・吸着するため、0.7%の窒素濃度までは細胞接着率も増加するが、窒素濃度が0.7%以上になると表面が親水化し過ぎたため、最適な接触角から逸脱しタンパク質の吸着量が増加せず、細胞接着率は一定になったと考えられる。

結論

PBIID法によるシリコーンの表面改質によって、生体組織接着剤に対する付着力向上および細胞接着率の大幅な向上が認められた。また、PBIID法によって作製したDLC膜は作製条件を適切に選択することで、生体材料として利用可能な膜であることが明らかとなった。これらの結果から、シリコーンに表面改質およびDLCコーティングを同時に施したハイブリッド型シリコーンカテーテルの創製を提案した。

M. M. Silvan et al., Applied Surface Science 235 (2004) 119-125S. Suzuki et al., Jpn. J Artif. Organs, 16(3), 1341-1344 (1987) [in Japanese]Y. Tamada et al., J. Biomed. Mater. Res., 28, 783 (1994)N.Faucheux et al., Biomaterials, 25, (2004) 2721-2730
審査要旨 要旨を表示する

近年、医療の高度化に伴い、生体親和性と医用機能性を複合的に兼ね備えた材料が強く求められている。本研究は、生体組織反応性や血液凝固性が低いという利点を持つためカテーテル用材料として使用されているシリコーンを対象とし、組織適合性に乏しく経年劣化が起こるというその欠点を改善するために、プラズマイオン注入/成膜法(以下、PBII法/PBIID法という)により、シリコーン表面の改質や表面へのダイヤモンドライクカーボン(以下、DLCという)コーティングを行った研究の結果を述べたもので、全体で7章から構成されている。

第1章は序論であり、生体材料についての重要性および進歩、求められる条件や現状についての説明を行なうとともに、本研究の目的を以下のように設定している。

PBII法によってシリコーンの表面改質を行い、表面改質したシリコーン試料に対する各種の表層物性測定および解析から、プラズマイオン注入効果と生体組織に対する適合性の関連に関しての知見を得ること

PBIID法にて成膜したDLC膜の基礎的物性データの取得およびそれらと細胞接着挙動の関連性についての知見を得ること

PBIID法を用いて成膜を行い、シリコーンとDLCの界面についての物性特性の知見を得ること。

第2章においては、PBII処理したシリコーンの表面改質効果について検討を行っている。表層物性の解析から、表面粗さの増大、表面官能基の生成および分解、接触角の低下といった結果を得ており、処理条件を変化させることで各種の物性が制御できることを示している。

第3章では、PBII処理したシリコーンの生体組織接着剤への付着力試験ならびに細胞接着性検証実験を行い、その特性改善について評価・検討を行っている。

プラズマイオン注入によって、シリコーンの生体組織接着剤へのせん断方向付着力は約2〜8倍と大幅に向上した。これは、プラズマイオン注入による表面官能基の分解・生成および、表面形状の変化に起因すると考えられる。さらに、プラズマイオン注入によって、シリコーンの細胞接着率・細胞数ともに大幅に向上し、未処理シリコーンの細胞接着率が5割強であるのに対し、イオン注入試料は最大で約9割の細胞接着率となった。これは表面官能基の分解・生成による表面の親水化から細胞接着タンパク質が活性化されたこと、および表面形状の変化などに起因すると考えられる。また、表面が顕著に炭素化された試料においては細胞接着性が比較的低かった。以上の結果から、プラズマイオン注入効果と生体組織に対する適合性の関連に関する知見を得ている。

第4章では、PBIID法によって作製されるDLC膜の水素および窒素濃度が制御可能であり、様々な特性をもつDLC膜を作製できることを示している。また窒素ドープによりアミノ基の生成が示唆され、細胞接着性の向上に繋がることを示している。さらに、処理したシリコーンの表面改質効果についての検討を行い、表層物性の解析から、表面粗さの増大、表面官能基の生成および分解、接触角の低下といった結果を得、処理条件を変化させることで各種の物性が制御できることを示している。

第5章では、DLC膜が生体安全性のみならず組織適合性にも優れており、組織と接触する界面にも適用できることを述べている。さらに、ダングリングボンド生成による表面官能基付与と窒素ドープによって、DLC膜の組織適合性を制御できる可能性を示している。以上から、PBIID法にて成膜したDLC膜の基礎的物性データの取得およびそれらと細胞接着挙動の関連性について述べている。

第6章では、DLC コーティングしたシリコーン試料を作製し、各元素の深さ分布測定を行っている。トルエンを原料に用いた場合は作製試料の界面が傾斜組成になっており、密着力が高いものと考えられる。また、DLC コーティングしたシリコーンの生体材料への応用を考えた場合、表面粗さが増加しないような成膜条件にて作成する必要があると述べている。以上から、PBIID法を用いて成膜したDLC コーティングシリコーン試料のシリコーンとDLCの界面についての物性や特性についてまとめている。

第7章は結論であり、本研究の成果を取りまとめている。

以上のように、本論文は、PBIID法によるシリコーンの表面改質について、各種の物性特性を制御することで、細胞接着性を制御できる可能性を示すともに、DLC コーティングシリコーンを調製することにより、DLCコーティングシリコーンカテーテルという新たな生体機能性材料の創製に関して、その実現可能性を示したものであり、システム量子工学の展開に大きく寄与するものと考えられる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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