学位論文要旨



No 121196
著者(漢字) 篠田,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) シノダ,ケンタロウ
標題(和) 溶射粒子衝突時の急速変形・凝固過程のその場計測及び数値解析
標題(洋)
報告番号 121196
報告番号 甲21196
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6286号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 教授 栗林,一彦
 東京大学 教授 鈴木,俊夫
 東京大学 教授 小関,敏彦
 東京大学 助教授 榎,学
内容要旨 要旨を表示する

ドライコーティング分野における溶射の位置付けは主としてその経済性によるところが大きく,これまで重工業分野を中心に発展してきた.近年,新たな溶射法開発に伴い,熱遮蔽コーティングや固体酸化物型燃料電池といった機能性皮膜への展開が図られているが,その適用領域拡大と新分野への参入のためには溶射素過程の理解が重要であるとの共通認識に至っている.しかしながら,本分野は応用研究の数に比して基礎研究例が極めて少ないことが特徴でもあり,素過程解明を目指した基礎研究が世界的に切望されている.そこで本研究では一連の溶射素過程の中でも特に研究が立ち遅れている単一溶射粒子の基板衝突時の急速変形・急速凝固過程に焦点を絞り,その場計測及び数値解析の両面からその解明を目指した.

基礎研究の立ち遅れとなっていた原因に100 〓m以下のサイズで3000 Kにも達する温度の溶射粒子が数十〜数百m/sの速度で基材に衝突し変形凝固する過程をその場計測する手法が確立されていなかったことが挙げられる.そこで,本研究ではまず計測手法の確立を目指し,その場計測装置の開発を行った.扁平過程が数〓sのオーダーであると予測されることから,計測には溶射液滴粒子からの熱放射を利用した二色高温法を原理として,0.1 〓s間隔でのサンプリングを可能とする高速サンプリングシステムを開発した.本装置は基材に衝突する溶射粒子のサイズ,速度,及び温度という3つの衝突因子と扁平過程における変形時間及び温度履歴,更に凝固完了後のスプラット形態とを1:1に対応させて取得することが可能である.また,溶射プロセスは飛行粒子の状態に非常に分布があるのが特徴でもあり,単一の粒子について議論を行うことは意味を持たないことから,統計的な処理を可能とするため1回の試行で20個程度の粒子について連続でサンプリングが出来るようになっている.本システムは粒子速度と粒子溶融状態を独立に制御可能なハイブリッドプラズマ溶射装置に組み込まれており,また気密性チャンバー内に設置したことから各種雰囲気制御化での実験が可能である点も特長である.

機能性セラミックスとして高い付加価値を持つ可能性があるものの溶射が非常に困難であるジルコニア粒子を計測対象として選定し,開発したサンプリングシステムを用いて,実際にハイブリッドプラズマ溶射下でその場計測実験を行った.典型的な溶射条件下で約350個の溶射粒子を取得することができたが,得られた溶射粒子は基材到達時に同一条件下にも関わらず,直径30 − 90 〓m,速度10 − 70 m/s,及び温度2500 − 3200 Kと幅広い分布を示していた.

得られた粒子のうちで700 Kに加熱した平滑石英基板上に堆積した円盤状スプラットについて衝突因子の扁平形態への影響を調査した.各衝突因子間の依存性を排除するために他の2つの因子がほぼ同条件の粒子のみを抽出したところ,上記計測範囲においては扁平形態を評価する因子である初期粒径と最終スプラット径との比で定義される扁平率ξに対して粒子サイズと粒子速度の影響は等価で,扁平率ξはそれらの1/3乗に比例していた.このことから,扁平率が衝突溶射粒子のReynolds数Reで表わせるとすると,その間にはξ = 0.43 Re1/3という関係が導かれた.また,扁平モデルと実験結果の対応により,これまで不明であった溶融ジルコニアの粘性値を評価したところ,粘性係数〓は温度Tの関数として〓 = 0.0037exp(6110/T) [Pa・s]と見積もられた.融点における動粘性係数に換算すると5 × 10-6 m2/sであり,アルミナの融点における値に比べて1/3程度しかなく,一旦溶融させることができれば,ジルコニアの方がアルミナよりも容易に扁平することを意味する.凝固に関しては明確なプラトーやリカレッセンスを観察されなかったことから,確固たる知見を得ることを出来なかったが,計測により冷却速度は107 − 108 K/sのオーダーであることが分かり,界面における見かけの接触熱抵抗は10-5 − 10-6 m2K/W程度であることが推定された.また,本計測結果をSOLA-VOF法に基づき過冷却項を組み込んだ2次元液滴扁平モデルの数値計算と対応させることにより,変形が完了する前に凝固が開始している可能性を示した.他の興味深い結果としては溶射粒子の中には実際に500 K近く過冷した状態で基板に衝突した粒子が観測されたことである.そのような粒子の扁平率は数値計算から予測されたように2程度と小さく,スプラット表面の組織は通常の柱状晶組織とは異なっており,クラックが入っていないのが特長である.このような過冷粒子で構成された皮膜は新たな機能性を発現することが考えられ今後の展開が望まれる.

