学位論文要旨



No 121189
著者(漢字) 國枝,雄一
著者(英字)
著者(カナ) クニエダ,ユウイチ
標題(和) Ir超伝導転移端センサを用いた高分解能X線マイクロカロリメータの開発
標題(洋)
報告番号 121189
報告番号 甲21189
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6279号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中澤,正治
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 高橋,浩之
 東京大学 助教授 石川,顕一
 東京大学 助教授 出町,和之
 東京大学 助教授 門,信一郎
内容要旨 要旨を表示する

研究背景・研究目的

X線天体観測分野やX線分析を利用した生体計測、材料分析分野等への適用を目指して超伝導転移端センサ(Transition Edge Sensor:TES)型マイクロカロリメータの開発が行われている。TESマイクロカロリメータでは一般にX線センサとしてμmオーダーサイズの超伝導体を利用し、動作温度は100mK程度の極低温にする。この検出器ではX線入射による微小な温度上昇を急峻な超伝導転移端で抵抗変化に変換し、X線エネルギーを測定する。特長は既存の半導体検出器に比べて1桁以上高い精度で測定することが可能な点あり、現在までに6keVに対して2.8eVのエネルギー分解能が報告されている。もう1つの特長は超伝導転移端における急峻な抵抗変化を利用した電熱フィードバック(ElectroThermal Feedback:ETF)方式によってマイクロカロリメータのこれまでの欠点とされていた長い応答時定数を他の温度センサを使用する場合よりも2桁程度短くすることが可能な点である。世界各地の研究機関でTESマイクロカロリメータの研究が行われているが、各グループでは現在、超伝導物質ごとで性質の異なる発生原因の不明な余剰ノイズ(Excess Noise)の解明とX線天体観測分野で要求されている1000ピクセル程度のアレイ化構造の開発の2点が盛んに行われている。本研究ではTESマイクロカロリメータのX線センサに適しているIr(イリジウム)を利用し、高エネルギー分解能を目的としたIrとAu(金)で構成されるバイレイヤ型デバイスとピクセルアレイ化を目指した20ピクセル型デバイスのTESマイクロカロリメータを試作し、50mKまで冷却可能な希釈冷凍機を用いてそれら2種類のデバイスの性能評価を行った。

Irを用いたTESマイクロカロリメータの開発

IrをTESとして利用する際のメリットとして、白金系で化学的に安定な物質であるため製膜の経年変化が起こり難い点と動作抵抗が高いためセンサ周辺回路による制約を受けずに安定かつ高速な動作が可能な点が挙げられる。Irは基板との付着性の悪さからこれまで他のグループであまり研究が進められてこなかったが、本研究では加熱スパッタとフォトリソグラフィーを組み合わせた製膜プロセスを確立し、現在では再現性のあるIr製膜が可能となっている。

研究当初、単一レイヤのIr-TESマイクロカロリメータの試作を行っていたが、有感面内の場所ごとで応答が大きく異なってしまい、それがエネルギー分解能の大きな制限要因となっていた。自己発熱を考慮したTES内部の温度差を見積もると20mKと計算され、超伝導転移領域(~1mK)を大きく超える値になる。このことからIr-TESの場合にはTES内部で大きな温度勾配が生じているため常伝導状態と超伝導状態に相分離が起こり、それが応答信号の揺らぎを引き起こしていると予想された。このようにTES内部で大きな温度勾配が生じる原因としてIrの小さい熱伝導率に起因したセンサ内における自己発熱の影響が挙げられ、センサ内の熱コンダクタンスを向上させれば応答の均一化によりエネルギー分解能が改善できると考えられる。

Ir/Au-TESの試作・性能評価

Irを用いたTESでは低い熱伝導率が分解能の制限要因になっていると思われる。よって、Irの上に熱伝導率の大きなAu(金)を堆積させたIr/Auバイレイヤ型TESの開発を行いセンサ内部の熱伝達の向上とエネルギー分解能の改善を試みた。常伝導金属の中でAuを選択した理由は熱伝導率が大きい点と化学的に安定である点からである。デバイスの製作は300℃の加熱スパッタによってIrとAuを連続で堆積させる我々独自の方法で行っており、再現性のある製膜が可能になった。センササイズが200×200μm2でIr:100nm厚の上にAu:25nm厚を堆積させている。さらに温度感度を大きくするため175nmの厚いAuのバンクをセンサ両端に取り付けた。試作したデバイスの抵抗温度特性を調べた結果、常伝導抵抗は150mΩで転移温度Tcは110mKであった。TESの感度を示す温度感度αはバンクの効果により300とバイレイヤの中では高い値が得られた。

