学位論文要旨



No 121215
著者(漢字) 本柳,仁
著者(英字)
著者(カナ) モトヤナギ,ジン
標題(和) 両親媒性ディスク状分子の自己組織化による低次元ナノマテリアルの構築
標題(洋) Development of Low-Dimensional Nanomaterials Formed from Self-Assembled Discotic Amphiphiles
報告番号 121215
報告番号 甲21215
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6305号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 講師 金原,数
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

古くから人類が用いてきた炭素材料であるグラファイトは、sp2炭素のみからなる2次元平面(グラフェン)が層状に積み重なった3次元構造体である(Fig. 1)。近年脚光を浴びているカーボンナノチューブは、仮想的にグラフェンを巻き上げたものであり、優れた機械的強度と電気物性を有する新しいナノマテリアルである。一方、グラフェンの小さな断片をくりぬいた構造を有する多環芳香族炭化水素化合物は、ゼロ次元の炭素構造体と見なすことができる。このうち、3回以上の対称性を持つものは、一般にディスク状分子と呼ばれ、この分子骨格の周囲に側鎖としてアルキル基などを導入した誘導体では、強いπ-スタッキング相互作用により自己組織化し、一次元カラム構造を形成することが知られている。さらに、このカラムが集合化してできる液晶やファイバー状ナノ構造体は、1次元カラム方向への異方的なキャリア移動が期待され、新しい光電子材料として興味が持たれている。しかしながら、これらディスク状分子の集合体も他の自己組織化により生成する分子集合体の例にもれず、熱や圧力などの物理的刺激や、溶媒や試薬などの化学的刺激に対して構造的に不安定であり、材料としての適用範囲が制約される。従って、ナノ構造を制御した機能材料開発においては、自己組織化プログラムとともに構造安定化プログラムを開拓することも重要な課題である。

このような観点から、本研究では、代表的なディスク状分子であるヘキサベンゾコロネン(HBC)およびトリフェニレン(TP)に着目し、新しい低次元構造体の構築とその構造安定化プログラムの開拓を目的とした。当研究室では、先に、ディスク状分子に両親媒性を付与するという方法論を開拓し、電子特性を有する特異なナノ構造体の構築に成功している。これらのナノ構造体をモチーフに、第1章では、可逆な酸化還元および光反応を利用した共有結合による構造安定化を検討した。また、第2章では、イオン間に働く引力的相互作用を構造安定化に利用するという新手法を展開した。

【実験と結果】

両親媒性ヘキサベンゾコロネン誘導体からなるナノチューブ構造の安定化

当研究室では、親水基であるオキシエチレン鎖と疎水基であるドデシル鎖を2本ずつ有する両親媒性HBC誘導体(1)が自己組織化により、直径20 nm 壁厚3 nm のナノチューブを与えることを見出している。このナノチューブは、親水基を外側、疎水基を内側にしてカップルした1が、グラファイト状に積層して二分子膜状のテープを形成し、さらにそれが巻き上がってできている(Fig. 2)。すなわち、ナノチューブの内外表面は親水基で覆われている。本研究では親水性側鎖末端に可逆な結合生成が可能な置換基を導入し、ナノチューブ形成後、表面重合による構造安定化を検討した。本研究の特徴的は、結合生成による不可逆的な構造安定化ではなく、可逆反応を用いることで、表面重合と構成ユニットへの解離を制御することが可能である点である。

酸化還元反応を用いたチューブ表面の可逆的重合

チオール基とジスルフィド結合は酸化還元反応により可逆的に相互変換できる。この反応性を目的とする可逆な表面重合に適用すべく、親水性側鎖の末端にチオール基を導入した両親媒性HBC(2)を設計した。しかしながら、前駆体として合成したアセチル基でチオール保護した両親媒性HBC(3)を種々のアルカリ条件で脱保護を検討したが、2の生成は確認できず、得られたのは分子内ジスルフィド結合した4のみであった。そこで、3を自己組織化させてナノチューブとし、そのままアルカリ条件で脱保護と酸化をすることにより、表面重合したナノチューブを作製することを試みた。