最後に基材側の液滴扁平に与える影響として,基材表面粗さの影響を調査した.これまでの基材表面粗さに関する研究は算術平均粗さによって評価する程度のものであったが,尖度や歪度といったより高次の粗さにより定量的に評価するための基礎として,ウェットエッチング技術による凹型微細加工基板上の溶射粒子扁平挙動をその場計測すると共に基材表面粗さを取扱う3次元液滴扁平モデルによって数値解析した.ディンプル幅と初期粒子径の比が0.2程度であるような微細なパターン上においてもフィンガリングを発展形としたようなスプラッシングが誘発された.一般的には基材の凸型面においてスプラッシングが起こると感覚的に捕らえられていたが,実際には凹型表面において容易にスプラッシングが起こることが示された.この観点から考えると基材に〓mレベルの表面微細加工を施す場合には凹型に施すよりも凸型に施す方が良いと思われる.

以上,本研究では溶射粒子の基板衝突時の変形・凝固過程の解明に向けてその場計測と数値解析の両面からアプローチした.本研究が「溶射の科学」確立への礎となり,曳いては応用分野拡大に向けた新たな溶射プロセス設計へつながることを期待したい.

審査要旨 要旨を表示する

ドライコーティング分野における溶射の位置付けは主としてその経済性によるところが大きく、これまで主として重工業を中心に発展してきた。しかしながら、本分野は応用研究の数に比して基礎研究例が極めて少ないことが特徴でもあり、新たな発展に向けた基礎研究が近年強く望まれている。本論文は、一連の溶射素過程の中でも特に研究が立ち遅れている単一溶射粒子の基板衝突時の急速変形・急速凝固過程に焦点を絞り、その場計測及び数値解析の両面からその解明を目指した研究をまとめたものである。本論文は以下の五章から成る。

第一章は序論であり、コーティング分野における溶射技術の位置付け、多様な溶射技術と応用例、並びに溶射技術に関する基礎研究の現状と課題について詳述し、本研究の位置付け目的を明確化している。

 第二章は単一溶射粒子のその場計測装置の開発に関し、その背景、計測原理、装置設計、および測定精度等について詳述されている。具体的には溶射粒子の扁平過程が数マイクロ秒のオーダーであると予測されることから、計測には溶射液滴粒子からの熱放射を利用した二色高温法を基本とし、100 ns間隔で粒子温度をサンプリング可能な高速サンプリングシステムを開発している。本装置は基材に衝突する溶射粒子のサイズ、速度、及び温度の3つの衝突因子と扁平過程における変形時間、温度履歴、凝固完了後のスプラット形態とを1:1に対応させることが可能である。また、統計的な処理が可能な様に1回の試行で20個程度の粒子について連続サンプリングが出来るようになっている。更に、本システムは粒子溶融状態と独立に粒子速度を20 - 70 m/sの範囲で制御可能なハイブリッドプラズマ溶射装置に組み込まれ気密性チャンバー内に設置したことから、各種雰囲気制御下での計測が可能であるのも特長である。

第三章は平滑基板上における溶射粒子の変形・凝固挙動の計測結果と数値計算モデルとの対応についてまとめている。具体的には、実際のプラズマ溶射条件下において700 Kに予熱した基板に衝突するZrO2の粒子径 (30 − 90 〓m)、速度(10 − 70 m/s)、及び温度(2500 − 3200 K)の3つの因子がスプラット形態に与える影響を350個にも上る粒子について詳細に調査している。特筆すべき結果として、扁平率と粒子のReynolds数間には従来報告されていた1/5乗ではなく1/3乗に比例する関係を見いだした。また、モデルとの対応により、これまで不明であったジルコニアの粘性係数を0.0027exp(7000/T)[Pa・s]と見積もり、融点における動粘性係数は5 × 10-6 m2/s程度でアルミナに比べると1/3程度と小さい事、更に、冷却速度は107 − 108 K/sのオーダーであり、液滴粒子と基板界面との見かけの接触熱抵抗は10-6 − 10-5 m2K/W程度と推定している事などが挙げられる。

第四章では、溶射粒子扁平に対する基材表面粗さの影響を調査するために、特に深さ1 〓mの微細加工ディンプルパターン基板上の液滴扁平挙動についてその場計測と3次元数値解析の両面から検討している。2800 K、40 m/s、60 〓m程度の典型的な溶射粒子が平滑基板上で扁平率3程度の円盤状スプラットを形成する条件においても、ディンプル幅と初期粒子径の比が0.2程度であるようなディンプルパターン基板上では、フィンガリングを発展させたようなスプラッシング形状を示すことや、その変形時間は4 〓s程度であることを見いだしている。また、基材の凸型表面においてスプラッシングが起こり易いと直感的には看做される現象に関し、実際には凹型表面の方が容易にスプラッシングを誘引すると結論している。

第五章は総括であり本研究で得られた成果を総括している。

以上を要するに、本研究は溶射素過程の中でもこれまで最も研究に進展がなく、各方面から現状打破が望まれていた溶射粒子の基板衝突時の急速変形凝固過程に焦点を絞り、その場計測と数値解析の両面からその解明を目指し本分野研究の先導的役割を果したものであり、材料工学に対する貢献は大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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