TES内部の温度差を求めた結果、1.4mKとなり単一レイヤのIr-TESに比べて自己発熱の影響は大幅に低減されたと考えられる。このデバイスを用いてX線検出実験を行った。その時のバイアス点は定常ノイズが最も小さかった抵抗値82mΩである。その結果、半導体検出器に比べてMn-Kα線、Kβ線の明確なピークの分離を確認し、Mn-Kα線についてさらに詳細を調べたところ、Kα1、Kα2の2本のピークに由来するスペクトル幅の広がりが確認された。各ピークについて重みをかけてフィッティングしたところ5899eVに対して9.4eV(FWHM)のエネルギー分解能が得られた。この時のX線未入射時のノイズ(ベースラインノイズ)は5.6eVであった。また、定常ノイズ評価を行った結果、観測されるExcess Noiseの多くがセンサ内部の有限な熱伝導性に起因したTFN(Thermal Fluctuation Noise)で説明可能であることが分かった。

放射光を利用したX線検出実験

デバイスの性能をより詳細に調べるために高エネルギー加速器研究機構の放射光を利用した。ステンレスサンプルを用いて蛍光X線検出実験を行った結果、既存の半導体検出器に比べて1桁程度優れたエネルギー分解能が得られ、高い分光特性を実証することができた。また、10μmφのコリメータを用いてセンサの局所的応答測定を行った結果、有感面内で0.1%程度の応答のばらつきを確認した(図1参照)。この原因はセンサ内部の熱コンダクタンスが未だ不十分なためであると考えられる。また、Auバンクの応答が有感面の応答に比べて最大で10eVも小さくなり、エネルギー分解能を制限している要因になっていることが分かった。このような分解能の劣化要因を除外するために有感面内で応答が均一な領域のみで解析を行った結果、エネルギー分解能は6.9eVまで改善された。

20ピクセルIr-TESの設計・性能評価

Ir単一レイヤでは前述したように有感面内の各位置で応答が異なる。そこで有感面内をスリットで分割させれば各ピクセル内での応答の均一化、ピクセル間同士の応答の弁別が可能と考えられる。本研究では位置解像度の向上のため20ピクセルIr-TESの開発を行った。

製作方法はフォトリソグラフィー用のフォトマスクパターンを変更するのみでそれ以外は単一素子と同様である。各ピクセルサイズは45×45μm2で厚さは50nmである。4端子法により抵抗温度特性を調べた結果、常伝導抵抗100mΩ、転移温度140mKとなった。温度感度αは200であった。

次にこのデバイスで55Fe線源によるX線検出測定を行った。その結果、5.9keVに相当する応答波形を対象とし、立ち上がり時間、立ち下がり時間、波高値をパラメータとした分布をとると17個の各ピクセルに対応していると思われるイベントグループを確認できた(図2参照)。この時のベースラインノイズは15eVであったが、各集団で解析を行うとエネルギー分解能は104eV(FWHM)@5.9keVと十分な値が得られなかった。よって信号の揺らぎが分解能の主な制限要因になっており、その原因としてIrの熱伝導性の低さに起因したピクセル内における温度分布の不均一性、ピクセル間の熱的な相互干渉、熱浴温度のドリフトによる応答信号のベースラインの変動等が考えられる。また、定常ノイズ評価を行った結果、Excess NoiseがこのデバイスでもTFNによって説明可能であることが分かった。

結論

化学的に安定であり製膜の長期安定性に優れるIr超伝導体を用いたTESマイクロカロリメータの開発を行った。主なエネルギー分解能の制限要因としてIrの低い熱伝導率に起因した応答信号の不均一性が挙げられ、センサ内の熱伝導性とエネルギー分解能の向上を目的にIr/Au-TESを試作した。その結果、6keVのX線に対して最高で6.9eVのエネルギー分解能が得られた。エネルギー分解能のさらなる向上を実現するためには放射光を利用した局所的応答測定の結果から今後の方針としてTESの上にAu層をさらに厚くしたIr/Au-TESの開発、また、バンクによる応答を減らすためにバンクの幅を狭めることやTES前面にコリメータを設置する等を行う必要があると考えられる。

また、Irの低い熱伝導性を位置検出方法に適用した20ピクセルIr-TESの開発も行った。その結果、17個の各ピクセルに対応していると思われる応答分布を確認した。エネルギー分解能に関しては5.9keVで104eVと求められたが、Ir/Auと同様に信号の不均一性が分解能の支配成分になっていると考えられる。エネルギー分解能と位置分解能を改善するためにはIr/Au-TESと同様にセンサ内部の熱コンダクタンスの改善や各ピクセルの熱的な分離、放射光を利用した局所的応答測定による各ピクセルの位置同定を行う必要がある。

