学位論文要旨



No 121216
著者(漢字) 山田,真澄
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,マスミ
標題(和) マイクロフルイディクスを利用した微粒子の連続分離に関する研究
標題(洋) Study on Continuous Particle Separation Utilizing Microfluidics
報告番号 121216
報告番号 甲21216
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6306号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 助教授 上田,宏
 東京大学 講師 新海,政重
 大阪府立大学 教授 関,実
内容要旨 要旨を表示する

1990年代後半以降,半導体製造プロセスに代表される微細加工技術を応用し,マイクロメートルスケールの微小な空間・構造を作製し,その中に流体を導入して化学・生物プロセスを行う,という研究が活発になってきた。このような微小な空間では,流れの状態は層流が支配的となり,また体積に対する表面積の増加に起因する様々な特長があるため,化学合成,分析,生化学スクリーニング等の分野への応用が期待されている。

一方,細胞,ポリマー粒子,無機微粒子などの粒子を,大きさや表面状態によって分離,精製,あるいは選抜するといった技術は,様々な産業・研究分野において非常に重要である。そして近年,それらの粒子とほぼ同じスケールの微細な流路構造を用いた,新しい微粒子の分離・選抜システムの構築に関する試みも行われつつある。一例として,微小な流路の中で超音波,誘電泳動,磁場などを用いた粒子の分離手法が報告されている。これらの手法は,微小な空間において微小な粒子に特徴的・支配的に働く力を巧みに利用したものであり,科学的に見て非常に興味深い。しかしながら,操作の自動化,処理量の増加など,より実用的な手法が必要とされる場合には,連続的な処理が可能でシンプルなシステムが魅力的であり,望ましい。そこで本論文では,外部からの操作を必要としない,微小なスケールでの流れ(マイクロフルイディクス)の場を利用した新しい粒子の分離・分級法に関して報告する。具体的には,まず第1章において,微小なスケールでの化学・生物プロセスの発展と微粒子の分離に関する研究の動向について概観した後,第2章では,表面状態の違いを利用した細胞などの粒子の分離手法である,マイクロスケールでの水性2相流を用いた分離法について記述する。次に第3章,第4章では,大きさによる粒子の分離法として提案したPinched Flow Fractionation(PFF)法とその改良について説明する。さらに第5章,第6章では,大きさによる粒子の濃縮と分級を可能とする手法である水力学的フィルトレーション法とその改良について説明し,最後に第7章において総括と今後の展望について記述する。

最初に行った研究は,微小スケールでの層流系において,細胞等の粒子に対する親和性が異なり,互いに混ざり合わない複数の水溶液を並行に導入し,表面状態の違いにより粒子を分離する手法に関するものである。このような混ざり合わない水溶液は水性2相分配系と呼ばれ,通常は試験管などにおいて生体高分子や微小な顆粒等を親和性の違いによって分離するために用いられる。しかし,この分配系を用いて動植物細胞のような比較的大きな粒子を分離する際には,重力が分離に影響を与えてしまうため,精度の高い分離を行うことは不可能であった。そこで,この分離法をマイクロチャネル層流系で連続的に行い,界面を重力と平行な方向に形成することにより,純粋に表面状態のみによって細胞の選抜が可能となると期待された。

実際に,フォトリソグラフィーとレプリカモールディングと呼ばれる手法により,PDMSポリマーを用いて,入口と出口をそれぞれ2つずつ有し,流路幅が400ミクロンであるマイクロチャネルを作製した。そして粒子として植物培養細胞塊を用い,水性2相系としてPEG−デキストランの混合水溶液系を用いたところ,細胞の表面状態・親和性を利用した分離が可能であることが確かめられた。さらに,流路幅が分離対象となる粒子径の2〜3倍程度となる細い部分(ピンチ部分)をマイクロチャネルの途中に設けることで,粒子の2相界面への接触確率を高めることができ,分離効率の向上に成功した。

次に,上記のピンチ部分の効果を粒子の分級に利用することに着目した手法がPinched Flow Fractionation(PFF)法である。この手法では,ある特定の形状を有する微細な流路に細胞等の粒子を導入するだけで連続的な分級が可能である。原理としては,まず粒子懸濁液と粒子を含まない溶液(シース液)を,図1に示すように入口を2つ有し,かつ局所的に細い部分を有するマイクロチャネルにそれぞれ導入する。この時,シース液の流量が粒子懸濁液の流量より相対的に大きくなるように調節することで,粒子はその大きさに関わらず,ピンチ部分において流路壁に整列されながら流れる。この時,粒子の大きさの違いよって,流路壁から粒子の中心位置への距離に,わずかながら差が生じる。このわずかな距離の差を効率的にピンチ部の下流において増幅することにより,粒子を流れと垂直な方向に,大きさによって正確に分離することが可能となる。実際に大きさの異なるポリマー粒子混合物の分離を行ったところ,正確な分級が可能であることが確かめられた。また,下流において複数の分岐を設けることにより,分離した粒子をそれぞれ個別に回収することも可能であることが確認された。

