学位論文要旨



No 121186
著者(漢字) 青柳,登
著者(英字)
著者(カナ) アオヤギ,ノボル
標題(和) 3価ランタニドの水溶液中におけるカルボン酸配位子との錯形成反応
標題(洋) COMPLEXATION OF TRIVALENT LANTHANIDES BY CARBOXYLIC LIGANDS IN AQUEOUS SOLUTIONS
報告番号 121186
報告番号 甲21186
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6276号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 長崎,晋也
 東京大学 助教授 長谷川,秀一
 東京大学 助教授 常田,貴夫
内容要旨 要旨を表示する

概要

水溶液中におけるランタニドおよびアクチニドイオンと有機配位子錯体の配位構造は,一般に加水分解反応を含む多元系反応であるために複雑であり,したがって中性−アルカリ性領域における研究が十分になされていなかった.一方,ランタニド水和イオンは硬いルイス酸であるので,硬いルイス塩基であるO-ドナーを有する配位子(水分子,炭酸イオン,有機配位子等)と容易に錯生成される.天然環境中には陰イオン性Oドナーを有する有機配位子が豊富に存在することや錯体設計における容易さ等の点からランタニド−カルボン酸錯体は注目を集め,研究されてきた.

環境中の金属イオンの挙動について,とりわけ放射性廃棄物処分の分野では,核種は岩盤中に普遍的に分布した腐植酸と高い安定度を有する錯体を形成することが知られている.これは中心金属イオン近傍にあるキレート効果で達成されることが確認され,近年中心金属イオンに配位した配位子近傍の官能基構造や立体骨格に注目した研究も行われている.しかしながら,低濃度領域・アルカリ性といった処分場で想定される化学条件下での実験は検出感度や実験条件設定における困難さ,加水分解反応と競合する領域であるため,金属−OH−有機配位子の3元系反応になるといった複雑性を内包しており,未解明な部分が依然として多い.

一方,ランタニドを分子内に含む機能性錯体あるいは超分子の合成は,ここ20年来目覚ましい進歩を遂げている.具体的には,(i)時間分解分子分光のタグ,(ii)発光ダイオードに用いる高効率電子発光材料,(iii)医療用MRIの造影剤 (iv)たんぱく質やアミノ酸のラベリング,(v)蛍光免疫測定における光センサー等の分野で応用されている.特に,Nd(III)からEr(III)にわたる中希土類が紫外・可視領域で発光することに注目した技術が多いといえる.

このような背景に基づき,本研究においては3価アクチニドの化学アナログとして3価ランタニドを用い,ランタニド−カルボン酸錯体の水溶液中における錯形成反応について,地下環境中で想定される未解明な化学条件下での溶存化学種分布の決定をするとともに配位構造を評価する有効手法を確立することを目的とした.カルボン酸としては,サリチル酸(以下Sal)およびα-ピコリン酸(以下Pic)を芳香族系配位子,クエン酸(以下Cit)を脂肪族系キレート配位子として使用した.

実験結果および考察

TRLIFS (Time Resolved Laser - Induced Fluorescence Spectroscopy)(配位子蛍光によるレーザ分光)によるEu(III)-サリチラト錯体における錯体の生成定数の評価: 低濃度領域におけるフリーの配位子の濃度を決定し,化学量論的考察から錯体の生成定数を求めた.蛍光の消光過程を蛍光寿命計測によって決定し,この手法と従来の電位差滴定などの方法で求めたものと比較した.

極短パルス(パルス幅130fs)を用いた時間分解レーザ誘起蛍光分光によってサリチラトの蛍光スペクトルおよび蛍光寿命を観測した.この手法では主に次の2つの情報が得られた.

低濃度領域における配位子の濃度測定:電位差滴定でプロトン濃度[H+]の測定誤差が大きく,適用できない条件下であっても,直接フリーの配位子濃度を蛍光スペクトルから決定することができる.これを利用して溶存化学種を同定した.

蛍光スペクトルの消光過程における,動的消光および静的消光について機構を決定した.蛍光スペクトルの強度と蛍光寿命の変化の消光剤濃度依存性(Sterm-Volumer則)から静的消光が支配的な過程であることを明らかにし,錯体の生成定数を決定した.

†文献[12]中の引用文献を参照.

電位差滴定および金属発光に関するレーザ分光を用いたEu-ピコリナト錯体における錯体生成反応: アルカリ性領域での反応を観測するため,電位差滴定によりH+濃度測定および溶存化学種の組成の決定,加水分解反応の有無を調べ,Eu(III)からの発光スペクトルおよび発光寿命から第1水和圏の水の数および錯体の構造を議論した.一方で,酸性領域において複核錯体生成にともない,発光寿命減少が観測されることを発見した.