さらにIrを用いたTESマイクロカロリメータのExcess Noiseはこれまで他のグループから報告がなかったが本研究によってTFNで説明可能なことを示すことができた。

図1:Ir/Au-TESの局所的応答測定結果

図2:20ピクセルIr-TESの位置応答特性

審査要旨 要旨を表示する

現在までの約100年間の放射線検出器の歴史は、検出用素材として気体、シンチレータ、半導体と展開してきたが、最近は超伝導材が新しい検出器材料として有望と考えられている。本論文は、この流れに沿ったもので超伝導状態のイリジウム(Ir)あるいはイリジウムと金の薄膜二重層を用いて、超伝導型のX線検出器を作成し、その性能評価を行い、その優れた性能の良さを示したものである。この検出器は、エネルギー分解能が革新的に優れていて、従来最高性能と言われていた半導体検出器、例えばSi(Li)検出器が5.9KeVのX線に対し、約100eVの半値幅で測定していたものが、3eV−9eVの半値幅で測定できるようになる。つまり約30倍も分解能が良くなるという程驚異的なものであり、この検出器を用いて、これから新しい現象がいろいろ発見されるであろうという予感を思わせるものである。

本論文は9章で構成されており、まず第1章は序論である。この序論では、この検出器の開発の現状レビューから、今後期待される応用分野の例、例えばナノスケールデバイスの純度分析、生物細胞の観察、天文学的観測などについて述べられている。

第2章は、具体的な研究対象とした超伝導検出器の紹介であり、超伝導転位端センサー(TES)型マイクロカロリーメータについて、その原理、動作概要、特にポイントとなるエネルギー分解能、又信号処理法について説明している。超伝導材は冷却して1K近くになると抵抗が急激に減少する転移点があり、その転移点を示している数mKの狭い温度領域に検出器状態を設定する。放射線が入って検出器にエネルギーを与え、温度が増加すると電熱フィードバック効果(ETF)方式により、外部電流が流れ、検出器はもとの状態に戻る。これにより外部に信号電流を取り出すというのがTES型マイクロカロリメータの原理である。これをETF-TES方式と呼んでいる。なお、このとき超伝導材の熱容量が常温状態より、桁違いに小さくなっているというのがこの方法が可能なポイントとなっている。

第3章は、イリジウム(Ir)超伝導素材を用いた検出器の試作例で、超伝導への遷移温度が140mKと低すぎず、安定且つ丈夫な素材ということで、いろいろな候補材から選択されたものである。これを微細加工によりTESマイクロカロリメータとして試作するプロセスについて詳述し、その性能を測定した。TESとしては200μm×5nm厚さでエネルギー分解能は200eVと余りよい値ではなかった。その原因を考え、TES内の温度均一性に問題があると判明したので、これを解決するためにIr-Auの二重層を作成してみた。サイズは200μmで厚さはそれぞれIr100nm、Au25nmの二重層であり、最終的に9.4eVのエネルギー分解能になることが分かった。これは、国際的にもトップデータに近い成果である。

第4章は、この検出器の測定系についてまとめたものであり、冷却システムとしての希釈冷凍器、増幅器としてのSQUID回路、磁気遮蔽と今回用いた外部X線源についても説明してある。

第5章から第7章に渡って、よいエネルギー分解能を示したIr-Auの二重層検出器について、静的な特性とエネルギー分解能の問題点の解明と放射光(高エネルギー加速器研究機構のphoton factory, BL-13B2)の単一エネルギー入射に対する検出への適用結果を説明している。これらの測定結果を通じて、エネルギー分解能の原因についてその内訳を明らかにした。

第8章は、この検出器を次世代のX線天文衛星用のイメージングスペクトロメータとすることを目的としていて、1000ピクセルの画素数を有するピクセルアレイ型検出器とするための研究結果について示した。各ピクセル毎に信号の立ち上がり時間の異なることは観測された、それを用いて位置決めを行うことは可能となったが、今度更にイメージング用としての研究は必要としている。

第9章はまとめと今後の課題を記述しており、Ir/Au-TESマイクロカロリメータの試作評価とその20ピクセル型の試作評価を行ったことを主要な結論としてまとめており、そのエネルギー分解能に関し、検出器内における信号発生の均一性、つまりAuパンクの幅を狭くし、厚さを増やすなどの改善等が今後の課題として必要としている。

このように本論文は、超伝導型の放射線検出器の開発を通じて、システム量子工学の展開に大きく寄与している。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク