学位論文要旨



No 121208
著者(漢字) 瀬田,孝将
著者(英字)
著者(カナ) セタ,タカマサ
標題(和) 衝撃波管‐パルスレーザ誘起蛍光画像法による燃焼化学反応素過程の研究
標題(洋)
報告番号 121208
報告番号 甲21208
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6298号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 三好,明
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 堂免,一成
 東京大学 教授 新井,充
 東京大学 助教授 津江,光洋
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

炭化水素燃料の燃焼は、自動車エンジン、暖房、発電等における主要なエネルギー源として重要な役割を担っている。近年の計算機の発達によって、燃焼系を素反応の集積としてモデル化することが可能になりつつあるが、そのためには反応機構や速度パラメータ等の基礎知識の蓄積が不可欠である。

芳香族炭化水素はガソリンや軽油に多く含まれる。芳香族はオクタン価が高く自着火しづらいため、ガソリンにおいてアンチノック剤として用いられる。ディーゼルエンジンにおいては、人体に有害とされる煤や多環芳香族炭化水素の排出が環境問題となっているが、これらの生成、酸化の反応機構は芳香族炭化水素と密接に関係する。しかし、芳香族の燃焼反応機構は、アルカンなどと比べると不明点が多く、反応速度定数も不足している。

燃料の大部分は完全燃焼してCO2やH2Oになるが、一部分が不完全燃焼して多環芳香族炭化水素になり、それが凝集してすすとなる。燃料中の芳香族炭化水素の含有率と煤の生成量には相関があるが、鎖状炭化水素のみを燃焼した場合でも煤は発生する。煤生成の反応機構を構築しようとする試みは、これまでも数多くなされてきたが、未だに不明点の方が多いのが現状である。

レーザをはじめとする実験技術の発達により、上記のような複雑な系の中から特定の素反応を観測することが可能になり、様々な素反応の実験的な研究が多数行われるようになったが、室温の実験と比べて高温の素反応研究には様々な問題点が存在している。

本研究では、燃焼系(高温)の素反応研究を目的として、衝撃波管−パルスレーザ誘起蛍光画像法を新規に開発した。また、装置をOHとCHに適用し、芳香族燃焼や煤生成等において重要な素反応の速度定数を幾つか決定した。

第2章 実験及び解析手法

衝撃波管、レーザ誘起蛍光法、遷移状態理論等の原理的な側面について要約した。

第3章 衝撃波管−パルスレーザ誘起蛍光画像法の開発

気体中を伝播する衝撃波は、厚さ僅か数分子程度の衝撃波面の通過によって気体を瞬時に並進加熱することができるため、物理化学では古くから振動緩和や熱解離反応の研究に用いられて来た。今日でも衝撃波管に代わる「清浄」な高温状態の発生法は知られておらず、燃焼など1000 K以上を超える高温の化学反応研究は、衝撃波管装置の独壇場であると言っても過言ではない。しかしながら衝撃波は単発の高速現象であるため、その観測には高速かつ、積算等が不要な、高感度な手法が必要とされる。特に、化学反応の良質な速度論研究には、副反応や後続反応を抑える為に、低濃度での実験が不可欠であり、検出手法には高い感度と選択性が要求される。このような要求を満たす手法の一つとして、衝撃波管による速度論研究では、原子共鳴吸収法が広く用いられている。しかし、衝撃波管の実験における計測手法としては、原子共鳴吸収法が広く用いられている。しかし、同様の吸収法を分子に適用した場合、特に高温では振動子強度が多数の振動、回転線に分散してしまうため、原子に比べて検出感度が著しく劣る。

レーザ誘起蛍光法は高感度の検出法として、室温付近の化学反応測定に広く用いられている。本章では、衝撃波管の特性を利用したレーザ誘起蛍光法の開発について述べる。衝撃波管による衝撃波の発生は単発現象であるため、ラジカル濃度変化の観測には、連続発振光源による過渡吸収法を用いるのが一般的である。しかし、以下に示す様に衝撃波管では、パルスレーザによってラジカル濃度の時間変化を観測することが可能である。

管端付近の衝撃波は、ほぼ理想的な一次元衝撃波として振舞い、一定速度Urで進行する反射衝撃波面の背後の気体は静止している。ある瞬間を見ると、衝撃波面にある気体は加熱開始状態(t = 0)にあるが、波面から距離Lにある気体は時間t = L / Urだけ加熱された状態にある。従って、管端から軸方向にレーザパルスを導入して得られる蛍光の一次元画像は、目的のラジカルの時間変化を示すことになる。

