学位論文要旨



No 121211
著者(漢字) 吉松,剛志
著者(英字)
著者(カナ) ヨシマツ,タケシ
標題(和) 神経系前駆細胞の未分化性を制御する分子機構の解析
標題(洋)
報告番号 121211
報告番号 甲21211
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6301号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 上田,宏
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 尾藤,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

【目的】

中枢神経系は脳と脊髄からなり、初期胚の神経板から形成される。内腔側の分裂能を持った層は脳室帯と呼ばれる。脳室帯の分裂能力をもった細胞は神経系前駆細胞と呼ばれ、未分化性を維持したまま増殖し、ニューロンとグリアを含む数種の分化細胞を生み出す多分化能を有する細胞である。脳という組織が機能するためには、各部位においてニューロンやグリアが適正な数生み出されることが重要である。そのためには、神経系前駆細胞がどの程度未分化性を維持したまま増殖し、その数を増やすかが厳密に制御されていると考えられる(図1)。例えばもし、すべての神経系前駆細胞が1回多く分裂すれば、最終的なニューロンの数は倍に増えてしまうことになるからである。神経系前駆細胞の未分化状態を制御する分子として、FGF(Fibroblast Growth Factor)-2などの増殖因子や、Notchシグナルがよく知られている(図2)。Notchシグナルはその下流でHes遺伝子の転写を活性化する。Hesは、ニューロン分化を誘導する転写因子であるNgnなどの活性を抑制し、ニューロン分化を抑制していることがわかっている。一方、FGF-2などの増殖因子は、培養系で神経系前駆細胞の未分化状態を維持したまま増殖させることができ、広く用いられている。しかしながら、その下流のメカニズムについてはこれまで全く不明であった。そこで、本研究では、前半に、FGF-2はどのようなメカニズムで神経系前駆細胞の未分化状態を維持しているかについて解析を行った。

神経系前駆細胞は発生中期においてはニューロンを主に産生し、後期(周産期以降)においてアストロサイトを主に産生する。発生中期において神経系前駆細胞は、すべての細胞がいっせいにニューロン分化するのではない。一部の細胞が選択されニューロン分化し、残りの細胞は未分化状態を維持したまま増殖する(図1)。そして発生後期においてアストロサイトへと分化する。このとき、神経系前駆細胞が分化する割合は、最終的なニューロンとアストロサイトの数を決定するのに非常に重要であると考えられる。そこで本研究の後半において、ニューロン分化する細胞の割合を制御    しているメカニズムについて解析を行った。

【結果】

FGF-2による神経系前駆細胞の未分化性の維持にはJAK2の活性が必要である

FGF-2が神経系前駆細胞の未分化状態を維持する際に必要なシグナルを調べるためにneurosphere assayを行った。マウス胎生12日目胚から神経上皮細胞を単離し、FGF-2存在下にて浮遊培養し、MEK阻害剤(U0126)、PI3K阻害剤(LY294002)、JAK2阻害剤(AG490)を1日作用させた。その後、形成されるneurosphere(secondary neurosphere)の数を数えた。すると、JAK2阻害剤の添加によって、secondary neurosphereの数を顕著に減少することがわかった。このことから、FGF-2依存的な神経系前駆細胞の未分化状態の維持にJAK2の活性が必要であることが示唆された。

FGF-2による神経系前駆細胞の未分化性の維持にはSTAT3が必要である

次に、JAK2のターゲット因子としてよく知られているSTAT3が神経系前駆細胞の未分化状態の維持に必要である可能性について検討した。STAT3遺伝子をコンディショナルにノックアウトできるSTAT3 flox/floxマウスを用いてSTAT3の必要性を検討した。STAT3 flox/floxマウス神経上皮細胞を単離し、レトロウイルスを用いてCreリコンビナーゼを導入しSTAT3遺伝子をノックアウトした。その後、FGF-2存在下にて低密度浮遊培養を行った。すると、形成されるneurosphereの数が減少することがわかった。

in vivoにおいても神経系前駆細胞の未分化性の維持にはSTAT3が必要である

脳発生(in vivo)においても実際にSTAT3が神経系前駆細胞の未分化状態の維持に必要であるかを検討した。in uteroエレクトロポレーション法を用いて遺伝子導入実験を行った。STAT3 flox/floxマウス胎生14日目胚の脳室にCreリコンビナーゼ発現プラスミドをGFP発現プラスミドとともにインジェクトし、エレクトロポレーションにより脳室に面した脳室帯の細胞に遺伝子を導入した。その後2日間発生させた後に大脳切片を作成し解析した。すると、Creリコンビナーゼが導入された領域において神経系前駆細胞マーカーであるNestinが減少し、脳室帯において異所的にTuJ1陽性細胞が存在していることがわかった。このことから、in vivoにおいてもSTAT3は神経系前駆細胞の未分化状態の維持に必要であることが示唆された。