一方,複数の分岐流路を非対称に配置することで,PFF法の分級精度の向上を目指した手法が,Asymmetric PFF(AsPFF)法である。この手法においては,複数の分岐流路のうちの一つを短く設計することで,ピンチ部における流れのうちの大半をその短い流路(ドレインチャネル)に導入することができ,粒子の分級精度を飛躍的に向上させることが可能となる。実際に13の出口流路を有するマイクロ流路を作製して粒子の分離を行ったところ,直径0.7~3.0ミクロン程度の微小な粒子でも正確に分離できることが確かめられた。さらに,赤血球細胞などの非球形な粒子についても分級を行ったところ,これらの粒子はその短径に従って分級されることが確認された。

上記のPFF法は微小な流路内の流れを利用するだけで,粒子を大きさによって正確に分離できる優れた手法であると言えるが,粒子を含まない溶液を大量に導入しなければならないため,結果的に粒子が希釈されてしまうという欠点があり,さらに流量を正確にコントロールする必要もあった。そこで,単純に粒子懸濁液を導入するだけで粒子の分級と濃縮を同時に可能とする手法を提案した。この手法の基本的な原理を図2に示す。まず,図2(a)に示すように,ある一つの分岐点において,左右の分岐流路へと導入される流量が十分に少ない場合,ある一定以上の大きさの粒子は,たとえ流路壁近傍を流れていたとしても,また,大きさが分岐流路の断面形状よりも小さい場合であっても,分岐流路へと導入されることがない。これは,粒子の中心位置は,少なくとも流路壁から粒子の半径に等しい距離の間には存在しない,という事実により説明できる。一方で,図2(b)に示すように,分岐流路へと導入される流量が大きい場合には,分岐流路へと導入される最小の粒子の大きさが増加する。つまり,左右の分岐流路へと導入される流量が,分岐流路へ導入される粒子の大きさを決定すると言える。

そして,これらの流れの状態を組み合わせることによって,粒子の濃縮と分級が可能となる。つまり,図2(c)に示すように,まず濃縮・分級対象となる粒子が左右の分岐流路へと導入されないような流れの状態を繰り返す。これにより,一段ごとの濃縮率はわずかであるが,数10回程度の繰り返しにより,粒子が大幅に濃縮される。さらに,流路内の流れは安定な層流系であるため,粒子の大部分はメイン流路の左右の壁面に整列しながら流れることになる。そしてさらに下流にある分岐点において,分岐流路に導入される流量を図2(a),(b)のように段階的に増加させることにより,壁面に整列した粒子を段階的に,大きさによって分離・選抜することが可能となる。この手法では,流路内の仮想的な流れの幅が分離または濃縮される粒子の大きさを決めるため,水力学的フィルトレーション(Hydrodynamic Filtration)と名づけた。なお,それぞれの分岐流路に導入される流量は,流路の設計段階で流路を電気回路のアナログとみなすことで調節した。

実際に,入口が1つ,出口が7つあり,メイン流路の幅は20ミクロン,分岐流路の幅は5~20ミクロンであるマイクロ流路をデザインし,作製した。実際に2.1ミクロンと3.0ミクロンの粒子を導入したところ,粒子の濃度は結果的に30~40倍程度に濃縮され,さらに正確に分級されることが確認できた。また,細胞への応用として,血液中からの白血球の選択的濃縮を行ったところ,白血球の選択的な濃縮が可能であった。

ただしこの手法では回収率が十分でなく,また,大きな粒子の中には必然的に小さな粒子が混入してしまう,という問題点があった。そこで,まずメインの流路の片側から流体のみを分離し,下流において合流させ,さらにその下流において,反対側の流路壁から流体を分離し,粒子の濃縮と分級を可能とする方法を提案した。この手法では,上記の水力学的フィルトレーションと同様に,ある流路構造に粒子懸濁液を導入するだけで,完全な回収と濃縮・分級が可能となる。実際に数種類のマイクロ流路をデザインし,ポリマー粒子を導入して実験を行ったところ,非常に正確な粒子の分離が可能であることが確かめられた。さらに血球細胞を導入したところ,白血球と赤血球をほぼ完全に分離できることが確認された。

以上に示した手法は,純粋なフルイディクス的手段により,表面状態または大きさによって微粒子を正確に分離することのできる優れた方法であると言える。また,操作が非常に簡便であるため,医学・生化学,環境計測,粒子製造などの幅広い分野において,実用的な手段になると期待される。