衝撃波管は低圧部内径5 cm、長さ4 mのものを用いた。入射衝撃波速度は等間隔に設置された圧電素子を用いて測定された。最も管端に近い圧電素子からの信号は遅延回路を経由してレーザのトリガに用いた。光学系は、衝撃波管の管端に設置されている。一次元蛍光像は、衝撃波管の観測部上部の石英窓を通して紫外集光レンズでイメージインテンシファイア光電面上に結像し、増幅後、デジタルカメラで撮影した。衝撃波加熱に伴う気体の発光や窓材の蛍光等のバックグラウンドを防ぐため、イメージインテンシファイアの露出時間を200~400 nsに設定した。参照実験として、低圧部に封入したSO2やNO2の蛍光を測定することで、蛍光画像が空間的に一様であることを確認した。

作成した実験装置をOHとCHに適用した。衝撃波管実験で従来、共鳴吸収法による原子の測定で得られていたものと同程度の検出感度を、本手法により、二原子分子の測定で達成することができた。

第4章 OHラジカルと芳香族炭化水素の高温反応

衝撃波管−パルスレーザ誘起蛍光画像法を用いて、OHラジカルとベンゼン、トルエンの反応速度定数を測定した。擬一次条件かつOH消費律速での測定に成功した。OHの前駆体として無水硝酸とt-ブチルヒドロペルオキシドの二種類を用いたが結果に差異は無く、妥当な速度定数が得られたと言える。

量子化学計算及び遷移状態理論計算の結果からは、水素引抜反応が主経路で付加脱離反応は無視できると結論された。得られた反応速度定数を遷移状態理論で再現するためには、遷移状態のC−H−O変角振動の非調和性を考慮する必要があった。OHとベンゼンの水素引抜反応において特に影響が大きかった。このような、遷移状態における移行モードの状態密度や分配関数の問題は、無障壁の単分子反応や再結合反応において特に重要であるというのが従来の一般的な認識であったが、本研究の結果から、障壁のある反応でも大きな影響を与え得るということが示された。単分子反応や再結合反応の場合は非調和性以外にも、圧力依存性に不確定要素が大きいため、fall-offパラメータ等が非調和性の影響を相殺してしまう可能性があり、正確な検討は困難だと考えられる。OHとベンゼンやトルエンの水素引抜反応は、典型的な二分子反応で、通常は圧力依存を全く示さない。低温では水素引抜反応のトンネル効果や付加反応の影響が大きいが、高温ではそれらの要因はほぼ除外される。従って、これらの素反応を高温で測定することは、遷移状態の非調和振動の分配関数を、不確定要素を極力排除した上で検証するという観点からも有意義であったと言える。

第5章 高温におけるCHラジカルの生成と反応

CHラジカルの反応素過程は、炭化水素燃焼において窒素酸化物や煤の生成に大きく影響する。CHと窒素分子の反応は、prompt NO生成の律速過程として知られている。CHと一酸化窒素の反応は、再燃焼過程のNO還元における主要な反応の一つである。CHと炭化水素が反応すると、挿入反応や環状付加反応によりcarbon richな煤生成の前駆体となる化学種を生成する。CHの素反応速度測定に関しては、室温付近では数多くの研究が報告されているが、高温におけるCHの素反応の研究は全く遅れており、これはCHの検出や生成に実験的な困難があるためである。

本章では、衝撃波管−パルスレーザ誘起蛍光画像法を用いてCHの素反応について調べた。CHと炭化水素との反応速度定数を測定する目的で、2000 K以下で使用可能なCHの前駆体を探索し、三重項メチレンとH原子の反応で生成するCHを用いるのが適当だとわかった。このような、化学活性化反応によるラジカル生成法は、実験的な制約によりレーザ光分解が適用できない場合には有効な手法と成り得る。

三重項メチレンとH原子の反応の速度定数を決定したところ、従来の報告値のうち大きい方の値を支持する結果となった。最新の熱力学データに基づいた平衡定数からCHと水素の反応速度定数を評価し、さらに三重項メチレンとH原子の反応速度定数の温度依存性を評価した。この反応は燃焼中におけるCH生成源としても重要なため、燃焼反応モデルに与える影響は大きい。

また、CHとメタンの反応速度定数を高温領域で初めて測定した。CHの生成と消費を逐次反応とみなし、double-exponential関数による解析を行った。本実験は1000 K以上の高温領域では初めての測定だが、低温領域からの外挿と大きな差異は無かった。CHと水素、メタン、エタン等の挿入反応はいずれも無障壁で進行すると考えられているが、その反応速度定数の値や温度依存性は必ずしも同一ではなく、長距離相互作用の違いのみで記述できる範囲を超えている。このような違いは、ポテンシャルエネルギー曲面の入口付近の構造に起因していると考えられる。