STAT3は周囲の細胞の未分化状態を維持する

前の実験においてCreリコンビナーゼが導入された領域を観察すると、STAT3がノックアウトされているGFP陽性細胞の周囲の細胞においてもTuJ1陽性細胞が存在していることがわかった。このことより、STAT3は周囲の細胞の未分化状態を維持するのに必要である可能性が示唆された。

STAT3が周囲の細胞に与える影響を共培養実験により検討した。活性型STAT3を発現している細胞と、GFPのみを導入した細胞とを共培養し、GFP陽性細胞のニューロン分化の割合を数えた。すると、周囲の細胞において活性型STAT3が導入されていると、GFP陽性細胞のニューロン分化細胞の割合が抑制された。このことから、STAT3は周囲の細胞の未分化状態を維持できることが支持された。

STAT3はDelta-like1(Dll1)の発現を制御する

これまで、周囲の細胞の未分化状態を維持する分子としてNotchのリガンドであるDll1がよく知られている。そこで、STAT3がDll1の発現を制御している可能性について検討した。

STAT3をノックアウトした後に、定量的RT-PCR、Western blottingを行いDll1のmRNA量、タンパク質量を調べた。すると、Dll1のmRNAもタンパクも減少することがわかった。このことより、Dll1の発現にSTAT3が必要であることが示された。

さらに、STAT3は転写因子であるのでDll1の発現を直接制御している可能性について検討した。Dll1のプロモーター領域にはSTAT3結合配列が2カ所存在していた。そこで、その領域に内在性STAT3が結合しているかをクロマチン免疫沈降法(ChIP)を用いて調べた。すると、STAT3結合配列の存在する領域においてSTAT3が結合していることがわかった。このことより、STAT3がDll1の発現を直接制御している可能性が示唆された。

マウス大脳皮質発生においてDelta-Notchの側方抑制機構が存在する

Notchシグナルはハエなどの系においては、側方抑制と呼ばれる機構により一部の細胞をニューロン分化させ、残りを未分化状態に保つことがよく知られている(図3)。マウス大脳皮質において同様の機構が存在する可能性はこれまで示唆されていた。しかし、Dllを発現している細胞とNotchシグナルが活性化している細胞が相互排他的に存在していることを示した報告はこれまでなかった。

そこで、側方抑制機構がニューロン分化抑制に関与しているかを詳細に検討するために、Dll1を導入した細胞の運命を調べた。すると、Dll1が導入された細胞においては、その後すべてニューロンへと分化するクローンとなる割合が増加した。このことから、Dll1を導入することで細胞の運命がニューロン分化へと誘導されることがわかった。この効果が、側方抑制という、周囲の細胞との相互作用によるものか、Dll1がそれを発現している細胞自身に直接およぼしている作用なのか検討した。大多数の細胞にウイルスを導入する実験を行った。すると、Dll1を導入した細胞においてニューロン分化が誘導されることはなかった。これは、大多数の細胞においてDll1が導入されていると側方抑制機構が働かないためと考えられる。このことより、Dll1をまばらに導入することで側方抑制機構が働き、ニューロン分化へと誘導されたことが示唆された。

このことより、側方抑制によって一部の細胞が選別され神経系前駆細胞の運命が決められる機構が存在することが示唆された。

【考察】

本研究によって、FGF-2による神経系前駆細胞の自己複製促進効果にJAK2-STAT3経路が必要であり、この時STAT3はDll1の発現を促進することで細胞非自律的に神経系前駆細胞の分化を抑制していることを明らかにした。FGF-2は細胞外因子であり、それが作用する範囲において均一に働きSTAT3を介してDll1の発現を誘導することで神経系前駆細胞の未分化状態を維持していると考えられる。そしてさらにその細胞集団からDelta-Notchの側方抑制機構により分化する細胞が選別されるというモデルが考えられる(図4)。FGF-2がSTAT3を介してDelta-Notch経路に作用することは、FGF-2の作用範囲が神経系前駆細胞の数を制御し、その集団の中で側方抑制機構がニューロン分化する細胞の割合を制御することで、発生において分化する細胞の数を制御するという意義があると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、マウスの発生において大脳がどのように構築されるか、特に神経系前駆細胞がニューロンやグリア細胞を正常な数だけ産生するメカニズムについて、さらには脳発生における死細胞の貪食メカニズムについて解析を行っていた。

