学位論文要旨



No 121207
著者(漢字) 島崎,智実
著者(英字)
著者(カナ) シマザキ,トモミ
標題(和) DNAおよびその類縁体中の電荷移動と分子接合における電子輸送に関する理論的研究
標題(洋) Theoretical Study on Charge Transfer in Native and Chemically Modified DNA and Electron Transport in Molecular Junctions
報告番号 121207
報告番号 甲21207
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6297号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,晃一
 東京大学 助教授 三好,明
 東京大学 教授 堂免,一成
 東京大学 教授 平尾,公彦
 東京大学 教授 渡邉,聡
内容要旨 要旨を表示する

研究の動機(1章)

近年、有機ELや導電性ポリマーの実用化など、エレクトロニクス分野における分子の応用が一段と活発化している。このような背景のもと、分子の電荷移動反応や量子輸送に関する詳細な知見を得ることは、基礎科学的な側面だけでなく産業上も非常に重要なことである。そこで、本研究は、DNA分子中のホール移動についてMarcus理論に基づいた研究および、金属電極に挟まれた単一分子の電気伝導に関してLandauer 公式およびグリーン関数法を用いた研究を行った。

DNAおよびその類縁体中のホール移動に関する理論的研究(2章、3章)

【序】

近年、DNA中の電荷移動が実験および理論の観点から注目を集めている。これは、DNA分子の2重螺旋構造を取る性質や、相補的な塩基対を認識する性質を利用することにより、DNA分子ワイヤーを持つ分子回路や、バイオセンサーなどへの応用が広く期待できるためである。また、DNA中の電荷移動を利用し、電気化学的な手法によるマイクロアレイ(DNAチップ)も行われている。この新規DNAチップは、従来の蛍光物質とUV光を利用したDNAチップと比べて高効率なセンシングが可能なため、オーダー・メイド医療への利用などが期待されている。そこで、我々は、溶液中のDNAのホール移動に注目し古典Marcus理論に基づき考察ならびに数値シミュレーションを行った。また、天然型DNAだけでなく、様々な化学修飾が施された人工DNA中での電荷移動についても検討を行った。これは、DNAの工学的な利用を考えた場合に、官能基の導入などによってDNAの性質を人工的に改変することは重要な技術になると予想されるためである。そのため、我々は、実験的パラメータを用いずに様々な化学修飾の効果を第一原理的に予想することができる手法の開発を目指し、研究を行った。

【計算方法ならびに結果】

溶液中のDNAは結晶中の分子とは異なり様々な構造を取ると考えられる。このようなDNAコンフォメーションの違いが電荷移動にどのように影響するかを調べるために、我々は古典MDのトラジェクトリーからホール移動可能なDNA構造をフランク・コンドン原理およびエネルギー保存則に基づき抽出した。また、電子的なカップリングを抽出した座標を用いて一般化Mulliken-Hush法に基づき量子化学計算により求めた。さらに、フランク・コンドン因子を古典分子力学法により求めた。計算したこれらの因子からDNA中のホール移動に関する速度を計算した。

計算結果から、電子的なカップリングは強くDNA構造に依存することが分かった。さらに、塩基ペア間の距離が遠くなるほどカップリングは小さくなることが分かった。計算した電荷移動の速度はTIH(Thermal Induced Hopping)機構では、A-T 塩基ペア数に対して変化することはないが、Super Exchange 機構ではドナーとアクセプター間のブリッジ数に強く依存し、A-T 塩基ペアの増加と共に急激に減少した。この結果はGiese らが行った実験と一致する。

また、天然型B-DNA中の電荷移動だけでなく、A-DNAおよび様々な化学修飾が施されたような人工DNAについても速度を求めた。化学修飾された人工DNAは工学的応用上、今後さらに重要であると考えられる。具体的には、化学修飾された塩基をもつDNA、そしてリン酸エステル結合に代えてペプチド結合を持つ合成DNA、について計算を行った。これらの化学修飾はホール移動に大きな影響を与えることを明らかにした。

分子接合における電子輸送(4章から8章)