テトラヒドロフラン(THF)中で加熱することにより3を溶解した後、20 °Cまで冷却することにより、1と同様、20 nm の直径と3 nmの壁厚を有する自己組織化ナノチューブを得た。このナノチューブのTHF懸濁液を、室温大気中で EtONaのEtOH溶液と処理したところ、有機溶媒不溶の黄色沈殿が生成した。この沈殿の顕微鏡観察により、反応後もチューブ構造が保持されていることを確認した。濾別単離した固体のIRスペクトルでは、C=O伸縮振動による吸収ピークが消失しており、アセチル基が定量的に脱保護されていることが示唆された。また、MALDI−TOF MSスペクトルにより、4由来のピークに加えて、ジスルフィド結合により連結した2−4量体由来のピークを確認した。すなわち、3の脱保護と酸化により、チューブ表面において分子間ジスルフィド結合生成が進行し、重合安定化したナノチューブへと変換したことが示された。この表面重合したナノチューブは還元剤であるジチオスレイトールと処理することにより、チオールモノマー2へと脱重合することが可能であった。

先に当研究室では、アリール基を有するHBC(5)のオレフィンメタセシスにより、表面重合が不可逆的に進行し、熱安定化したナノチューブが得られることを報告しているが、チューブ構造を保持したままの表面重合はこれが初めての例である。さらに本研究では、可逆的なチオールの酸化還元反応を用いることで、チューブ構造を保持したまま脱保護・酸化反応を行えることを示した(Fig. 3)。こうして得られた表面重合ナノチューブは硫黄官能基で覆われているため、これらの官能基と親和性の高い金属と結合させることで、新たな有機無機ハイブリッド材料への展開も期待される。

光化学反応を用いたチューブ表面の可逆的重合

外部から試薬類を添加することなく、光などの外部刺激により表面重合と脱重合を制御する試みは興味深い課題である。これを可能にする官能基としてクマリンに着目した。クマリンは、照射波長を選択することにより[2+2]型の環化付加反応とその結合開裂を制御することが可能である。そこで本研究では、新たに、クマリンを親水性側鎖の末端に有する両親媒性HBC(6)を設計し、このHBC誘導体から得られるナノチューブの光反応性について検討した。

両親媒性HBC(6)のナノチューブは、CHCl3溶液にEtOHの蒸気を拡散することで作製した。SEM、TEM観察の結果、嵩高いクマリンが置換した6においても、得られたナノチューブは、これまでの例と同様の直径(20 nm)と 壁厚(3 nm)を有していた。このナノチューブのEtOH懸濁液に300 nm 以上の光を5分間照射したところ、CHCl3に容易に溶解してしまう光照射前ナノチューブとは対照的に、光照射後のナノチューブはCHCl3に全く不溶であった。このことは、クマリンの二量化がチューブ表面で進行したことを示唆している。一方、光照射により得られたナノチューブを、EtOH中で波長250−350 nmの光を照射し、CHCl3で希釈したところ、黄色溶液を与えた。この状態変化は、チューブ表面のクマリン二量体が解裂し単量体を再生したことを意味している。実際、この光反応過程をUV-visスペクトルにより追跡したところ、クマリンに由来する280−350 nmの吸収帯が、300 nm 以上の光照射により減衰し、引き続き、波長250−350 nmの光を照射すると、この領域の吸収が再び増加することが明らかとなった。さらに、300 nm 以上の光を照射して得たナノチューブのMALDI−TOF MSでは、オリゴマー(2, 3量体)の生成が確認された。一方、表面重合したナノチューブに波長250−350 nmの光を照射すると、時間経過とともにこのオリゴマーのピークが減少し、モノマーのみのピークへと変化した。このことは、光刺激に対応しナノチューブ表面での重合・脱重合が効率的に進行していることと矛盾しない。

以上本研究では、光反応によるクマリンの可逆的な結合形成と解裂を利用し、表面重合によるナノチューブ構造の安定化と、モノマーへの解離を制御することに成功した(Fig. 4)。クマリン二量体は酸化反応を受けにくく、この構造安定化されたナノチューブは、酸化的ドープに対しても安定であることが期待される。従って、この表面重合ナノチューブは、自己組織化体に比べて堅固な分子導線や新規な電子運動素子などへの応用が可能であると考えられる。また、このナノチューブ表面は分子の配向が制御されているため、選択的反応への反応場としての展開も興味深い。