大脳は、初期胚の神経板から形成される。脳室帯と呼ばれる内腔側の分裂能を持った層において神経系前駆細胞は存在する。神経系前駆細胞は、未分化性を維持したまま増殖し、ニューロンとグリアを含む数種の分化細胞を生み出す多分化能を有する細胞である。脳という組織が機能するためには、各部位においてニューロンやグリアが適正な数生み出されることが重要である。そのためには、神経系前駆細胞がどの程度未分化性を維持したまま増殖し、その数を増やすかが厳密に制御されていると考えられる。例えばもし、すべての神経系前駆細胞が1回多く分裂すれば、最終的なニューロンの数は倍に増えてしまうことになるからである。神経系前駆細胞の未分化状態を制御する分子として、FGF(Fibroblast Growth Factor)-2などの増殖因子や、Notchシグナルがよく知られている。Notchシグナルはその下流でHes遺伝子の転写を活性化する。Hesは、ニューロン分化を誘導する転写因子であるNgnなどの活性を抑制し、ニューロン分化を抑制していることがわかっている。一方、FGF-2などの増殖因子は、培養系で神経系前駆細胞の未分化状態を維持したまま増殖させることができ、広く用いられているが、その下流のメカニズムについてはこれまで全く不明であった。本論文の1章において、まずFGF-2がどのようなメカニズムで神経系前駆細胞の未分化性を維持しているかについて解析を行っていた。そして、FGF-2による神経系前駆細胞の未分化性維持においてJAK2-STAT3経路が重要であり、STAT3はNotchのリガンドであるDelta-like1の発現を介して周囲の細胞の未分化性を維持していることを明らかにした。

神経系前駆細胞は発生中期においてはニューロンを主に産生し、後期(周産期以降)においてアストロサイトを主に産生する。発生中期において神経系前駆細胞は、すべての細胞がいっせいにニューロン分化するのではない。一部の細胞が選択されニューロン分化し、残りの細胞は未分化状態を維持したまま増殖する。そして発生後期においてアストロサイトへと分化する。このとき、神経系前駆細胞が分化する割合は、最終的なニューロンとアストロサイトの数を決定するのに非常に重要であると考えられる。そこで本論文の2章において、ニューロン分化する細胞の割合を制御しているメカニズムについて解析を行っていた。そして、神経系前駆細胞から一部の細胞が分化する際には、これまで重要であると考えられてきた非対称分裂という機構だけでなく、側方抑制という機構も働いていることを明らかにした。

大脳発生において、多くの細胞死が起こっている。ひとつの試算として、発生期に産生された細胞の約半数が細胞死するという報告もある。このような非常に多くの細胞死がおこる大脳においては、それらの死んだ細胞がすばやく除去される必要がある。本論文の3章において、死んだ細胞が何によって貪食されているのかについて解析を行っていた。さらに、細胞がcaspase依存的に死ぬ際には、”eat-me-signal”を出すことで貪食細胞を誘引し、すばやく貪食されることが知られているが、caspase非依存的に細胞死を起こす際にはこのようなシグナルが働いているか、また貪食されるかについてはいまだ明らかになっていなかった。本論文の3章においては、この点についてもcaspase-9ノックアウトマウスを用いて解析を行っていた。そして、caspase依存的、非依存的のどちらの細胞死においても死細胞はマイクログリアによって貪食されており、死細胞の周囲に存在する神経系前駆細胞やニューロンは貪食を行っていないことを明らかにした。また、caspase非依存的な細胞死においてもマイクログリアによって貪食されているが、その効率が低下していることを見出し、eat-me-signalがcaspase依存的細胞死と異なっている可能性が示唆された。

以上のことより、本論文では脳が構築される際に、FGF-2という増殖因子が神経系前駆細胞の未分化性を維持する際にNotchシグナルを介することで、神経系前駆細胞の数と分化する割合を制御しているというモデルを考えることで、脳を構築するメカニズムが理解でき、再生工学等の分野において神経系前駆細胞を移植した際に、増殖する数や分化する割合を制御できる可能性に貢献した。さらに、脳の発生においてマイクログリアのみが死細胞を貪食し、その際にcaspase依存的な細胞死において貪食が速やかに行われることを明らかにしており、移植した神経系前駆細胞が細胞死を起こした場合には素早く貪食されるようにできる可能性に貢献した。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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