金属イオンからの発光寿命を観測することで,内圏錯体に関与する振動子の数を決定できる.中心ランタニドの脱励起機構には,周囲の-XH振動子の数(X= O, N, C)およびLn(III)-X間の距離が影響し,これによって,内圏水和数を求めることが可能である.

複核錯体生成が陰イオン性N/OドナーであるPicで起こるかどうかをEu(III)の発光寿命解析を基にして検証した.配位子濃度が金属イオン濃度に比べて大過剰にある条件では,内圏水和数が1つである単核錯体[Eu(Pic)4・(H2O)]-が生成されることが分かった.酸性条件で,フリーのアコイオンと1体1錯体のみが存在する場合に,軽水・重水中において発光寿命が全濃度によって変化することが分かった.これは,ランタニド-ランタニド間の相互作用があることを意味し,この方法で複核錯体生成[Eum(Pic)m・n(H2O)]2m+が直接観測されることが分かった.

水溶液中におけるLn(III)-クエン酸3核錯体の構造―電位差滴定,レーザ分光法による研究: 既往の論文によるとNd(III)はクエン酸と3核錯体[Nd3(Cit)4(OH)4]7+を形成することが知られている.しかしながらそれは電位差滴定のみで組成が決定されたにすぎず,構造については我々の知る限り具体的なものはない.本実験ではEu(III),Tb(III),Lu(III)を用い,単核から複核錯体生成について電位差滴定で組成を決定するとともに分子内エネルギー移動に関わる金属−金属間の相互作用をレーザ分光によって観測することで3核錯体の構造決定を行なった.

一般に複核錯体を生成しやすい条件として,金属イオンの加水分解反応に伴うアルカリ性条件が考えられる.クエン酸は2座あるいは3座配位することがしられており,特にカルボキシル基近傍のアルコール性水酸基の影響がキレート環の安定性に大きく貢献している可能性があった.本実験では電位差滴定によって金属イオンの加水分解よりも低いpH5付近で溶液内にH+の放出があることを確認した上でTb(III)の直接励起(355nm)に対して3核錯体が支配的な条件でEu(III)の発光が起こることを観測し,これらの情報から錯体の構造を決定した.

結論

低濃度領域の錯体生成反応を決定すべく極短パルスを用いた時間分解型レーザ分光装置を導入し,単座配位するランタニド錯体について錯体の生成量をより広範囲の条件下で,配位子の蛍光寿命・蛍光スペクトルを用いて定式化する方法を確立した.電位差滴定によって水溶液中におけるランタニドカルボン酸キレート錯体の組成を決定し,レーザ分光によりランタニドにおける内圏水和数の解析および、脱励起速度に関する考察からアルカリ性における分析方法の発展させるとともに,酸性領域で複核錯体が生成されることが分かった.また,異核錯体における分子内エネルギー移動を観測することで複核錯体内の金属イオンの配置に関する分析を行ない,構造が明らかになった.

図1.サリチル酸(左),α-ピコリン酸(中央),クエン酸(右):-O-(C)2 or 3-COO-, N-C-COO-の骨格によってキレート配位子として作用する.

表1.カルボキシル基配位による錯生成定数(0.1M NaClO4).

図2.軽水・および重水中での見かけの発光寿命の全Eu(III)濃度依存性.

図3. 電位差滴定およびレーザ分光の結果による[Ln3(Cit)4(OH)4]7+ の構造.

J.-C. G. Bunzli, and C. Piguet, Chem. Rev. 2002, 102,1897. T. Toraishi, et al., J.Chem.Soc., Dalton Trans., 2002, 20, 3805. Cassol et al., Gazz. Chim. Ital., 1972, 102, 1118. Jr., Inorg. Chem. Acta 2002, 340, 44. R. M. Supkowski and W. DeW. Horrocks, And references therein. T. Kimura and Y. Kato, J. Alloys Comp. 1998 278, 92. A. Beeby, et al., J. Chem. Soc., Perkin Trans. 2 (1999) 493. G. Plancque, et al., Anal. Chim. Acta, 2003, 478, 11. H. G. Brittain, Inorg. Chem., 1978, 17, 10 2762. I. Billard and K. Lutzenkirchen, Radiochim. Acta, 2003, 91, 285. I. A. Kahwa, et al., Inorg. Chim. Acta, 1988, 148, 265.R. Baggio and M. Perec Inorg. Chem. 2004, 43, 6965. Z. Zheng, Chem. Commun., 2001, 2521. N. Aoyagi, et al. Radiochim. Acta, 2004, 92, 589.
審査要旨 要旨を表示する

水溶液中におけるランタニドおよびアクチニドイオンと有機配位子錯体の配位構造は,一般に加水分解反応を含む多元系反応であるために複雑であって,とくに放射性廃棄物処分システムにおける地下水環境条件となる中性−アルカリ性領域における錯体形成反応や錯体構造に関する研究はほとんど行われてきていない. ランタニドやアクチニドは地下水中に普遍的に分布した腐植酸と高い安定度を有する錯体を形成することが知られている.これは中心金属イオン近傍にあるキレート効果で達成されるためであり,中心金属イオンに配位した配位子近傍の官能基構造や立体骨格に注目した研究の重要性が指摘されている.本論文は,3価アクチニドの化学アナログとして3価ランタニドを取り上げ,ランタニド−カルボン酸錯体の水溶液中における錯形成反応について,地下環境中で想定される未解明な化学条件下での溶存化学種分布の決定をするとともに配位構造を評価する有効手法を確立することを目的としたものであり,5章から構成される.

第1章では,ランタニド,アクチニドの加水分解反応や有機配位子との錯体形成反応の特徴,とくにランタニド元素が紫外・可視領域で発光する特性を有していることに注目した原子力工学から生命科学にいたるまでの研究事例などが網羅的にレビューされ,本論文の新規性が明らかにされ,目的が述べられている.

第2章では,TRLIFS (Time Resolved Laser - Induced Fluorescence Spectroscopy)によるEu(III)-サリチラト錯体における錯体の生成定数の評価が行われている.とくに,低濃度領域におけるフリーの配位子の濃度が決定され,化学量論的考察から錯体の生成定数が求められている.このとき,蛍光の消光過程が蛍光寿命計測によって決定され,この手法と従来の電位差滴定などの方法で求めたデータとの比較も行われている.極短パルス(パルス幅130fs)を用いた時間分解レーザ誘起蛍光分光によって,低濃度領域における配位子の濃度測定が可能であること,このため電位差滴定でプロトン濃度[H+]の測定誤差が大きく,適用できない条件下であっても,直接フリーの配位子濃度を蛍光スペクトルから決定することができ,これを利用して溶存化学種が同定できることが示されている.また,蛍光スペクトルの消光過程における,動的消光および静的消光についての機構を詳細に検討することで,静的消光過程からの錯体の生成定数決定方法が確証されている.

第3章では,電位差滴定および金属発光に関するレーザ分光を用いたEu-ピコリナト錯体における錯体生成反応が検討されている.アルカリ性領域での反応を観測するため,電位差滴定によりH+濃度測定および溶存化学種の組成の決定,加水分解反応の有無,Eu(III)からの発光スペクトルおよび発光寿命から第1水和圏の水の数および錯体の構造が議論されている.また,酸性領域における複核錯体生成にともない,発光寿命減少が観測されることも指摘されている.複核錯体生成が陰イオン性N/OドナーであるPicで起こるか否かがEu(III)の発光寿命解析を基にして検証されている.そして,配位子濃度が金属イオン濃度に比べて大過剰にある条件では,内圏水和数が1つである単核錯体[Eu(Pic)4・(H2O)]-が生成されること,酸性条件で,フリーのアコイオンと1体1錯体のみが存在する場合には,軽水・重水中において発光寿命が全濃度によって変化することを明らかにし,後者の結果から複核錯体生成[Eum(Pic)m・n(H2O)]2m+が直接観測されることを明らかにしている.

第4章では,水溶液中におけるLn(III)-クエン酸3核錯体の構造について,電位差滴定やレーザ分光法を用いて研究されている.本論文ではEu(III),Tb(III),Lu(III)が取り上げられ,単核から複核錯体生成について電位差滴定で組成が決定されるとともに分子内エネルギー移動に関わる金属−金属間の相互作用がレーザ分光によって観測されることで3核錯体の構造決定が行われた.このとき,NMR測定結果も統合的に検討することで,[Ln3(Cit)4(OH)4]7+ の構造についての最も可能性の高い構造を世界で初めて提案するに至っている.

第5章では,本研究の総括と結論が述べられ,極低濃度ランタニドと有機配位子の錯体反応ならびに複核,異核錯体の重要性と錯体構造の描像が示された.

以上要するに,本論文では,アクチニドの模擬元素であるランタニドを用いて,放射性廃棄物処分の安全評価上重要となる錯体形成機構と錯体構造について,特にこれまで不明であった同核複核錯体や異核複核錯体の重要性を実証したものである.これらはシステム量子工学,特に放射性廃棄物処分の安全評価の信頼性向上や重金属の環境動態解明に寄与するところが少なくない.よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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