図1 Pinched Flow Fractionation法の原理図。

図2 水力学的フィルトレーションの原理図。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,マイクロ流路を利用して,液体中に懸濁した微粒子を,その表面状態あるいはその大きさに従って精密に分離するための方法について纏められたものである。表面状態による分離技術としては,マイクロ流路内の水性二相流を用いた手法が提案され,一方,大きさによる分離技術としては,ピンチド流路を用いた手法と,複数の分岐を有する流路を用いた手法が提案されている。

これらの手法では,粒子とほぼ同じスケールの微小な流路と,その中に安定的に形成される層流のプロファイルを利用した,新しい微粒子分離原理が用いられている。これらの手法に共通する最も重要な特長は,分離操作に外部からの精密な制御を必要とせず,純粋に流体力学的な要因によって粒子の分離が可能になる,という点である。さらに,分離操作が連続的かつ受動的であるため,シンプルなシステムが実現され,実用性も高いものと考えられる。

本論文では,提案された手法の分離機構,理論的な予測と実験値の比較,細胞等の生物学的粒子への応用などに関して,既存の手法との比較を交えて様々な側面から多角的に検討が行われており,科学的にも興味深く,工学的にも有意義であると考えられる。本論文は,全7章から構成されている。

第1章では,本論文の意義を明確にするために研究の背景について記述されている。微細加工技術の化学・生物プロセスへの応用,既存の微粒子分離法の特徴,マイクロフルイディクス(微小流体力学)の微粒子分離への応用の可能性などについて詳細に言及されている。

第2章では,細胞等の粒子の表面状態を利用した分離法に関して,水性二相流を用いた連続分離法が提案されている。従来の水性二相系を用いた分離法では,粒子分離に比重の影響が関与するため精度の高い分離が困難であった。そこで,本論文ではマイクロ流路内に水性二相系を導入し,その界面を重力と平行な方向に形成することで,比重の影響を受けない連続分離システムを実現している。実際に,植物培養細胞を用いた実験によって,細胞の表面状態に依存した分離が可能であることを示している。また,局所的に流路幅を絞ることで,分離精度を向上させることにも成功している。

第3章では,大きさによる粒子の分離手法として,局所的に幅の狭い流路を用いたピンチド・フロー・フラクショネーション(PFF)法が提案されている。本手法では,粒子懸濁液と粒子を含まない溶液を,特定の形状を有するマイクロ流路に連続的に導入するだけで,大きさによる連続的な分離が可能となる。そのため,外部からの操作を必要とする従来の分離手法と比較して,汎用性が高く極めて実用的な手法であると考えられる。実際に,数ミクロン径のポリマー粒子や細胞など,様々な粒子の分離が可能であることを明らかにした。本手法は,微細加工技術の進展によって可能となったマイクロメートルサイズの精密な構造を利用して,純粋に流体力学的な要因による,連続的かつ受動的な粒子分級手法を初めて提示した研究と考えられる。第4章では,第3章で提案されたPFF法の分離精度をさらに向上させるための設計手法とその操作方法について詳述されている。

第5章,第6章では,大きさによる粒子の分離と,同時に濃縮を可能とする新規な手法であるハイドロダイナミック・フィルトレーション(HDF)法とその改良について提案されている。この手法の特徴は,単に粒子の分級ができるだけでなく,粒子混合物の中から,存在割合の比較的小さな特定の粒子を濃縮することが可能であり,流量の正確な制御も不要であることにある。ここで示された新しい分離・濃縮の原理は,流路構造にのみ依存した分離手法であるため,簡単な構造と操作によって高精度の微粒子分級と濃縮が実現され,高い実用性も有しているものと考えられる。また,マイクロフルイディクスという新しい考え方を積極的に利用し,流路ネットワークを抵抗回路のアナログとして見積もることで複雑な流路設計が可能になることや,仮想的な流れの幅が濃縮・選抜される粒子の大きさを規定するという新しい現象も明らかにしている。さらに,実際の応用として,簡単な導入操作だけで赤血球と白血球のほぼ完全な分離を実現しているが,これは本手法の性能の高さを示したものと言える。

第7章においては,本研究を総括した上で,提案された新しい分離手法の応用分野や今後の展開について記述されている。

以上を総括すると,本論文は,精密な微小流路とその内部の流体の流れを利用した微粒子の分離手法について論述されたもので,本論文中で提案された手法が,新規な原理に基づく分離方法であることが明らかにされるとともに,その原理に基づいた設計・操作上の指針を示され,その応用の可能性も提示されたものである。ここで示された結果は,新規な微粒子の分離・分級原理を提案したものとして分離科学や微小流体力学(マイクロフルイディクス),生物化学工学の発展に寄与すると同時に,その正確さ,簡便性,汎用性のために,実用的にも大きな意義を持つものと考えられる。また,細胞等の生物微粒子の分離・濃縮にも適用可能であり,医学や生物学などの基礎科学の発展にも幅広く貢献することが期待される。

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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