【序】

毎年のシリコン半導体技術の進歩により、シリコン・ウェハー上には極小のデバイスが作成されている。現在のシリコン・ベースのFET (Field Effect Transistor)のゲート長は65nmであり、2018年には7nmのゲート長を持つトランジスターの実現が予想されている。しかしながら、このようなナノ・サイズのデバイスでは、デバイス動作の物理的限界や、リソグラフィやイオン注入によるデバイス作成の困難さが指摘されている。これらシリコン・ベースの技術の限界を克服するための1つの方法として、分子を用いる試みが近年盛んに行われている。このような分子電子デバイスを実現する上で、分子の電気伝導に関する研究は非常に重要である。なぜならば、分子をデバイスに応用する場合には、従来の半導体デバイスと異なり量子効果が無視できず、デバイスの動作原理が異なるためである。よって、分子中をどのように電気が流れるかについての理解は、分子を基盤としたエレクトロニクスを実現する上で欠かすことができない。そこで、我々は、グリーン関数および非平衡グリーン関数(NEGF)と ab-initio な量子化学計算を組み合わせることにより、分子中を電流が流れる場合に引き起こされる現象について研究をおこなった。また、トランジスターのような3端子を持つ分子デバイスにおける、ゲート端子による分子中を流れる電流の制御に関する検討も行った。

【計算方法ならびに結果】

分子の電気伝導を考える上でオームの法則は一般には成り立たない。これは、オームの法則は伝導体中で電子の多数の散乱を仮定しているが、分子中を流れる電子は、僅か、もしくは、全く散乱されることなく電極間を移動すると考えられるためである。そのため、分子の電気伝導を取り扱うためには、Landauer公式を用いる。このとき、透過係数はグリーン関数を用いて下記の式を用いて計算することができる。また、電極に挟まれた分子は従来の量子化学で対象としてきた孤立分子による取扱いができない。これは、分子に接続している電極は分子と比較して無限大の大きさを持つためである。そのため、このような系には、分子の孤立性と電極の無限性の両方を同時に扱う必要がある。そこで、電極の自己エネルギーを求め、次の式を用いて孤立分子のハミルトニアンと電極の自己エネルギーから系のグリーン関数を求めた。ここで、孤立分子のハミルトニアンはHartree-Fock (HF)法を用いた。

また、 Density Matrix は、非平衡グリーン関数を用いて次の式のように求めることができる。Negf-based Density Matrix およびHF法を組み合わせた NEGF-based HF 法を用いてさらに精密な分子の電気伝導について考察を行った。

また、3端子分子デバイスのゲート端子の効果を扱うために、capacitance model を導入し、分子を流れる電流およびゲート端子における制御について考察を行った。

Benzenedithiol に対して上記の手法を用いて、透過係数ならびに電流電圧特性について計算を行った。さらに、NEGF-based Muliken 電荷を計算した。電荷の計算から、非平衡グリーン関数を用いることによって分子から電極への電荷移動を示すことができ、この電荷移動は電流電圧特性に重要な影響を与えることが明らかになった。

まとめ(9章)

本研究をとおして、分子中の電荷移動および電子の量子輸送に関する様々な特徴が明らかになった。また、本研究において開発した手法は、分子のエレクトロニクス分野への応用上も非常に有意義である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は『Theoretical Study on Charge Transfer in Native and Chemically Modified DNA and Electron Transport in Molecular Junctions (DNAおよびその類縁体中の電荷移動と分子接合における電子輸送に関する理論的研究)』として、Marcus理論に基づくDNA分子中のホール移動、また金属電極に挟まれた単一分子の電気伝導に関してLandauer 公式およびGreen関数法に基づく研究についての結果をまとめたものであり、全9章からなる。