両親媒性トリフェニレン誘導体からなるカラムナー液晶構造の安定化

側鎖にアルキル鎖を有するトリフェニレン(TP)誘導体は一次元に配列したカラムナー液晶相を示し、高いキャリア移動度を示す。このような特徴を利用するためには、室温付近を含めた幅広い温度範囲で液晶相を示す必要がある。これに関連して、イミダゾリウム塩と芳香環の相互作用に関する研究途上において、TPのカラムナー液晶相がこのイオンの存在により大きく安定化される新現象を偶然見出した。

単純なデシル基を有する8は、温度範囲が69−58 °Cでカラムナー液晶相をとる。これに対して、本研究で合成した7は、偏光顕微鏡観察およびDSC測定から、幅広い温度領域(111−47 °C)でカラムナー液晶相を示した。興味深いことに液体状のイミダゾリウム塩9を7に添加すると、この液晶相がさらに安定化し、117−4 °Cとより幅広い温度領域で液晶相を示すことを見出した。アルキル鎖の末端に導入され、カラム周辺に位置するイミダゾリウム塩の効果は次のように考察した。多くの非対称性イミダゾリウム塩は室温以下でも結晶化せず液体であり、またイオン性分子のためほとんど揮発性を示さない。これらのことが液晶形成の際に、低温領域においては、イミダゾリウム塩がTPコアの結晶化を妨げ、一方、高温領域では、イミダゾリウム塩がアニオンを介したイオン間相互作用によりネットワークを形成し、構造安定化に寄与しているためであると考えた。さらに、外から添加されたイオン液体分子は、カラム周囲のネットワーク構造を補強することで、より幅広い温度領域で液晶相を安定化するものと推測される。

イミダゾリウム塩はイオン液体を与えることで注目されているが、本研究はイミダゾリウム塩のもう一つの新しい側面を提示するものである。

【まとめ】

本研究第1章においては、両親媒性ディスク状分子の自己組織化により生成するナノチューブをモチーフに、可逆的な化学反応を利用した構造安定化の制御に成功した。これまで、二量体など、比較的小さな超分子を化学結合によって固定化する試みは数多く報告されているが、本研究で対象としたようなナノスケールの構造体を共有結合安定化した例は未だ限られている。また、第2章では、従来からディスク状分子カラム構造の形成や安定化に用いられてきた、水素結合や電荷移動相互作用に対し、イオン間相互作用を利用するという新しい方法論を提案した。分子の自己組織化と可逆的安定化に関する以上の成果は、基礎化学的な興味だけではなく、π電子系分子を用いた低次元機能性マテリアルの構築においても新知見を提供するものである。

Fig. 1 Carbon-Based Materials

Fig. 2. Schematic representation of a self-assembled graphitic nanotube and a cross section of its wall consisting of a helical array of π-stacked HBC units.

審査要旨 要旨を表示する

自己組織化によって分子配列がナノスケールで制御されたパイ共役分子は、電子・光電子材料として注目されている。ディスク状のパイ共役分子では、強いパイスタッキング相互作用により自己組織化することで一次元カラム構造を形成し、一次元カラム方向への異方的なキャリア移動が期待され、新しい光電子材料として興味が持たれている。しかしながら、これらパイ共役分子の集合体も他の自己組織化により生成する分子集合体と同様に、物理的刺激や化学的刺激に対して構造的に不安定であり、材料としての適用範囲が制約される。従って、ナノ構造を制御した機能材料開発においては、自己組織化プログラムとともに構造安定化プログラムを開拓することも重要な課題である。本論文では、全体を通じて自己組織化によって形成される両親媒性ディスク状パイ共役分子集合体の構造安定化を目的とした研究について述べている。

序論では、パイ共役分子の自己集合体と自己集合体の構造安定化について概観している。代表的なディスク状分子であるヘキサベンゾコロネン(HBC)およびトリフェニレン(TP)に着目し、新たな分子設計を提案している。ナノチューブ構造へと自己組織化することが知られている両親媒性HBCにおいては、特に構造の可逆的安定化に注目している。

第1章では、可逆な酸化還元反応を利用した共有結合形成による両親媒性HBCの自己組織化ナノチューブの構造安定化について述べている。チオール基とジスルフィド結合は酸化還元反応により可逆的に相互変換が可能である。このような特徴を有するチオール基をアセチル基で保護したチオアセチル基を両親媒性HBCの親水性側鎖の末端に導入し、自己組織化挙動を検討した結果、これまでの両親媒性HBCと同様のサイズを有するナノチューブ構造の形成を明らかにしている。大気中アルカリ条件下で得られたHBCナノチューブを処理することで、チオール基の脱保護・酸化反応がチューブ構造を保持したまま進行し、有機溶媒に安定な表面重合したナノチューブが得られたと述べている。さらにこの系に還元剤としてジチオスレイトールを添加し、加熱還流することにより、チオールモノマーへの脱重合を達成している。また、チューブ構造を保持したままの表面重合はこれが初めての例であると述べている。

第2章では、可逆な光化学反応を利用した共有結合形成による両親媒性HBCの自己組織化ナノチューブの構造安定化について述べている。クマリンを利用することで、第1章とは異なり、外部から試薬類を添加することなく、光という外部刺激に応答する表面重合と脱重合を実現している。クマリンは、照射波長を選択することにより[2+2]型の環化付加反応とその結合開裂を制御することが可能である。クマリンを有する両親媒性HBCを自己組織化させることで、クマリンという嵩高い置換基を有しているにも関わらず、これまでと同様のサイズを有するナノチューブが得られたと述べている。キャストして得られるクマリンHBCから成るナノチューブフィルムに300 nm以上の光を照射したところ、良溶媒であったCHCl3に完全に不溶化したことから、クマリンの光二量化によってチューブを形成しているモノマー間の重合が示唆されたと述べている。また電子顕微鏡観察から、この光反応後もチューブ構造が保持されていることを明らかにしている。一方、光照射により得られたナノチューブに、EtOH中で波長250−350 nmの光を照射した後、CHCl3で希釈したところ、黄色溶液へと変化した。この溶解度の変化は、ナノチューブ内のクマリン二量体が解裂し単量体を再生したことに由来すると述べている。UV・IRまたマススペクトルから、これらの光照射による溶解度の変化がクマリンの二量化形成と解裂に伴う変化であることを明らかにしている。さらにこれらの知見を基に、フォトリソグラフィーを利用したHBCナノチューブフィルムのパターニングを試みており、ポジ型およびネガ型両方のリソグラフィーが可能であることを実証している。これらはボトムアップ手法で形成した構造体を、さらにトップダウン手法で加工するという新たなナノ構造体形成の提案であり、その意義は大きい。

第3章では、イオン間相互作用を利用した非共有結合によるTPの一次元カラムナー液晶の構造安定化について述べている。偏光顕微鏡観察およびDSC測定の結果から、単純なデシル基を有するTP化合物では、液晶相を示す温度範囲がわずか11 °C(69−58 °C)であるのに対して、イミダゾリウム塩を有するTP誘導体では、111−47 °Cと幅広い温度領域(64 °C)でカラムナー液晶相が発現することを明らかにした。また、イミダゾリウム塩からなるイオン液体を外部から添加することで、この液晶相がさらに安定化し、117−4 °Cとより幅広い温度領域で液晶相を示すことを見出している。液晶形成の際に、低温領域においては、イミダゾリウム塩がTPコアの結晶化を妨げ、一方、高温領域では、イミダゾリウム塩がアニオンを介したイオン間相互作用によりネットワークを形成し、構造安定化に寄与しているためであると述べている。

結論では、本論文の総括と展望を述べている。

以上、本論文では、両親媒性ディスク状パイ共役分子に基づく自己組織化集合体の溶媒や熱に対する構造安定性を評価するとともに、光反応性を利用した自己組織集合体のフォトリソグラフィーへと展開するという材料設計の新しいアプローチが提案されていると同時に、その実現について述べられている。これらの成果は、今後の有機材料工学、特に有機導電性材料の発展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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