第6章 総括

上記の成果を通して、芳香族燃焼や煤生成において重要な素反応の速度定数を提供するとともに、高温の素反応研究に対する幾つかの指針の提案を行った。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「衝撃波管−パルスレーザ誘起蛍光画像法による燃焼化学反応素過程の研究」と題し、炭化水素燃焼において重要な役割を果たす素反応過程に関して、新たな計測手法を用いて反応速度定数を決定し、その反応機構に関する知見を得ることを目的としたものである。論文は全6章から成り、第1章では研究の背景と目的、第2章では実験および解析の原理と基礎をまとめている。第3章では衝撃波管−パルスレーザ誘起蛍光画像法の開発について述べている。第4章ではOHラジカルと芳香族炭化水素の高温反応、第5章では高温におけるCHラジカルの生成・消失反応について、それぞれ反応速度定数の測定結果と、温度依存性や反応機構に関する考察を述べている。第6章では研究成果とその意義を総括している。

第1章は、研究の背景と目的について述べている。燃焼の素反応過程を研究することの意義、本論文と密接に関わる具体例として芳香族炭化水素の燃焼反応機構、煤及び窒素酸化物の生成機構をまとめている。高温の速度論的測定における問題点を明確にし、新たな実験手法に基づく素反応研究の必要性を主張している。

第2章では、実験と解析の基礎となる原理や手法について述べている。衝撃波管、及びレーザ誘起蛍光法の原理を述べ、実験データの解析に必要な反応速度式をまとめている。また、非経験的な反応速度定数の予測に必要な、遷移状態理論と量子化学計算の手法について述べている。

第3章は、衝撃波管−パルスレーザ誘起蛍光画像法の開発について述べたものである。衝撃波管を用いた高温の化学反応計測における問題として、観測手法が未成熟である点を指摘し、新たな観測手法の提案を行っている。その原理について、試料気体の加熱時間が衝撃波面からの距離に比例し、衝撃波管軸方向の一次元蛍光強度空間分布が時間変化に変換できることを示している。衝撃波管装置、蛍光画像計測光学系など実験装置の詳細を示し、OHラジカルとCHラジカルへの適用結果とその評価をまとめている。

第4章では、OHラジカルとベンゼンおよびトルエンの反応速度定数の測定結果と解析について述べている。高感度検出手法を用いることで、擬一次条件を保つことができ、副反応の影響が殆ど無視できるようになることを示している。OHラジカルの前駆体として、硝酸(HONO2)とt-ブチルヒドロペルオキシド(t-C4H9OOH)を使い分けることで、広い温度領域での測定が可能になること、両者の測定結果が一致することから、測定結果の妥当性が裏付けられることを示している。量子化学計算と遷移状態理論による反応機構に関する考察では、高温では水素引抜反応が主経路であること、実験的に得られた反応速度定数の温度依存性を遷移状態理論で再現するためには、水素引抜反応の遷移状態の振動の非調和性を考慮しなければならないことを示している。

第5章では、高温におけるCHラジカルの生成反応と消失反応に関する結果を述べている。CHラジカルの反応の既往の研究では、実際の燃焼で重要な1000 ~ 2000 Kにおける反応速度定数が全く報告されていないこと、その理由として、この温度領域で適切なCHラジカル前駆体が見出されていないことを指摘している。本論文では、ジヨードメタンとヨードエタンの混合試料を用いることで、2000 K以下の温度において、メチレン(CH2)と水素原子の反応によりCHラジカルが生成できることを示している。この手法により、CH2とHの反応、CHラジカルとメタンおよび一酸化窒素の反応の速度定数を決定している。その結果、温度依存性について議論が分かれていたCH2 + Hの反応速度定数に関して、実験結果から殆ど温度依存性が無いことが示されている。量子化学計算と統計理論による解析では、CHラジカルのσ結合への挿入反応は、始原系より低いエネルギーの「負の障壁」を持ち、その反応速度定数を説明するためには長距離相互作用と近距離相互作用の両者を考慮しなければならないことを指摘している。またこれにより、CH + H2とCH + CH4の反応速度定数の温度依存性を、矛盾なく説明することに成功している。

第6章は本論文のまとめであり、研究の成果として、(1) 新規実験手法の開発、(2) 芳香族炭化水素の燃焼酸化過程や煤の生成機構において重要な素反応の速度定数の決定、(3) 水素引抜反応や挿入反応の速度定数の温度依存性に関する新たな知見、を挙げている。

以上要するに、本論文は、炭化水素燃焼において重要なOHラジカルとCHラジカルの反応素過程について、新たな計測手法による実験と考察から、反応速度定数と反応性の理解に新しい知見を与えるものであり、燃焼化学と化学反応速度論、および化学システム工学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士 (工学) の学位請求論文として合格と認められる。

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