第1章は序論であり、本研究の背景と目的について述べている。

第2章はMarcus理論に基づきDNA中でのホールの移動を議論している。まず分子動力学計算により得られた古典軌跡から、ホール移動可能なDNA構造をFranck-Condon原理およびエネルギー保存則に基づき抽出し、それらの構造について一般化Mulliken-Hush法に基づいた量子化学計算と分子力場計算からFranck-Condon因子を求めている。これらの因子からDNA中のホール移動に関する速度を計算する手法を開発し、具体的計算へ適用している。計算で得られた電荷移動の速度は、熱的ホッピング機構ではA-T 塩基ペア数に対して変化することはないが、超交換機構ではドナーとアクセプター間のブリッジ数に強く依存し、A-T 塩基ペアの増加と共に急激に減少することを見出している。これらの結果はGiese らが行った実験と一致し、本手法がDNA中でのホール移動現象を調べる上で有用であると結論づけている。

第3章では、前章で開発した手法に基づき様々な化学修飾を施したDNA類縁体中での電荷移動について議論している。化学修飾された塩基をもつDNA、そしてリン酸エステル結合に代えてペプチド結合を持つ合成DNAについて理論計算を行っている。計算結果から、これらの化学修飾により塩基部位でのホールの安定性を変化させることができ、その結果、電荷移動速度を制御できると結論している。

第4章では、分子の電気伝導についてGreen関数法とLandauer公式に関する解析的な取り扱いについて議論を行っている。とくに、摂動論に基づいて新たに導出された近似Green関数は、非常に取り扱いやすい形式を持つが、分子の電気伝導に関わる全ての重要な性質を再現することを示している。

第5章では、前章で発展させた理論をHartree-Fock (HF)法と組み合わせることにより、benzenedithiol分子の電気伝導の性質について議論を行っている。計算結果から、benzenedithiol分子の場合にはHOMO軌道がその電気伝導には特に重要であることを明らかにしている。また、Green関数のスペクトラム表示を用いることにより、HOMO-1軌道とHOMO-2軌道のように縮退している軌道間では、軌道間の干渉が分子の電気伝導に強く影響を与えることを見出し、特にbenzenedithiol分子の場合には、HOMO-1軌道とHOMO-2軌道の透過係数が著しく減少すると結論している。

第6章では、新たに開発されたNonequilibrium Green's function (NEGF)-based Hartree-Fock法について述べ、NEGF法の特徴であるバイアス下での分子の電気伝導、そして非平衡電子輸送に関して、その特徴を議論している。具体的にbenzenedithiol分子の電流特性を調べ、NEGF法を用いた場合には、用いない場合(EGF法)と比較して、大きな変化が生じることを見出している。このことは、分子から電極への部分的な電子移動が分子を不安定化させるので、分子は出来るだけ電子を引き抜かれないように軌道エネルギーを変化させて応答することが原因であるとしている。EGF法ではこのような分子から電極への部分的な電子移動を記述することができず、NEGF法の特徴を強く表わしている結果であると言える。

第7章では、電子相関の影響を取り込むために開発したNEGF-based MP2法の詳細について議論を行っている。具体的にfluorobenzenedithiol分子に適用し、NEGF-based MP2法を用いた場合には、NEGF-based HF法と比較して計算結果に大きな違いが現れることを見出している。解析の結果、これはHOMO-1軌道およびHOMO-2軌道の電子相関の影響が大きいとともに、これら軌道間の透過係数における干渉の影響が分子に導入した官能基の影響で低く抑えられた結果であると結論している。

第8章では、本論文で開発した理論的手法の応用として、分子トランジスター等を実現する上で重要と考えられる3端子分子デバイスについて議論を行っている。ゲート端子の影響を取り扱うために、静電容量モデルを導出し、NEGF-based HF法と組み合わせて計算を行っている。静電容量モデルは扱いやすい形式を持ち、またNEGF-based HF法に自然な形で導入することができるため、3端子分子デバイスの特性を調べる上で優れた手法であることを述べている。

第9章は総括であり、本論文の成果をまとめている。

以上要するに、本論文はMarcus理論およびLandauer公式を用いることにより、分子中での電子(ホール)移動および分子接合における量子電子輸送に関する様々な特質を理論的に明らかにしたものであり、本論文で開発された理論的計算手法は、分子エレクトロニクス開発の基礎的研究として理論化学および化学システム工学に大きな貢献をするものである。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク